10,究極の選択 身体中に薔薇の香りをまとい、 髪も身体も綺麗に洗って、ゆっくり湯船に浸かったことと、今後の行動指針が明確になったことで、何だか気分も軽い。 用意されていたバスローブに身を包んで浴場を出ると、そこにはお母さんが控えていた。 脱衣所――と言っても、かなりの広さがある部屋には、着替えがあった。 派手ではないが、一応ドレスと目されるもの。 胸元が大きく開いていて、袖が花のつぼみのように膨らんでいる。キュッと絞られたウエスト、そこから床に届くまで長いスカート。スカートの裾にはレースが飾り付けられていた。 色は白で、デザインがシンプルだから――ワンピースと言ってもいいかもしれない――抵抗なく着れそうだけど……。 ちょっとロマンテック系すぎじゃないかしら? そういう服って着たことないのよ。 私はどちらかというとカジュアル派だ。日常は、制服かジーンズ、デニムスカートっていう格好だった。それがこっちじゃ浮くのは目に見えているし、むしろお母さんが着ているクラシカルなふっくらドレスが普通なんだろうけど。 何でもすぐに、人は順応できないわ。 「ローズ様、まずは髪を乾かしましょう」 お母さんが大きな鏡の前に置いた椅子に私を座らせて、タオルで髪の水分を取る。美容室のお客になった気分。頭を弄られるのに任せながら、私はお母さんに問う。 「ねぇ、お母さん」 「グリシーヌとお呼びください、ローズ様」 ――グリシーヌ、グリシーヌ、グリシーヌ。 頭の中で、三回唱える。次からは間違えないようにしなければ、逆にグリシーヌを傷つけそうだ。 立場上、親子という関係ではなく、主従という関係を選ばざるを得なかったのだから。 「……グリシーヌ。あのね、服はやっぱりこちらの服を着なきゃ駄目?」 あちらとこちらが繋がっているのなら、今までの服を調達するのも難しくないと思うんだけど? 「はい。着るものから慣れていきましょうね」 声に柔らかさが戻ってくる。その響きが、無性に懐かしい。 昨日の朝、私を学校に送り出してくれたいつもの光景が……どうしようもなく遠くに感じる。 胸に溢れてくる感傷をぐっと堪えて、いつもの調子で私は返す。 「でも、あまり似合わないような気がするんだけど」 「そんなことはありません。あの服は、ローズ様がお召しになっていたものですから」 ローズの着ていたもの……。 そっか。一年前には、ローズはここに存在していたのよね、十八歳の女王として。 「似合っていた?」 「それは、華のように美しく――可憐に咲き誇る白き薔薇のようでした」 うっとりした響きを含んで、グリシーヌが応える。 鏡越しにみるグリシーヌの表情が何と言うか、恋する乙女に似ている気がするのは、私の気のせい? まるで、テレビの向こうのアイドルに恋をするような……いえ、この場合は宝塚の男役に惚れちゃっているみたいな――。 ねぇ、お母さん。視線がどこかに飛んで行っているんだけど。 お願いだから、頬に手を当てて、熱っぽいため息を吐かないでっ! 本当に、恋する乙女に見えるから。 というか、ここにいる私の立場がなくなるからっ! ブランシュ、ヴェールだけじゃない。グリシーヌも――そして、きっとディアマンも、「ローズ」が好きだったんだわ。 好きというか、信望? 何だかやっぱり、私と「ローズ」は別人じゃないかと思ってしまうのだけれど……。 白のドレスを横目に見つつ、話をそらす。 お願い、こっちへ戻ってきてっ! 「グリシーヌの目の色って、本当は菫色なのね」 私の問いに、グリシーヌは落着きを取り戻した声音で答えてくれた。 「ええ。あちらでは――日本では目立つので、魔法で黒に変えていました」 「魔法……って、誰でも使えるの?」 「一応、こちらの人間は誰もが魔力を持っています。その能力には、個人差がありますが、小さな魔法であれば誰でも使えます。ちょっと、目の色を変えるくらい、造作もありません」 「そう」 魔力が強い女性を女王に選ぶんだから、魔法は重要視されるくらいの特別なものなんじゃないかと思ったけれど、そうでもないの? 私の疑問を見透かしたように、グリシーヌは補足した。 「ただ、魔法を使えばそれなりに疲労を伴います。魔力と疲労度は比例します。だから大抵の人間は魔力を持っていても、魔法を使うことはありません」 「つまり、力を持っている人だけが魔法を使う?」 「はい。女王や騎士殿などがその筆頭ですね。故に、力を持つ者が選ばれるのです」 国を背負わされるほどの魔力って、どれぐらいなのかしら? ――首を傾げていると、グリシーヌが声をひそめるようにして、問いかけてきた。 「ときに、ローズ様――」 「……何?」 声が孕む緊張感に、私の背筋は伸びあがった。肩越しにグリシーヌを振り返る。 私に付き合ったせいで、三十代後半に差し掛かった年齢。でも、あちらでは年よりは若く、二十代後半に見られていた。 なのに、きっちりまとめた髪の印象と黒の落ち着いた服装からか、あちらにいた頃よりも、少々おかたく年相応に見えてしまっている。 グリシーヌこそ、明るい服を着れば華のように映えるのに……。 ちょっとだけ、胸の奥が軋んだ。 私が……「ローズ」が呪いにかからなければ、グリシーヌはまだ二十歳のうら若き乙女だったのに。老けさせてごめんなさい。 お母さん――グリシーヌのためにも、絶対に呪いの実行犯を許さないわ。見つけ出して、ギタギタにしてやる。 決意を新たに固めていると、グリシーヌが顔を寄せ、 「今宵は閨にどちらの殿方をお呼びしますか?」 私の耳元で囁くように訊いてきた。 「――はい?」 「一応、ブランシュ様、ヴェール様のご都合もありますので、お早めに決めて頂かないと」 「えええええええっ?」 私は仰天して、椅子から立ち上がった。その拍子に、椅子の足に自分の足をからませてしまって、床に尻もちをつく。 幸いに、床には絨毯が敷かれてあったからそんなに痛くはなかったけれど。 動揺している自分が、自分で痛いわ。 でもでもでもっ! 「だだだって、その気がなければ「子供はできない」って」 私は叫んで、あわあわと両手を振り回す。 ブランシュの発言は、夫婦関係は両者の合意のもとに成り立つのだと、私は判断したんだけど。違うの? グリシーヌに尋ねれば、こくりと彼女は頷く。 「はい。ですから、どちらの殿方をお呼びしましょうかと」 「待ってっ! 私はまだ合意するつもりはないわ」 「ああ、そうなのですか。ブランシュ様と仲が良さそうに見えましたので、お心をお許しになられたのかと思いました。私ったら早合点を」 グリシーヌはホッと息を吐いて、胸を撫で下ろしていた。その様子を見上げる私に気づいて、彼女はイタズラが見つかった子供がそれを誤魔化すように笑った。 「さすがに、切り替えが難しいですね。あちらでは、ローズ様に近づく悪い虫に目を光らせることを生きがいにしておりましたから」 高校進学の際、共学は絶対に駄目だと言い張ったのは、もう既に結婚相手がいたからだったのね。 お母さんも、さりげなく恋愛関係の話題を振って、私の反応を伺っていたのも、同じ理由なんだろう。 「既に、女王の即位に伴い、騎士殿方との成婚が事実になっているとはいえ、娘を嫁に出すのは辛いですわ」 ふふふっと柔らかく響く笑い声に、私も一緒に笑う。 「私、まだ十六歳よ。結婚するつもりはないわ」 「素敵な殿方に望まれておいでですのに?」 からかうような声の響きに、私は立ち上がって胸を張る。 「当然。私は私が好きになった人とじゃなきゃ、結婚は嫌よ」 ブランシュとヴェールは嫌いじゃないわ。でも、まだ恋愛をするような「好き」じゃない。 二人は私にとって味方だという安心感が好意を抱かせている。それだけだ。 「今後の展開に、乞うご期待――と言ったところですか」 「そうね」 問題が解決したら、多分、ゆっくりとその問題に向き合うことになるだろうけど。 「ねぇ、私のこういう考えって……変?」 歴代の女王たちは、二人の騎士との結婚をどう考えていたのかしら? 相手が一人だったら、一種のお見合い結婚とも言えなくない。お見合い結婚でも仲の良い夫婦になっている実例は、世間には一杯あった。だから、それはそれで良いと思うの。 でも、夫が二人っていうのは……一夫一妻制の日本で育った私には、想像が及ばない世界だわ。 同時に二人の人と付き合うって不倫みたいな感じで、恋に恋している私としては許容できないわ。 大人になれば考え方も変わるかもしれないけれど……今の私には、無理。 「いいえ。あくまでも「星」の女王陛下と「太陽」、「月」の騎士殿との婚姻は議会が推奨しているものではありますが、必ずしも子を成す必要はありません」 「……そう」 良かった、と。安堵の息を吐きだしながら、私は気になっていることをついでに聞く。 ふと、思った。 女王に忠誠誓っていても恋愛感情を持っていない騎士が、女王から求められた場合は? 求愛は必ずしも、男からって場合ばかりじゃないんじゃない? 「両者の合意がなければ、結婚は成り立たないって話だけど。例えば、女王は騎士を好きなんだけれど、騎士が女王を好きじゃなかった場合は?」 グリシーヌは頬に手を添えて、困ったように小首を傾げた。 「私も王宮にお仕えするのは、ローズ様が初めてですので。歴代の女王陛下と騎士殿の関係はわかりかねますが……」 ちょっとだけ、グリシーヌの表情が陰る。 「女王に請われれば、騎士殿には拒否権がありません」 「えっ? そうなの?」 目を瞬かせる私に、グリシーヌは小さく頷く。 「最も、「太陽」や「月」に選ばれることを承諾した時点で、騎士殿もそれを御承知のはずです」 「……そう。そうよね……」 納得できるような気がしたけれど、何かが心に引っ掛かった。何かしら? 思考に沈みかけたところを、グリシーヌに止められた。 「それより、ローズ様。着替えましょうか」 グリシーヌに促され、私は用意されていたドレスに着替えようとして、大問題に突き当たった。 |