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 11,乙女の矜持


「おや、ローズ。着替えはどうしたの? グリシーヌに頼まれて、君に似合いそうなものを選んだつもりだったのだけれど」
 部屋に現われた制服姿の私を目にして、ブランシュは机の向こう側で不思議そうに首を傾げた。大きな窓から差し込む光が金髪に反射して、王子様は輝いて見える。
 本来は女王の執務室なんだそうだけれど、今現在は二人の騎士が女王に―― 一応、私ということになるんだけど――代わって、議会から上がって来た予算や新法の草案に目を通している仕事部屋とのこと。
「ローズ」があちらで十六年、私として生活している間、こちらでは二人の騎士が女王の空位を守り続けてきた。
 最も、こういう空位はあらかじめ想定されているらしい。
 空位を埋めるための役割も「太陽」と「月」の騎士には求められている。だって、女王だもの。在位中に赤ちゃんを身ごもる可能性がある――そうなることを、二人の騎士との結婚という形で議会が推奨しているのだから、この一年の空白も許容されているとのこと。
 次の「星」が選ばれなかったのは、私が十八になればこちらに戻ってくるからと、ブランシュとヴェールが議会を説得した結果らしい。
 ローズから王位を奪うのなら、騎士を辞めると彼らは説得――というより、脅しじゃない?
 新しい女王を選んだところで、その夫となる二人の騎士が新しい女王を拒否すれば、新たに「太陽」と「月」も選ばなければならない。
「星」も「太陽」も「月」も、その世代から一番、力を持つ者が選ばれるわけだから、候補が他にいても、三人がこぞって入れ替われば、国民に動揺が走る。
 議会としてはなるだけ穏便に済ませようと、ブランシュたちの話を呑んだということ。
 大きな執務机の主になったブランシュの傍らで、ヴェールも書類から顔を上げた。
 二人の青と翠の視線を前に、私は俯いた。
「――サイ……が……」
 小さく呟いた声は、二人に届かなかった。
 でも、同じことを繰り返すのは抵抗があって、私は唇を噛んだ。握った拳が震える。目が熱く、涙がこぼれそう。
「どうしたの?」
「何だ?」
「もしかして、ホームシックかな? ちょっと時間が出来て、色々と考えて不安になったのかな?」
「腹でも減ったか? あと少し待てば、昼だからさ」
 二人が心配そうに、椅子から立ち上がってこちらへ詰め寄ってくる。
 気配り上手のブランシュだけじゃなく、ヴェールまで。アンタ、何気にいい奴だったのね。
 ……だけど、見当外れの心配ばかり。
 明後日の方向で、あれやこれやと気遣いを見せられると、黙秘できなくなってくるじゃない。
 私は泣きたくなるのを堪えながら、叫んだ。
「サイズが合わなかったのっ!」
 シンと静まり返る室内に、私は居た堪れなくなる。
「――ああ、そっか。ずっと、ローズだと言われて、何か違うって思っていたんだが」
 ポンと手を打ち合わせて、ヴェールが声を上げた。ブランシュに目を向けながら、片手は私を指差して、言う。
「――ブランシュ。こいつ、ローズにあったはずのデカイ胸がねぇ」
 私の拳が飛んだことは語るまでもないでしょうね。いい奴なんて思ったことは、撤回するわ。
 だけど、――くっ! さすが、騎士の肩書は伊達じゃないわ。その美形面に拳を叩きこんでやる前に、手のひらで受け止められた。
 惜しいっ!
「なっ、何するんだっ?」
「うるさいっ! このセクハラ魔王がっ!」
 拳を二度三度と繰り出すけれど、すべて受け止められる。まったく、男なら自分の失言を恥じて、大人しく一発ぐらい殴られなさいよっ!
「セ……セク……何?」
 また言葉が通じずに、ヴェールは長い睫毛を瞬かせる。
「セクシャルハラスメント――性的嫌がらせ。ヴェール、僕も君との付き合いは長いから、君のお頭が足りないことはよくわかっているつもりだけど」
 ブランシュはこめかみに指を当て、これ見よがしのため息を吐く。
「それでも、女の子に対して言っていい言葉と言っちゃいけない言葉ぐらいは、知っていて欲しかったな」
「でも、本当のことじゃん」
「――アンタはっ!」
 あのドレスを着た瞬間、木っ端微塵に砕かれた乙女心を察してくれない男なんて、男じゃないわっ!
「大体、ローズって、どれだけナイスバディなのよっ!」
 これでも乙女の端くれとして、体型には気を使ってきたつもりよ。なのに、ローズが着ていたとされるドレスは、私にはサイズが合わなかった。
 胸が足りない、ウエストが入らないって――私の存在、全否定?
 星界一の美姫、華のように美しいローズ。
 みんなが求める存在は、やはり私じゃないように思えて仕方がない。
 別人だったら、夢だったらと思う気持ちは、まだ胸の奥で小さく息づいている。
 ローズであることを受け入れることは女王になることだから、受け入れることが怖い。
 でもね、ローズではないと否定されると困る事態が出てきた。
 何しろ、私のお父さんとお母さんは、本当の両親じゃなかった。ここに来て、私がローズじゃないってことになったら、私はどこに帰ればいいの?
 乙女のプライドなんて言っているけれど、結局のところ、私は「ローズ」を知れば知るほど、あまりにも自分とかけ離れた「ローズ」の存在に惑わされている。
 気持ちを立て直したつもりだったのに、簡単に挫ける。
 だって、みんなが求めているのはやっぱり「ローズ」であって、私じゃないんだもの。
「何で、私にローズの記憶がないの? それって、私がローズじゃない証拠じゃない」
 私は馬鹿だ。自分で自分を追いつめている。支離滅裂。
 ローズの記憶があれば、惑うこともない。心が揺れることもない。
 欠片でもいい、その証があれば――でも、それは女王になるべく登る(きざはし)への第一歩。
 私はローズになりたいの? なりたくないの?
「ローズ」
「その名前で呼ばないでっ!」
 ローズという名前も聞きたくない。何もかもが嫌だ。
 誰でもいい。私を見て。
「――ローズ」
 ブランシュが私の前に立って、両の手で私の頬を包んだ。視線を固定されて、私はブランシュと向かい合う。
 金髪王子の澄んだ青い瞳は真っ直ぐに私を見つめて、繰り返す。
「――ローズ」
 違うわ。私は真姫よ。
「――ローズ」
 子供に言い聞かせるみたいに、繰り返す。まるで、暗示を掛けるみたいに繰り返される名前。
「――ローズ」
 ブランシュが、ヴェールが、ディアマンが、グリシーヌが――この国の人々が求めている名前。
「――ローズ」
 何で、求めてやまない大切な名前を私のような存在に預けようとするの?
 こんな私が「ローズ」でいいの?
「君がローズなんだよ」
 ブランシュが私の思考を読み取って、言い聞かせてくれる。
「姿が変わっても、記憶がなくても、君はローズだ」
「私がローズでいいの?」
 そっと問えば、青い瞳は細くなって優しい笑顔を見せる。その甘い微笑はささくれ立った私の気持ちを静かに癒す。
 疲れた時に甘いものを食べたらホッとするかのように、優しさが胸の内側で溶けて、困惑が凪いでいく。
「僕は君以外のローズは嫌だな。忘れてしまっているからもう一度言うよ、ローズ。僕は君だけの「太陽」だ。そして、君だけが僕の「星」なんだよ」
 それは私以外の女王は認めないということ? ローズのためだけに、騎士になったということ?
 ああ、そうね。ブランシュはローズが好きなのよね。その想いの一途さは記憶がない私にも、ハッキリとわかるくらいに。
 今は、ブランシュを信じてみよう。
 この人が、私をローズだと言うのなら、私の中にローズの欠片があるはずだ。
 そして、ブランシュは未熟な私でも――例え、胸が足りない、ウエストがちょっと太い、顔だって中の上ぐらいの…………い、言っていて、悲しくなるけれど、な、泣かないわよ……小娘でも――支えてくれると思う。
 ブランシュだけじゃない、ヴェールも、ディアマンもグリシーヌも。
 ローズには――私には味方がいる。
 落ち着いた思考は、お風呂場で決めたことを思い出す。
「……あのね」
「うん?」
 ブランシュが私の顔を覗いてくる。彼の金髪が私の髪に触れるくらいに近い。顔が赤くなるのを自覚しつつ、気づかないふりをして早口でまくしたてる。
「私、ローズのことを知りたいの。彼女、どんな人だった?」
 姿形も気になるけれど、彼女の本質は? 何を考え、何を思って、何を決意して、女王になったのか。知りたい。知らなきゃいけない。
「どんなって、お前のままだ」
 ブランシュ越しにヴェールの声が聞こえて、私は目を上げた。
 ヴェールは不機嫌そうな顔で、私を見返して言った。
「今ので確信したっ! お前、絶対ローズだ。男相手に喧嘩しかける女なんて、ローズ以外にそうそう居てたまるか」
 苦々しく吐き捨ててそっぽを向く横顔に、私は目を丸くした。
「えっ? ローズって……そういう人なの?」
 ブランシュに確認すると、彼は困ったように笑った。それから、かなり絞り出したと思われる世辞を並べた。
「うん、まあ――とっても、正義感が強くて勇敢で元気で負けず嫌いな女の子だったよ。君みたいにね」
 ようやく見つけた私とローズの共通点だったけれど。
 それが強気で喧嘩っ早いという――性格だなんて。
 ……それって、素直に喜んでいいのかしら。複雑だわ。





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