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 12,甘い時間


 両翼に囲まれた中庭を望む、日当たりの良いバルコニーにテーブルが置かれていた。
 庭園には薔薇の花が、色とりどり咲き誇っている。それは実に圧巻な光景。
 薔薇の花って、世話が大変だって聞くから、庭師の人が丹念に育てた結果なんだろう。花の美しさもさることながら、職人技に思わず感嘆のため息がこぼれるわ。
 澄んだ青空に浮かぶ白雲。穏やかな日差しが暖かく降り注ぐ。
 王城は中心となる王宮の他にも、色々な建物が立ち並び――議事堂や守護神を祀った聖堂、騎士団本部や宿舎など――最初考えていたより規模が大きかった。
 現在、私がいるのは女王の私生活空間。
 話に聞けば、王城には何千という人間が常に出入りしているらしいけれど、この私生活空間には、私が落ち着くまで極力人を入れないように、人払いをしてくれているとのこと。
 どおりで人が少ないと思った。
 気を使ってくれているのね。
 きっと、この細やかな心配りはブランシュの差し金でしょ。
 おかげで、少し周りを見回す余裕が私の中で生まれている。
 城門から緩やかに延びる小路は少し坂道になっていて、城は小高い丘の上に建っていた。
 そのおかげで城壁の向こう、整然とした城下町が拝めた。遥か向こうには青空を区切って描かれた緑の稜線。
 目に映る限り、この世界は私が知っている世界とは異なっていた。ショッピングセンターや派手な看板の類なんて、どこにも見当たらないのよ。
 私はやはり違う世界に来てしまったらしい。
 諦めと共に視線を引き戻す。
 真っ白のテーブルクロスの上には、焼き立てのクッキー。それは香ばしい匂いを風に乗せて、小腹が空いた人間たちの食欲を刺激してくれた。
 白磁に淡い花模様を描いたティーカップには、紅茶が注がれて、ほのかに甘い薔薇の香りを滲ませていた。ローズティーのようだ。
 午後のティータイムに、ブランシュが紅茶を啜りながら言った。
「明日は、外に出かけようか。ローズが育った場所を見に行こう」
「ローズが育った場所?」
 私は目の前に伸ばされてきた手を叩き落としながら、ブランシュに問い返す。
 ――アンタはおやつ抜きの刑でしょうが、と。
 クッキーを盛った皿の上、手を蠅のようにうろつかせるヴェールを睨めば、彼は空腹に飢えた目で私を見つめ返してきた。
 昼食のときも呆れるくらいの大食いを見せつけて、まだ食べるつもり?
 でも、お姉さんはアンタのセクハラ発言を許したわけじゃないからね。
 実際のローズの年齢は十八歳で、ヴェールより一つ年上だった。だからだろうか、ヴェールの態度には年下の甘えみたいなものが――甘えるというよりは、子供っぽいというべきかもしれない――見え隠れする。
 それに、私一人ダイエットなんて辛すぎるわ。アンタも付き合いなさい。
「食い物をくれ」と、ねだる翡翠の瞳を前に、私は「駄目よ」と、きつく首を横に振る。
 幼稚な私たちの無言の攻防にどこまで気づいているのか、否か。
 多分、気づいていても、無視しているのだろう。ブランシュ、あなたは賢いわ。三人揃って、ボケだったら漫才トリオは成り立たないもの。
 ……って、いつから私たちは漫才トリオになったのよ?
 ブランシュの声は変わらずに続く。
「うん。そこを見れば、君のことだからローズがどんな人間で、何を考えたか、直ぐにわかると思うよ。あのね、多分、君が迷うことなんて何一つもないんだ。君の心がそのまま、ローズの意思になる」
「――そう?」
「ねぇ、ローズ。何がしたい? 何でも言ってごらんよ」
 青い瞳が私を甘やかす。
「私のしたいことは……とりあえず、ローズを殺そうとした犯人をぶちのめす。だって、ローズ自身迷惑を被ったわけだけど。ディアマンやグリシーヌ、それに貴方たちも大変だったのでしょ? 絶対に、許せないわよ。叩きのめしてやるわっ!」
 感情のままに口にして驚かれるかと思ったけど、
「言うと思った」
 ヴェールが予期していたかのように、呟いた。
「ほらね、君の根本はローズと変わらないんだよ」
 ブランシュの指がクッキーを摘めば、私の口元に運んでくる。バターの匂いが鼻腔をくすぐった。
 成長期の食欲は、我ながら恐ろしい。ヴェールほどではないけれど、私もきっちり昼食を食べたはずなのに。
「美味しいよ、ローズ」
 爽やかな笑顔でブランシュが囁く。
「…………」
 ダイエットしようとしているの。甘い言葉で誘惑しないで、お願いよ。
 目で訴えると、ブランシュはニッコリ笑いながらもクッキーをついっと私の方に突き出してくる。
「あのね、まずは一杯食べて、身体を育てみたらどうかな。それから運動して、ウエストを絞るんだ。そうすれば、健康的に綺麗になれるよ?」
 なるほど、一理あるわね。その提案に乗ってあげてもよくってよ?
 口元が緩めば、クッキーが私の唇に触れた。私は小鳥のように、ブランシュが差し出す甘い餌をついばむ。
「可愛いね、ローズ」
 眩しい笑顔を向けられて、私の心臓は跳ね上がる。完全に手玉に取られているわ。恐るべし、金髪王子。
 モグモグと口を動かしながら、私は赤くなった顔をカップで隠した。
「ブランシュ、俺も」
 動揺している私など全く眼中にない様子で、ヴェールがブランシュにお菓子をねだる。
 金髪王子はヴェールへと爽やかな笑顔を差し向けて、小首を傾げて見せた。
「君はおやつ抜きだったよね? それと、僕は耳が悪くなったのかな? ローズに対して、君が謝罪の言葉を口にしたところを耳にしてないんだけど」
「何で、俺が謝らなきゃ」
「――ヴェール?」
 冷たく凍えた声が、形のいい唇からこぼれた瞬間のヴェールの顔は、もう語る必要もないでしょ?




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