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 13,解ける疑問


「ずっと、気になっていたことがあるんだけど」
「何?」
 午後のティータイムが終わっても、私はブランシュたちに付きまとっていた。だって、何をして良いのかわからないんだもの。
 ブランシュはゆっくり休んでいていいよ、と言ってくれたけれど。また色々と考え過ぎちゃって、いつ気持ちが挫けるかわからない。
 今は積極的に、何かを取り込んでいた方が、気が紛れていいの。
 執務室で書類を片付ける二人を眺めながら、疑問を口にした。
 邪魔になるなら、口を噤むつもりだったけれど、ブランシュは――ヴェールはおやつを食べられなかったので、口を開く元気がないらしい。黙々と書類をめくっている――律儀に反応してきた。
「どうして、あちらとこちらの世界って、言葉が一緒なの?」
 私がこの世界を夢だと思う原因の一つ。ファンタジー小説では時として華麗に無視されるご都合主義。
「ああ。もしかして、ローズは僕らが日本語を喋っていると思っている?」
 ブランシュの言い回しに、私は首を傾げた。
 だって、バリバリの日本語じゃない。
「じゃあ、自分も日本語を喋っていると思っているんだろうね」
「何だかその言い方だと、私は日本語を喋っていないように聞こえるんだけど?」
「こちらとあちらが、繋がっているのはローズも理解しているよね? こちらから、あちらの世界への干渉はね、昔から結構盛んなんだよ」
「そうなの?」
「うん。その実、ナスカの地上絵は、こちらの人間のイタズラ」
「――えっ?」
「未確認飛行物体と騒がれているものも、こちらの人間が面白がってやっていること」
「――はい?」
「そういえば、ノストラダムスとかいう予言者が、そちらの世界が滅ぶって解釈できる文書を遺していたでしょ」
 ああ、そういうのもあったわね。
 もう何年も昔に過ぎた世紀末の終末思想は、今になれば何であんなに大騒ぎしていたのかと思うくらいに、忘却の彼方。
「あれを本当にしてやろうという企んだ馬鹿もいたね。どっかの国に取り入ろうと自分の魔法能力を見せつける――デモンストレーションって言うんだよね、そちらの世界では。ノストラダムスの予言にかこつけて実行しようとした。そいつはご丁寧にも予告状を出してくれたんで、未遂のうちに捕まえたけど」
「――へっ?」
 マジで、世界滅亡の危機だったの?
「オーパーツと呼ばれるものやネッシー騒ぎも、こちらの人間の仕業と知ったら、呆れる?」
 古代や宇宙へのロマンは――どこよ? 返してよ、神秘をっ! 夢を!
 唖然とする私に、ブランシュはちょっとだけ申し訳なさそうに眉を顰めた。
「一応、あちらの世界へ危害を及ぼす干渉は禁止されているんだけどね。まあ、そんな大事に至るほどの大掛かりな魔法は、君みたいな魔力を持っていないと無理だけどね」
 普通の人の魔力と女王に選ばれる人の魔力には、歴然とした差があるということかしら。
「そういうわけで、こちらからの干渉の影響が実は言語にもあったりする」
「言語にも?」
「うん。こちらの時間とあちらの時間の流れが、違うことはもう知っているだろうから、わかると思うけど。こちらがあちらの世界に干渉し始めた歴史は古い」
 まあ、ナスカの地上絵を持ち出されるくらいだってことは……。相当、昔からよね。紀元前だっけ?
「あちらの世界の一部の地方言語は、そのまま星界が使っている共通語だったりするんだ」
「――日本語?」
「いや、フランス語。僕らの名前に組み込まれている二番目の名前は、その実、フランス語で「エトワール」「太陽ソレイユ」「リュンヌ」を意味する」
 それぞれがその立場に選ばれた人間は、名前にそれらを組み込まれると聞いた。
 つまり、「何・エトワール・何」と名乗る人がいれば、それは過去、女王だったことを示すのだという。
「えっーと、それじゃあ私が喋っているのは……」
「星界共通語でもあり、フランス語でもある」
 勿論、一語一句同じというわけではないけれどね、と。ブランシュは続けた。
「私、フランス語なんて知らないわ」
「それはローズの記憶にないだけ。実は、君は日本に移る前、フランスで幼少期を過ごしている」
「えっ? そうなの?」
「三つ、四つの頃だから、よく覚えていないと思うよ。その期間にね、君にはフランス語の英才教育が行われた――正確には、星界共通語なんだけれど」
「……はあ」
 何だか話が、奇想天外過ぎて――常識が、それ嘘でしょ? と、突っ込みたくなるのだけど。
「それから、君は日本に移った――言葉が通じることもあって、フランスには結構、こちら側の人間が出向いたりしている。勿論、君の事情は伏せているけれど、君が大きくなって魔力が強まれば、いつかこちら側の人間に気づかれるだろう。そうなると、君の身が危険だからね。本当は最初から日本に送るつもりだったんだけど」
 ブランシュたちが私につけた「真姫」という日本名からして、その言葉は本当だろう。
「予定変更したのは?」
「君がこちらに戻ってきた際、困らないようにね。下地を作っておく必要性を考えて、少しの間だけフランスに置くことにしたんだ。幼少時の君の魔力はそんなに強くないし。その間、君に徹底的に星界語を教えて、ディアマンとグリシーヌは日本語を学んでもらった」
 フランス人として日本に入るより、日本人として入った方が目立ちにくいと、考えたらしい。三、四歳なら私の言葉が未発達でも挽回ばんかいできる範囲だろう。
「ローズが命を狙われている以上、なるだけ離れたところを選んだ先が日本だったんだ。あの国は、戦争などの心配がなさそうだったし、銃規制も行われている。比較的安全と判断してね」
 まあ、最近は凶悪犯罪がニュースを騒がせているけれどね。
 でも、紛争や銃犯罪は、日本にとってまだどこか遠い世界の話だわ。
「勿論、フランス語は日本では通じないから、君は喋らない。成長するにつれて、君の言語の基本は日本語となって、次第に自分がフランス語を理解できることも忘れるけれど、脳って言うのはそうそう物忘れしないんだ。ただ、記憶をしまった引き出しが膨大な数で、それらの見分けがつかなくなっているだけで」
「――じゃあ、私の中にローズの記憶も」
「あるかもしれないけれど、脳自体が若返り――胎児のそれに戻ったからね。どうなのかな? それは僕にもわかりかねるけれど」
 ブランシュはあまり、ローズの記憶に拘りを持っていないみたいだ。
 青い瞳は、私がここにいるだけでいいと語っていた。その瞳に見つめられると、少しだけ頬が熱くなってしまう。顔が赤くなっていないことを願うわ。
「話を元に戻すね。こちらに来た時点で、僕らは星界の言葉を喋っていた。それを君はちゃんと理解できたし、喋れた。でも、君の記憶はフランス語を理解できる事実を覚えていないから、それはあたかも日本語のように聞こえたんじゃないかな」
「つまり、私は頭の中で無意識に、あなた達の言葉を日本語に翻訳ほんやくしていたわけ?」
 ブランシュはいかにもそうかと思わせる理論を並べ立てた。
 そうすると、不思議なことにそういうこともあるのかと、納得させられた。
 だまされている? 私、騙されているのかしら?
「ホラ、試しにこれを読んでみる?」
 ブランシュが差し出してきた一枚の書類を私は受け取った。
「文字はあちらのフランス語とは違うけれど、ディアマンは君にこちらの文字の読み方を教え込んだはずだから、きっと読めるよ」
 読めるわけがないと思ったけれど、不思議と文字の意味が頭の中に入って来る。
 目は間違いなく漢字でもひらがなでも、ましてやアルファベットでもない文字を追いかけているのに……。
「――慈善じぜん施設、改善計画?」
 書類にあったそれを読み上げる。
「それは、ローズが女王になって最初に議会に提出した草案」
「えっ?」
「ローズはそういう子だったということだよ」
 視線を返した私に、ブランシュが柔らかく微笑む。
 太陽みたいに眩しく、熱を持った笑顔に、私はちょっとだけ頬を赤くした。
 暖かな陽ざしに、冬の根雪が溶け出す春先のように、心の奥で何かが芽吹く。
 慈善施設――保護施設みたいなそんな感じのものかしら? それを改善しようとしていた……。
 ローズは少なくとも、底辺の人間をかえりみないような薄情な女王ではなかった。
 そう、ブランシュは言いたいのね?
 そして、それが彼の誇りなんだわ。自分が守る女王が、優しさを持っていること。
「……悪くないわね」
 私は書類に目を走らせながら、小さく呟いた。
 政治とか外交とか、そんなことは私にはよくわからない。まあ、その辺りのことは基本的に議会が先導し、女王が最終決定するらしいから、基本的なところを抑えておけばよいようなんだけど。
 でもね、困っている人を助ける力があるのなら、私――女王になってもいいと思ったの。
 ただ権力を振り回すような愚鈍ぐどんな王なら、私の方がまだマシじゃない?
 勿論、私より女王に相応しい人はいるだろう。でも、強い魔力をもった者が、女王になるという決まりがあるのなら、その条件下で自分が一番だったのなら。
 多分――いいえ、きっと。ローズも今の私と同じ気持ちだった。そう確信できた。
 だから、彼女は女王になることを選んだのよ。
 そんなローズを殺そうとしたのは、誰?
「ねぇ、ローズが殺されそうになる理由ってあるの?」
「まあ、結構……あるね」
「え? ――もしかして、ローズって嫌われていたの?」
 私は我が身を省みた。心当たりがないと否定できないのが、悲しい。
 派手な顔立ちのせいで遊んでいると思われて、やたらと男に声を掛けられたことで、男にびていると、同性に嫌われていた。
 他にも馴れ馴れしい男には、それは辛辣な態度であたって来た。裏で、生意気だとか、陰口を叩かれたことは数知れない。
 世の中は、思うほどに易しくないし、綺麗じゃない。
 華のように麗しいローズが、嫌われていたとしても、おかしくないのよ。
「女王は選出制だからね。他にも女王候補はいたわけだし、それらの候補をす人間だっていたわけだ。ローズが選ばれてさぞかし地団駄踏んだ輩も多かったんじゃないかな」
「どういうこと?」
 目を瞬かせる私に、ブランシュはペンを机の上に置くと、顎の下で両手を組んで低く呟いた。
「僕はね、ローズ。君を殺そうとしたのは、議会の人間じゃないかって疑っている」
 穏やかだった青い瞳は剣呑に煌き、形のいい唇は薄く笑いながら……。




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