14,宣戦布告 「ブランシュって、怒ると怖いわよね」 しかも、爽やかに笑いながら怒るから、怒りの深度が測りづらい。どれぐらい怒っているのかわからないから、後ろ暗い部分が刺激されて、怖気づいてしまうのね。 「怒っていないときは、優しい」 フォローのつもりか、ヴェールは言った。 「そうね。怒らせないようにしなくちゃ」 「でも、ブランシュはローズには弱いんだ」 「何それ、私が最強?」 思わず呟くと、ヴェールは目元に暗い影を落として、深く落ち込んだ。 三人の立ち位置を理解して、自分が一番下っ端であることに気づいたんだろう。 がっくりと十センチほど落ちた肩を見上げて、私はポンポンと黒いマントを纏ったヴェールの背中を叩く。 「大丈夫よ、悪ささえしなければ、お姉さんは寛大よ?」 「誰が、姉だ。まったく、ローズみたいな口を利きやがって」 舌を鳴らし苦々しく吐き捨て、翡翠の瞳は私を斜めに見下ろしてきた。 ヴェールの魔王みたいな雰囲気は、纏うオーラも刺々しく、眼光もナイフのように鋭い。 普通の女の子だったら怯むでしょうけど、私には喧嘩を売っているようにしか見えない。 そして、私は喧嘩を売られたら買う主義よ。 「あら、私はローズなんでしょ?」 果敢に睨み返して言えば、ヴェールは唇の端を下げて、グッと言葉に詰まった。 「――胸ねぇけど」 負け惜しみに吐いた言葉は、私の 思わず振り上げた拳は後ろから優しく掴まれ、ふわりと腰を抱かれた。 抱き寄せられ、私の頬に金髪がさらりと触れる。背中越しにブランシュの体温が伝わってくる。 「ローズ、今は我慢して」 後ろから耳元に囁かれて、私は怒りを忘れて慌てた。 近すぎよっ! 息が、息が耳の中にっ! 盛大に鳴っている心臓の鼓動が、密着した姿勢から、ブランシュにも伝わるんじゃないかしら? と、私は心配になった。 だから、こういう状況には免疫がないんだってば。 気易く触れて来るブランシュもブランシュだけれど、この人に面と向かって怒れない自分も悔しい。 ヴェールはローズの方が強かったと言っていたけれど、ここだけは過去と変わりそう。 何だか、ブランシュには勝てる気がしないのよ。 「僕が代わりに後でお仕置きしておくから。ねぇ、ヴェール?」 爽やか過ぎる笑顔を――でも、瞳は絶対零度――差し向けられて、ヴェールが固まる。 ざまぁみろだわ。乙女心を傷つけた罰よ。 ふん、と鼻を鳴らせば、ヴェールが恨めしげな、それでいて泣きそうな目で私を見返してきた。 きっと、夕食抜きの罰辺りを予測して、悲観しているんだわ。 結構、子供なのよね。それでいて、甘え方を間違っている。甘える相手を怒らせて、どうするのよ。 縋るように私を見つめる翡翠の瞳があまりに 「夜の食事のときは、ヴェールも一緒よね?」 ブランシュに問いかけていた。 ちらりとブランシュは、捨てられた犬のようなヴェールを見て、くつと喉の奥を鳴らした。 「まあ、食事のときに何かを仕掛けてくるとは思わないけれど、一応議長には気をつけて置かないとね。ヴェール、その辺りは頼むよ?」 目の前に餌を差し出されたヴェールは、尻尾をちぎれんばかりの勢いで振った――ように見えた。 「ああ、勿論っ!」 声を弾ませて――顔は変わらずに不機嫌そうなんだけど――頷くヴェールに、私とブランシュは揃って笑う。 まったく、現金な奴だわ。女王の夫として選ばれた「月」の騎士だなんて、嘘でしょう? と、思わなくもないけれど。 「そろそろ、そのお客様が来そうだよ。ローズ、準備はいいかい?」 ブランシュの声に、私は頷いて窓の外を見た。 議会はローズを煙たがっていた――詳しい事情は、時間がなくなったから聞いていないけれど――その大本の相手がやって来る。 城門から城へ木立を掻き分けて延びている道を、ゆっくりと駆けて来る箱馬車を目にして、私は背筋を伸ばす。 「上等よ。私――売られた喧嘩は、きっちり買うの」 戦闘服に身を包んで――少し前に、私はローズのドレスに着替えさせられた――私は、ブランシュを真似てニッコリと笑った。 * * * ヴィエルジュを担うのが「星」の女王、それを補佐する「太陽」と「月」の騎士。 そんな三人を選出するのが、議会だ。一応、議員になるためには、選挙があるようなのだけれど票が買われることが多く、結局、貴族や有力者が占めているという。 まあ、民衆の目があるから、幾ら議会と言えども、力なき者を「星」に推すことはなかなかに難しいらしい。 女王はこの国の守護神の乙女の代わりだ。一種の信仰対象なので、議会としても軽々しく扱えないのこと。 その辺りに、ローズと議会との確執があるんだろうと思うのだけれど、私の手持ちの情報じゃこれ以上はわからない。後で、ブランシュに話を聞こう。 議会の長は「 その人はグルナ・シエル・アルジャンと名乗った。 銀色の髪に朱色の瞳の――ルビーというより、ガーネットのような色――男性だ。 年の頃は一見すると、三十代に見える――後で聞いたところ四十代後半だっていうから、びっくりした。 ディアマン、グリシーヌと同じぐらいに見える――とはいえ、ディアマンとグリシーヌは本来ならまだ二十代だ。胎児に戻ってしまったローズに付き合ったために、こちらの世界ではたった一年でしない期間に十六も年を取ってしまった。本当に、二人には申し訳ないことをしたと思うわ。 議長は体調管理をしっかりしていると思われる体格していた――背丈は、ブランシュ、ヴェールと同じぐらい。百八十センチだろう。肩幅が広く胸板が厚いけれど、胴回りは絞られている。けれど、筋肉質を主張しない着やせするタイプ――端正な顔立ちで美形だから、若々しく見える。日に焼けた小麦色の肌が、銀髪をさらに引き立てていた。 それでも、議会の長である貫録も見え隠れしていた。 悠然と微笑みながら、朱色の瞳の奥からこちらを抜け目なく観察している――大人の男性。 十六歳の小娘である私には、いま一つピンと来ないけれど。大人の女の人には、結構魅力的に見えるんじゃないから? 「はじめまして、と言うべきかな。我らが女王」 僅かに首を傾げるようにして、赤い瞳は私を斜めに見下ろしてきた。セットした銀色の髪が一房、秀でた額に落ちる。 それを見上げて、私は無感動に応えた。 「とりあえず、はじめまして。グルナさん」 実際問題、はじめまして以外、何と言えばいいって言うの? 顔なんて、当然ながら覚えていない。 「グルナとお呼びください、女王」 「わかったわ」 私は「真姫」と呼んで――とは、言えないわよね。勝手に女王と呼んで貰おう。 この赤い目の人が、心の底からローズを女王と認めていたのか、わからないけれどね。 私は視線をグルナの脇に目を向けた。彼の後方に従うようにもう一人の人間がいた。 こっちは何と言うか、見たまんまの中年のオッサンだ。五十代に手が届くギリギリのところで踏ん張っている感じ。 脂肪太りしたお腹に、短身、短足、ハゲ頭と。見る者に 別にね、私はオジサンが嫌いってわけじゃないのよ。大体、人を外見で判断するなんて、失礼な話だってことは重々、わかっている。 この日本人離れした――よくよく考えれば、私は日本人どころか、地球人ですらなかったわけだけど――派手な顔立ちで、どれだけ誤解されたか。思い返すだけで、歯ぎしりしそうよ。 だから別に、背が低くても、足が短くても、太っていても、ハゲていてもいいと思うの。 どっしり体型は威厳を醸し出すだろうし、ハゲは人生の苦難を物語っていそうよ。 ただね、オジサンから漂う哀愁は、そういうのとまるっきり異なる。 体調管理なんてまるっきり無視して、食べるに飽かせて肥りに太りまくったお腹を見せびらかすような姿勢とか、そのお腹のせいで今にもちぎれそうなシャツのボタンとか、ゆるめたベルトでずり落ちそうなズボンとか、外見に気を使わないその無神経さが、頭に来るの。 こっちは、息が詰まるくらいにコルセットで体を締め付けて、胸に一杯詰めものして、ローズの体型を作って、ドレスを着ているのよ? 今、私がどれだけ苦しい思いをしているのか、知っている? わかる? グリシーヌがコルセットを持ち出してきたとき、ローズもそれを利用していたから、あのウエストの細いドレスも着こなせたんじゃないかと淡い期待を抱いてみれば、ローズはコルセットもパットも利用しなかったとのこと。 私はね、アンタたち来客のお陰で、再び乙女心をずたずたに切り裂かれたわ。 一応、客を相手にするからと、無理矢理着飾っているのよ。 それなのに、何でアンタはだらしない格好してるのよっ! せめて、ベルトをちゃんと締めなさいよねっ! このオジサンの態度が、ローズに対する議会の総意だとは思いたくないけれど――一応、議長のグルナは敬意らしきものを見せてくれているからね――疑いたくなるわ。 しかも、グルナの口からそのオジサンが副議長と紹介された日には、喧嘩を売られているように思えてならない。 思わず肩を怒らせる私に気づいていないのか、オジサンは――もとい、テュルコワーズ・オールという名前の副議長は――長い名前だから、今後副議長と語ることにするわ――盛り上がった頬肉に殆ど埋もれてしまっているかのような、青い目を細めた。 「おや、暫く見ませんうちに、随分と若返りましたな。女王陛下」 こちらの事情はとっくに承知だろうに、当てこすりのように言ってきた。視線は無理矢理かき集めた私の胸元へと注がれていた。脂ぎった顔が仄かに赤い。 ――こいつは、乙女の敵だ。 私は脳内にインプットし、頬が引きつらないように笑みを作る。そうして、握った拳をその顔面に叩きこむために一歩踏み出そうとしたところで、剥き出しの肩にブランシュの絹の手袋に包んだ手が置かれ、動きを止められる。 「僕の 私を隠すように、彼は前に出た。背中越しに見る金髪王子の横顔は、冷徹にしてどこまでも美目麗しい。 「それはそうと、副議長は今宵、どのようなご用件でお見えになられたのですか? 生憎と、貴方に晩餐への招待状を送るのを忘れていたのですが」 ブランシュはもう存在感たっぷりの嫌味を、爽やかな笑顔にのせて告げた。 ヒクリと、副議長のたっぷりとしたお腹が揺れた。 嫌味が通じるくらいには、敏感なのね。 横目に議長を見やれば、興味津々といった感じの視線をブランシュの横顔に送っていた。 「それは、勿論。我らが、女王陛下がご帰還されたとなれば、ご無事なお姿を拝謁したいと望むのは、女王の忠実な僕として当然の在り方でありましょうぞ」 仰々しい物言いで、副議長は両腕を広げた。理解してくれと促すその態度に、ブランシュはどこまでも爽やかに――それでいて、瞳は凍えるように冷たく――笑う。 「ええ――無事に、僕らの薔薇姫は帰還しました。長らく、女王の空位によって議会に迷惑を掛けましたが、これからは貴方方のお手を煩わせることも少なくなるでしょう」 青い瞳が揺れて、議長へと差し向けられた。 「それは実に頼もしいお言葉ですな、太陽の騎士」 グルナ議長は冷たい視線を正面から受け止めて、薄く微笑んで告げる。 「しかして、女王には、先の記憶はないとのことですが。それでも、大丈夫と太鼓判を押してくださるのですか」 記憶のない私に、女王が務まるのかと、朱色の瞳が問いかける。 「薔薇姫は薔薇姫です。記憶があろうと、なかろうとその志は変わっていない。そのことを僕と「月」の騎士、ヴェールは先だって確信しました」 ブランシュもまた形のいい唇を綻ばせる。私の隣に並んだヴェールが漆黒の髪を揺らし、首を頷かせた。 「ならば、僕ら「太陽」と「月」は、「星」である薔薇姫のために働きましょう。今まで、手を抜いていたつもりはありませんが、より一層、我らが女王のために尽くすことをここに誓いましょう」 私の目の前に、ブランシュの手が差し出される。 その手を取れば、誓いを受け入れることになるのだろう。第三者の目の前で、それをなしたなら、もう私は「ローズ」であることから、逃げられない。 それでも……。 青い瞳が優しく私を見つめるから。 黒い肩が無言で私の隣に並ぶから。 ……大丈夫、何とかなる。そんな気がしたの。 私はブランシュの手を取って、彼を見上げ告げた。 「その誓いに応える女王になるわ」 それは同時に、敵への宣戦布告だ。 |