15,敵影 「お腹、 晩餐を終えて、客を送り返した私の口から飛び出た言葉はそれだった。 ヴェールと傍に控えていたグリシーヌが目を剥いた。 二人とも、食事が終わったばっかりで何を? ――と、言いたげな顔よ。 一つだけいいかしら? ヴェール、晩餐の卓上の料理を副議長と二人でほとんど平らげてしまった、アンタにだけは何も言ってもらいたくないわ。 ブランシュだけは、ゆるく微笑みながら私の事情を察してくれた。 「まずは着替えたらどうかな、ローズ。その恰好のままじゃ、苦しいよね」 その言葉に、グリシーヌがハッと我に返った顔で見つめて来るから、私は自分のお腹を撫でた。 ドレスを着るために締め付けたコルセットが苦しくて、私はろくに晩餐を楽しめなかった。豪勢な料理が並ぶ食卓を前に、スープをすするのが精一杯。 第一に、ブランシュとグルナ議長が爽やかに腹の探り合いをしていたのよ。その会話の意味するところを理解しようと、口元はおろそかになって、殆ど何も食べられなかったの。別に大食漢ってわけじゃないわよ? 「ローズ様がお着替えをなさる間に、食事を作らせます」 「あ、別にたいそうなものでなくてもいいから。お茶漬けとかでも」 私がそう言うとグリシーヌは笑った。その笑顔を見て、私は考える。 こちらの世界には、お茶漬けなんてメニューはないだろうな。この間、リゾット風のものが出ていたから、お米はあるのよね。おにぎりは大丈夫かしら? お母さんのおにぎりは、その絶妙な握り具合が最高なのよ。 どんな料理もお菓子も上手なんだけれど、その腕が試されるおにぎりをあんなに美味しく握れるのは、グリシーヌだけだと私は思っている。 お母さんのおにぎり、食べたいな。 「おにぎりを作りますか?」 グリシーヌが私の思考を読み取ったように口にした。 「うん」 「おにぎりって何だ?」 興味津々といった感じのヴェールは、何だか物欲しそうにグリシーヌを見た。ホント、わかりやすい奴ね。 ライスを固めて、中におかずを詰め込んだ軽い食事だと説明すると、 「僕とヴェールの分も頼むよ」 気が利く金髪王子が、グリシーヌに注文した。 はい、と頷いてグリシーヌはさがる。 その後ろ姿をヴェールの気もそぞろな翡翠の瞳が追いかけた。 ……こいつが追いかけているのは、きっと「おにぎり」よ。 私は二人の騎士に連れられて、ローズの部屋へ――あの寝室とは別よ――戻る。 二人を部屋の外に待たせて、私は制服に着替えた。グリシーヌが服を今の私の体型に合わせて、仕立て直してくれる手はずになっている。それまでは、制服が普段着だ。 身に付けるときは、一人じゃ無理だったコルセットだけれど、脱ぐのは紐をほどけば良いので楽だった。 服を着替えながら、私は晩餐の席のことを反芻する。 それにしても、ブランシュとグルナ議長の二人のやり取りは、タヌキとキツネの腹の探り合いに似ていたわ。 晩餐の席でワイングラスを傾け、赤い液体の 裏表なんかなさそうな 『議長がご持参くださったこのワインは、実に美味ですね』 瞳は絶対零度の、冷たい青。その色に気づけば、背筋が凍りつきそう。 視線の温度に気づいているのかいないのか、グルナ議長は平然とブランシュに視線を返し、私へと朱色の瞳を動かして告げた。 『女王の帰還祝いにと、八十年代プリュトン地方で採れた最高級品を用意しました。女王のお口に合えば、私としても喜ばしいのですが……』 私のワイングラスに注がれた赤い液体が、一滴たりとも減っていないことに気がついて、グルナ議長は黙った。 『私の記憶違いでしたかな? 女王はワインがお好きだったように思いましたが』 小首を傾げて、私を見据える。 本物のローズかどうか、疑っているのかしら? 私がローズでなければ、当然ながら議会は新しい女王を選定できる。騎士が偽物を用意したとなれば、いずれ帰って来るという約束も無に還る。 ローズを殺さなくても、議会は二人の騎士を手の内に残しながら――二人が次の女王を迎える意思があるのか、否か。それは私にも議会にもわかりかねるけれど。建前上、二人は約束を反故にしたわけだから、議会に逆らえないと思う――女王ローズをこの国の玉座から排除することができるだろう。 ここは、一口でも飲んだ方がいいのかしら? 私はグラスのワインを前に思案した。お酒って飲んだことないのよね――お酒は二十歳から! 私はまだ十六歳なんだから、飲んだことないのが当たり前なんだけど。 好奇心が指先を刺激して、つい手を伸ばしそうになる――この世界では、お酒は二十歳まで駄目だという決まりはなさそうだから、私でも飲んでいいみたいなんだけれど――この場ではなるべく冷静な頭を保っていたい。 ワイン自体、毒の心配はないわ。 議長からの土産だということで、ワインの封が開けられ、グラスに赤い雫が注がれるや否や、ヴェールが口をつけていた。 彼としては毒見役を買って出たんだろうけれど、ちょっとびっくり。一応、毒が入っていた場合の対処法が頭に入れていたのだと――信じたいところね。 そんなこんなで、ワインに毒は入っていなさそうだった。まあ、当然でしょうね。こんな疑われる代物に毒を入れるなんて、アホ以外の何者でもない。 議会の長である人が頭の回らないアホだったら、この国の未来は とりあえず、私が見る限りグルナ議長はアホには見えない。この人が味方だったら、さぞかし頼りがいになるだろうと思うけれど。ブランシュの態度を見れば、やっぱり黒なのかしら? 『あちらの―― 『おかしな決まりですな、酒は百薬の長とも言いますのに』 『決まり事には、それなりに重んじる事柄があるのでしょう。我が国が、女神に選ばれた女王しか認めないようにね』 ブランシュはグルナ議長の詮索を牽制しながら、ローズが選ばれた事情を遠まわしに暗示した。 確かに、女王は議会が選出する。でも、候補として選ばれるのは、魔力が強い女性で――女王候補として選ばれて実際に女王となるまで、それなりの教育を受けさせられるらしいけれど――その出自に家柄は関係しない。 つまり、生まれついての魔法の素質で、女王が決まる。ならば、天性の素質は女神に選ばれた証でもあるということ。 女王を疑うということは、この国を守護する女神を疑うことになるのかしら? 女王を女神の代わりとするこの国の信仰心からすれば、それはあってならないことなのかもしれない。 押し黙ったグルナ議長の態度がそれを示しているように思えた。 『――時に、僕らの薔薇姫に贈られた品は、誰が選ばれたのですか。実に鋭い 贈り物って、ローズに呪いを掛けられたもののことを言っているの? それとも、このワイン? 審美眼って言うから、物に対しての発言でしょうけど。 どちらにしても、ブランシュが贈り物の話を持ち出したのは、直接的ではないけれど、議会を疑っている旨を暗に知らしめているのかもしれない。 探りを入れた一言を、 『太陽の騎士は、このワインがお気に召したご様子。いや、実際にこの香りといい、味わいといい、最高級品を語るだけのことはありますな。女王への献上という名目でなければ、私としてもなかなか手を出すこと、かないません』 議長は笑いながら聞き流し、ワインの味を絶賛する。 気づかないふりをしたのか、それとも気づかなかったのか。ちょっと私にはわかりかねた。 何にしても、ブランシュの絶対零度の氷の微笑を前に、一つも臆する様子を見せなかった議長は、さすがと言うべきかもしれないわね。 敵なら……手強いと思う。 その反面、副議長ときたら、私の目の前で予測に違わない食欲を見せつけていた。 まるで、大食い大会でもしているかのように、ヴェールが副議長に張りあって、食卓に並んだ料理はあっという間に、二人のお腹の中に収まっていった。 まったく、ヴェールの食欲には呆れるわ。幾ら、成長期とはいえ、食べすぎでしょ。中年になって副議長みたいに太っても知らないんだから。 それにしても、副議長は本気で御馳走を食べに来ただけのように思えたわ。たまに食べること以外で口を開いたかと思えば、お代りを要求。給仕に付き添っていたメイドの女の子なんて、副議長ために食堂を走り回っていた感があったくらいよ。 ブランシュやグルナ議長の会話なんて、全く耳に入っていなかったんじゃない? それはヴェールにも言えそうだったけれどね。 もし副議長のそれが、私の油断を誘う演技だったら、大した役者だ。 私は議長ばかりに気を取られていたのだから。 ブランシュは議会の人間が怪しいと言っていた。 ローズ暗殺は議会全体の意志? それとも、個人の暴走? 議長と副議長が共謀している可能性はどうなのかしら? 私は様々な可能性に頭を悩ませる。 結局のところ、導き出された答えは、……誰が敵なのか、まだその影が見えないということだけ。 |