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 16,血縁


 薄紫色の瞳が、似ていると言えば似ているかもしれない。
 ぼんやりと、私は目の前の青年を見上げた。
 年の頃は、ヴェールと同い年ぐらいだろうか。真っ直ぐに伸びあがった背筋と、それなりに広い肩幅。軍服っぽい格好は、黒色で「月」の騎士団員だという。
 アメティストは、グリシーヌの弟でリュンヌ騎士団に所属するヴェールの部下だと語った。
 今回の外出に、警備として同行するとのこと。
「アメティストです。どうか、お見知り置きを――女王陛下」
 薄紫色の瞳を微かに伏せ、心臓の辺りに片手を添えて、アメティストは私の前に片膝をついた。
「ええっと、よろしくお願いね?」
 (ひざまず)かれることに慣れていない私は及び腰で、頷いた。
 少し距離を取るように後退すれば、背中がブランシュにぶつかる。
 さりげなく背後に付き添い、私を守ってくれる「太陽」の騎士は、こちらの肩を抱いて馬車へ乗るように促した。
 城から出た玄関先には、豪奢(ごうしゃ)な箱馬車が用立てられている。私が乗り込めば、グリシーヌが大きなバスケットを抱えて続く。
「それは?」
「焼き菓子です。皆に差し入れしようと思いまして」
「――皆?」
 目を瞬かせると、ブランシュとヴェールが乗り込んできて、馬車の扉を閉じた。
 ディアマンとアメティストがそれぞれ馬で、馬車と並行し、護衛してくれる手はずになっている。
 ブランシュが馬車の壁を叩いて、御者に合図を送った。ガラガラと、石畳を木の車輪が回転して、馬車が動き出す。身体が振動に揺れる。
「こちらには、車とかないのね」
 小石を噛む車輪の揺れに敏感に反応してしまう私は、気をそらすように口を開いた。そうしないと、酔ってしまいそう。
「文明はあちら――地球の方が発展しているね」
 向かいの席に腰かけたブランシュは、長い脚を持て余すように組んで、笑う。
「それって、時間の流れが違うから?」
 あっという間にこちらに追い付いて、そして抜き去ってしまったというわけ?
 でも、あちらに干渉をしているのなら、その文明をこちら側に持ち込んでもいいような気がするんだけど。
「時間の流れが違うっていうのも、勿論あるだろうけれど。決定的な違いは、魔法かな」
「魔法……」
「こちらでは、エネルギー開発をしなくても身の回りの細事は個人の魔力で賄えるからね。無理に何かを開発する必要はない」
 生活に必要なガスや電気――火や灯りといったものだろう。それを魔法で賄い、それ以上を求めなければ、確かに何かを開発する必要はない。
 テレビやパソコンがなくても、情報の速度を競わなければ、手紙や新聞で十分に事足りる。
 地球とこちらの世界の、時間の流れがそのまま文明の進化にも表れているような気がするわ。
 私は窓の外をかすめる光景に目をやった。
 城門へと続く道は、やがて緩やかな坂道に入り、両側を緑の並木が囲っていた。緑豊かな景色は、私が住んでいた町ではそんなに拝めない。
 あちらの世界は、便利さを求めるあまり、色々な物を犠牲にした。
 緑の木々も、土の大地も、綺麗な空も。
 環境は破壊され、大地は朽ち、青空は汚された。
 終焉(しゅうえん)を予測しながら、いまだに便利さを追求し、山を切り崩し、緑を砂に変え、空に穴をあける。
 その点、こちらは乗り心地が良いとは言えない馬車での移動。少なくとも、空気汚染の心配はない。不便さは付きまとうけれど、私はこっちの方が好きかもしれない。
 大体、よくよく考えれば人間は電気なしに生活していたのよ? 昨今のエネルギー不足の問題は、何だか酷くくだらないことに思えた。
 便利さを求めなければ、重油やガスなんて要らないんじゃない?
 もっとも、現代の生活に慣れた人たちが江戸時代の生活をしろと言われて、喜んでいられるのは最初のうちだけね。多分きっと、その手のテーマパークに滞在して、遊んでいられる間だけかもしれない。
 それに現代の生活環境では、電気がなければ生活できないわね。庭のないマンションの部屋では、電気やガスを失くして、ご飯も炊けない。お湯も沸かせない。
 火さえおこせれば、それは難しいことじゃないはずなのに。
 本当に――どっちが、不便なのかしら?
 小さく切り取られた窓枠の外に、黒い影が横切った。
 目を向ければ、馬に乗ったアメティストが並走していた。
 短く刈り込んだ栗色の髪。無駄口を開かないように、しっかりと結ばれた唇と、横顔はなかなか精悍だ。硬派なスポーツマンと言ったら、伝わるかしら?
 人懐っこい柔らかなグリシーヌとはその点、似ていない。
 でも、人が好いお姉さんを影ながら支えるしっかり者の弟となれば、イメージがぴったりとはまる。
「グリシーヌには弟がいたのね」
 ブランシュの隣、斜め向かいの席に座っているグリシーヌに視線を移した。
「はい。二つ年下……今では十八も年下になってしまいましたけど」
 苦笑する目元に寄る小皺が、姉弟の間に流れた十六年という月日を物語っていた。
 許すまじっ! ――犯人は、絶対に許すまじっ!
 私は決意も新たに拳を握る。
「ごめんなさい、グリシーヌ。ローズのせいで年を取らせてしまって」
 それから、ちゃんと彼女に謝っていなかったことを思い出して、私は頭を下げた。
「まあ、そんな。ローズ様、お顔を上げてくださいませ」
 頭の上で、グリシーヌの慌てた声が響いた。言われるままに顔を上げれば、グリシーヌは胸元に手を当てるようにして、こちらに身を乗り出してくる。
「私はローズ様の母として、ともにあちらの世界に付き添えましたこと、誇りに思っています」
「でも……」
 こちらではたった一年だけど、あちらでは十六年が過ぎている。その間、当然ながらアメティストには会えなかっただろう。
 しかも、右も左もわからないような世界で――私自身が、こちらに放り込まれたときのことを思い出せば――不安でたまらなかったはすだ。
 どうしてそんなに気丈に笑えるのか、私にはわからなかった。
 目を瞬かせる私を前に、グリシーヌは両手を組んで訴えてきた。
「本当です。この十六年の月日は、ブランシュ様、ヴェール様には手に入れられない貴重な時間でした」
「グリシーヌやディアマンには、妬けるよ。今のローズも可愛いけれど、幼い頃のローズもさぞかし愛らしかっただろうね」
 柔らかな笑い声が間に入れば、グリシーヌの表情が弾かれるように輝いた。
「それはもう。私はブランシュ様やヴェール様のように、夫となることはできませんが、ローズ様の母となれました。それだけで、私はこの十六年を尊く感じています。ですからどうか、ご自身を責めないでください」
 私を見つめる菫色の瞳は慈愛(じあい)に満ちていた。
 グリシーヌに深く愛されているんだと感じた。胸が熱くなる。
「……グリシーヌ」
 お母さんと、呼びかけたかった。十六年の月日、私を大切に見守ってくれたその愛情を私はよく知っている。
 ぐっと唇を噛んで、私は喉からあふれそうな激情を飲み込む。
 熱くなった目頭を隠すように、俯いた。
「君が男でなくて本当に良かったと思うよ、グリシーヌ。ローズは君が一番お気に入りだったからね」
 言葉が出なくなって、沈黙が変に続きそうになったとき、ブランシュが場を引き取ってくれた。本当に、気が利く人だわ。
「男でなかったことを何度恨んだことでしょう。せめて、騎士としてローズ様のお傍にと思っていました。侍女として王宮に召し上げて下さったことに、私がどれほど幸せを覚えたことか、ローズ様はご存じないでしょうね。私はあの時、一生、ローズ様のために生きると誓いました」
 グリシーヌが語る出来事は、私には覚えがないけれど。そんな風に言わせるローズにちょっと嫉妬を覚える。私、本当にローズになれるの?
 心がまた挫けそうになりかける。私は俯きかけた首を強引に持ち上げた。
 グリシーヌに呆れられないように、頑張らなくっちゃ。
「――ローズ命」
 今まで無口だったヴェールが、突如として変な茶々を入れる。
 何こいつ、空気読めないの?
 感動的な場に水を差されて、私の涙は引っ込んだ。
 反して、グリシーヌは明るい笑い声を響かせて笑った。
「まさしく、その通りです。私はローズ様のためなら例え地の果てでも、お供します」
「頼もしい限りだが、僕はローズを地の果てに追いやるつもりはないよ? 何があっても、ローズを守ってみせる」
 ブランシュがそれに応じて、片目を瞑る。私の隣で、ヴェールが頷いた。
 ふわりと心が揺れる。真綿に包まれて、大事にされているのだと実感した。
「そうでなくては、母としてローズ様をお譲りすることはできません」
「手厳しいお母様だ。ローズに乞われるより、君に認められるのが難しい気がするね」
 こ、乞われるって――もしやっ!
 私は変な想像に走る思考を自制した。
 昨日の夜、私は寝室の両隣のドアに――ブランシュとヴェールの部屋に通じるそれぞれの――鍵を掛けようとしたけれど、グリシーヌに止められた。
『鍵を掛けたら、何かあったときに駆けつけられませんから』と。
 だからって、男二人がいつでも入って来る寝室で、安心して眠れる?
 抗議したら、
『騎士殿は女王に絶対服従です。何があっても、女王の意思に従います。女王が乞わない限り、騎士殿から夜を求めることはございませんから』
 と、説得されて眠った。
 言われたとおり、ブランシュやヴェールが迫って来ることはなかったけれど。
 何と言うか、私からアクションを起こさなければ何も始まらないっていうのは……。
 私はハッと我に返る。
 ――い、いえ、今はそれでいいのよっ!
 ちょっと、心を揺さぶられているけれど、まだまだ。結婚してもいいというところまで、気持ちは出来上がっていないんだもの。
 青い瞳がふっと、私を見つめた。
 その視線に、顔が赤くなってしまうけれどっ!
 まだよ、まだまだ。
 ニッコリ笑顔に、心臓が昇天しそうになるけれどっ!
 ――ええ、まだまだ。
 私はムズムズする顔をなるだけ平素に装った。




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