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 17,過去の欠片


「それにしても、驚きました。アメティストがヴェール様にお仕えしていたなんて」
 グリシーヌが目を瞬かせれば、私の隣でヴェールが「意外か?」と、首を傾げた。
「アメティストは、士官学校で優秀だった」
 後で聞いた話によると、士官学校は騎士、軍人、警察官を育てる学校だっていう。国としては優秀な人材が欲しいから、門は広く開かれており、立身出世を夢見る若人が多く集うらしい。
 ただ、資格試験――卒業試験? みたいなものかしら――それはすごく厳しいとのこと。
 そうして、騎士は女王即位の際に、在学生のみならず、既に軍人や警察官として活躍している人たちの中からも優秀な人材がいれば選ばれることもあるらしい――女王の夫候補として、年齢的に釣り合えばの話だそうだけれど。
 それ以降の人材補充は滅多にないとのことだけれど、たまに諸事情で引き抜かれることがあるらしい。
 そのまれな例がアメティストで、グリシーヌは驚いたみたい。
「魔力は他より低いけれど、体力や剣術面では群を抜いていた。だから軍に入れるより、騎士団に入れた方がローズもグリシーヌも喜ぶと思った。相談せずに引き入れたのは悪かったか?」
 ヴェールは事もなげに言う。
 ローズのご機嫌とりのようにも聞こえなくないけれど、ヴェールの性格からしたら、あんまり深く考えていなくて、目をつけた人材がたまたまローズやグリシーヌの知り合いだったっていう――そっちの方の比重が大きい気がするわね。
「弟がローズ様のお役に立つのでしたら、姉として喜ばしいことです。ただ……」
「ただ?」
 何が不満だと言いたげに、ヴェールの表情が険しくなる。
 漆黒の前髪が掛かる眉間に深い皺を刻み、翡翠の瞳を細めた。釣り上がり気味の目尻をさらに吊り上げ、薄い唇をへの字に曲げる。胸板の前で偉そうに組んだ腕。その腕を、指で苛立たしげに叩き、靴底がタンタンと床を蹴った。
 ヴェールの身を包む空気が殺伐とし、隣に座っている私の肌をちくちくと突き刺す。
 ――魔王だわ。魔王、降臨こうりんよ。
 思わずのけ反る私の耳元を、ブランシュの柔らかな声音がすり抜けていった。
「――ヴェール。女の子を驚かせちゃ駄目だって、言ったよね?」
 さっきまで私に向けていた爽やか笑顔はそのまま。でも、瞳は絶対零度の青。見る者を瞬く間に凍りつかせる、冷たい視線。
 それがヴェールへと差し向けられる。
 青と翠の視線の交錯に、場の空気がピキンと音を立てた――いえ、気のせいだけど。
 固唾かたずを呑んで見守る私とグリシーヌの前で、魔王対金髪王子の対決は一瞬で片がついた。
 青い視線に晒された魔王は、例の捨てられた犬のような目で白旗を上げたのだ。
 ――金髪王子、恐るべし。
 というか、魔王弱すぎっ! アンタ、それでも魔王? そんなヘタレで歴代の魔王に恥ずかしくないのっ? ――って、私が勝手に魔王呼ばわりしていたんだっけ。
「何か、気になることがあるのかい?」
 ヴェールの降伏に頷くように顎を引いて、ブランシュはグリシーヌに視線を移動させた。
 瞳は春の空のような穏やかな青色に戻っていた。その日差しのように暖かな視線に、ヴェールに凍らされていたグリシーヌの緊張は、雪が水に変わるようにとける。
「あ、いえ。あの弟は……その、ローズ様に対してあまり良い感情を持っていませんでしたので」
「えっ? 私、嫌われていたの?」
 窓の外に視線を投げれば、アメティストの姿は見えなかった。窓枠で区切られた視界の外にいるのだろう。
 馬車はいつの間にか、城門を抜けて城下町に出ていた。
 幅の広い車道。脇の歩道に行きかう人々の華やかな衣装。女の人はやっぱり腰の後ろが膨らんだクラシカルなスカート姿。男の人は三つ揃いのスーツやフロックコートというの? ああいう感じの装いが多い。こちらの時代は十九世紀辺りかしら?
 大きな建物が目立つ。劇場かな。堅固な構えの、どっしりとした建物があれば、ウインドウショッピングを楽しめるようなガラス張りのお店と。ここは繁華街みたい。
 道の端に並んだワゴンの屋台。可愛らしい花売りの女の子に群がる男の子たちの目的は、はたしてどっちにあるのかしら?
 雑踏の騒音は、何だかとっても賑やかで、何だかじっとしているのが酷く勿体なく感じられる。
 楽しそう、今度連れて行ってもらえるかな? ブランシュ辺りだと、お願い聞いてくれそうだから言ってみようかしら?
 チラリと肩越しに振り返れば、グリシーヌが柳眉をひそめて暗い表情をしていた。
 当初の目的を忘れかけている自分に気づいて、窓に張り付けていた身体を引き剥がす。
「ああ、思い出した。アメティストはお姉さん子だったんだよね。ローズがそう口にしていた」
 ブランシュがふと思いついたような声音で、答えらしきものを口にした。
 シスコンのアメティストから、お姉さんを横取りしてしまったから、ローズは嫌われたの?
「はい。無口な性格のせいか、院でもなかなか人に馴染めなくて――何かと私の後をついて回る子で」
「……院?」
 ブランシュとグリシーヌに目を向けて、私は問う。
 予感のようなものを覚えて、声がしぼむのを自覚した。
「孤児院――ローズやグリシーヌたち姉弟は、そこで育ったんだよ」
「……そう、なの」
 会話の流れで、何となくそんな気がしていたけれど。ちょっと、ズシンと来た。
 私には本当のお父さん、お母さんもいないんだ。
 ディアマンやグリシーヌと過ごした十六年の記憶があるから、別に寂しくない……と言ったら、嘘になるかしら?
 ローズだと言われても、彼女の記憶がないから、彼女の血筋に私がローズだって言う証みたいなものを私は探したかった。
 寂しいと言うより、心もとないの。
 いつか、全てが間違いだったと言われるんじゃないかって、怖くなる。
 だからね、血縁を見たら、そこに今の私の面影があったのなら――って、思っていたんだけど。
「グリシーヌも施設で?」
「はい。七つのときに、両親を流行病で亡くしまして。ローズ様も、同じ頃に施設に」
「私の両親もその病に?」
 重ねて問えば、グリシーヌは頬に手を当て、困ったように小首を傾げる。
「さあ。私も残念ながら、存じ上げないのですが。私が院に入ったときには既にローズ様は居られました」
 グリシーヌが七つのときということは、ローズが五つのとき。
「じゃあ、結構長いのね。私たち」
 あちらでの十六年と合わせれば、二十九年。それだけの付き合いがあるグリシーヌがローズを間違うことはないわよね?
「はい。そうですね」
 それにしては、アメティストの挨拶は初対面染みて、余所余所しかったけれど。私に記憶がないことを聞いているからかしら? やっぱり嫌われているから?
「子供の頃のローズはどんな子だった?」
「今のローズ様と変わりませんわ」
「ええ? そう」
 今の私って……気が短くて、喧嘩っ早い。昔から、何も変わっていないの? 何一つ?
 ローズだった十八年と真姫として育った十六年。
 …………何一つ、変わっていない?
 それはそれで……ちょっと、どうかと思うけど。
「間違ったことがお嫌いで。自分が正しいと思うことには強気で、誰に対しても自身の意思を貫かれるとても真っ直ぐな――今のローズ様と変わりませんわ」
「正しく、ローズだね」
「ローズだな」
 ブランシュが楽しそうに笑えば、ヴェールが仏頂面で追随した。
 ……褒められていると思っていいのかしら?
 グリシーヌの声には称賛に似た響きがあるけれど、二人の騎士の声には面白がっている節が感じられる。そう思うのは、気のせい?




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