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 19,荒廃した町


 寂れた――街角に並んだ店頭も、どこまでやる気があるのか。埃に曇った窓ガラス。投げやりに見える傾いた看板と、商売っ気が感じられない――町の中心に入っていくと、人が増えてきた。
 道幅が広くないから、沢山の人が行きかっているように見える――その半分は錯覚だろう。
 人ごみを見れば、多少は活気づいているように見えるかと思ったけれど、行きかう人々から見えるのは悲愴なまでの、疲弊感。
 日常に疲れている様が、彼らが身につけている服を古着のように見せた。いえ、実際に古着のようだ。膝や肘につぎあてられた色違いの布きれ。すり減った靴底。
 服も暗い色彩が多い。明るい色のジャケットもスカートもくたびれ色褪せて、目を惹くには淡く、色が足りない。
 城下町が上流階級の人たちの町だったのなら、ここは労働者階級の人たちの町なのかもしれない。
 そう明確に見えてしまう差があって、泣きたくなる。
 市街を区切ったあの壁が、この人たちを拒絶するためのもののように思えてきたのよ。
 あちらの世界でも、生活格差が叫ばれるようになっていたけれど。こんな風に目に見える違いを私はテレビでしか見たことがなかった。
 少なくとも、私の周りはこんなに疲れた色を見せてはいなかったわ。
 若奥さん風の女性が買い物カゴを片手に歩いていた。シャツの上に、毛糸のショールをまとった――ショールに空いた穴を見つけて、私は自分の視力が良いことに恨めしさを感じた――背中は、華奢でやや猫背気味。髪もまとめそこねたように、おくれ毛が背中に垂れていた。そこはかとなく漂う寂寥感に私の目が奪われる。
 買い物カゴは空っぽだ。買い物カゴの握り部分も一度取れたのか、修繕したあとが見える。
 ……これから、買い物に向かうのかしら。
 目が離せずに後ろ姿を追いかけていると、不意に伸びてきた手が女性の買い物カゴに伸びて、ひったくっていった。
 買い物カゴの紐に引っ張られ、女性の身体が付いてくるのをひったくり犯は忌々しげに突き飛ばした。
 胸を突かれた女性が道に転がった。
 私はひったくり犯を――二十代ちょっとの男のように見える――目で追いながら、叫んだ。
「――泥棒よっ! 止めて」
 制止の声が外に響いたのか、馬車が大きく揺れて止まった。私は考えるより先に、馬車から飛び出す。
「――ローズっ!」
 ヴェールの慌てた声が後ろで響く中、ブランシュの声が冷静に告げた。
「アメティスト、ここはよいから犯人を追え」
 馬から飛び降りたアメティストがマントを翻して、人ごみに消える。ディアマンがこちらに回り込んで、空いた馬の手綱を握った。
 私は女性の元へと駆け寄る。そんな私の左右を「太陽」と「月」の騎士が両側をきっちり守ってくれていた。
「大丈夫?」
 地面に膝をついて、声をかける。顔を上げた女性は私を見て、少し驚いた表情を見せた。
 セーラーカラーのジャケットに膝上のプリーツスカート。黒のハイソックスに黒の革靴という制服姿は、この世界では完全に浮いているでしょう。しかも、二人の騎士を従えているんだもの。驚くなという方が、無理かもね。
「……あ」
 少しひるんだように身を引く女の人を見て、私は慌てて言った。
「あ、怪しい人間じゃないから、私たち」
 大概において、そう言う人間に限って、怪しいことこの上ないのだけれど。
 私としては身の潔白を語る言葉をそれ以外に持ち合わせていない。
「怪我はない?」
 尋ねると女の人は首を頷かせて、立ち上がった。
「今、犯人を追っているから。失くしたものは? やっぱり、お財布? 幾ら取られたの? 警察に行く?」
 矢継ぎ早に問いただす私に、女の人は一歩二歩と後退し、首を横に振りながら身を翻した。
「待って」
 追いかけようとすると、ブランシュが私の肩を掴んで止めた。
「ローズ、いいよ」
「でもっ!」
「彼女は警察に係わることを拒んだ。そういうことだから、無理強いはしちゃいけない」
「――? 何なの?」
 戸惑う私に、ブランシュは哀しげな眼を見せ、首を横に振った。
 遅れてやって来たグリシーヌが、私の傍らに立つと、
「ローズ様、参りましょう」
 私の手を取って、馬車へ連れ戻そうとする。
「でも……」
 ひったくりは、立派な事件でしょ?
 それをうやむやにしていいの?
 わけがわからずにいる私に、グリシーヌが言い聞かせるように言った。
「良いのです。ここは、そういう場なのですから」
 ――そういう場……。
 つまり、犯罪がうやむやにされる場所だってこと?
 辺りを見回せば、周囲の人間たちは私たちを遠巻きに見つめていた。けれど、目を向けるとこそこそと場を立ち去る。かかわり合うのをいとうみたいに、散っていく。
「えっ?」
 誰も、何とも思わないの?
 目の前で公然と犯罪が行われたのに?
 あちらの世界でも既に、自分が被害者ではない厄介事に無頓着になりつつあったけれど。
 同じことが、こちらでも平然と行われることに、戦慄せんりつを覚えた。
 人間はいつからこんなに、冷たい生き物になったんだろう。
「ローズ、君は……この現状を変えたがっていたんだ」
「……私が?」
 目を瞬かせていると、駆けて来る靴音を聞いた。肩越しに振り返れば、アメティストが戻って来る。彼は私たちの前に立つと、身体を折り曲げて頭を下げた。
「申し訳ありません、見失いました」
 私はアメティストの肩越しを見やった。
 中央のこの道は馬車が通るからそこそこ広い――でも、城下町の車道とは比べものにならない狭さだ――けれど、建物と建物の間の路地は暗く細い。
 建物自体もそんなに大きくないから、道が入り組んでいるだろうと思えば、犯人を見失ってもしょうがないかと思った。
 それに裏路地には入って行くのを躊躇させる気配がある。本能的に、覗いてはいけないような、そんな気がした。
 多分、表に見えるより酷い光景が広がっていそうな予感がする。
「……もういい、行こう。ローズ」
 ブランシュが私の手を取って、歩き出す。彼にしては強引な力に、私は半ば引きずられるようにして付いて行く。
「……でも」
 このままにしていいの? 言葉にできない問いが、声に宿る。
 金髪をふわりとそよがせて、ブランシュは私を振り返った。秀麗な面を飾る青い瞳は真っ直ぐに私を射抜いて、告げた。
「――君が変えるんだよ、ローズ。これから、この町を。この町だけじゃない……この国を」




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