21,帰郷 町から離れた場所に、ローズやグリシーヌ、アメティストが身を寄せていたという孤児院はあった。 部屋数が結構ありそうな建物は、元は貴族の別宅だったものらしい。没落したその貴族から議会が買い上げ、孤児院にしたという話をここに来る途中、グリシーヌから聞いていた。 国からある一定の運営資金は出されているようだけれど、その金額は程度が知れる。老朽化が目立つ建物を見上げれば、孤児院の運営がかなり ――仮にも、女王を輩出したところなのに? 私は古い建物を茫然と見上げた。 台風でも来たなら、一発で瓦解しそう。ああ、そういう災厄は魔法で守るのかしら? 何にしても、補強工事は必至ではないかと思う。 ローズが女王となって一番に提示した、慈善院の改善計画。なるほど、確かに必要だわ。議会は弱い者に優しくない。そんなの駄目よ。 馬車から下りて立ち尽くす私の肩を、さりげなくブランシュが触れて、我に返る。 「行こう、ローズ」 「……う、うん」 首を頷かせて、一歩踏み出す。先に孤児院のドアを叩いていたグリシーヌが、一人の女性と沢山の子供たちを伴って玄関先に現われた。 「――ローズさまっ!」 「ローズさまっ」 十歳前後の子供たちが私の周りを囲んで、口々に言う。 「おかえりなさいっ」 「ローズさま、おかえりなさいっ!」 どの顔にも見覚えはない。子供たちにしたって、私に見覚えなんてないだろう。 ローズは女王候補に選ばれ、十五歳の時にこの孤児院を後にしたと聞いている。だとすれば、顔なんて覚えているわけ……いえ、もしかしたら、今の私の方がこの子たちの知っているローズに似ているのかもしれない。 この子たちの目には、私の中にあるローズの欠片が見えるのかしら? 「……た、ただいま」 私は自分の両膝に手を当てて、前かがみになり子供たちと視線を合わせながら、緊張気味に口にした。 子供たちが声を揃えて、破格の笑顔で「おかえりなさい」と合唱する。 何だか、胸の奥がこそばゆくなるような感じがした。くすぐったくて、でも嫌な感じじゃない。 私にはもう、帰る場所なんてないと思っていたけれど、ここにローズはいた。彼女はこの場所を愛して、そして彼女はこの子たちに愛されていた。 孤児だから家族を持っていなかったローズ。けれど、血の繋がり以上の宝物をローズは持っていたのね。 大事なそれを守ろうとして、未知の階段を上り、彼女は女王になった。 そう確信できる存在を前にして、私の心は温かくふわりと軽くなる。 ブランシュにここへ連れて来てもらって良かったわ。 私が「ローズ」になれるのか、まだわからないけれど、私は「ローズ」が好きになりそうよ。 「お帰りなさいませ、ローズ様」 グリシーヌが伴ってきた女性は五十に手が届くと思われる年頃。多分、この施設の責任者だろう。 「あの……私は……」 どう説明したら良いのか困惑していると、女性は私を安心させるように微笑んだ。 「アメティストから、お話は聞いております。大変な思いをなされたのでしょう。それでも、ここにお越しくださって、ありがとうございます。子供たちはローズ様が大好きでした。故に、こちらにお見えになるとお聞きして、今か今かとお待ちしていたのですよ」 花開くように唇が綻ぶその様を見て、私は緊張を解いた。そんな私の手を引いて、一人の男の子が中へ案内しようとする。 「おや、僕はお邪魔かな?」 ブランシュは柔らかく笑って、後ろに退いた。彼が立っていた場所に、女の子が回り込んで私の背を押す。 小さなもみじの葉っぱのような熱が制服越しに染みてきて、胸が熱くなる。 「ローズさまっ! わたし、ローズさまの絵をかいたの。見て見て」 「ぼく、ローズさまに首かざりを作ったの」 「オレにご本をよんで」 「あー、ワタシも!」 「ローズさまは、あたしとあそぶのっ!」 賑やかな声に囲まれて、私は孤児院の内側へと案内された。建物の内部もかなり古くなっている。床板がところどころたわんで、剥がれかけている。二階へと続く階段の手すりもボロボロだ。 子供たちが駆け回ることを考えれば、修繕は絶対に必要。帰ったら早速、議会に掛け合ってやろう、と私は心の内側で決意した。 玄関ホールの隣の部屋は広間で、子供たちの遊び場のようになっていた。 床に転がったつぎはぎだらけのぬいぐるみ。手垢に汚れた人形。ページが取れそうになった本。床に敷かれた まだこの季節は涼しいと言って笑っていられるかもしれないけれど、本格的な冬になったら子供たちはここでは遊べない。 顔が強張るのを自覚した。その瞬間、私の肘にブランシュの手が触れる。制服越しに伝わる温度に引っ張られ、気がつくと私はブランシュと並んで床に座り込んでいた。 真っ白の騎士服が汚れちゃうんじゃないかしら? 心配する私をよそに、ブランシュは子供たちに微笑みかける。 「グリシーヌがお菓子を持って来たんだよ。みんな、お菓子は好きかな?」 ブランシュが問えば、子供たちの顔がばら色に輝いた。キラキラと輝く丸い目がグリシーヌを見上げる。 子供たちはグリシーヌの顔が変わっていることに気づいていないみたい。きっと彼女を包む雰囲気は昔のままなんだろう。存在感は、そう簡単に変わらないのね。 「グリシーヌ、お茶の用意を。ローズはお菓子を配って。ディアマン、アメティストもそんなところに立ったままでいないで、座ろう?」 ヴェールは、名前を呼ばれる前にちゃっかり私の隣に腰かけていた。そうして、グリシーヌから預かったバスケットが開くのを、子供たち同様に見守っている。……あのね。 「オレ……私は姉を手伝ってきます」 アメティストは台所へ向かったグリシーヌを追いかけた。話に聞いた通り、お姉さん子みたい。 残されたディアマンは眉を僅かに寄せた。 「――しかし、ブランシュ様」 警戒を解くのを厭う軍人然とした態度。それを崩そうとしないところは、生真面目な会社員を演じていたあちらの世界のお父さんのままだ。ちっとも変わらない。 「上から目線だと、子供たちが怯えてしまうよ」 そんなディアマンに微苦笑を返して、ブランシュは部下を見上げた。ゆっくりと頬を傾けて、今度は視線を床に落とす。 「――それとも、服が汚れるのは嫌いかい?」 尋ねる声は静かだったけれど、重たかった。青い瞳は怒りを含んでいない。ただ、哀しげに汚れた床を見やる。 王宮の綺麗さとはうって変わって、薄汚れた絨毯の上に腰を下ろすのは多少、抵抗を覚えなくもない。もう私は、座ってしまったので何とも思わないけれど。 ディアマンの白い服はブランシュの服同様に、汚れが目立ちそうだ。 「まさか、そんな」 ディアマンは憤慨したように、眉尻を吊り上げた。右肩が跳ね上がる。私が知っているお父さんの、怒ったときの癖が出る。自分がその程度のことに拘っているという風に取られたのが、嫌だったらしい。 「そう。そんなことはないよね? 子供たちはここで暮らしているんだ」 ブランシュは小さく笑って、私を見つめた。 ディアマンではなく私に向かって、言った。 教え諭すように告げられた言葉が、心に冷たく沁みる。 ――ここで暮らしている。 床板が剥げそうな場所で。 隙間風が吹き込む部屋で。 親の温もりを知らない子供たちは、小さな身を寄せ合って生きている。 大人になれば、一人で自活もできるだろう。でも、働く術すら持たない子供たちに、一欠けらの慈悲も与えないなんて、議会は何をしているの? 整然と建物が並んだ王都の光景が、私の脳裏に浮かぶ。 城下町を整備することも大切でしょう。特に、国の中心となれば多くの人が集う。道が荒れていれば、人の行き交いは滞り、事故も増えるだろう。それを防止するために、道を整えるのは悪くない。税金は大勢の人の役に立つために使われる。 ――それでいい。それでいいけど。この寂れた町にも、同じように生きている人たちがいるのよっ? 喉の奥で、叫び声が弾けそうになるのを私は堪えた。 議会は、この現状を知っているの? ――知らない。いいえ、あえて関知していないのかもしれない。 だから、ローズは変革を求めて、議会に睨まれた。 ブランシュはそれを言葉で語ることなく、私に教えていた。 ローズが何を思って、何を考えたのか、直接教えるのではなく、私自身に感じさせて、私は少しずつローズに近づいて行く。 そして私は、思うだけじゃなく動かなければならないことを実感する。 負けたくないなんて、思っていちゃいけない。 ――勝たなきゃ、変えなきゃいけないんだ。 |