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 22,高貴なる血


 ギィと、古びたドアは蝶番(ちょうつがい)を軋ませた。
 物悲しい叫び声は、この孤児院の現状を訴えているようで、苦しくなる。
 私はそっと扉を後ろ手に閉じた。
 孤児院の院長から、ローズに関することなどを聞いた頭は沢山の情報を一度に詰め込まれて、飽和状態。一杯になってしまったわ。
 私は少し脳を休ませるように、ドア板に背中を預けて、ふっと息を吐く。
「院長との話は、終わった?」
 玄関ホールを見下ろす廊下の手すりに身を預けていた――と言っても、体重を預けていたわけじゃないらしい。実際、預けるには少し危険だもの――ブランシュが顔を上げて、私を振り返る。
 僅かに小首を傾げて尋ねれば、さらりと流れる金髪が煌いた。
 窓ガラスの向こうから差し込んでくる日差しは暖かいのに、私の心は寒々しい。
 それでも優しい笑顔を前にすると、ちょっとだけホッとした。
 ブランシュは、私を正しい方向へと導いてくれる。この人がいれば、私は間違えることはないだろう。
 そう安心感を覚えている私がいた。
 いつの間にか、金髪王子は私の心に根を生やし、存在していた。同じようにヘタレ魔王もいたりする。お父さん、お母さんである、ディアマンやグリシーヌの面影を浮かべれば、心は静かに落ち着いて行った。
「――うん。……ねぇ、ローズって……貴族の血を引いていたんだって。ブランシュは知っていた?」
 私はゆっくりとブランシュとの距離を縮めながら、院長から聞いたことを口にした。
 ローズは数代前に没落した貴族の娘だったらしい。
 もっとも、財産を失って久しく、ローズを産んだ両親は労働階級の人たちと変わらない生活をしていたということ。その両親は、強盗に殺されたのだと聞かされた。
 ……世界にお金がある限り、それを狙った犯罪はどこにでもあるのね。
 特に、生活苦がにじみ出ている下層の町では物盗りの犯罪は珍しくないようだ。
 魔法で身を守ることはできないのかしら? と思うも、騎士や特別な職業に就いた人ならともかく、普通の人にとっての魔法は日常生活をサポートする程度のものなんだろう。
 魔法を使えば、それ相応の疲労を強いられる。肉体労働者の人たちは日々、労働に身体を酷使(こくし)しているのに、魔法を使う余力があるかしら?
 ……多分、ない。
 あったとしても、とっさに身を守る魔法は、習慣として身に付いていないのかもしれない。
 おそらく、一般の善良な人たちは魔法を軽々しく使わない。使う余裕もないだろう。魔法を悪用できると考える人間以外は……。
 そうして、多発する犯罪は罪のない人たちを犠牲にするんだわ。
 ここへ来る道中の引ったくり事件を思い出せば――そして、裏路地を覗き込むことを躊躇(ちゅうちょ)させた気配を思うと――自分の推測に納得してしまう自分が嫌になる。
 警察はあまりにもその手の犯罪が多いので、事件として取り扱うのは、金持ち相手だけらしい。
 また、強盗団と警察が裏で繋がっているという黒い噂もあるっていう話。盗んだものの一部を受け取ることで、犯罪を黙認しているらしいということ。真偽はわからないそうだけれど、限りなく黒に近い灰色だろう。
 目の前が絶望で、真っ暗になりそうだわ。あちらの世界も褒められたものじゃなかったけれど、こちらの世界も変わらないのね。
 人間という生き物の悲しい性?
 普通に暮らしていた頃には気づかなかった人間という生き物の愚かさが、私には酷く重たい。
 多分、今までそれほど深刻に考えなかったのは、私の周りにいた人たちが善良だったからだろう。
 テレビやマンガ、小説や好きな芸能人の話題で盛り上がって、それだけで楽しかった。それだけの日常に満足していられた。
 平凡で平和で、退屈な日々がとてつもなく尊く感じる。少なくとも、あの日常では私は周りの人たちに傷つけらる心配なんてしていなかった。
 でも、私は――ローズは命を狙われた。結果、この世界に連れ戻された。
 そうして目の前に提示された現実が私の心を憂うつに染める。
 両親の死の真相もショックだったけれど、私は私の中に貴族の血が流れていたことにも、少なからずショックを受けていた。
 だから、ローズは女王に選ばれることができたのかしら?
 女王の座だけは、誰彼とへだたりなく、守護者として相応しい者に与えられるのだと信じていたのに。そうじゃないの?
「多分ね、そうじゃないかと思っていた。ローズの魔力は、平民の中には桁外れだったから」
「何、それ。まるで、貴族は他の人たちに比べて、魔力があるみたいな言い方よ? この世界の人たちは、誰でも魔力を持っているんじゃなかったの?」
 ブランシュは微かに顎を上下させて、頷いた。
「でも、貴族は血を尊ぶから……ね」
 穏やかな笑みを侵食する暗い影を、私は見つめた。
「どういうこと?」
 歴代の女王は貴族から選ばれた。私の中には、貴族の血が混じっている。
「この国は、国家に貢献した者に領地を与えることで、貴族とするんだ。女王や騎士を多く輩出することで、国を守って貢献して――そうして、貴族となった家系も多い。つまり、それらの家系にとって、優れた魔力を有する血統が貴族の証でもあるんだ。そういう貴族が増え始めると、古参の貴族も血統を意識し始めた。だから、貴族同士は婚姻を結ぶ……そして、力を持って生まれた貴族は選民意識を持つ」
 淡々と告げられるブランシュの言葉を、私は必死に噛み砕く。
 普通の人たちより魔力があるから、貴族は選ばれた人種だって、誤解する。その選民意識は貴族の集まりである議会に根深く息づいて……だから、議会は底辺の人間をかえりみない?
「つまり魔法能力が高い子供を作るために、結婚をしているの?」
 政治的なもので結婚を強いられるより、ずっと質が悪い気がするのは気のせいかしら?
「――ローズ。女王と騎士たちの結婚も、それに当てはめられるんだよ」
 苦虫を噛み潰した私は、ブランシュの一言に、殴られたような衝撃を覚え、目を見開いた。
 女王が二人の騎士を夫に迎えるのは、より良い子孫を残すため――。
 ブランシュが前にそう説明してくれたことを、私はすっかり忘れていた。
 意図的に結ばれた婚姻。でも、私はブランシュとヴェールを同志みたいに思っていた。
 だからね、私は自分がもう少し大人になったら……二人のどちらかと――やっぱり、一夫一妻が理想よ――結婚してもいいなと思えるようになるかもしれないと、予感を覚え始めていた。
 ブランシュは右も左もわからない私に、自分の考えを押し付けるわけじゃなく、私に思考を促して、親切に――そして、誠実に教えてくれる。
 ヴェールは子供っぽいところを見せ反発を覗かせながらも、私の隣にいて私を守ろうとしてくれていた。
 まだ数日しか、時間を共にしていない。でもね、昔から知っているような居心地の良さを私は感じ始めているのよ。
 二人の隣にローズが居たんだと実感するの。女王と騎士という上下関係じゃない。肩を並べて、一緒に笑って怒っていたんだと思える空気がある。
 そして、その空気は私を穏やかに迎えてくれた。居場所を失くした気がしていた私を、包んでくれた。
 きっとローズは、二人のことが好きだったと思う。
 そこに恋愛感情があったのかは微妙なところだけれど、いずれそういう感情が芽生える兆しはあったと、私は自分の感情と照らし合わせて感じていた。
 ……でも、そうして結ばれる関係が誰かの思惑によるものだなんて、あまりにも酷いわ。
 胸の内側にひっそりと顔を出しかけた感情を、無粋に踏みつけられ、汚された気がした。
「ヴェールの両親が、先々代の女王とその夫であった騎士だという話はしたよね?」
 俯いてしまった私に、ブランシュが語りかける。顔を上げると、彼は手すりに手を預け、階下のホールを見下ろしていた。
 青い瞳の視線の先を追えば、ヴェールとディアマンの二人の騎士が子供たちの遊び相手になっていた――アメティストは、お茶会の片づけをしているグリシーヌを手伝って、台所にいるのかもしれない。
 話題の主であるヴェールはせがまれたのだろう、子供を肩車してあげていた。
 不機嫌そうな表情は「面倒くさい」と言いたげだけれど、身体を微妙に揺らして子供を楽しませていた。結構、自分も楽しそうね。
 でも、あの仏頂面はどうにかならないかしら?
 もっと素直に笑えばいいのに。
「女王と騎士たちとの婚姻は、議会が推奨したものだ。それはね、より良い子孫を残す目的と同時に、議会に都合のいい女王や騎士を囲う――作り出すという側面を持っているんだ」
 ブランシュと並んで、ヴェールの黒い背中を追いかけていた私は、思わず横を振り仰いだ。




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