23,思惑の真意 「……えっ?」 「女王が子供を産んだとしても、在位中はとても子育てをしている余裕はない。だから生まれた子供は議会が作った学院に預けられ、未来の女王、騎士候補として育てられる」 「じゃあ、ヴェールは……」 頭の中に沁みてくる現実に、声がかすれた。 「親の愛情を知らない。もともとヴェールの母親――先々代の女王も、女王候補として幼い頃から学院に育てられた人だったから……女王としての意識は高かった」 フッと左右対称の形のいい唇から漏れ出たため息に、私は首を傾げる。 「国のために尽くす――そう育てられていて、その志はとても純粋で無垢であったけれど。同時に、人としての感情を欠いていた」 下手したら 感情が凪いだ静かな横顔が、深い青色の瞳が、言葉以上のことを 「先々代の女王は、力を持った者の義務として、騎士との間に子供をもうけた。義務感から騎士を乞い、身体を重ねた。そこには一欠けらの信頼も愛情もなかった。ただ、義務感だけがあったんだ」 「……そんな」 かなり際どい話を聞かされているのに、私は赤面を通り越して青ざめた。 恋愛感情がなくって、そういうことを出来ちゃうというのが、私の乙女心では理解できない――いえ、世の中にはそうして成り立っている関係が、沢山あるのは知っているけれど。 義務で子供を作ったというのが、私を凍りつかせた。 そんな、ロボットがモノを作るみたいに、子供を産むの? 大人って、そういうことが平気で出来てしまうの? 私がどんなに否定しても、目の前に現実はあった。ヴェールが背負っている現実は、私が思う以上にシビアだった。 そして、女王と騎士の結婚は、正真正銘の政略結婚だった。 議会に都合のいい、次世代の女王を生み出すための……政治的な思惑から仕組まれた婚姻。 貴族中心の現行議会の体制を維持するために、女王と騎士は政局の駒にされた。 私が読んでいた少女向けの小説の中にも、政略結婚をテーマにした小説があった。心の伴わない結婚にヒロインは悩み苦しみながらも、色々な出来事を経て、心が結ばれていく。ハッピーエンドは用意されていた。 でも、ヴェールの両親の間には――ブランシュのため息が語ることから察するに――何も残されなかった。生み出されなかった。 作られたのは――義務から誕生させた子供だけ……。 私の中に表現しがたい虚しさが満ちる。 小説に語られるような恋物語は、所詮は絵空事なの? 「議会の監視下で育った――または貴族の家系から選ばれた女王候補や騎士候補は、割と結婚というものに感情を持ちこまない。……だから」 「……だから、こういう現実があっても、平気なのね?」 感情を切り捨てることに慣れてしまった女王は、苦しい生活を強いられている弱者が居ても、何も感じない。 そういう女王が議会には都合が良かった。選民意識が強い貴族たちにとって、労働階級の人たちのことなんて、気にする女王は面倒なんだわ。 そして、そういう女王を作り出すために、議会は女王と騎士の結婚を推奨した。子供を作ることを目的としているから、一人よりも二人の騎士をあてがって……。 女王と騎士の間に生まれた次代の女王、騎士の候補である子供もまた、議会の監視下で育てられていく過程で感情を削ぎ落とされる。 魔力が強いこと――という絶対条件のもと、それを盾にすれば、民衆の抗議はかき消される。それは同時に、庶民派であったローズを女王に選んで、貴族主義の議会を混乱させたのだけれど――都合よく作られた女王や騎士は議会の ヴェールが常に不機嫌そうな顔をしているのは、感情を表に出すことを知らないから? 私が「ありがとう」って言ったとき、ヴェールは嬉しそうに見えた。でも、笑い方を知らないから、唇を結んだのかもしれない。 あれでも――あれでもって、酷い言い草ね――「月」の騎士団長として、部下を持っている身の上だから、怒ったりするのは普通に出来るんだろう。きっと、騎士として育てられた過程で、厳しさは普通に学んだ。 でも、そういった騎士の部分から離れてしまうと、笑ったり泣いたりといった感情を表す場面では、どうしていいのか、わからないのかもしれない。 ただ優秀な騎士になることを前提に、それだけしか教えられなかったんだわ、きっと。 唇を噛む私に、ブランシュは続けた。 「例え感情があったとしても、議会によって世間と 「…………だから、ローズは議会に睨まれたのね」 変革を求めただけじゃない。ローズは知らなくて良い世界を知っていたんだわ。 警察機関すら 議会もまた、この町の警察同様に犯罪組織を黙認しているのかもしれない。 院長から聞いた灰色の噂。 自分たちの――貴族たちの生活を脅かさないことを条件に、犯罪組織と裏取引をしている可能性は否定出来やしない。 暴力団との 「……あんまりだわ」 現実を知れば知るほど、ローズが命を狙われた原因が明確になっていく。 ローズは貴族の血を引いていたけれど、貴族ではなかった。 普通に生活して、下層の生活の厳しさを知っていて、それを変えようとした。大切な人たちのために。 でも、そんな感情で動く異端の女王は、議会には不要だった。要らない女王を排するべく、敵は動いてローズは呪いを受けた。 この国の歪みが、ローズを殺そうとするなら……私は何が何でも、この国を変えなきゃいけない。 ホールで子供をあやす、仏頂面のヴェールを見下ろして、私は言った。 「……ヴェールは自分が意図的に作られた子供だと知っているの?」 その心の ヴェールの表情に感情が現れなくても、彼の心が無感情ではないことを私は知っている。 「知っているよ。彼の母親は……母親だけではなく、父親とも。生まれてからこの方、ヴェールは家族と共に過ごしたことがない。生まれてすぐに乳母に預けられ、物心がついた頃には学院に入れられ、騎士候補としての教育を受けていた」 もしかしたらヴェールは、両親の顔は見知っていても、言葉を交わしたことはないかもしれないと、ブランシュは続けた。 「……だからあの人、甘え方を知らないのね?」 甘える相手を怒らせるのは、甘え方を知らない証拠だ。 両親の愛情を知らないからというより、誰からも甘えさせて貰わなかったのだろう。 「そう。甘やかされたことがないし、甘え方を知らない。騎士としては優秀だけれど、人との接し方がいま一つわかっていない。女の子相手には、怒らせるか怖がらせてばかりだ。感情面では何も知らない子供なんだよ」 微苦笑は、しょうがない弟に対する優しさが満ちていた。 何でかしら、その笑みを見た瞬間、私……嬉しくなった。 この人が、ローズの騎士で良かったと心から思う。 「でも、少しずつ変わって来たのね? 時々、ヴェールの翡翠の瞳が捨てられた犬のような目をするの、私知っているわ。寂しいと思う感情は、あの人の中にある。それを教えたのはブランシュでしょ?」 ヴェールがブランシュの氷の微笑に恐れ 何も知らなかったヴェールの世界に、ブランシュはきっと色々な物をもたらしたに違いない。 それは灰色だった世界を色鮮やかなものに変えただろう。 そんな変革をもたらしてくれたブランシュはヴェールにとって、とても大切な人なんだろう。慕うような態度が、それを現わしている。 ところが、ブランシュは首をゆっくりと横に振った。金糸の細い髪がさらさらと揺れる。 「士官学校に入って、騎士候補の中でも僕たちは筆頭だったから、自然とヴェールとは行動を共にすることが多くなった。だから、僕は色々と教えてあげたよ。でもね――寂しいと思う感情、それを教えたのは、ローズ……君だよ」 「……私?」 目を瞬かせた。 ローズが少しずつ自分の中に溶け込んでくるけれど、記憶にないことを話されるとやっぱりどこか、他人事のように感じてしまう。 ブランシュがローズと出会ったのは、彼が十八歳のときだという――ヴェールが十五歳で、このときもう二人は二年の付き合いになっていたという――話だった。 「君はね、僕たちをただの騎士ではなく、僕とヴェール、それぞれの個性と向かい合おうとした。騎士でも、夫候補でもない。求められたのは、役割としての存在ではなく、共に何かを築いていける盟友とでも言うのかな? そこでヴェールはローズに個性を求められた。彼とって、僕以外に初めて「ヴェール」という人間を問われ、個人を認められた。ヴェールにとって、それがどれだけ幸せなことだったか、わかる?」 青い瞳が私を覗きこんで、優しく笑う。 ローズと真姫という二人の存在の間で、私は揺れていた。 自分が何者かわからない不安の中で、ブランシュは私に「ローズ」という存在を教えてくれた。 私がそのまま、ローズであるということ。 足場を与えて貰って、ホッとしたことを思い出せば、ヴェールの気持ちがちょっとだけわかる気がした。 議会の道具的な存在から、一個の人間として認めて貰えたら――きっと、泣きたいくらい安心するの。嬉しいの。 「ヴェールは君を好きになった。だから、君に嫌われるのが怖くなったし、君がいないと寂しいと思うようになった。その感情は本来、騎士としては不要なのかもしれないけどね。でも、僕は――僕たちは、ただ女王を守るための楯ではありたくないと、君に出会って願った」 ブランシュが一歩、距離を縮めて私の髪を一房、すくった。 髪に絡まる指先の感触に、神経が集中してしまう。 「だから、ローズ。もし僕たちを求めることがあるのなら、僕らを心の底から愛して?」 「……私は」 青い瞳から目をそらせずに、私は唇を動かした。言葉が続かない。完全に拒絶する言葉を私はこの数日で失くしてしまっていた。 愛っていうのは、まだよくわからないの。 だけど、私はブランシュやヴェールが嫌いじゃない。 ――そう、嫌いじゃない。二人のことをもっと知りたいと思っている。 「まだ君にその気がないことは知っているよ。だから、安心してローズ。僕たちからは君を無理に求めたりしない。君が僕らと違う誰かを選んで、それが君の幸せにつながるのなら僕らは潔く身を引こう」 「そんな」 ――それでいいの? と、私は思った。 私の気持ちを大事にしてくれるのは嬉しいけれど、ブランシュやヴェールの気持ちは? すべてはローズが女王で二人が騎士だから? その決まりの前に感情を殺してしまうのなら、それは議会が結んだ女王と騎士との結婚と変わらないわ。 「女王に絶対服従――そんな決まりなんて関係ない。覚えていて、ローズ。僕たちは君を愛しているから、君の心に従うんだ」 「……私の心?」 「君が成したいと思うことを実現するために、僕らは存在する。僕らは、君だけの騎士だから、どうかローズ、君は君の望みのままに」 |