24,告白 ブランシュの唇が私の髪に口づけを落とすのを、私はぼんやりと眺めていた。やがて、導火線に火がつけられたように、私の心臓が時間差で爆発する。 ――今のって、愛の告白っ? 真剣な告白を理解した途端、私の頭は真っ白になった。 だから、私はこういうのに 脳髄にまで響くように激しく、ハードロックのドラムのように咆え喚いている心臓の音が、ブランシュの耳に聞こえないように――ああ、自分で何を表現したいのか、よくわからないくらい混乱しているわ。大体、ハードロックなんて聴かないのに――私は声を張り上げた。 「ぶっ、ブッ、ブランシュは……」 動揺が声に出まくっているわ。どもらないでよ、私。青い目が笑っているじゃない。 「何?」 「ブランシュは……貴族とは違うの?」 孤児であるアメティストが騎士団に入っていることから見れば、騎士も出自には関係ないのだろう。士官学校の門が広く開かれているという話からも。 でも、騎士のトップである「太陽」に選ばれるってことは、議会がそれなりに力を認めたってことよね? アメティストのように私情で引き抜かれたという状況とは異なる。 剣の腕だけではなく、魔力の強さも考慮されるのなら……ブランシュも貴族である可能性もなくはない。けれど、今しがた聞いた話から、彼がヴェールのように、幼い頃から騎士候補として育てられたとは考えられない。 だって、この人の中には多彩な感情の色が溢れている。ローズを熱心に想い、ヴェールを優しく気遣い、世界を冷静に見渡す――。 外見や物腰を見れば、貴族のように感じるけれど。さっきの話からすれば、ブランシュの在り方は貴族の出じゃないように思える。 確かめるように問いただせば、ブランシュは少しだけ頬を傾けた。 「僕は……本当は君に触れることなど許されない、 白皙の美貌に苦笑いが広がるのを前にして、私は髪に触れていたブランシュの手を振り払っていた。 身分が卑しいからじゃない。 自分を卑しい人間だと言うブランシュに腹が立ったのよ。 パンと弾かれ、振り払われた手を呆然と眺め、長い睫毛を瞬かせる金髪王子に私は肩を怒らせた。乙女としてははしたないと思うけれど、大口を開けて怒鳴る。 「あのね、何の権限があって人を卑しいか、そうじゃないか、決めるのよっ!」 貴族とか言っているけれど、議会のやっていることは、何? 血統がとか言っているけれど、単に魔力が他より強くて、女王や騎士を多く輩出して位を貰っただけでしょ? 元は他の人たちと変わらない人間じゃない。 才能があるということは、凄いことだと思うわ。 でも、それは誰か他人を卑しめる権限にはならない。人の能力は、その場に適応して発揮される。魔力が頼りないから女王になれなくても、他の場所で自己の能力を発揮していれば、それは凄いことよ? グリシーヌが良い例だ。彼女は魔力をそんなに持っていない。だから、女王にはなれなかった。 でもね、私にとっては最高のお母さんだった。中学校に入ってからは、毎日美味しいお弁当を作ってくれた。本当に美味しくて、友達が羨ましがるのを私は誇らしく感じていた。 力を持たなければ、貧しければ、それは人として認められないことなの? 一日汗水流し、精神をすり減らして働いても貧しさから脱することができない人たちがいる。ねぇ、その人たちの労働は、無駄だと切り捨てられるようなものなの? あの農家の人たちが食べ物を育ててくれるから、私たちの食卓においしいパンがあるのでしょう? 貴族じゃないからってだけで、存在を否定される言われはないはずよ。 貴族じゃなくったって、出自のわからない孤児でも、グリシーヌはグリシーヌだ。 同じことはブランシュやヴェールにも言える。ブランシュが貴族ではなかったとしても、ヴェールが貴族でも、二人は二人。ローズの騎士なんでしょ? 人間は身分や力で区別される生きものじゃない。個性によって、個別化されるべきよ。 私は息が続く限り、そう言葉を並べ立てた。 「勝手に卑しいとか、触れちゃいけないなんて、決めつけないでっ!」 だって私は、ブランシュの手が私の肩を支えてくれる度に、安心感を覚えている。頼りにしているのよ? 目尻が熱くなるのを自覚した。頭の中も燃えるように熱いけれど、その熱とは違うものが瞳からこぼれそうになる。 この何も知らない世界で、私が私を支えて来られたのは、目の前の人がいたからだ。 心が挫けそうになると、さりげなく口を開いて私の強気を刺激してくれたから、私は私を取り戻せた。 お願いだから、同じ口で私が不安になるようなことを言わないでよ。 「身分が卑しいと、誰かがあなたのことを否定したら、もう私には触れてくれないの? 傍にいてくれないの?」 頬に白い絹の感触。指先が私の目尻を撫でて、涙を拭う。 「ごめんね、ローズ。不安にさせてしまったね」 笑い声に顔を上げると、穏やかな笑みが私を静かに見下ろしていた。 「僕は僕を卑下するつもりはないよ。ただ、僕の立場をローズには知っておいて貰わないと、後で色々と陰口を叩かれるかなと思って」 「後で……って、どういうこと?」 「もし、僕とローズの間に子供が生まれた場合とか」 そう言って、ブランシュは小首を傾げてみせる。 「――なっ!」 いきなり飛躍した話の展開に、私は一瞬前まで泣いていたことを忘れて、顔を真っ赤に染めながら――鏡を見なくてもわかるわっ! ――慌てた。 「まだっ、私はそんなっ!」 青い瞳が楽しそうに煌いているのに気づいて、私はからかわれたことを知った。 いえ、また私の不安を見透かして、気をそらされた。 本当に、いいように扱われているわ。私はブランシュにとって、ヴェールと同じくらい子供かもしれない。本来のローズなら、ここまで けど、しょうがないじゃない? だって、私は十六歳。まだまだ子供なんだからっ! ぷっと頬を膨らませた私を見て、ブランシュはくすりと笑い声をこぼした。 「可愛いね、ローズ」 「もう、からかわないで。ブランシュの立場ってどういうこと? 私に記憶がないのは承知済みでしょ? ちゃんと、説明してよね」 金髪王子の笑顔にときめいている場合じゃないと、私はまなじりを吊り上げた。 「僕の母は娼婦だった」 「――えっ?」 「軽蔑した?」 青い瞳が私を真っ直ぐに射抜く。嘘をついても直ぐに見破られるのがわかったから、私は正直に言った。 「驚いただけ。軽蔑はしないわよ……だって」 私が覗き見たヴィエルジュという国の下層は、身体を売らなければ生きていけないような貧しさが、疲弊した町の人たちの表情に垣間見えていた。 娼婦と言うと、援助交際が頭に浮かんだけれど、この世界にある現実はお小遣い稼ぎに安易に性を売るのとは違う。 生きていくために、どうしてもしょうがなくて、売り買いされる厳しい現実があるのだと思う。 私は女だもの。好きでもない人に身体を触られたら、鳥肌が立つわ――援助交際をしている子は、そんな感覚も薄いのかもしれないけれど――お金を貰っても、お断りだ。 それでもこちらの娼婦が止むなく身体を売るのは、そうしないと生きていけないから。 物欲を満たすため――もしかしたら、寂しいから誰かに甘えたいのかもしれない―― 一時の考えで安易に援助交際をする子たちが抱えた現実とは違う、ずっと重くて切実な現状がここにはあるのよ。 ……認めたくはないけれど、娼婦に身を落とさなきゃ生きていけない人々を、この国は作り出しているの。私はその一端をこの目にしたから、見なかったふりはできない。 胃の辺りがキュッと絞られるのを自覚した。女王になるからには、私がこの現実を変えなければならない。 私はキッと決意を固めた瞳でブランシュを見つめた。 そうして、苦しい世界を背負って生きてきた人のお腹から、生まれたこの人の血にどんな血が流れていたとしても……。 「それでも、ブランシュはブランシュでしょ?」 私が告げれば、「それをさらりと言うところが君の凄いところだね」と。 「――ローズがローズであるように、ね」 ふわりとそよぐ風のような柔らかな声で笑い、ブランシュは言ってくれた。 |