25,愛のかたち 「僕の母は娼婦だけれど、実際に客をとったことはないんだ。彼女の夜を僕の父がすべて買い占めたからね」 「ブランシュのお父さんは……」 「一応、貴族だよ。だから、ローズが「星」に選ばれたように、僕も「太陽」に選ばれたのは、父から受け継いだ貴族の血によるところが大きいと思う。でも、僕自身は 「……あ」 ここにも身分の差があった。それを知って、私の頭の中でぐるぐると色々な考えが巡る。 ブランシュも大人の事情で親に愛されなかった子供なんだろうか? ブランシュとヴェールの仲がいいのは、似たような境遇だから? 思考に沈んでいたら、ブランシュの声が降って来た。 「誤解させるような言い方をしてしまったね」 絹の感触が、私の額に触れた。知らずに眉間に皺を寄せていたらしい。指先で突かれて、私は眉を下げた。上目遣いに、ブランシュを見上げると、穏やかで吸い込まれそうな透明な青色が私を静かに映していた。 「父は娼婦であった母の夜をすべて買ったけれど、母が売り物であった間は指一本、母に触れることはなかったんだよ」 「……そう、なの?」 「父は何と言うか、貴族らしくない人なんだ。裏表がない、無垢な人間でね。困っている人を見ると放っておけない性質なんだ。父は自分では小心者だって言っているけどね」 「小心者?」 「自分だけが幸せでいるのが――申し訳なくて、悪いことをしている気になるんだって」 お父さんのことを語るブランシュの瞳はすごく優しかった。ヴェールの不器用さをしょうがないと温かく包みこむような、そんな感じが今も彼から感じる。 ブランシュは、裏表のないヴェールの性格を好んでいるんだろう――ヴェールのそれは感情を知らないゆえの実直さでもあるだろうけれど――そして、同種のお父さんのことも好きなのね。 私、誤解していたわ。ブランシュのお母さんは無理矢理買われて、愛人にさせられたのだと思っていた。 貴族がこの国を歪めているけれど、全ての貴族が悪い人ばかりじゃないのよね。その辺りのこと、ちゃんと間違えないようにしなきゃ。 私は心に刻み込みながら、ブランシュの声に耳を傾ける。 「だから、貴族社会では完全に浮いていた。身分を偽って、下町へ出掛けては慈善活動――ボランティアと言った方が、ローズにはわかりやすいかな? そんなことをやっていたそうだよ。町の聖堂やここのような慈善施設の修繕などに手を貸して。そこで親しくなった男性と飲んだりするようになって、それで気が付いたら娼館に」 「 「いや。父が女性を知らなかったら、その男性は父の世界観を広げてあげようと思ったんじゃないかな」 ブランシュは苦笑する。 当事者にしたら、余計なお世話の迷惑な話だと思うけど、男の世界ってそういうことがありそうよね。 「そこで初めて売りに出された母と出会って、父は母に惹かれた。母はね、娼婦という逆境に落とされても、へこむような人じゃなくってね。自分の状況を変えようとする前向きな人で――ああ、ローズに似ているね。僕はやっぱり、父に似ているのかもしれないな」 ふと思い出したように唇が解かれ、ブランシュは白い歯を見せて笑った。 いつも笑顔を湛えている人だけれど、笑い方一つ一つに味がある。 優しく、穏やかに、無邪気に、悪戯っぽく――。 今は何だか、とても嬉しそうだ。見ているこちらまで、嬉しくなる。 「母に惹かれた父は、母の夜をすべて買い取った。母は買われた以上は、父のものになると言った。でも、心だけは売ってやらないとね、タンカを切ったそうだよ。父は母が誰かに汚されるのが嫌だから夜を買っただけで、お金で母のすべてを買ったつもりはないと――それを証明するために、母が売りに出されていた約十年の月日、母には触れなかった」 「―― 一途な人ね」 私は感嘆の言葉を口にする。 「うん、気が長いよね。でも、僕もローズ一筋だよ。ローズが望んでくるまで待つよ」 茶目っ気のある視線が私に笑いかける。 ……そ、それって、私がその気になるまで待っているということ? こ、この場合、なんて答えたらいいの? ありがとうって言うのは、変よね? わからないから、スルーするわ。わ、悪気があるわけじゃないのよっ? 「……ええっと、それで。お母さんはお父さんのことを好きになったのよね?」 そわそわと落ち着きなく目を彷徨わせながら――お願いだから、私に答えを求めないでと態度で訴えながら――問いかけた。 「うん。母は、堅物で真面目な父に心を許すようになって、父と母は結ばれた。でも、結婚は許されなくってね、父は表向き独身ということになっている。僕は母方の名を名乗り、父とは無関係の位置で騎士を目指した。周りがね、僕を 眉をひそめた私にブランシュは苦笑した。 「母は言わせたい人間には言わせておけばいいと言う人で、僕はそんな母を見ていたから気にしないんだけどね。でも、父は自分を責めるから」 しょうがないと言いたげに、肩を竦める。 「それなりの肩書を持とうとして、僕は十六のときに仕官の道を選んだ。ヴェールはその時には士官学校に席を移していたから、そこで出会ったよ。それから後はローズも知っての通り、割と優秀だったらしくて、「太陽」の騎士になっていた」 売女という単語が、胸に痛かった。 実際に、ブランシュのお父さんとお母さんは客と娼婦という関係にはない。 むしろ、純愛に近いものを感じるわ。 そんなに一途に愛されたのなら、私だって恋に落ちそうよ。 何と言うか、そのシチュエーションって、お、乙女の夢よね。そう思わない? 身分差っ! 少女向けの小説愛読者としては、その設定に乙女魂が燃えるわ。この場合、「萌え」と、表現すべきなのかしら。悲しいかな、私はその差をまだ理解できないんだけど。 なんにしても、この金髪王子のお父さんだから、きっと大層な美形に違いないわっ! 似ているって言っていたものね。それは性格的なものもあるだろうけれど、見た目も――乙女の妄想力は、ロマンテックな展開を我が身に置き換えて夢想する。 ヤバいわ、鼻血が出そうよ――あ、実際に鼻血は出さないわよ。あくまで例えよ――私、こんなに妄想する性質だったかしら? 一人で興奮している私に気づいているのか、いないのか。気づいていても見てみないふりをしてくれたのか。ブランシュは無感動に続けた。 「おかげで、僕もローズ同様に議会からは嫌われている。彼らにとって、優秀な子を残すために僕やローズの魔力や血は欲しいけれど、貴族ではない存在が自分たちの上に立つのが許せないみたいでね」 私は我に返り、青い瞳を見上げた。 グルナ議長や副議長に対して、ブランシュの態度がやけに冷静かつ好戦的だったのは、議会がローズの敵だからではなく、ブランシュ自身にとっても敵だからなのかもしれない。 「……ブランシュは議会が憎い?」 私はそっと尋ねる。 「僕は――彼らの価値観を正したい、そう思うよ」 「そうね。貴族だって悪い人ばかりじゃない、ブランシュのお父さんみたいな人だっているんだもの。議会の人間全員が敵ってわけじゃないわよね?」 「そうだね、ローズが議会と対等に渡り合うことができたのなら、僕ら側についてくれる議員や貴族も現れると思うよ」 ブランシュの言葉に私は頷く。 敵は女王の命を狙おうとする輩だ。ローズと同じように標的にされることを恐れて、息をひそめている人たちの弱さをなじることはできない。 何故なら、そんな人たちを守るのが女王なのに、私はまだ何もできていない。 まずは、私が動かなければならないのだと、もう何度目になるかわからない決意を刻んで、 「私――がんばるから……」 だから、力を貸してね――と、ブランシュに声を掛けようとした瞬間、何かが破壊される音が私の鼓膜を叩いて、足元が揺れた。 |