26,襲撃 衝撃が襲ってきた。 ――地震? 膝が砕かれる。身体を揺さぶられて転倒しかける私を、ブランシュの腕がからめ捕り、腰を屈めた彼の胸の中へ保護された。 聴覚が麻痺しそうな轟音の中、頭上から降って来る埃くずを、ブランシュはマントを広げて防ぐ――マントって、ただの飾りじゃなかったのね。 「何……?」 開いた口にざらついたものが入り込んできて、喉を刺激した。 混乱に取り乱しそうになる身体を、私は必死に押さえつけ、ブランシュの胸にしがみついた。 破壊音に交じって、建物全体が軋む。 パンと圧力に耐えかねたガラス窓が弾け、割れる音がした。シャリシャリというその音色は、細かく砕かれたガラスの破片が舞い散り降り注ぐ音だろう。 膝をついた床に、鋭利な雨が降り注ぐ。 幸いに、肌を傷つけることがなかった凶器の雨が降り止むのを待って、ブランシュは私の腕を掴んで立ち上がった。引っ張られる形で、私も立ち上がれば開けた視界に飛び込んできたのは穴が空いた天井だった。 老朽化が進んでいたとはいえ、いきなり屋根に穴が開くものなの? 驚愕に絶句しながら、本来なら空を覆っていたものが落ちた先に目をやった。吹き抜けになっているから、落ちた建材はヴェールや子供たちがいた玄関ホールへ真っ逆さまだ。 ――み、皆は無事なのっ? 私は下を覗き込もうとしたけれど、手すりに触れた刹那、今の振動でもろくなっていた手すりは根元から折れて階下へと落下していく。私も駆け寄った勢いで落ちそうになるところを、ブランシュの腕が阻止してくれた。 再び、彼の腕の中に保護され、白い服の胸へと頬を預けながら、私はガチガチと歯を鳴らした。 落下しそうになった一瞬に垣間見たホールの惨状。屋根の建材がそのまま、ホールに落ちていた。 天井を支えていたアーチは粉々に砕け、梁は、十字架のように瓦礫に埋もれた床を大地にしてそびえたっていた。 あの重量の落下物の下敷きになって、無事でいられるだろうか? 目の前が暗くなり、恐怖が悲鳴という形を作り、喉の奥からこぼれそうになったとき、冷静なブランシュの声が響いた。 「――ヴェール、ディアマン、無事か!」 鋭く飛ばされた声に、ドンという音が混じる。 「ブランシュ、ローズはっ?」 階下から問いかけてくる怒鳴り声は、間違いなくヴェールのものだ。私はブランシュの胸から顔を上げて、青い瞳が見つめる先を目で追った。 二つの円が瓦礫を押しのけて、出来上がっていた。二人の騎士を中心に出来あがったその円の中に、子供たちはいた。ヴェールは両脇に二人の子供を抱え込んでいる。子どもたちは、驚いて泣き出しそうにしているけれど……。 「ローズに怪我はない。二人は?」 緊急時だからだろう、ブランシュの声が端的に飛ぶ。 「俺は「月」の騎士だぞっ!」 怒ったような声が返って来た。心配されたことが心外だと言いたげな声の響き。声にぶれはなく、怪我なんてなさそうだけれど、元気があまりあるその怒声に驚いたのか、ヴェールが抱えていた女の子たちから泣き声が弾けた。 「男なら、泣くなっ!」 ヴェールが苛立たしげに声を荒げるけれど、ちょっとアンタ、よく見なさいよ! その子たちは女の子だからっ! っていうか、状況を見なさいっ! これ以上怯えさせて、どうするのよっ! 私は動揺している自分を活気づけるために、心の内側で――声を出すには、私の心は冷静さを取り戻せていない――ヴェールを怒鳴りつけた。 ディアマンがヴェールから子供たちを引きはがしながら、こちらを見上げてきた。 「私も子供たちも無事です。ヴェール様の守護の魔法が間に合いました」 屋根が落ちる寸前に、ヴェールが魔法を発動させていたらしい。 ホッと息を吐き、胸を撫で下ろすとともに、私はこの場にいないグリシーヌたちの安否が気になった。院長の部屋は無事だから、中にいた院長は大丈夫だろう。 声を掛ければドア越しに「大丈夫です」と、応えてくれた。 「しばらく、様子を見るためその場に待機していてください」 ブランシュに応える院長の声はしっかりしている。怪我はないみたい。 院長室には大した家具もなかったから、何かの下敷きになっているという事態は回避できたのだろう。物がないという質素さが、この場合幸いだったと言える。 でも、グリシーヌたちがいた台所は、物が一杯あったから怪我とかしていないかしら? 火を取り扱っていたら、火傷をしている可能性もある。 地震で怖いのは建物崩壊と火事だ。 階下へ走り出した私を、後ろから追いかけてきたブランシュが引きとめる。 「ローズ、危ないから動いたら駄目だ」 「でも、グリシーヌが……」 大階段を二段ほど降りかけていた私は、ブランシュを振り返った。こちらを心配そうに見つめる青い瞳。その彼の肩越し、屋根に空いた穴の向こうに私は黒い人影を見た。 「ブランシュ、誰かいるわっ!」 反射的に叫んだ私の声に、ブランシュの顎が上向く。白い首筋が伸びあがると同時に、穴の淵に見えた人影が屋根を蹴って、こちらに落下してくる。 ――その数は五人、六人、七人っ? 銀の一閃が煌くと同時に金属音が響いた。 私を背中にかばったブランシュが腰から剣を引き抜いて、落ちてきた人影が振り下ろした刃を受け止めていた。 落下の速度に乗って落ちてきた刃は重い。それをブランシュは手首を翻して流し、弾き返す。 網膜に焼きつく白刃の閃光。 襲撃者のうちの三人が私とブランシュを取り囲んだ。残りの四人は二手に分かれて、ヴェール、ディアマンへと襲いかかっていた。 ヴェールはキッと 「ディアマン、お前は結界を維持しろっ! ガキどもに手を出させるなよっ」 そう一言吐いて、漆黒のマントを躍らせて、足場の悪いなか飛び出す。 「了解しましたっ」 剣を抜きかけていたディアマンは、子供たちに動かないよう指示した。落下物から子供たちを守った半円の守りの魔法を、そのまま楯にするつもりみたい。 その楯は、どれぐらい持つものかしら? 「月」の騎士であるヴェールの魔力は、一般人が持つ魔力よりずっと強いだろうけれど……。 四人相手に、ヴェール一人で大丈夫なの? そんな心配をしている余裕がないことを私は思い出した。 ブランシュは私と言うお荷物を抱えて、三人と対峙している。しかも、階段でっ! 「僕に刃を向けたからには、それ相応の覚悟は出来ているんだろうね?」 ブランシュの瞳が襲撃者たちに対して、冷たく凍った。口元に冷笑を浮かべて続ける。 「僕は質の悪い冗談は嫌いだよ」 回廊に立った男たちが距離を縮めてこようとした瞬間、ブランシュの唇が結ばれ、笑みが消えた。青い瞳だけが変わらずに冷たく、剣呑な光を宿した。 ブランシュは一歩踏み込んで、剣を躍らせる。白刃が舞う。 それは本当に舞のようだった。剣が剣ではなく、ブランシュの身体の一部のようにしなやかに唸り、意思を持って動く。 空を泳いで切り返し、周りを取り囲んだ三人の男たちが振り下す刃をことごとく跳ね返す。 金属のぶつかる音が宙で幾つも響いて、火花が弾けた。 ひらりと舞い踊る純白のマント。打ち合う金属音は鈴の音かと聴き間違うほど澄んでいた。乱れる金髪さえ、計算され尽くしたように優雅にたなびく。 見えない結界が敷かれたかのように、敵は今一歩、踏み込めずにいる。 一人の男が決め手に欠ける劣勢を打破するべく、姿勢を低くしてブランシュの胸元に飛び込んできた。 ブランシュは身体を半分反らして、突きをかわす。前のめりで突っ込んできた男の後ろに回って、首筋を剣の柄で突いた。 突進の勢いを殺し損ねた男は大階段をもんどりうって転げ落ちていく。 転落の様を見送った私がブランシュに目を戻すと、金髪王子は落ちた男がいたスペースに割り込んで、二人の男を相手にしていた。 まだ二人と思ってハラハラしたけれど、三人の同時攻撃をしのいでいたブランシュは、一人を片づけたことによって今まで以上に動きの冴を見せた。 しなる腕が剣を振り下ろす。 斬りつけられて、左側にいた男の胸から腹にかけて朱色の線が走った。服が引き裂かれ、肉が断たれる。 切れた血管から飛び散る――赤。 宙にポツポツと咲いた鮮血の花に、私は息を呑んだ。 |