２７，標的 「ぐわっ」 絶叫を上げて仰け反り倒れる男の姿が、ブランシュのはためくマントの影に隠れ、床に重たいものが落ちる鈍い音が私の鼓膜を叩いた。 続いて、ブランシュの剣は水平に動く。仲間を討たれて、一瞬棒立ちになったもう一人の胸を裂いていた。 再び、床に倒れる音に、身が竦む。 この世界では真剣で命のやり取りが成されていることを改めて思い知る。 十六年暮らしていたあちらの日常が、本当に平和だったと思う。勿論、あちらでも争いはあったし、殺人事件もあった。 でも、目の前で人が斬られるなんて現実を想定して、私は生きていなかったから、血の臭いの生々しさに戦慄した。 足が震えて、階段を踏み外しそうになった私をブランシュの腕が捉まえてくれた。 「ローズ、僕の傍から離れないで」 伸びてきた左腕が私の腰を抱き、右腕は剣を楯にするように掲げて、言った。 「でも私、邪魔じゃ……」 こんなに密着していたら、動きが制限されてしまうでしょ？ キン――という音が別方向でも聞こえた。ホールでヴェールが戦っている。 「太陽」であるブランシュと同等の地位を持つ「月」の騎士の肩書は、伊達じゃないらしい。四方を囲った男たちの剣を、腰を屈め重心を低くした位置から、剣の一振りで ブランシュの綺麗な太刀筋に比べたら、大振りで力が先行した荒っぽい剣だ。 ヴェールらしいと思うけど、荒があるから隙ができやすい。 突いてくる剣を受け止めて、力任せに弾き返せば、ヴェールの無防備な胸元に別の剣が入り込んでくる。 ヴェールは床を蹴って飛び退りながら後ろに下がると、着地で一転、前に飛び出して腕を払う。剣は男たちの剣を弾いて飛ばす。 しかし、その腕の切り返しが遅い。一瞬の間に、別の男がさっきの男と入れ替わって襲い掛かる。 その時には、ヴェールの剣も手首を返して男を力任せに吹き飛ばしていた。 けれど、ブランシュのように相手を仕留めていないから、弾き飛ばされた男たちは立ち上がってまた襲撃に加わる。 ヴェールの剣は一対一には強いと思う。でも、多勢に対してはやや歩が悪い。 「助けてあげなきゃ……」 「余計なお世話だって怒られそうだけど、ローズの命令じゃ仕方がないよね」 クスリという笑い声が耳朶を撫でたかと思うと、私の身体はふわりと浮きあがった。 何事かと目を見開けば、憧れのお姫様抱っこをされていた――私の身長じゃ、無理だと思っていたから、びっくりよっ！ ブランシュは私の体重なんて関係ない様子で、階段を数段駆け降りると、いきなり跳んだ。 ――跳んだっ？ 飛んでるっ？ その高さ四、五メートルはあるだろう。空を裂く音が もしかして、魔法……？ 目を白黒させていると、床に下ろされた。足場は屋根の建材がそのまま波打ったように落ちている。こちらも、かなり足場が悪い。 一緒に、付いてきて――殆ど、強制連行だったわけだけれど――良かったの？ 邪魔じゃないかしら？ 「何で、ローズを連れて来るんだ、ブランシュ！ 危ないだろっ？」 同じことを思ったらしいヴェールが男たちの剣を弾き返しながら吠えれば、 「――君は、ローズを守る自信がないの？」 金髪王子は涼しげな顔で、ヴェールを挑発した。 魔王面の濃い眉の間に刻まれた皺が深くなる。足場の悪さなどお構いなしに地団駄踏んで、噛みつくように大口を開く。 「こんな奴ら、俺一人で十分なんだよっ！」 声を張り上げると同時に、剣をひと振り。今までは手加減していたのだろうか、あっさりと二人の男たちを叩き伏せた。 もしかしたら、私の安全を確保するための時間稼ぎをしていたのかしら？ 力技で押したのだろう、襲撃者たちは腕を押えて呻いている。 他の二人はヴェールの魔王然とした雰囲気に恐れをなしたか、ジリッと後退しヴェールから距離を取った。 そこへ殺気立った空気をまとい、ヴェールが一歩踏み出した。空を裂いて剣を振り下ろす。 一人が上段から振り下ろされる剣を受け止めている――力負けして、床に片膝をついた――間に、もう一人の男が何かを口にした。小さな筒みたいなものに、私は吹き矢かと思ったけれど、吐き出されたのは高音の笛の音。高らかに響く音に、再び建物が揺れた。 振動の発生源は立て続けに壁を叩く音だった。 まるで大砲でも撃ち込まれたかのように、壁が激しく震える。建物が軋む。既に頭上を覆う天井は落ちてしまったとはいえ、揺さぶられる振動に塵が降って来る。 「くそっ！ 何だってんだよっ！」 怒声を吐き散らしながら、ヴェールは二人の男を叩き伏せた。 建物内にいた襲撃者たちが戦意を失い、倒れるとヴェールは「《 それを合図に、子供たちを守るための敷かれていた守りの魔法が解けるのがわかった。一瞬、黒い狼が空を駆け、ヴェールの中に溶け込んだ――目の錯覚かと思ったけれど、緊張に研ぎ澄まされた私の五感が、その黒い狼はヴェールの魔力を具現化したものだと実感するの。 今ならわかる。私の中に魔力があること。 壁を叩いている攻撃も魔法だ。今、周囲に魔力が満ち満ちているから、わかってしまった。同じような力が、自分の中に存在すること。 「ディアマン、子供たちを連れて二階の院長室へ――《 ブランシュの声に呼応するように、白い鳥が現れた。大きな翼の鳥は実体があるようで、でも質量を感じさせない。 ――これも魔法だ。ブランシュの魔力が顕現したもの。 白い鳥は大きな翼を広げてディアマンや子供たちを包みこむと、空気に溶けた。 わざわざ形にして知らしめたのは、私と子供たちに守護の力があることを見せつけるためだ。突然の出来事に凍りついていた子供たちの目から不安が消えるのがわかった。 この世界の人たちは誰もが魔力を持っている。子供たちも同様だ。まだ、彼らの器が小さく、持てる魔力はたかが知れているけれど、魔力を感じる力はあるはず。 ブランシュの魔力は、子供たちに安心を植え付けるに充分の存在感があった。 さすが「太陽」の騎士に選ばれた人だと、微かに触れたブランシュの魔力に納得する。ヴェールの魔力も、粗野な印象を与えつつも力強さを感じさせた。 「皆、二階へ急ぎなさい」 ディアマンの促す声に被さるように、轟音が響いた。 振動が激しくなる。やがて壁に穴が空く。大きく穴が空いたそこから、再び人影が割り込んでくる。 第一陣の襲撃者たちの倍の数が、穴が空いた壁の向こうからやって来る。 その手には各々、冷たさを帯びた銀の剣が握られていた。 ――何なのっ？ 何なの、こいつら！ 「ディアマン、早く行けっ！」 ヴェールがブランシュと並び、襲撃者たちと向き合いながら声を飛ばす。弾かれるようにディアマンは頷き、私を振り返った。 「ローズ様もこちらへ」 怯える子供たちを上の階へと導きながら、私に向かって言う。 幼い頃と同じように差し伸べられる保護の手を反射的に掴もうとした瞬間、ブランシュに遮られた。 「ローズは僕の傍に」 「ブランシュ様？」 ディアマンが驚いたように目を瞬かせる。ブランシュを肩越しに振り返ると、緊張を その瞳を見て、私は気づいた。 「……私なのね？」 この襲撃の狙いが私――ローズなのだと知った。 「――私一人のために、皆が巻き添えになっているのね？」 ブランシュは何も言わなかったけれど、その沈黙が答えだった。 怒りに声が震えそうになる。胸の奥が熱い。 そして、私を殺そうとしている相手は、子供たちを巻き込むことを何とも思っていない。その事実に、私の思考は赤く染まった。 ぐつぐつと胸の内側で燃えたぎる感情に揺さぶられて、ゆらりと私の上半身は傾いた。そんな私を支えようとブランシュの手がこちらの腕を掴むけれど、私はゆっくりと払った。 「……ディアマン、お願い子供たちを守って」 私は階段で立ち止まっているディアマンを見上げて、声が震えないように低く吐きだした。 「……真姫……」 ディアマンは思わずあちら側での私の名前を口にした。その表情はやや頬が引きつっている。 「いや、待ちなさいっ！ お、落ち着いてっ！」 そうして、慌てたように言い募った。 十六年、私に付き添ってきたお父さんだから、既に私の性格は熟知しているのだろう。 そうして、私が次に起こす行動も。 ディアマンに背を向け私は声を張り上げた。 「――絶対、絶対っ！」 床を強く蹴りつけて、襲撃者たちに向きなおって大口を開く。 「アンタたち――許さないんだからねっ！」 |