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 28,赤く咲く花


 何度も言おう。
 私は売られた喧嘩は買う主義よ。それに、結構短気なの。
 私が大事にしたいと思う人たちを傷つけられそうになった。その事実を受け流せるほど、寛大でもない。
「人が大人しくしてればっ!」
 大声を張り上げる私の声に、ヴェールはもとより襲撃者たちも虚を突かれたらしい。一瞬、戦闘態勢を解いてこちらに視線を投げて来る。
「――大人しくしていたのか?」
 ヴェールがブランシュに小声で問うのを、私は聞かなかったふりをして続けた。
「調子に乗ってっ!」
「……誰が調子に乗ったんだ?」
「うるさいわねっ! 一々、突っ込んでんじゃないわよっ!」
 ――大体、アンタはボケ担当でしょうっ!
 ギッと、ヴェールを横目で睨みつけると、魔王男はすごすごとブランシュの影に隠れた。
 何よ、化け物に遭遇(そうぐう)したみたいな態度は。
 アンタの魔王降臨とたいして変わらないでしょ?
 何にしても、ヴェールがびびるほどに私の剣幕は、常軌を逸していたと言っていいだろう。
「行って」という、私の眼力に気圧されるように、ディアマンは頬を引きつらせ、子供たちを安全と目される院長室に連れて行った。
 とりあえず、子供たちは安心だろう。襲撃者たちの狙いが私なら、二人の騎士を前に戦力を割くことが愚行に等しいことは、先陣を切った者たちの惨敗が語っている。
 私の脳は、ぐつぐつと煮えたぎる怒りと、酷く冷めた思考に支配されていた。
 さっきまで、血の匂いや剣戟に畏縮(いしゅく)して、驚いていたけれど。今はもう怖いという感情はない。
 首元に剣先を突き付けられたとしても、私の中に渦巻いている怒りが恐怖を灰燼と化す。
 私にとって怖いことは、私自身に向かってくる刃や悪意じゃない。私の大切な人たちが傷つくこと、奪われることの方がずっと怖い。
 血縁なんて一つも残っていない私に――ローズにとって、この孤児院は家だ。子供たちは家族だ。
 心の拠り所になる大切な人たちを巻き添えにするなんて、許せない。
 だから、幾ら私自身に刃を突き付けようと、それは私を脅すことにはならない。
 逆に私の闘志を買う。
「ブランシュ、剣を貸して」
 右手を差し出すと、ブランシュはゆるりと首を振った。
「……いや、流石にそれは駄目」
「――どうしてよ?」
 眉を跳ね上げ睨む私に、金髪王子は眉尻を下げて、困ったような顔を見せた。
 怒りに燃えている私は、自分がしようとしていることがどれだけ無謀か、わからない。
 この激情に身を任せれば、周りを取り囲む襲撃者たちを負かせそうな気がするのに。
 唇を尖らせ不平を面に出せば、
「どう考えても、無理だろうが」
 ブランシュの肩越しに顔を覗かせながら、ヴェールが言ってきた。睨んでやると、目を逸らす。
「ローズ、君には君の武器があるはずだよ」
 優しく諭すように、ブランシュが言った。
「私の武器?」
「そう、本来なら君はこの国で一番強い。君の中に溢れる魔力は、国を守ると同時に滅ぼすこともできるんだ」
 ブランシュの指摘に、私は自分の左胸に手をやった。手のひらの下に刻まれた薔薇の刻印。
 ローズの魔法陣だというその薔薇が――脳内に閃く。
「……でも」
 魔法の使い方がわからない。
 自分の中に魔力があるのはわかるけれど、その力をどういう風に使えばいいのか、わからないわ。
 さっきまでの勢いを失くして棒立ちになった私に、周囲がざわめく。
 襲撃者たちがジリジリとこちらに距離を縮めてきた。銀の冷たい刃が閃光となって襲い掛かって来る。
 視界を切り裂く銀の一閃に、ブランシュとヴェールが私を庇うように前に出た。
 ガキン――と、ぶつかり合い弾ける金属音に、鼓膜が痺れる。私は一歩後退して、耳を覆った。
 二人は強い。何も心配は要らない。任せておけばいい。頭はそう、冷静に状況を見守る。
 でも、心が不安の小波にざわめく。恐怖が私の心臓をわし掴みにする。
 怖いのは、私自身が傷つけられることより、大切な人たちが傷つけられること。
 ブランシュもヴェールも、私にとってはもう、家族みたいな存在なのよ。
 例え、一筋でも傷を負って欲しくない。
 ねぇ、ローズ。……教えてよ、私はどうすればいいの?
「どうしたら、私は魔法が使えるの?」
 もう一人の私へ尋ねる心の声は、喉を通して表に出ていたらしい。
 振り下ろされる剣を弾き返しながら、青い瞳が私を振り返った。
「自分の中の魔力を捕まえるんだ」
「捕まえる?」
 問い返した私の視界に、ブランシュへと振り下ろされる剣。
 ――危ないっ! と叫ぶより先に、ブランシュは床を蹴って横にかわした。
 勢いで前のめりになった襲撃者の横面を、ヴェールが割り込んで剣の柄で殴りつける。顎が砕かれたのかもしれない。鈍い音がして、口元から血を吐きだしながら男は吹き飛んだ。
 ヴェールの背中を追ってくる剣を、今度はブランシュが下段から払い上げて、開いた胸元に靴底を入れ込む。蹴りを食らった男は胸を抱えながら、倒れた。
 嫌な音がする咳を繰り返すのは、肺へのダメージが相当に大きかったからだろう。ブランシュもヴェールも、手加減する気はないらしい。
 ここはそういう場だと、冷たい認識が私の頭に染みる。
 命を狙ってくる相手に手加減すれば、次の瞬間、こちらが命を落としかねない。襲撃者の数が多い状況、甘い判断は許されない。
 子供たちや委員長、グリシーヌが――グリシーヌはこの襲撃を察知して、アメティストが守ってくれていると思うけど――いるのよ。確実に危険の芽を摘んでおかなければならない。
 瞬きの刹那に立ち位置を交替して、二人の騎士は別の襲撃者を地に這わせていた。
 ブランシュとヴェールの連携攻撃は、息がぴったりだった。二人の仲が良いのは、こういったところにも現れるらしい。
 白いマントを躍らせながら、ブランシュは肩越しに私を振り返って言葉を続けた。
「魔力には形がない。それを形づけるのが魔法だ。ローズ、君の魔法は薔薇だ。君の中に咲く薔薇を見つけてごらん。それを捕まえれば、後は君の意思のままに、形を作り変えて開放すればいい」
 襲ってくる凶刃を払いのけながら、息を乱すことなく声を出す余裕が二人の強さを証明しているけれど、私の中の不安は澱のように滞っている。
「――薔薇……」
 ローズが私自身の胸に刻んだ花が――私の魔法。
 どこにあるの?
 一瞬、確かに意識の中に咲いていた。見えた。
 あの花は、どこに咲いていたの?
 周囲で響き渡る金属音と火花が心を焦らせる。床に倒れる音――勿論、倒れたのは敵だけれど、いつブランシュやヴェールが凶刃の犠牲になるかと思えば、気が気じゃない。
 駄目、今は集中して。
 自分に言い聞かせて、目を閉じる。
 混乱に入り乱れる意識を静めるように、強く願う。
 私はブランシュとヴェールの二人を――ううん、二人だけじゃない。私の大切な人たちを守りたいのよ。
 自分の内側に手を伸ばす。ローズの薔薇の花はどこに咲いているの?
 問いかける声に、何かが応える。明滅するように、赤く揺れるは……大輪の薔薇。
 そっと意識の手を花へと伸ばすと、まるで私の覚悟を試すかのように鋭く尖った棘がチクリと指を刺した。
 これはすべて意識の内側での、痛みだと思う。それでも、指先に膨れ上がった赤い血の玉はぽつりぽつりと、指先から滴り落ちる。
 赤い雫は、もしかしたらこれからの私を暗示しているのかもしれない。
 ブランシュが言っていた。
 ローズの魔力は国を守ると同時に、国を滅ぼすと。
 女王の魔力はそれだけに甚大だ――だからこそ、議会は管理できる女王を欲したのかもしれない。
 だけど、そこに正当性を持ち出し主張されても、やっぱり彼らの政策は認められない。
 貴族だけが平和ならいいの? こんな風に何の罪もない子供たちを巻き添えにして、弱い人たちを虐げて作り出した平穏は本当に価値があるものなの?
 少なくとも私には、欺瞞(ぎまん)に彩られた虚飾(きょしょく)の世界に価値なんて見出せない。
 だから、私は――ローズの意志を継いで、この国を変えるわ。
 私には、ローズとしての記憶は何一つとしてないけれど、ローズが大事にしようとしたもの、作り出そうとした未来は理解しているつもり。
 そして、それは私にとっても大事なものなの。欲しい未来なの。
「……だから、お願い」
 これから先、私がどれだけ傷ついて血を流すことになっても構わないから――私に大切な人たちを守らせてっ!
 痛みを問わずに、私は薔薇の花へと手を伸ばす。茎を掴んだ手のひらに食い込む棘が、皮膚を引き裂いて痛みが脳天を突き抜ける。
 それでも、手を放せない。放したくない。
 この薔薇は、私の武器。私の魔法。
 私が大事な人たちを――しいては、この国の人たちを守っていくものなんだから。
 薔薇よ、私に従いなさい。私の命を聞きなさい。
 私が――女王ローズよ!




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