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 29,刻印の記憶


 ギュッと握りしめる手のひらから伝う、赤い血。
 ……そして……。
 イメージが私の中に流れ込んでくる。
 いいえ、違う……。
 私は既に意識の中にいるのだから、流れて来るというより溺れるといった方が適切かもしれない。
 ローズの魔力に秘められていたそれは、記憶だとわかった。
 ――ああ、わざわざ胸に魔法陣を刻んだのは、私に伝えるためだったのね。
 巻き戻しの魔法で胎児に戻ることを見越したローズは、記憶を失くしてしまうことも予感していたのだろう。
 だから、魔法陣を自らに刻みこんで、記憶を残した。
 今、私が手にしたローズの魔力に触発されて流れ込んでくるイメージは、ローズが呪いを受けた瞬間のもの。
 ヴェールから手渡された品を受け取る私の手――それはローズの手であるのだけれど、イメージの中では私がローズになっていた。
 そして、プレゼントを開いたその時のローズの感情に、私は思わず叫んだ。
「――嘘よっ!」
 ローズが手にした品物は、孤児院からの贈り物だった。
 子供たちからの手紙が添えられたプレゼントは粘土細工の小さな人形たち。素気ない箱に詰められているけれど、拙い手が思い思いに作った愛らしい人形に、ローズを殺そうとした呪術が仕掛けられていた。
 私はローズの記憶を追体験しながら、「嘘よっ!」と、もう一度、心の中で繰り返した。
 ヴェールが不用心にローズに手渡したのも、ローズが警戒せずにそのプレゼントに手をつけたのも、子供たちからの贈り物にそんな仕掛けが施されているなんて思ってもいなかったからだ。
 だけど、ローズを狙う悪意は、子供たちの純真な贈り物に目をつけて汚した。
 疑うことなく贈り物に対して喜んでいるローズが次の瞬間、悲鳴を上げる。呪いが発動して、ローズの魔力を食らい尽くそうとする。
 内側から身体を引き裂かれるような感覚が襲ってくる。骨が砕かれる、手足が千切られそうな激痛がローズを苦しめ苛む。
 身体を折り曲げ、苦痛の声を上げるローズ。私の中に侵食して来る黒い闇。
 それは私を――ローズを蝕んでいく。
『――ローズっ!』
 ヴェールが悲鳴を上げて駆け寄って来る。ブランシュの姿もまた、ローズの視界に入りこんできた。
『何があったっ? ローズっ? ――ローズっ!』
 いつも落ち着いて見えたブランシュの焦った顔が、その時の混乱を如実に伝えてくれる。
 目の前で倒れたローズが巻き戻しの魔法を発動するのを成す術もなく見守るしかなかった二人の騎士の心を思うと、私は泣きたくなった。
『――ローズっ!』
 ブランシュとヴェールの悲痛な叫びが私の中でこだまする。ローズは二人に対して、何も言葉を残せなかった。
 それほどに呪いの進行は早かった。ローズの魔力が強大であったから、呪いは一瞬でその対象を見つけてしまったのよ。
 ローズは魔力を食らい尽くし、果ては命すら吸い取ろうとする呪いを自らから切り離すべく、巻き戻しの魔法を実行する。迷っている暇なんてなかった。
 そして、私の胸に刻まれた薔薇の刻印は、ローズが最後に残した記憶。それは、未来への希望。
 ローズは死ねなかった。だから、生き残るために胎児へと戻った。大切な思い出を失うことになっても、どうしても、彼女には成さなければならないことがあったから。
 その意志を――その赤い花を、私は受け継ごう。
「――ブランシュ、ヴェール」
 私が声を出すと、イメージが途切れ、開かれた視界に二人の騎士がいた。彼らは向かい合っていた敵を退けると、肩越しに私を振り返った。
「――ローズ」
「ローズ――」
 二人の声に、私は頷いて前に出る。そうして、私は自分の中にある魔力を解放した。
 視界いっぱいに薔薇の花が咲き乱れるような、錯覚。
 私の中からあふれ出す魔力は、薔薇の花の形をとって、魔法になる。
「《――薔薇よ》」
 私の声が場に響き渡ると同時に、赤い花弁が宙に舞った。
 蔦薔薇の茨がむちのようにしなり、それは襲撃者たちにまとわりついて、彼らの動きを拘束する。
 棘が襲撃者たちを苛んで、あちらこちらで悲鳴が上がり、手にしていた凶器が落ちた。
「《咲きなさい、薔薇よ!》」
 再び、声を張り上げる。それに応じて、私の中から放出される魔力が、赤い薔薇を咲かせて、
「《舞いなさい、薔薇よっ!》」
 薔薇の花が散り、一片一片に分かたれた花びらが、赤い力の奔流となって空を渦巻いて、襲撃者たちを翻弄した。
「《眠りなさい、薔薇よ》」
 私は魔力を操る。ブランシュに教えて貰ったように、魔法に形を与える。
 甘い薔薇の芳香(ほうこう)は、眠り薬。そうイメージして、彼らの意識を強制的に眠りにつかせた。
 次々と膝をつき、崩れ落ちていく襲撃者たちは、身体を重ねるようにして眠りに就いた。
 やがて、満たされる静寂を割って、ブランシュの声が私の耳朶に触れた。
「――御苦労さま、ローズ」
 青い瞳が辺りを見回し、すべてが片付いたことを確認する。
「……うん、あのね……」
 私は二人に近づこうとして、躓いた。バランスを崩して転びそうになるところを、音もなく伸びてきた二人の騎士の手が私を支えた。
 温かな二人の腕に身を預け、私は重たくなる瞼をゆっくりと閉じる。
 魔力を使えば疲労するとグリシーヌが言っていた。
 まだ使い方が雑だから、疲労が先立ったみたい。
 魔力を使い過ぎたとは思わない。さっきのあれは、薔薇の花弁の一片程度の小さな魔法だ。私の中にはまだまだ膨大な魔力が眠っているのを感じるわ。
 それは怖いくらい、甚大な力。国を滅ぼすと言ったブランシュの言葉が嘘ではないと感じさせるほどだった。
 ただ、今はその魔力を上手く使えなくって、小さな魔法を一つ発動させただけなのに凄く疲れる。何だか、身体の一部を削り取られたかのような疲労感。手足の感覚が薄い。
 魔力を上手に使う方法を覚えなくっちゃ、こんなことじゃ国を守るなんて身体がいくらあっても足りないわ。
 ……でも、この力があることで大事な人たちを守れると思えば、私は私の内側に咲く赤い花を大切にしようと心に決める。
 それにしても……本当に疲れる。足元がふらふらして、身体が重い。酷く眠い。
「……お休み、ローズ。後のことは、僕らに任せて」
 ブランシュの穏やかな囁き声に、私は頷く。
 優しい温度が私を包み込むのを感じ、眠りへと落ちながら私は呟いた。
 ……あのね、ローズは国を変えることを諦めるつもりはなかったの。だから、胎児に戻った。魔力を失い無防備になることを恐れなかったのは、二人の騎士がいたから。
 そこにある信頼をローズは最後まで信じていたの。
 それを伝えたくて、ローズは私の胸に薔薇の刻印を刻んだのよ。




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