目次へ  トップへ  本棚へ


 31,糸の先


 目に見える感情の方が実にわかりやすくて、寝室で感じた背筋を寒くした不安は、私の中で静かに凪いでいった。
「……グリシーヌは苛められたの?」
「今頃思い合ったみたいに言うなよっ! アンタは貴族が俺たち庶民をどう見ているか知っていたはずだろっ? そんな国を変えるとか、かっこいいことを言うのは構わない。だけど、アンタの大義に姉さんを巻き添えにして、結果はどうだ!」
 声を叩きつけると同時に、アメティストは握った拳を近くの壁にぶつけた。それは私にぶつけたかった怒りだろう。
「侮辱され、蔑まれて――挙句に、知らない世界に連れていかれてっ! 帰ってきたら、婚期が過ぎているときた。周りの女たちに何と言われているか知っているか?」
「…………」
「可哀そうと、口では同情されているけれど、侮蔑以外の何物でもない。薄ら笑いで姉さんを見下す。それをいたのは、アンタだろ、陛下」
「……でも、グリシーヌは……」
 何事もない顔で笑っていた。私に心配かけたくなかったから?
「そう。嫌な目にあっても、姉さんが口にするのはいつだってローズ様っ、ローズ様っ、ローズ様だっ!」
 腹立たしいと言いたげに、歯を鳴らす。
 歯ぎしりの音に歪む顔を見上げて、私は問う。
「お姉さんを取り戻したかったから、ローズを殺そうとしたの?」
 ローズを殺そうと、呪いが仕掛けられた孤児院からの贈り物。
 あの品を調達した人間は、ローズがその品に対しては警戒しないことを知っていた人間だ。
 ローズが孤児院育ちであることがどれだけの人に知られているのか、わからない。もしかしたら、公然の事実なのかもしれない。
 だけど、孤児院からあの贈り物を調達できる人間はそう多くないだろう。
 子供たちが自主的に贈り物を作ったとしても、王宮へそう簡単に届けられるものだろうか? 院長が受け取って貰える手筈もなしに、子供たちに作らせるとも思えない。
 仲介する人物がいたはずだ。
 そこで私が思い当たったのは、アメティストだった。
 アメティストなら、院長に掛け合うこともできるだろう。呪いでローズが倒れれば、自分の元にグリシーヌが帰って来るんじゃないかと安易に考えて、実行に移したら?
「……もし、そうだとして。証拠は?」
 アメティストの声は慎重だった。怯えているようにも、とんでもない話に呆れているようにも聞こえる。
 どっちだろう? 紫色の瞳に真相を探すけど、わからない。
「――ないわ。第一に、貴方が主犯だとは思えない」
 私はゆるゆると首を横に振った。
 この国の女王を――国一番の魔力を持つ人間を――殺そうというものだもの、その呪いは一人の人間の思いつきで生み出されるような程度のものではないと思う。
 アメティスト一人が実行したとして――例え、一年前のそれがアメティストによる計画だったとして、昨日の襲撃も?
 あんなに大勢の襲撃者を雇えるとは思えない。
 アメティストがローズの暗殺計画に一枚噛んでいたとしても、彼が主犯じゃない。協力者がいるはずだ。
 それは議会の人間なのだろう。多分、そいつがアメティストをそそのかしたんだと思う。だって、いずれ騎士か軍人になろうとして士官学校に入ったとはいえ、アメティストにはローズがいた王宮は遠すぎる。
 だけど、そこでまた私は疑問に突き当たった。
 じゃあ、アメティストと議会を繋いだ人間は、誰? ってこと。
 ヴェールに引き抜かれて「月」の騎士団の一員になったアメティストだけれど、それまでは士官学校にいたわけよね。どう考えても議会との繋がりはないように思えるのだけれど。
 第一に、アメティストがローズと少なからず縁を持っているという情報は、どれぐらいの人間が知っていたの?
 ……何かしら? まだ私が知らない情報があるのかしら?
 ローズの記憶があればいいのに。唇を噛んで、私は踵を返す。
「おいっ!」
 追いかけて来るアメティストを、私は肩越しに振り返った。
「もし貴方が私を殺そうとしていたのなら、直接私を殺しなさいよ。誰かを巻き込むような真似はしないで」
「――オレは」
 続く言葉は否定か、言い訳か。私は聞く耳を持たなかった。
 今の段階で真相を知ってしまったら、私はアメティストを断罪しなければならない。
 でもそれは、トカゲの尻尾切りになる予感がした。多分、協力者もその辺りを見込んで、アメティストを巻き込んだんじゃないかしら?
 本当の首謀者を捕まえなければ、意味がないのよ。
 だから答えはお預け。私は話を切り上げるように、口を挟んだ。
「グリシーヌのことは謝るわ。でも、私もグリシーヌが大好きなの。彼女が私の傍にいてくれると言う限り、私からグリシーヌを切り離せない」
「……姉さんは……きっと、アンタを選ぶ」
 それを認めるのが嫌だと言うように、アメティストは拳を握った。
「それでどれだけ嫌な目にあっても、嫌な思いをしても……アンタが世界を変えると信じてる」
 グリシーヌにとって、「ローズ」はきっと、希望だったんだわ。
 孤児院という底辺の世界で育ったグリシーヌ。彼女は忍耐強いから、そこでの生活に不満を上げることはなかったと思う。
 けれど、自分だけならともかく、弟や小さな子供たちが虐げられている環境を見つめ続けるのは、辛かっただろう。
 そんなグリシーヌは「ローズ」の思想に希望を託した。きっと、彼女のローズに対する思いの強さはアメティストや孤児院の子供たちへの思いと同じ。
 アメティスト、アンタは間違っている。ちゃんと、グリシーヌは貴方のことを思っているのよ?
 だから、王宮で阻害されることになっても「ローズ」に従った。ローズが世界を変えてくれると信じたから、どんな嫌な目にあっても耐えた。
 ありがとう、グリシーヌ。私、その信頼に応えられるように、がんばるわ。
「強い人よね。だから私、グリシーヌが大好きよ」
 そして、紫色の瞳を見上げて私は宣戦布告する。
「彼女を悲しませる奴は、例えグリシーヌの弟だって容赦ようしゃしないわ」
「――ローズ……」
 アメティストは不意に、私のことを思い出したように、その名を口にした。
 孤児院で一緒に育ったのなら、ローズの性格を知っているはずだ。そして、その性格はどうやらそのまま私に受け継がれているらしい。
 ならばわかるでしょう? 売られた喧嘩は買う主義なの。
 牽制するように睨んで、私はアメティストをその場に置き去りして彼が向かおうとしていた廊下の先へと歩き出す。
 アメティストは追いかけて来なかった。彼が黒か白かわからないけれど、黒であるならもう二度と動かないで欲しい。
 そうすれば、ブランシュとヴェールがいいようにとりはかってくれると思う。
 何事もなかったように鞘に収まれば、グリシーヌも傷つかずに済む。アメティストに関しては、今後何事もなければ許していい。
 最初に、彼からお姉さんを奪ってしまったのは、間違いなくローズだったのだから。
 だから、一度だけのあやまちなら、水に流す。
 廊下で一悶着を起こしてしまったことに後悔するけれど、幸いにここは女王と二人の騎士たちの私室がある場所。私の状態が落ち着くまで、ブランシュによって人払いされ、誰彼と近づいてはいけない区域なので、誰にも聞かれていないはずだ。
 とにかく、ブランシュかヴェールに私の推理を聞かせなきゃ。
 二人なら、私が持っていない情報を持っているはずだから、ローズ暗殺を企む首謀者の名前を導き出せるかもしれない。
 そう小走りに廊下を走っていると、耳に馴染みのある声が聞こえた。
 物置部屋だろうか、廊下から奥に入り込んだところに小さなドアがある。
 その扉の向こうから、聞こえてくる声は――ブランシュ?
 私は足を止めて、ドアへと近づく。
 もう既に声の主が誰なのかわかるまでに、私の耳に馴染んでしまったいつもは柔らかな声が、淡々と感情を宿すことなく硬質に語っていた。
「――子供たちの身柄は、そのままローズに対する人質になります」
 私は思わず息を呑む。
 子供たちという単語が意味するところは他でもない、孤児院の子供たちだろう。
 ……どういうこと?
 私は激しく鳴り出す心臓を制服の上から抑え込んだ。鼓動が私の身体の中でおさまりきらず外に響いてしまいそうだった。
 ドアの向こうにまで聞こえるんじゃないかと思うほどに、鼓動が鳴る。痛いくらいに、心臓が伸縮している。
「だからこそ、預けます。くれぐれも切り札を奪われないように、注意してくださいね。ローズが覚醒する前に片をつけますから」
 一つ一つの言葉が慎重に語られていた。その意味深な内容に、私は足が震えて立っていられなくなった。
 ……何の話をしているの?
 床に座り込んだら、ちょうど鍵穴部分に目線が合った。
 顔を近づけて覗けば、小さく切り取られた空間にブランシュの横顔。
「このことを知るのは?」
 問いかける声にも聞き覚えがあった。
 でも――どうして……?
 だって、二人は敵対していたはずなのに。
 私は目を見開いて、中の様子を確かめた。
 青い瞳が向けられる先にある黒いシルエット――それは。
「………………長……?」




前へ  目次へ  次へ