32,迷宮迷走 「誰も知りません。誰にも語れるはずがない、そうでしょう?」 そう告げるブランシュの声に頷くのは、でっぷりとした丸っこいシルエット。副議長のテュルコワーズだ。 ……何で、二人が? こんな人目を憚るように隠れた場所で……。 密会――という単語が頭を占めれば、想像は悪い方向へと走って行く。 アメティストではなく、ブランシュが議会と繋がっていた? 副議長とつるんでローズの暗殺を企んでいたの? もしや、ブランシュがアメティストを操ったの? でも、どうして? だって、ブランシュはローズの騎士でしょ? ブランシュは議会と敵対して――そこまで考えて、私は首を振った。すべては、ブランシュの口から出たことだ。 ローズを暗殺しようとしているのは議会ではないかと言っていたこと。 ブランシュがその出生から議会に睨まれているということ。 私が知っている情報はすべて、ブランシュの口からもたらされたもの。意図的に嘘をつかれていたら、私には何が真実かわからない。 ガクガクと顎が震える。 すっかり信じていただけに、目の前の事象に対応できない。 想像はただひたすら、坂道を転がるように、悪い方向へ向かっていく。引きとめる術も軌道修正する余力も、今の私にはない。 「……――っ」 誰かにこのことを――そう思いあたって私は顔を上げる。 でも、誰に? ……誰に相談すればいいんだろう? わからなかった。 一番信用していたブランシュが副議長と繋がっていたのよ。アメティストにも疑惑がある。 身の回りの、ローズを守ってくれるはずの人たちが信用できない。 ……ヴェールだって……議会の息が掛かっているかもしれない。あの人は先々代の女王と騎士の子供だ。議会が作った学院で騎士候補として育てられている。 グリシーヌもディアマンも、信じていいんだろうか? 十六年、私を育ててくれた愛情を疑う必要なんてないはずだ――そう思うのに、自分の記憶すら信用ならない。 大がかりな騙しが仕掛けられていたとして、私にはどこからが嘘でどこまでが真実かなんて、わからないの。 ただ、私にあるのは私が感じた感情だけ。 今は――逃げたかった。何も聞こえないところへ。何も見えないところへ。 その意志で身体を起こす。立ち上がるために伸ばした手がドアを引っ掻いてしまった。 戸板の向こうで人が動く気配がする。 身体を起こして一歩退いた瞬間には、私の額を掠めるようにドアが開いてブランシュが飛び出していた。 青い瞳が左右に振れ、辺りを探る。でも、私の姿はブランシュの目には映らない――どうやら、魔法が成功したみたい。 私は足音を立てないように、極力、気配を殺して距離を取る。騎士であるブランシュをどこまで誤魔化せるものかと心配したけれど――魔力に関して言えば、私の方が強い。見つかりたくないという気持ちが魔法となって、ブランシュの感覚を狂わせているのかも知れない。そして、――副議長の声がブランシュの集中を遮った。 「何かあったのかね」 室内へと目線を戻しながら、ブランシュは応える。 「人の気配がしたのですが……。何にしても、もう解散した方が良さそうですね。もし、僕と貴方が一緒にいるところを見られたら、今まで仲が悪いふりをしてきた意味がなくなります」 ブランシュの言葉に私は息を呑む。やっぱり二人は繋がっているらしい。それを周りに覚らせないよう、芝居していた。 「……ああ」 どこか悄然とした声が部屋の奥から聞こえた。副議長を振り返って、ブランシュは言った。 「そんな顔をしないでください。もう直ぐ、片がつきます。先日の襲撃で、あちらも焦り出す頃でしょう」 あちら――私のこと? 確かに、私は自分のせいで皆が巻き込まれている事実に焦っている。早く片をつけなければ、周りの人間を酷い目にあわせてしまうのだから。 「後は餌に引っ掛かるのを待つだけです。既に、餌は撒かれた。きっと簡単に引っ掛かります」 「そうだろうか」 「そうですよ。そのために、子供たちを隠したのです」 孤児院の子供たち……それを掌握したのは、私をおびき寄せるための罠? 「この餌をつるせば、きっと話に乗って来る。何故なら、もうあちらには手立てがないのだから」 「そうかも知れないが。良いのかね、こんなことをして。……きっと、女王陛下は」 何かを告げようとした副議長の言葉を遮って、ブランシュは笑った。 「ローズのことだから、怒るでしょうね。それでも、僕はローズの騎士になったときから、こうすることを決めていました。例え、汚れ役を演じることになろうと、構わない――僕は僕が決めた道を歩きます」 そう告げるブランシュの決然とした冷笑に、私は戦慄して凍った。 「――それでは、僕は先に行きます。後のことは、手はず通りにお願いしますね」 「ああ」 副議長の答えを聞くと、ブランシュはそのまま部屋を出て、廊下を行く。 私は混乱した頭で、ブランシュとは逆方向に向かった。 廊下を走って、ブランシュの目の届かない場所まで行く。廊下の奥まった場所、階下へ降りる細い階段を見つけて――多分、召使たちが使う裏階段だろう――その段差に腰かけた。そうして、私はブランシュから姿を隠した魔法を解く。 やっぱり、まだ魔力の加減の仕方がわからないせいか、疲労感が両肩にどっしりと圧し掛かってきた。そんなに大層な魔法を使った感じじゃないのに……。 床に座り込んで、私は壁に背中を預ける。首をもたげ壁に額をこすりつけて、目を瞑った。 暗くなった視界に、鍵穴から見たブランシュの綺麗な横顔を思い出した。去り際に見た、冷たい微笑。 普段温和なくせに、ブランシュは怒ると冷たく笑う。冷やかな視線と冷笑を前にすると、背筋が本気で凍りつく。あの人を敵に回してはいけない、そう思わせる氷の微笑。 あの冷たい笑みは――誰に向けられたもの? やはり、私なんだろうか? ブランシュは議会と通じて、私を……ローズを殺そうとしたの? 副議長との繋がり、孤児院の子供たちを切り札だと言い切った口調から見て、敵なのかもしれないと思う。でも、辻褄が合わない気もする。 ……殺すつもりなら、幾らでも殺せたはず。 ローズが呪いに掛かって胎児に戻ったとき、彼女の魔力は皆無だった。一国を守り滅ぼす力は失われていた。簡単に殺せたはずだ。 でも、殺せなかったのはヴェールがいたから? 十六年、私を「地球」に預けたのは、どういう理由? 殺すことが目的ではなかった? なら、何が目的だったのだろう? 議会は自分たちの意のままに動いてくれる女王が欲しくて、ローズを殺そうとしたのならば――この情報もブランシュからの受け売りだから、根本的に間違っているのかもしれないけれど――ローズを胎児に戻して、再教育し直そうとした? 「……違う」 私は自分の考えに首を振った。額が壁紙にこすれる。そこにある感覚も魔法を使った疲労感から、自分の身体のものじゃないような気がしてならない。 ぼんやりと四散する思考を必死にかき集めて、私は答えを探す。 誰にも頼れないのなら、私自身で答えを見つけなきゃいけない。 ここに戻ってきた私は議会を敵とみなした――これもブランシュからの情報だ。 「議会と意見が相違している時点で……今の私は議会の敵だから……再教育された可能性はない」 はたして、議会は本当に敵だったのだろうか? ブランシュの言葉が信用できないとしたら、それすらも怪しい。 そもそも、私は本当に「ローズ」なの? もしかしたら、「ローズ」という名を与えられた影武者ということは? 本当の「ローズ」が別にどこかにいて、私は敵の目を 馬鹿馬鹿しいと思える途方もない考えが、私の脳裏を暗く染める。 胸の刻印やローズが残した記憶さえ、信じられなくなってきた。 大体……敵って誰よ? 議会? ブランシュ? ヴェールたちは本当に味方なの? 何を信じていいのかわからない心もとなさに、 「…………帰りたい」 喉を突いて弱音がこぼれた。 ツと、自分の瞳から涙がこぼれるのを自覚した。 私が強気でいられたのは、支えてくれる人たちがいたからだ。でも、誰も信じられなくて……今の私は一人ぼっち。いつもの自分を保っていられない。 ――帰りたいと思った。 何も知らなかった頃へ。真姫と呼ばれていた頃に。 でも、どこへ帰ればいいの? 「……ローズ女王?」 涙に濡れてぼやけた視界の向こうから、聞き慣れない声が私に呼びかけてくる。 ――誰? 目を凝らせば、黒いメイド服。食堂での給仕をしてくれていた女の子だった。 ここに来て最初の朝食のときに、私にスープを注いでくれた子だ。 また、議長や副議長を呼んだ 「どうなされたのですか?」 小首を傾げ、心配そうに私を覗いてくる女の子を前に、私はホッとした。企みや疑惑とは無縁の存在が目の前にいることで、悪夢から解放された気分になったの。 そうして、緊張が解れた私の意識は、糸が切れたようにぷつりと途切れた。 |