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 33,繋がる糸


 くすくすと忍び笑う声が響いている。サラリと髪が掬われた。誰かの指先が私の髪を撫でている。
 誰よ?
 勝手に私の髪を触ったりしないで。
 そんなことしていいのは……――――誰だっていうのっ!
 夢現の自分の思考に自らツッコミを入れる。一瞬だけ、ある人の面影が脳裏に過ったことは内緒よ。
 私は弾かれるように目を見開く。
 最初に目に留まったのは天井から降り注ぐ七色の光。それはステンドグラス越しの陽の光だった。赤青黄色といったガラス越しの光は微かな熱を持って、辺りを満たしていた。
 幻想的な煌きに夢でも見ているかのような感覚に捉われる。
 私は覚醒をうながすように目を凝らす。すると、ステンドグラスの手前に大きな彫像が建てられているのが目に入って来た。彫像の足元には祭壇。色違いの石を組んで模様を造った床に、ステンドグラス越しの七色の花が咲いている。
 アーチによって支えられた天井にも色鮮やかな花々が描かれていた。花が空から降ってきそうな錯覚。
 私の目は花を胸元一杯に抱えた女性の巨大な石膏像に向く。つるりとした白肌の乙女の口元は花が咲いたように綻んでいる。女性がまとうドレスの裾が床にまで届いていた。彼女の背を様々な花の模様づけられたステンドグラスが飾っている。まるで、後光が射しているかのよう。
 一瞬、教会のマリア像を思ったけれど、微妙に違う。
「――ここは?」
 私の呟き問う声に、
「王宮にある聖堂ですよ」
 頭上から答えが降って来た。
 低音ながらよく響く澄んだ声音に、ギョッと目を剥いて身を起こそうとして――起こせなかった。
 ――何っ?
 身体の自由が利かない。手足が痺れたように感覚がなく、身体が重い。
 魔法を使った疲労かしら?
 ――でも、意識はハッキリしているのに……。
 戸惑い視線を彷徨わせる。すると、私を抱え起こす手があった。
 脇の下から回った腕が腹部を撫で腰に回る。絡みつく腕にゾワリと背筋に怖気(おぞけ)が走った。まるで巨大な蛇に絡みつかれているような気がした。
 自分の状況が把握できない実情と、自由にならない身体が恐ろしかった。ただ、喉の内側にある苦い違和感に、薬を飲まされたのだろうと推測する。
 ――痺れ薬?
 上半身を起こされれば、首が少しだけ回った。
 腕の主は誰かと、肩越しに振り返った先にあったのは朱色の瞳。日に焼けた肌の色に引き立てられた銀髪のその人は、
「……グルナ議長……」
 私は眼前の人物の名を、茫然と呟く。
 どうしてこの人がここにいるの? っていうか、状況を顧みれば、私ってばこの人の膝枕で今まで眠っていたみたい。
 どういうこと? 何で、こんなことになっているのっ?
 ――私は……。
 意識を失う前のことを思い出す。
 ブランシュが副議長と密会しているのを見て、それからメイドの女の子と会って、そこから――。
 途切れた記憶の手がかりを探して、キョロキョロと辺りを見回せば、教会のような木製の椅子が並んでいた。聖堂と言っていたけれど、教会をイメージする方が早い。多分、あの女性の像は、この国を守護する女神だと思う。
 ここは、女神に信仰を捧げる聖なる場所。それを聖堂と呼ぶんだわ。
 壁に埋め込まれる形で金の燭台が等間隔に、並んでいる。明かりを灯せば蝋燭の金色の明かりが荘厳な雰囲気を作り出すのだろう。聖堂に並んだ横に長い木製の椅子。その最前列に、グルナ議長は悠然と腰かけ、私は彼の膝の上で眠っていたらしい。
 そして、その傍らには黒のメイド服を着た女の子と黒の騎士服を着たアメティストがいた。
 私と目が合うと、紫色の瞳はバツが悪そうに逸らされた。
「――アメ……ティスト……?」
 ――何で?
 疑問が頭に浮かんだ瞬間、私は答えを見つけていた。
 よくよく考えれば、侍女として王宮に迎えられたグリシーヌが周りの女官たちから冷遇されていることを、アメティストが知り得たはずがないのよ。
 今はアメティストも王宮に勤めているのだから、小耳に挟む機会もあると思うわ。
 でも、アメティストが騎士として王宮に仕官するようになったのは、この一年の間。私やグリシーヌが「地球」ですごしていた間に、ヴェールが議会直轄の軍に取られる前にと、士官学校に在校していたアメティストを強引に引き抜き、騎士団に入団させた。
 士官学校に入っていたアメティストに、一年前以前の――ローズが呪いを受ける以前の――王宮の様子を知ることなんて簡単じゃないでしょ。
 前にも思ったように、アメティストに王宮は遠すぎるのよ。
 第一に、グリシーヌは冷遇されていることをローズに覚られないように、笑っていたのよ?
 周りを心配させないように明るく振る舞うグリシーヌが、自分からアメティストに愚痴をこぼすとは考えられない。
 アメティストのローズへの反感を、グリシーヌはちゃんと知っていたのだから言うはずがない。
 だとすれば、グリシーヌの境遇を士官学校に席を置いていたアメティストへ伝えた第三者がいる。
 第三者がその人かどうかはわからない。ただ、グリシーヌの情報を自然に入手出来て、議長と繋ぎ役を出来る子。
 ……それが、メイドの女の子だったんだわ。
 王宮に仕える女の子は、議長と面識があっても不思議じゃない。この間の晩餐のようなことが今までにもあったのだろう。
 同じ王宮に仕える女の子相手なら、グリシーヌも弟の存在を話題に――勿論、グリシーヌはアメティストのローズへのマイナス感情を口にすることはなかったに違いない。ただ、弟の存在を匂わす――会話をしていてもおかしくない。
 私はメイドの女の子を凝視した。黒色の丸っこい目は私の視線を前にしても、動じる様子がない。
 食堂で給仕に一杯一杯になっていた感じは――演技だった?
 いえ、最初から女の子は議長のスパイとして送り込まれていた人間だったとしたら、この泰然とした態度はごく自然体。
 そのスパイがローズの周りを探り、グリシーヌの弟の存在を知ったら?
 ローズとグリシーヌが同じ孤児院出身であるなら、アメティストもローズに近しい。そうして、アメティストを探れば、姉を慕うあまり彼はローズを疎んでいる――それらの事実からアメティストを駒として使えると考えたら?
 口で巧いこと言って、アメティストを議会側に引き込んで、孤児院の院長にローズへの贈り物を用意させた。
 そして、アメティストが贈り物の品を議長側に手渡し――呪いを施し、メイドの女の子が王宮へと持ち込んだ。
 贈物を見つけたヴェールは、そのままローズに手渡す。
 ヴェールは孤児院の人間がローズに危害を加えるなんて微塵にも考えていなかった。ローズもまた警戒することなく、包みは解かれ――呪いは発動された。
 繋がっていく推理に私はギリッと歯を鳴らす。
 そして、女の子の目の前で意識を失ってしまった私は、まんまと議長の手の中に落ちた。
「一年前にアメティストを使って、私を殺そうとしたのは……議長だったのね?」
 先日の襲撃が議長の差し金かは、わからない。けれど、呪いを仕掛けたのは議長だろう。
 僅かに自由になる上半身を引きながら呟けば、伸びてきた大きな手が私の腕を掴んだ。制服越しに締め付ける手が血流を鈍らせる。
 この手が私の首に掛ったら――きっと簡単に、折られてしまう。
 無防備だった少し前の――今だって身体の自由が利かないのだけれど――自分がここに生きていることが不思議だった。
 何故、眠っているときに私を殺さなかったの?
 目を瞬かせれば、グルナ議長の朱色の瞳が嗜虐(しぎゃく)の色を深めて細くなる。
「正確には記憶を失う前の貴女だ。今、私は貴女を殺すのは惜しいと考えていますよ」
 唇が酷薄に歪むのを間近に見つめて、背筋が震える。
 ブランシュと違う意味で、この人の笑顔が怖い。
 あの人は笑いながら怒るけど、目の前にいる議長は笑いながら人を殺す。そういう命令を平然と下すのだろう。
 ……ブランシュは人を斬るときは、決して笑っていなかったのに。
「――どういうこと?」
「どうです? 私と取引をしませんか、女王。貴女が私の駒となるのでしたら、貴女の命は保証しましょう」
「命を狙っていた人間が言うべきセリフじゃないと思うんだけど」
 私はなるだけ平静を装って、声を低く吐きだした。怯えて声が震えたら、主導権が握られてしまう。
 こんな奴相手に弱音を見せたくないっ!
 持ち前の勝気が、私に気力を与えてくれる。
「確かに私は貴女を殺そうとしましたが、女王陛下。貴女を目のかたきにしているのは私一人ではありませんよ?」
 面白がるような響きを含んで、議長の声が私の鼓膜に触れる。
 身体の内側に侵食して来る声は、ローズが受けた呪いを思い出させた。
 この国の人々は誰しもが魔力を持っている。そして、貴族はその魔力の桁が一般人と違うというのなら、議長本人が呪いを実行したのかもしれない。
 いえ、この感触は――間違いない。
 証拠なんてどこにもないけれど、この人は危険だ、敵だと、私の直感が確信した。




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