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 34,囚われた鳥


「……ローズは議会から睨まれていたんでしょ? 他の女王候補を推していた貴族とか。でも……一蓮托生(いちれんたくしょう)ってわけじゃないのね?」
 呪いの件はグルナ議長の差し金だったのは間違いないようだけれど。
 私がここに帰って来ることになった事故やこの間の孤児院襲撃は別の輩の仕業なの?
 ……ブランシュと副議長も繋がっているようだし、周りは敵だらけなのかしら?
 沈みそうになる気持ちを、唇を噛んで立て直す。
「まあ、そうですね。ですから、私を味方にしなさい。貴女を野蛮な輩から守って差し上げましょう」
 だから、そういうセリフは鏡を見てから言いなさいよっ! アンタが一番、ヤバいっていうの!
 思わず口から飛び出しそうになる罵倒の数々を私は必死に噛み殺す。
 議長の瞳に宿る残酷な朱色は、私が屈するのを待っていた。
 私は負けるものかと睨み返す。
「――貴女のその目は、嫌いじゃないな」
 グルナ議長の指が私の頬を包んだ。
 年齢的なことを言えば、この構図は女子高生を囲う中年オヤジの図だろう。
 でも議長は、四十も後半になると言うのに見た感じは三十代だから、傍からはそれなりに年の差カップルとしてつりあって見えるかもしれない。
 普通に出会っていたら、少なくとも私の目にも議長はいい男に映るだろう。
 でも、この人に触れられるのは嫌だと、私の肌はあわ立っている。
「生憎と一度は拒絶されてしまったが」
 くつくつと、喉の奥を鳴らして議長が笑う。
 拒絶――それは恐らく、ローズが議会側につかなかったことを意味するのだろう。
 この人が心の底からローズを欲していたのか、微妙だ。自分たちに都合のいい女王が欲しかっただけのように思えてならないのよ。
 その直感が、議長の指先から私の肌に鳥肌を生んでいく。
 多分、この人にとっての愛情は、支配することなのかもしれない。その歪んだ愛情で、この人はヴィエルジュを支配しようとしているんだわ。
「今度はどうです? 貴女が我々に逆らわず、大人しく玉座に座ってさえあれば、可愛がって差し上げよう」
 やがて議長の指先が、私の唇に触れる。
 キスするつもり? やめて、冗談じゃない。
 私の唇に触れていいのは――私が好きなった人だけよ。だから、触らないで。
「女王の夫は「太陽」と「月」の騎士でしょう――」
 私は凍りついた唇を必死になって動かした。
 危険な大人の世界も、逆ハーレム設定も、お断りだわ。私は私が好きになった人と恋愛したい。
 悲しいかな、私の腕を掴んでいる議長の手は振りほどこうにも、ほどけない。
 薬で自由が利かないだけでなく、男と女の力の差を締め付けられる手の圧力に思い知らされる。
 焦燥に逸る心は、私の内側で咲いている薔薇を見つけた。
 魔法を使えば――そう思った瞬間、ブランシュ相手に魔法を使った結果、この状況に至ったことを思い出す。まだ魔法に使い慣れていないから、疲労が睡魔となって襲ってくるのよ。
 魔法を使った後の、身の安全を確保できない現状では、魔法に逃げることも難しい。
 薬は痺れ薬だと思うけれど、毒ではないと言い切れないし……。
 私は完全に、議長に捕まっていることを自覚した。
「取引って……つまり、私に貴方の女になれってこと?」
 薬が切れることを期待して、時間を稼ぐべく口を開く。
 どうすれば、この窮地(きゅうち)から脱せられるだろう? 私の頭はめまぐるしく回転する。
 でも、どこにも逃げ道がないように思えてしまう。
 ブランシュと副議長の密会を目にしてから、頼れる人の存在を誰一人として、思い浮かべられないのよ。
 ヴェールも、グリシーヌも、ディアマンも。
 議長とは繋がっていなくても、ブランシュや副議長と繋がっているのかもしれない。
 あの二人は、もしかしたらローズを殺すつもりはないのかもしれないけれど――議会と敵対するように仕掛けてきたブランシュの言動からみれば――味方だとは言い切れない気がした。
 もしかしたら、女王と議長を対決させ、両方を潰すつもりだったのかしら?
『ローズが覚醒する前に片をつけますから』と、言っていたのはこのこと? 私がローズの魔力を完全に使いこなせたら、勝負は簡単についてしまう。
 だけど、貴族集団の――魔力だけなら、議長もそれなりの力の主だ。そんな人間たちが集まった――議会を潰すには、騎士団だけでは手に余る。よって女王の力が不可欠だから、私を育て、ローズの魔法を目覚めさせた?
 副議長は議長の座を欲して、ブランシュと手を組んだの?
 貴族の父親を持ちながら、母親が娼婦だったために蔑まれているブランシュは、この国の貴族制度や女王制度を嫌っているのかもしれない。
 貴族たちの価値観を正したいと穏やかな口調で言っていたけれど、胸の内の本音も言葉通りとは言い難い。
 だとすれば、間違いなく女王制度を潰しにかかる。
 私をけしかけて、議会と対立させ、この国を混乱に巻き込めば――民衆は、女王制度を見直そうと考えるかもしれないわ。
 女王制度が正しいのかどうかは、私にはわからない。
 けれど、話に聞いた限りでは――話をしてくれたブランシュの言葉を信じるとしてのことだけど――歴代の女王は義務を果たし、この国を守るために尽くしてきた。
 国には格差が生まれ、特権階級だけが暮らしやすい土壌が出来上がっている。でも、それは政策の失敗であって、守護神としての女王には落ち度はなかったと思うのは、私が女王であるから?
 どちらにしても、議会の思惑の犠牲になったヴェールも、孤児であることから虐げられたグリシーヌも――ローズを殺そうとしていた議長側とは相いれなくても、ブランシュ側にはつくかもしれない。
 脱出方法を考えるはずが、企みの裏ばかりを気にしている私がいた。
 そんな私を現実に引き戻す声が、耳を撫でる。
「それでも構わないが――」
 グルナ議長の指が私の顎を摘んで僅かに上向かせる。のけ反る首元に身を屈めた議長の息が触れて、私は危うく悲鳴を上げかけた。
 思わず身を固めてしまう私に、議長はくつくつと、再度、喉の奥で笑い声を響かせ顔を上げた。
「うぶな貴女を女として育て上げるのも、面白そうではありますな。私も「太陽」と「月」の騎士には剣士としての才では劣りますが、貴女が生むであろう子供の父親としては、なかなかに優秀ですよ」
 嘲笑に歪む口元を見やって、私は唇を噛んだ。
 この人はやっぱり女王を、子供を産ませる道具としてしか、見ていない。
 今の女王制度と貴族中心社会の議会政策を持続させることを目的にしている議長に必要なのは、傀儡(かいらい)となる女王だ。そして、次代の子を産むお腹。心なんて要らないんだわ。
 心ない他人に身体を触れられることが、おぞましいことなのだと、私は改めて思い知らされた気がする。
 私の頬を包んだブランシュの手も、私を支えたヴェールの手も、私を守り育ててくれたディアマンやグリシーヌの手も、凄く優しくて。温かくって。
 なのに、同じように血の通っているはずの議長の指は無機質で、ひと撫でひと撫でが私の存在を否定していくようだ。
 愛情が欠片も存在しないことの虚しさは、抗えない現実が私を捕えていても――今の私は議長の手の中にあって、自由などない。下手すれば、命さえ簡単に握り潰される状況であっても――嫌だと拒絶する。
 好きでもない人に身を許すくらいなら、舌を噛んでやる。
 そんな無意識の思考に突き当たって、私は自分がどれだけブランシュとヴェールを信用していたのか知った。
 ……助けて。
 涙が滲みそうになる。二人の騎士の名を口にしそうになる。
 でも、二人を信じきれなかったから私はここに捉われているの。ブランシュの前から逃げ出してしまった私の弱さに、またも唇を噛む。
 あのとき、面と向かって問いただせば良かったのよ。いつもは勝ち気なくせに、どうして大事な場面で逃げてしまったんだろう。
 何度も何度も唇を噛んだから、口の中に血の味が広がった。
「自ら傷を付けるのは感心しませんね。それほど、私に触れられるのはお嫌ですか」
 尋ねる声は暗い愉悦を含んでいた。
 嫌われても痛くも痒くもないみたい。むしろ、反抗的な態度を取れば取るほど、議長の目に宿る嗜虐性が色濃くなる気がする。
「……私は」
「まあいい。大人しく玉座に座っていればと言いましたがね。貴女が我らに与してくださるのでしたら、同志としてお迎えしましょう」
「どういうこと?」
「貴女の人間としての意思を尊重しますよと、言っているのです」
 それは次世代の女王候補を産む道具としてではなく、一個人として仲間になれと言うこと?
「……議長は、何を企んでいるの?」
 今の制度を持続させるつもりなら、私は人形でいいはずだ。こうして、薬で自由を奪って、裏から操ったら?
 さすがにそれは長期的には難しいかしら? 他の議員の目もあるだろうし。
 なら、子供を(はら)ませて無理矢理、玉座を空位にさせる?
 玉座が空位の間は、「太陽」と「月」の騎士たちが女王の代りを務めるのだけれど、あくまで彼らは女王の名代。女王の言葉があって、彼らの声が議会に通るということだから――そのせいで、ローズが提案した慈善施設改善案は議会内では宙に浮いて、進展していないとブランシュが言っていた――女王を議会から遠ざければ、二人の騎士も議会にあまり口出しできなくなる。
 議長はそのまま、議会を思い通りに操って――。
 我ながら、唾棄(だき)したい考えばかりが浮かぶ。
 それが全部、我が身に返って来ると思うと舌を噛みたくなるわっ!
 腹立たしくなる想像に刺激されて、私の内側で()えかけていた気力がわいて来る。
 自由を奪われて、味方が誰だかわからなくて、不安でしょうがなくて。弱気になっていたけれど、このままじゃ駄目だ。
 とにかく逃げようと、私は自分の中に咲く赤い薔薇を掴みとろうとした。
 魔法を形に変える――この場合、瞬間移動みたいな魔法が欲しいのだけれど……。
 頭の中でイメージを組み立てようとする私を邪魔するように、議長が口を開いた。
「貴女の魔力を私に預けませんか?」
「何……」
 思わず気が削がれる。組み立てていた魔法が私の中で霧散(むさん)した。
 魔力を預けるって、どういうこと?
 議長は議会の邪魔をしない、人形の女王が欲しいんじゃないの? 大人しく玉座に座っていたら、それで充分で――私の魔力なんか、必要ないはずなのに。
 真意を問うように見つめた私に、議長は薄く笑った。
「貴女のその力で「星界」を我らの手中に収めませんか?」




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