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 35,怒りの鉄拳


「……星界?」
 いきなり話が大きくなった。
 国ではなく、この世界を掌握すると言うことは……。
「――戦争を仕掛けるつもりっ?」
 私は目を剥いた。
 この国の女王は国を守るほどの魔力を持つ。貴族たちがその血を尊んだことで、強い魔力を持つ者たちが生まれた。それがこの国の女王制度と相まみえて、女王の魔力は他の人たちより桁外れになったとしたら……。
 女王の魔力は他の国にとって脅威(きょうい)になるの?
 私はこの国以外のことを知らない――この国のことでさえ、まだ半分も理解していない――けれど、こういう女王制度は恐らく他の国にはない。
 だって、この国の守護神が乙女だったから、それに倣って、魔力の強い女性が王となるのでしょ?
 守護神としての女王。その力は、国の守護のために――。
 それがこの国にとっても他の国にも、暗黙の了解であったところに、いきなり女王が他国へその力を向けたら?
「――冗談でしょ? 幾ら、私の魔力が強いからって」
 私は息を呑んだ。外交の第一は、信頼関係に基づくものではないの?
「貴女一人の力でこの世界を納められるとは出来るとは、考えていませんよ」
 フンと議長は鼻を鳴らす。小馬鹿にしたようなその態度に私は眉をしかめた。
 だって、私にはローズとしての記憶がないんだもの。この前まで、地球で女子高生だったのよ? この国のことも、この世界のこともよく知らないわよっ!
「だが、平穏というぬるま湯に浸っていた愚民どもに泡を吹かせることは出来る」
「――なっ」
「この世界には、要らない人間が多いと思いませんか、女王」
「何よ、それっ! 何の権限があって、そんなことを言うの」
「おかしなことを言う、私も貴女も選ばれた人間でしょう? もっとも、過去の貴女は愚かにも愚民どもにつこうとしたが」
 ガタンと傍らで音がした。
 目を向けると、アメティストが青い顔をして唇を震わせていた。揺らいだ上半身が背後の壁にぶつかって、それで音がしたみたい。
 茫然と見開かれた紫色の瞳は、議長を見つめていた。
「――そんな……」
 議長が人類粛清(しゅくせい)――ちょっと大げさな表現なのかもしれないけれど――大それたことを考えているなんて、思ってもいなかったんだろう。
 アメティストは、ただグリシーヌをローズから取り戻したかっただけ。
 こんな風に大勢の――世界中の人が巻き込まれることなんて、きっと想像していなかったんだわ。
 ローズに対して殺意があったのかも、疑問だ。多分、アメティストはローズを女王の座から引きずり降ろせれば良かったのよ。本気で殺すつもりなんてなかったから、甘言に乗って結果、暗殺計画に加担してしまったのだと思う。
 その後も議長側にいたのは、赤ん坊になったローズと一緒に、グリシーヌが姿を消してしまったから。議長だけじゃない。アメティストもローズの行方を捜す必然性があった。
 お姉さんを取り戻したいというそれは子供染みた思考で、だからって議長に加担した事実が許されるわけじゃないけれど。
 家も親も失った幼いアメティストにとっては、グリシーヌだけが彼の世界のすべてだった。
 きっと、一人一人の世界はとても狭いの。
 身の回りの家族と、日常と。今日と明日と明後日と――手のひらに握れるぐらいの日々がすべてだ。
 遠い未来に思いを馳せても、この国は弱者には優しくないから虚しくなるだけ。だから、問題ごとを無難にやり過ごそうとして、色々な物を諦めて……。
 私は寂れた町の光景を思い出した。
 疲労をにじませ、虚無の瞳で周りを傍観しながらも、畑を耕し、稲を刈って、家族のために食事を作って、日々を生きている人たち。
 それをどんな権利があって、愚かだと言うのっ?
 戦争が起これば、強い魔力を持った人たちはその力で自分の身を守るだろう。でも、力がない人は戦争の犠牲となって散って行く。
 力がないから、要らない存在だって言うのっ?
 頭に上った熱に突き動かされて、私は自由な方の重たい腕を持ち上げた。それを思いっきり頭上から議長の頬へと振り下ろす。
 囚われている籠の鳥がそんな真似をすると思わなかったのだろう、肌を弾く音が聖堂に響いた。
 なるほど、確かにこの人は騎士には向かない。ヴェールと違って、反応が遅いわ。
 少しだけ感覚が戻ってきた指先に感じる熱を、手のひらに握りしめた私は次の瞬間、頬に熱い痺れを感じて椅子から転げ落ちた。
 石床に叩きつけられた身体が痛い。こすった膝小僧の皮膚がめくれ、血がジワリと滲んだ。奥歯が軋むように痛い。
 殴られたのだと、じわじわと口の中に広がる血の味に理解する。
 ――普通、女を叩くっ? しかも、いたいけな女子高生をっ!
 この行動で、議長の人間としての程度が知れるだろう。
 私が間違っていることをしているなら、愛の鞭として受け入れるけれど。絶対に違うでしょ? そりゃ、確かにいきなり平手を食らわせたのは自分でも短気だと思うけど! だけど、間違ったことはしていないでしょ?
 議長は間違いなくローズの敵だ。この人の選民思想は、貴族中心の世界を変えようとしていたローズとは共存できない。だから、議長はローズを殺そうとしたね。
 こんな人が国のトップに在るなんて、ヴィエルジュの国の未来はどこへ向かうの?
 腕を突っ張って、上半身を起こすと、私は議長を睨みつけた。
 議長も、私の平手で唇を切ったのか、口の端から血を流していた。親指の腹でグイッと滲んだ血を拭いながら、私へと歩み寄ってこようとする。
 朱色の瞳は赤く怒りに猛っている。
 殺されるかもしれない――逃げなきゃ。
 そう反射的に思って、意識の内側に咲いている薔薇の花に手を伸ばしかけたその時、議長の進路に立ちはだかった人影があった。
「……アメティスト」
「一度裏切っておいて、庇うつもりか」
 議長が肩を怒らせながら、アメティストを睨む。
 眉間に寄った皺につり上がった目尻は般若のよう。その怒りようから察するに、もう取引はかなわなそうだ。
 例えどんなことがあったって、議長と取引なんて御免だけど。
 とりあえず、アメティストが庇ってくれた背中に、私は手を伸ばした。
 魔法で逃げるにしても、アメティストを置いて行けない。
 彼の漆黒のマントに縋って、身体を起こす。少しずつ身体の自由が戻って来ているけれど、足の痺れはとれずに力が入らない。
 崩れそうになるところをアメティストが腕を私の腰にまわって、支えてくれた。
「オレは――別に、この国が変わればいいとか思っていない」
 ギリっと奥歯を噛み鳴らして、アメティストは議長を睨み返した。
「――別に、何も変わらなくてもいい。人は身分相応の場所にいればいいんだ」
 グリシーヌが王宮から違う場所に、彼女が心穏やかに過ごせる場所に――アメティストの願いはきっと、ただそれだけ。
「でも、議長の考えはそれすら否定するんだろっ?」
「本当に程度の低い人間は――」
 議長の低く押し殺した声が、歪む唇の端からこぼれて、私は反射的にアメティストに自分の全体重を乗せた。
 急にバランスを崩されて、床に倒れるアメティストと共に私も横に転がった刹那――ダンと、重たい何かを打ちこむ音が響いて、パラパラと頭上から埃が降って来た。
 顔を上げると、ステンドグラスの前にそびえていた乙女の像に砲弾が撃ち込まれたような穴が穿たれ、亀裂が走っている。
 議長から放出された魔力の塊――その威力は、確かにブランシュやヴェールと肩を並べる。貴族の魔力は、普通の人たちとは格が違う。
 怒りにまかせて放たれた議長の一撃を受けた穴はやがて、時間を追うごとに亀裂がさらに広がり、彫像は砕けた。傾いた女神像の半身が床に落ちて、空気を共振させた。ズンっと来る振動が大地ごと揺さぶり、私の身体は悲鳴を上げた。
 そして、砕け散った乙女の姿に、私は自分を重ねて戦慄した。
「――これは失礼」
 ようやく余裕を取り戻したらしい議長が冷酷な笑みを覗かせながら、私たちを見下ろした。
 ……本気で、殺すつもり?
「私と取り引きするんじゃなかったのっ?」
 私はアメティストの上に乗っかって、彼の動きを制限しながら――今は議長を刺激しない方がいいと判断して――声を発した。
「こちらの譲歩を足蹴(あしげ)にしたのは、貴女でしょう」
 議長は私が叩いた頬を撫でた。
「同じものを返された時点で、貸し借り無しでしょ?」
 私の頬だって痛いわよっ! 自分だけ被害者ぶらないでよっ!
「なるほど。しかして、貴女に拒否権があるだろうか?」
 唇を歪めて告げる言葉に、私は眉根を寄せた。
「何?」
 何で、そんなに強気なの? この人は私の魔力を必要としているんじゃないの?
「――貴女は大層、子供がお好きのご様子」
「……えっ?」
 一瞬、何のことか分からずにまじまじと議長を見つめ返すと、
「貴女が可愛がっている子供たちが、私の手のうちに在るとしたら? それでも、貴女は私を拒否できますか? ――女王陛下」
 辛酸(しんさん)な毒が私の中に流し込まれた。




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