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 37,罠に落ちて


 ブランシュの策が私にもわかり始めた。
 なのに、肝心の議長はまだ自分の置かれた状況がわからないらしい。
「……わ、私に……こんなことをしてっ……」
 苦痛に歪んだ声で喘ぐ議長は、ヴェールに蹴りあげられた腕を抱えていた。
 ……びっ、微妙に、あり得ない方向に手首が向いている気がするんだけどっ!
 思わず目に入り込んできたそれに、私は慌てて視線を逸らした。
 後ろを振り返れば、メイドの女の子はいつの間にか後ろ手に手を縛られて、逃げられないように近くの柱に繋がれていた。
 直ぐ傍では、アメティストが上半身を起こして胸の辺りを抑えている。大丈夫なのかと心配していると、こちらの視線に気づいたのか紫色の瞳が上向いた。
 視線がかちあった一瞬、瞳が揺れて、項垂れるようにアメティストは目を伏せた。
 私の目から逃れるように顔を背け唇を引き結んだ、その横顔は苦しげに歪んでいる。
 実際に骨を折られた本人が痛いと思うけれど、それを目にする方も痛い。
 私の殴られた頬を見て、ブランシュの青い瞳が悲しげだったのも、アメティストが目を逸らしたのも、同じ理由。
 アメティストの場合は、罪悪感を刺激されたせいだろう。少なくとも、今までの彼はローズを殺す計画に加担していても、直接手を下すことはなかったから、自分の行為が何を代償にするのか、真剣に考えていなかったんだわ。
 でも今は、自分自身が傷を負ったことで、色々と思うことがあったのだとわかった。横顔に見える苦渋に反省が伺える。基本的に、悪い奴じゃないのよ。
 自分が傷を負っていなくても、人間は人の痛みに敏感になれるの。だから、人間は他人にも優しくなれるはずなの。
 他人を自分と同じ生き物だと理解すれば、本来なら人は人を傷つけることなんて、簡単にはできない。
 ……そう、頭で理解していても、手や口が動いてしまうのが人間なのかもしれない。私自身、感情で動いてしまっている。もっと、冷静に対処できるようにならなきゃ。
 人の上に立つのなら、自分だけじゃない、皆の痛みも理解できる人であって欲しい――少なくとも、私はそう願うわよ。
 だけど、議長は自分以外の人間を愚民と見下した。だからヴェールは、議長を敵だと決めた。
 認識が変われば、他人は別の存在に変る――傷つけることも厭わない敵に。傀儡の人形に。策略の駒に。
「ただで済むと思っているのか、女王っ!」
 鼓膜を突き刺す声に、視線を戻した。
「……貴女が大事にしようとしている子供たちは……私の手の中にあるのですよ……」
 傷ついた腕を抱え、脂汗で顔をびっしょりと濡らしながら、議長は私を見上げていた。
 朱色の瞳はまだ負けを認めていなくて、自分の優位性を主張していた。
 単に、自分が罠にはまったことを信じたくないだけなのかもしれないけれど……。
 私の頭の中ですべてが繋がった今、自分の立場を理解できていない議長が、何だか悲しかった。
 これじゃあ、道化(ピエロ)だわ。
 同情するのは間違いだろうけれど、周りが見えないことへの盲目はあまりにも痛々しい。
 私はブランシュとヴェールの間に立って――薬の効き目がようやく薄れてきたみたい――口を開いた。
「子供たちは……無事よ。貴方に手は出せない。そうよね?」
 確認するようにブランシュを見上げれば、青い瞳が少しだけ悲しみを溶いて、頷いた。
 スッと議長へ視線を差し向けるにあたって、瞳は冷たく凍り出す。
「議長――孤児院の子供たちは、僕が信頼する人に預けています。その人物を貴方も信用なさっているようですが」
 フッと息を吐くように告げた時には、金髪王子の面を飾るは絶対零度の氷の微笑。目にした者を瞬間冷凍する。
 逃げられないと、観念させられる。
 自分が敵に回した人間の恐ろしさを知ったのだろう、議長の目が愕然と見開かれた。
 ブランシュが信頼している相手――それは、テュルコワーズ副議長だ。
 議会の二大トップの片割れが、議会の在り方を疑問視しているローズの味方だったなんて、私には想像つかなかった――議長の目に見える驚愕ぶりから、この人も想像つかなかったのだろうと感じる。
 だからてっきり、副議長とブランシュが繋がっていると思った時点で、私は裏切られた気がした。
 でも、違ったの。
「馬鹿な、お前たちは」
「僕と副議長の間を犬猿の仲に見せかけていたのは、すべては貴方の選民意識がそうさせたんですよ」
 ブランシュはその出自から貴族たちに疎まれている。貴族以外の人間を見下す議会の中で、ブランシュに味方しようとすれば、間違いなく議長から睨まれる。
 その辺りの事情を抜け目のない金髪王子が見落とすはずもなく、入念な工作はなされていたのね。
「貴方が僕の存在を認めようとなさらないから、僕も副議長も距離をとっていました。そうしなければ、貴方は議会から副議長を排除しようとしたでしょうからね」
 ブランシュはどこまでも、ローズの騎士だった。
 女王の騎士じゃない。ローズ・エトワール・ルージュという人間に忠誠を誓った騎士だった。
 ローズが二人の騎士に、騎士や夫としての立場ではなく、個人としての存在を求めたように。
 ブランシュもヴェールも、ローズを求めた。

『僕は君以外のローズは嫌だな。忘れてしまっているからもう一度言うよ、ローズ。僕は君だけの「太陽」だ。そして、君だけが僕の「星」なんだよ』

 そう、前にブランシュが言った言葉が思い出される。
 他の誰かじゃ駄目なの。ローズだから、ブランシュは「太陽」になった。
 だから、ブランシュがローズを裏切るはずがないの。
 揺るがない答えが見つかれば、後の式を推測するのはそんなに難しくない。だって、議長は私の敵であったから。
 敵と味方を式にはめ込んでいけば、全体像は見えてくるでしょ。

『――子供たちの身柄は、そのままローズに対する人質になります』

 密会の現場でブランシュが言っていた一言。
 ブランシュが子供たちを「切り札」だと言ったのは、議長に――正確に言えば、議会に存在するローズの敵に。多分、この場に議長が現れるまで、ブランシュは議長が真の敵だと絞れていなかったと思う――仕掛ける罠のことを指していた。
 子供たちを隠したのは、議長の手に落ちないように守るためと同時に、情報を操作するため。
 副議長が子供たちをローズに対抗する「切り札」として、議長に話を持って行っても、議長は隠された子供たちの所在を確認できない。
 だけど、王宮に忍ばせたスパイから私の周りに子供たちの影がなければ、子供たちが副議長の手の中に在ると誤解する――誤解するように導いた。
 ブランシュと副議長が仲悪そうに演じていたのも、スパイの目を誤魔化すためもあるし、議長に副議長は自分の味方だと思わせておくためだった。
 だから、何があっても二人の繋がりを隠しておくべく、密会していたのを……私が勝手に誤解してしまった。

『この餌をつるせば、きっと話に乗って来る。何故なら、もうあちらには手立てがないのだから』

 議長が焦っていたのも事実だろう。
 何しろ、私が魔法能力に才を持ち、剣の腕も確かな最強の騎士に守られる環境下に戻ってきてしまったのだ。
 地球にいた私を事故に見せかけて殺そうとしたのも、議長の策謀だったと今ならわかる。きっと、騎士団に入ったアメティストが地球にいる私の情報を掴んだから。
 それまでの十六年、割と平和に過ごせていたのは、情報が守られていたからなんだわ。同時に、敵が動かないものだから、ブランシュはローズを暗殺しようとした犯人を突き止める術がなく、一年の間、議長同様に動けなかった。
 でも、アメティストが議長と繋がっているなんて思ってもいなかったから、彼の騎士昇格で騎士たちの間で守られていた情報が漏れて、事態が動いた。
 地球で私を殺し損ねた議長は、最強の楯を手に入れた私に焦ったでしょうね。
 記憶が戻らず、ローズの魔法の力を取り戻す前に片をつけなければと考え――、私たちが孤児院へ行くことをスパイの女の子か、アメティストから聞いて襲撃を仕掛けた。
 子供たちを巻き込むことで、騎士たちの動きに制限を掛け、一気に片付けようとしたのにまた失敗した。しかも私は、魔法の力を取り戻した。
 私はブランシュが副議長に対して口にした言葉、
『ローズが覚醒する前に片をつけますから』
 それは私が完全に魔法の力を取り戻すことだと思った。議長も同じことを考えたと思う――私が完全にローズとなってしまう前に、片をつけなければ、と。
 ブランシュの真意は、私が目を覚ましてしまう前に事件を片付けることだったのだけれど……。
 議長としては副議長が持ち出してきた「切り札」に飛びつかざるを得なかっただろう。
 それをブランシュが仕掛けた罠だと思わなかったのは、私の身柄が確保されたからだ。議長としては、笑いが止まらなかったと思うわ。
 女王を排除するつもりが、肝心の相手が自分の膝元で無防備に眠っているんだもの。
 抹殺という考えから、支配するという形に変ったのは、恐らくその瞬間。
 自分の手中に集まったカードの数々を前に、議長に根付いていた選民思想は(あお)られた。そして、議長は愚民と蔑む要らない人間を排除しようとした。
「……嘘だ」
 議長の声に、私は思考から現実へと立ち返る。
 苦痛と驚愕に、整った顔立ちは圧力を加えられて歪んでしまった粘土細工のような、歪な表情を作る。
「……すべては、お前たちの手のうちだったと?」
 ブランシュの手のひらの上で踊っていたことを議長が認めたくない気持ちは、わかるわ。だって、二人の騎士が守るはずの女王が自分の手のうちにいたんだもの。
 これもブランシュの策の一端だったら、「太陽」の騎士の腹黒さは恐ろしいものがある。
 もっともそれは、私が彼らの預かり知れないところで勝手に動いた結果だ。
 私が議長の手に落ちてブランシュやヴェールたちも困っただろうと思えば、申し訳なくなるけどね。
 俯いた私はブランシュの片手に握られた四角い銀の塊を見つけた。
 ……ああ、もう、本当に。
 私は自分の暴走を顧みて頭痛がしてきた。何で、一人で勝手に行動しちゃったんだろう。下手したら、私のせいでブランシュたちの計画を全部潰してしまうところだった。
 ブランシュは副議長を介して、この聖堂で敵の尻尾を掴もうとしたのよ。だから姿を消して、二人の騎士は隠れていたのだろう。
 そこへ動けなくなった私やアメティストが現われて、二人もびっくりしたに違いない。
 議長が魔法を発動させ、私に手を上げた時は気が気じゃなかったと思う。ローズが呪いを受けた時のあの光景が思い出された。
 議長の手から私を解放したときのヴェールの態度から見ても、直ぐにでも飛び出したかったんじゃないかしら。
 思わず怒ってしまったことを反省するわ。




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