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 38,溺れる者


「証拠はどこにもない」
 引きつった笑みで、議長は言った。血走った目は狂気に傾きかけているようにも見えるけれど、声によどみがないところが、冷静さを伺わせた。
「何を……言っているの?」
 問いかける私に議長は唇の端を引き上げる。
「女王が私を(おとし)めるために仕掛けた策略でしょう」
「逆手に取るつもり?」
 弾かれるように呟けば、私の隣でヴェールが訝しげるように鼻を鳴らした。
「あん?」
 こいつ、考えるのが苦手みたいね。頭脳関係は、ブランシュに任せきり?
 これは女王が議長を貶めるための策略だと、議長は現状を逆手に取ることで、自分の不利を有利に変えようとしているのよ。
 ローズが議会と対立していた以上、議長が悪だとしても、誰がどれだけそれを信じるだろう?
「……でも」
 私はブランシュを仰いだ。私の視線を受けて、彼は微笑む。
 議長に差し向ける瞳はどこまでも冷たい氷の視線。彼は議長をひたりと見据えたまま、片手を持ち上げた。
 白い手袋に包んだ手が持っているのは、メタリックシルバーのボディ――手のひらに収まるその塊は、デジタルビデオカメラだ。
 この世界では珍しいハイテクだから、議長にはそれが何かわからないでしょうけれど。カメラに内蔵されたメモリの中には、バッチリ今までの行動が映っている。
 議長の証言、現場の状況なんて調べるまでもなく、これに録画された映像を見れば、議長が失脚するのは間違いない。
 ブランシュは敵を徹底的に潰す――怒らせたら、怖い人っていうのは既に承知済みでしょう?――用意をしていたのね。この決定的な証拠を前に、言い訳なんてできないでしょ。
「――選民意識が強い議会上層とはいえ、国家外交に関わって来る貴方の危険思想は、容認しかねるでしょうね」
 ブランシュがそれを説明すると、少しずつ議長の顔から血の気が引いていった。
 そんな議長を目の端に止めながら、ブランシュはデジタルカメラを操作する。
 コスプレやセクハラなど、地球文化に精通している金髪王子の指先は、デジタル機器を前にしても迷うことなく動く。
 やがて、液晶画面には聖堂の様子が鮮やかに映し出され、議長の己が持論を悦に入った様子で語る姿が動き出す。
「これを作ったあちらの世界の人間は、僕たちのように魔力なんて持ちません。ですが、魔法以上のものを作り出す知恵を持ち、技術を編み出すことができる」
 淡々と、ブランシュは片手にしたビデオカメラを持ち上げて、言った。
 発展し過ぎた文明はときに世界を混乱させるけれど、それは人間個々人の問題によるのだわ。
 私の考えを代弁するように、ブランシュが続けた。
「力を持つことがすべてですか? 力だけがすべてですか?」
 静かに問いかけて、ブランシュは議長の前に歩み寄った。
「肝心なのは、個人がどうあるべきかではないのですか? 力がなくとも、人の役に立てる者もいれば、力があるからこそ力に溺れ、己を見失う。――貴方は、どうやら後者の人間のようだが、そこに反論はありますか?」
「売女の息子風情がっ!」
 憎々しげに吐き捨てて、議長はブランシュを侮辱した。
 その罵りの言葉を頭が理解したときには、私の身体は勝手に動いて、議長の頬に平手を食らわせていた。
「私の騎士を侮辱しないでっ!」
「ローズ、俺より先に殴るなよっ!」
 ヴェールが私の後ろで毒づく。私が先に手を出したせいで、ヴェールとしては拳の持って行きどころを失くしてしまったらしい。
 何気に、ヴェールってばブランシュが大好きよね。彼のために怒ってあげるところとか、結構好きよ。
 もっとも、魔王男は常日頃から不機嫌そうな顔をしているけれどね。
 私はヒリヒリと痛む手のひらを撫でながら思う。
 やっぱり人間って、理性より感情が先に動く生き物なんだと実感する。
 大切なものを傷つけられることを黙って見過ごすなんて難しいからこそ、感情と冷静に向き合える話し合いが必要なのね。
 議長みたいに他人を蔑む一言で、すべてを切り捨ててしまったら、何も始まらないし、何も理解できない。
 とりあえず頬に受けた一発で、自分の一言がどれだけ他人の怒りを買っているのか、議長にはわかって欲しいわ。
 例えば、怪我をしたら次から気をつけようと思うように、傷ついたのに何も得ない、何も学習しないなんて、そんなの悲し過ぎるでしょ?
 でも、殴るのは、ヴェールに任せた方が良かったかしら? 私の平手程度じゃ、議長に与えるダメージなんてほんの少しだし。
 それでも、折られた腕を刺激したみたい。議長は呻き声を洩らす。
 そこへ、バンと扉が開かれる音がした。
 ちょっとだけ心臓を驚かされて振り返ると、
「御無事ですかっ! ローズ様っ?」
 声を荒げながら尋ねて来るディアマンを先頭に、黒と白の騎士服を着た男性たちがなだれ込んで来た。
 そして、黒と白の人だかりは私を取り囲んで、口々に叫びだす。

「陛下っ!」
「どうしたのですか、そのお顔はっ!」
「何と、酷い!」
「――くっ……誰だっ! 我らが陛下に手を上げた奴はっ!」
「何て事だっ! 我らが付いておりながら、みすみす陛下に傷をつけさせるなどっ!」
「陛下ではなく、オレを殴れっ! むしろ()ってくれ」
「何とおいたわしいっ! 我らが花の(かんばせ)が」
「陛下の敵は、我らが敵ぞ!」
「……陛下の生足……我が人生、悔いなし!」
「許せぬ、どこのどいつだっ! 誰が我が陛下を傷つけたっ!」
「一年の時を経て、ようやく拝顔(はいがん)叶ったというのに……このようなお姿の陛下と対面しようことになろうとは――くそっ! 陛下を傷つけた(やから)は我が剣にて、成敗してくれるっ!」

 微妙に時代劇がかったセリフをぶちまけながら、中にはむせび泣いている人もいるわ。
 ちょっ、大げさすぎない?
 ……っていうか、場に相応しくない発言が聞こえたような気がするのだけど――幻聴?
 鍛え上げた体躯(たいく)を騎士服の下にしまい込んだ人たちは皆、十代後半から二十代ぐらいの、青年たち。
 飛びぬけて美形というのはいないけれど――「太陽」と「月」の二人の美貌が別格すぎるのだけれど――割と、見目がよく顔立ちが整っている。
 もしかして、騎士って容姿も審査対象に含まれるのかしら? なんて、思っちゃうくらいよ。
 ブランシュとヴェールが騎士団を動かしやすいよう選んだ人選だからそれはないと思うけど……その割には、少々性格の方が暑苦しい気がするのだけどね……。
 十以上の鬼気迫る真顔が近付いてこられると、ちょっと引くわ。
「――君たち。どさくさに紛れて、僕らのローズに触れたら許さないよ?」
 ブランシュが頬を傾けながら爽やかに微笑めば、騎士たちは海が割れるように私と距離を取った。
 金髪王子の氷の微笑の脅威は、騎士団の間にも浸透しているらしい。
 ――この人が敵でなくて、本当に良かったっ!
 私は心の底から思った。
 それにしても、ローズの人望は騎士団の中ではかなりのものみたいね。皆の目に、私の傷を気遣う色が見え隠れしている。
 何だか、すごくモテている気がするわ。
 一生に一度は訪れるというモテ期にいるのかしら、私?
「議長を特別室にお連れしろ、くれぐれも目を離さないように」
 ブランシュの指示を受けたディアマンが騎士たちに命令を下す。
 数人の騎士が議長を囲うように引き立て、連行する。柱に繋がれていた女の子も同じように聖堂から連れ出された。
 アメティストも腕を掴まれ、引き立てられそうになっていた。このままじゃ、議長側の人間として処罰されるんじゃない?
 無関係とは言い難いけれど、改心したところを見ている私としては、アメティストを騎士団から追放したくはなかった。
 やっと、グリシーヌが傍に戻ってきたんだもの。もう、二人を引き離したくない。
 でも、どう言えば彼を庇えるかしら?
 ぐるぐると頭を悩ませていると、ブランシュが騎士たちを止めた。
「アメティストの処遇は、ローズに預ける」
 気配り上手な青い瞳が、私に決定権を与えてくれた。
「怪我をしているみたいなの……手当をして、休ませてあげて」
 私がそう口にすると、騎士たちの間でアメティストが目を見開く。
 自分が許されると思っていなかったのかしら? あのね、人間ときには間違いだって起こすものよ。
 私だって、つい今し方も言葉ではなく手を出してしまったし。
 だけど、大事なのは間違いを起したその後でしょう。ちゃんと、反省してくれれば、余程のことでない限り許せるものよ。
 議長から庇ってくれたアメティストを私は嫌いになれないの。だとしたら、ほらね、許す以外にないじゃない?
「あのね、アンタが私のことを嫌っていても、私は結構アメティストのことを好きよ?」
 そう言った瞬間、騎士たちの間に殺気立ったオーラが渦巻いた気がするけれど……、き、気のせいってことにしておくわ。
 ええ、何だかね……。
 心なしブランシュの笑みが冷たくなった気がするし、ヴェールの眉間の皺が深くなったような気がしないでもないし、ディアマンの肩がピクリと跳ね上がった気がするけど。
 あの、その。皆、ちょっと過剰反応し過ぎじゃない?
 好きって言っても……ねぇ?
 私は早口に続けた。
「だから、これからもグリシーヌを支えてあげて。……ついでに私も、今日みたいに守ってくれると嬉しいけどね」
 そう告げた私の言葉に、アメティストは逡巡(しゅんじゅん)した後、小さく頷いた。
「……ああ……守ってやるよ、女王陛下」
 どうやら、少しだけ私を認めてくれたみたい。




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