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 君が呼んだ、その先で

― 後編 ―


「つまりあんたは、異世界に連れて来られたわけ」
 あああー。言っちゃいましたよ、お姉さん。
 やだなー、そんなこと、あるはずないじゃないですか。異世界だなんて、フィクションの中だけです。現実ではありえませんって。
 私は唇の端で薄ら笑いを浮かべた。とはいえ、頬が微かにひきつっているのを自覚していた。
「……何のために?」
 キリッとした眼差しで睨まれたので、私は仕方なく問う。
 この世界を救うためだとか、言われたらどうしよう?
 私は平凡な女子高生ですから。何も出来ませんから。
 大体、この手の小説の主人公が世界を救うなんて、出来すぎでしょう。それこそフィクションがなせる技であって、これが現実だというのなら、私には無理無理。
「そりゃ、あんた、あたしの後任になって貰うためよ」
「…………はい?」
「あたし、もうここで七年。奴の世話をしているの」
 冷たい一瞥が美形様に飛ぶ。
 七年……。先程、彼女が口にした「今は」という言葉が重たく感じられた。
「そろそろ、解放されてもいいと思わない?」
 視線をこちらに戻して、お姉さんは首を傾げるようにして問う。
 まあ、いきなり異世界に連れてこられ、七年は大変だと思いますけれど。
 でも、お姉さんの後任に私ってことは、
「え、私がメイドになるの? 世界を救う救世主ではなく?」
「あんたに世界を救えるの?」
 真顔で問い返されて、即答。
「いえ、無理です」
「世界の危機だったら、もっとマシな人間を呼ぶでしょ」
「ですよねー」
 私に期待されているレベルは、美形様の世話係程度のことなわけだ。それだったら、まあ、平凡な女子高生でも務まるかもしれませんが。
 って、いやいや、いきなりそんな話をされても困ります。私、女子高生ですし、学校ありますし、未成年だから家族が心配しますし。
 私は慌てて、後任は無理だと言った。つらつらと言い訳を並べれば、お姉さんはにべもなく切り捨てた。
「あんたの事情なんて、あたしの知ったこっちゃないのよ」
「そんなの、酷いっ!」
「じゃあ、七年前のあたしの事情は誰が考慮してくれたって言うのよっ?」
 眉を跳ね上げ、全身に怒気をまとわせるお姉さんに、私は身を引く。詳しくは聞かされていないけれど、これまでのやりとりで把握は出来る。
 つまり七年前、お姉さんは今の私と同じ状況にあったのだ。
 手招きする美形に釣られ、近づいたところを引っ張られて、こちらの世界へ連れ去られてしまった。
 今の私に帰る術が見つからないように、お姉さんもなし崩しに前任者からメイドを任されたのだろう。
 ああ、なんということか。私の未来をはっきりと、目の前で体現してくれてるから返す言葉もない。
 駄目押しに、お姉さんは言ってくれた。
「大体、怪しい相手に近づいたあんたが悪いんでしょ?」
 …………ごもっともで、ございます。
 不審者に近づかないという、選択肢はあったのだ。
 お姉さんの時代よりも、治安に対する警戒度は今の方が高いだろう。事件そのものが増えたかどうかはわからないけれど、昔は今ほどに他人に対してトゲトゲしていなかったんじゃないかな。
 それに引き替え、私は頭の中ではわかっていたのだ。それを無視して近づいてしまった行為は救い難い。
 しょんぼりとうなだれる私の肩をお姉さんはポンと叩いた。
「あんたが早く帰りたいとなれば、さっさっとこっちの言葉を覚えることね。そうすれば、奴と交渉して帰して貰えるから。ま、後釜が見つかれば、だけど」
 それっていわゆる、私みたいに知らない人間に近づいちゃう警戒心のない子ってことですよね。自分で言っといて、なかなか突き刺さる。
 ……いるのかしら。
「言葉を覚えるって」
「あいつね、根本的なところで会話するのが面倒らしいのよね。だからこちらの言葉がわからない人間をあっちから調達してくるの」
「えっと、それって……世話をするのも大変なんじゃ」
「そうでもないのよ、何しろ、あいつったら、何にもしないんだもの!」
 お姉さんの目が再び、美形様に向く。私もつられてそちらに振り向いた。
 もうかなり時間が経っていると思われるけれど、彼はソファに腰掛けたままの姿勢でいた。こちらに対して興味を示している様子は微塵もなく、ぼんやりしている。
 まるで抜け殻みたいだ。いや、糸が切れた操り人形?
 ううん、誰もいなくなった校庭に置き去りにされたサッカーボールみたいな。自分でもよくわからないことを言っている気がするけれど。
 こう、見ていると寂しさがじわりと胸の内側に広がって来る感じ……は、わかりませんか。そうですか。
 他人には呆れられるんだけど、私は置き去りにされたサッカーボールを見ると、つい目が潤んじゃう体質なんです。きゅっと胸が締め付けられてしまうんです。
「ほっといたら、何日もあのままよ。どうも、こっちの世界の人たちは年の取り方が遅いっていうか、体内時計があたしたちとは違うみたい。ああ見えて、百年近く生きてるらしいよ」
「嘘ですよね?」
「これが本当。あそこに本があるでしょ?」
 指差された本棚に目をやれば、革で装丁された本が並んでる。
「今まで連れて来られた人たちの日記よ。あたしのもあるから、読んで。そうしたらもっと詳しいことがわかるし」
 まあ、ともかくと。お姉さんは説明を端折って続けた。
「あたし、前任者から引き継いだ二日目に悟ったのよ。奴の指示を待っていたら、飢え死にするって」
 二日間放置された後、お姉さんは屋敷内を探索し、食料を調達したところで、世話をするという意味がわかったのだと、語ってくれた。
「つまり、生き延びたければ、あいつを生かさなければならないってことよ」
 美形様が飢え死にしたら、当然ながら帰れやしない。今まで何度もあちらの――私たちの世界から人を連れて来ているのだから、あちらに行く方法は美形様は当然承知しているわけだ。
 帰して貰うとなれば、食事の世話は必然。ただ食事の用意だけしていればいいかというと、自ら率先して美形様が動くことはないらしい。
 いや、お願いをすれば聞いてくれるらしいのだけれど。肝心のお願いする言葉が異世界から連れて来られた身としては、知りようがない。
 よって風呂の世話をしたり、部屋を掃除したりと。美形様との生活を快適に過ごそうと思うなら、率先的に家事に従事すべしとのご鞭撻。
「……はあ」
 私は美形様を呆れて見やった。
 白に近い銀髪と赤い瞳の彼は正しく、かいがいしく世話をしてあげなければならない兎さんだった。
 こちらが言葉を知ったとき、初めて意志の疎通が出来る。それは会話をしたくない美形様からすれば……。
 つまりお姉さんは言葉を知って……解放された。または美形様に厭われた。
 それは何と言っていいのか。
 私の内側に複雑な感情を刻み込む。
 言葉を詰まらせた私をお姉さんは見つめ、言った。
「一つだけ、忠告しておく。あいつに情にほだされるだけ無駄よ」
 唇に苦笑を浮かべ、声には寂しさが宿っていた。
 彼女はほだされたのだと、わかった。七年もつき合っていたら、それなりに愛着は沸くだろう。
 かく言う私は、美形様に昔飼っていた兎を既に重ねてしまっている。どうも、親譲りの性格らしくこの手のことが放っておけない性質だった。
 置き去りにされたり、捨てられている動物を見つけると引き取ってしまって、我が家には犬猫が十匹近くいる。その世話をするために、父は住宅地の外れに庭付きの家を買った。もっとも、この部屋より少し広いぐらいの、慎ましやかな豪邸だけど。
 そしてこの数時間で、お姉さんに対して親近感を抱いていた。
 自分の事情もあるけれど、お姉さんをあちらに帰して上げたい気がした。
「……私」
 お姉さんの瞳が柔らかく和んで、告げた。
「あんた、いい子ね」
 そんな風に言われたら、もう。自我を突き通すことが無理に思えた。
 両親や妹が心配するだろなと思う。
 私の帰りを待っているトムやスーザンやマイケルにアーノルドやボニーやキットにアンドリューやクライスにウィリアムたちも、鳴いて私を呼ぶかもしれない。……一応、断わっておけばペットたちの命名は母ですから。
 でも、きっとお姉さんの親も心配しただろう。
 七年も待ったんだから、解放されていい。
「あの、あちらに帰ったら……私のこと、親に心配するなって、伝えてくれますか」
 そんなことを言ったって、心配はさせるんだろうけれど。でも何も言わないで消えるよりはずっといい。
 それに私は、帰れるというお姉さんの言葉を信じてた。美形様から感じるのは、途方に暮れたような無気力さ。
 きちんと話を通せば、多分、面倒臭くなって解放してくれるに違いない。今までの人がそうだったように、お姉さんがそうであるように。
「手紙、書きなさい。それを投函するから」
 多分、何代もの世話係によってルールが作られたのだろう。私は小さく頷いた。
 そうして手紙を書く。詳しいことは書いたところで信じて貰えやしないだろうけれど、とりあえず無事であることは伝わればいい。
 どうしても放っておけない事情が出来たと伝えれば、私の性格は親譲りだから、察してくれるものがあるかもしれない。
 手紙を書いている間、お姉さんは美形様に関しての情報を幾つか教えてくれた。
 何でもこちらの世界では稀有な魔法士であるらしく、ときおりお城から人がやってきては美形様と何かしら交渉するらしい。
 その報酬なのか、食料や服などは定期的に補充されるとのことなので、物の調達は心配する必要はないようだ。
 美形様を生かし続け、こちらの言葉を覚え、彼に交渉するのが帰るための早道だ。
「日記を書くことね。城から来た人たちが話しているのに耳を澄ませて、聞いた言葉をとにかく覚えるの。そのうち、意味が何となくわかるようになるから。あたしたちの日記にも、その辺りのこと、残してあるから」
 本気を出せば、一年ぐらいで何とかなると、お姉さんは言った。
「……一年?」
 でも、お姉さんは七年……。
 ほだされて、放っておけなかったというわけか。でも、報われなくて、お姉さんは帰ることにした。
「お疲れさまでした」
 私に言えることはそれだけだった。お姉さんは私の手紙を受け取ると、
「これはちゃんと、届けるから。……ごめんね」
 泣き笑いの顔で謝ってくる。多分、お姉さんがまだ彼のことを諦めずにいたのなら、私はこちらに呼ばれることはなかったのだろう。
 でも二人の間に流れる時間は違う。お姉さんは普通に七つも年を取ったのに、美形様は変わらない。
 その月日に積み重ねられた苦しさを思えば、私は首を横に振った。
「知らない人について来ちゃった、私が悪いんですから」
 そっと笑顔を返す。まあ、ぶっちゃけてしまえば、美形様が一番悪いんだけど。
 その人に釣られてしまった自分の責任も、無視できない。自ら掘った墓穴は自分で埋めなきゃね。
「後任があんたで、良かったわ」
 おかしな出会いだけれど、私もお姉さんに会えて良かったと思う。 
 こくんと頷く私に、お姉さんは笑顔を見せてまとめていた荷物を手にすると、美形様に向き直った。
 そうして私の知らない言葉で話しかければ、美形様は重たげに頭を上げ、腕を持ち上げると、お姉さんの肩を突き放すように押して……。
 そしてお姉さんはバランスを崩し、床に倒れる寸前、消えた。
 見えない穴に落ちたような刹那の出来事だった。まるで幻だったかのように、そこに何も残さずに。
 きっとこんな風に、私もあちらから姿を消したんだろう。
 美形様は一つだけ瞬きをすると、またソファに深く沈み込んだ。
 多分、この人はそうしてお姉さんがいたことなど、忘れるんだろう。七年間、側で苦しんできた人の気持ちなんて知らずに。
 可哀想な人だと思う反面、頭に来た。
 こんなの絶対に間違っている。
 知らない人を警戒して、事情を探ることなく遠ざかってしまうことも。さよならの一つもなく、別れてしまうことも、おかしいだろう。
 触れ合えば、そこに築かれる何かがあって良いはずだ。少なくとも、お姉さんの胸の内に育まれた感情を私は知っている。私の中に植えられた芽も。
 知らない人に近づくことが悪いのではなく、本当に悪いのは勝手に人を連れていく人なのだから、その責任は美形様がとらなければ、不公平過ぎる。
 お人好しと呼ばれる生来の奥に潜む、お節介気質が私の中でむくりと起き上がる。第一に、私が帰れることになったとしても、後任に同じような荷を背負わせるのは気が進まない。
 ならば、やるべきことは一つだろう。もう二度と、あちらから人を調達しようと思わないように、

 ――美形様の意識改革をしてやる、と。

 一見、本のように見える真新しい革表紙のノートに、異世界第一日目の出来事を記しながら、私は心に決めた。


                        「君が呼んだ、その先で 完」



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