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 君が呼んだ、その先で 〜番外編〜

 私は無知を知る

 ――異世界二日目、午前――


 学校の帰り道で銀髪に赤い瞳の超絶美形様に出会った私は、異世界に召喚――じゃない。
 誘拐……と言ってもよいものか、ちょっと迷うところだ。
 何しろ、怪しさ全開オーラを漂わせていたのに、手招きされてノコノコ近づいたのは、他ならぬ私ですから。
 だけどこちらの承諾も得ずに、別世界に連れ去られてしまったら、やはり犯罪と言っておくべきかもしれない。何が起こったのか、ハッキリさせておくためにも。
 そう、私は美形様に異世界へと誘拐されました。……まったく、私にも非がないとは言わないけれど――こうして相手を庇ってしまうところは、私の性格です。どうにも私は人からお人好しと言われる性質らしい。お節介とも言われるけれど。
 まあ、それはともかく、責任の所在は間違いなく、九割がたは美形様にあるだろう。
 ――あるとする。あまりに相手を気の毒がりすぎると、美形様の意識改革をしてやるという、私の決意が鈍ってしまうから。
 ちなみに美形様と言ってるのは、私が美形様の名前を知らないからだ。何にしろ、ここは言葉が通じない異世界ですから、意思の疎通など出来ません。というか、出来ないことを前提に、美形様は私を――私たちを攫ってきた。
 現在の被害者は私だけれど、過去に何人もの人たちが美形様に、攫われてこの異世界にやって来た。
 こういうシチュエーションは、ファンタジー小説やゲームなどにはよくあるから、咄嗟に浮かぶのは、滅びかけた世界を救う――勇者だとか、救世主だとか。その手のイメージだろう。
 いきなりそんな、世界を背負わされても困るところであるのだけれど、私に課せられた使命は、なんてことはない、美形様の世話係。つまりメイドでした。
 美形様はこちらの世界では稀有な魔法士らしい。ついでに言えば、こちらの世界の人は私たち地球人の常識を超える長寿らしい。
 木目細かい白い肌に、無駄な肉のない頬に細い顎。切れ長の瞳は、赤色をしている。他の色に染まりやすい――例えば夕陽の下に立てば、オレンジ色に見えたり、蝋燭の灯りだと金色に輝いて見えるのは、白銀の髪。肉付きの薄い華奢な体その整った美貌が醸し出す美形オーラは半端ない。
 美形好きとしましては、ちょっとノコノコ近づいてしまうレベルです。はい。近づきました。美形が好きで、ごめんなさい。
 と、何だか、話がそれてしまったけれど、そんな二十歳そこそこに見える美貌の青年も実は百歳を超えているらしいというから、驚きだ。
 そのせいなのかどうなのかはわからないのだけれど、美形様は喋ることすら億劫がるし、何だか生きること自体を面倒臭がっているような無気力さで、誰かが世話をしないと三日でも四日でも椅子に座りっぱなしでいると言う。
 さすがに周りの者が見かねれば、あれこれ指図するわけだけれど、美形様としてはそれが鬱陶しいらしく。言葉が通じない私たちを異世界から調達することにした。
 右も左もわからない世界で、調達された私たちが生きていくには、そして元の世界に帰るためには、美形様に頼るしかない。
「帰して欲しい」とお願いするにも言葉が通じないのだから、まずは意思の疎通を図らねばならない。そのためには時間が掛かるわけで、必然と美形様の食事を用意したりと、身の回りの世話をすることになる。
 こうして、私は前に誘拐されたお姉さんの代わりに、選ばれたわけだ。
 選ばれたと言うよりは、釣られてしまったと言った方が適切なのかもしれない。何しろ、美形様にとって世話をする人、メイドは誰でもいいのだ。彼にわかる言葉で、うるさくしない限り。
 という、諸々の事情があって、現在の私はここに居る。
 私が帰るためには、こちらの言葉を覚える必要があって、それは前任者たちが残してくれた日記などで何とかなりそうな見通しがある。いきなり攫われちゃったけれど、前任者のお姉さんが私から家族への手紙を預かってくれ、それを渡してくれる手筈になっている。
 家族は当然心配するのだろうけれど、でも、私の性格を熟知しているから、理解してくれるだろうと思っている。
 何しろ私は、捨てられた犬や猫や兎などを拾ってくるのだ。捨てられている生き物や置き去りにされたボールなど、放っておけない体質なのだ。
 何故ここにボールが出てくるのかは、横に置いて話を進めよう。
 前任者であるお姉さんを元の世界に帰してあげたかったし、美形様の糸が切れて捨てられた操り人形のような、無気力姿を見てしまったら、胸がキューンと締めつけられて、見捨てられない気持ちになってしまったのだ。これは、恋? いやいや、まさか。
 というか、私が記した第一日目の日記を読めば、今まで書いたことは充分にわかって貰えるのだけれど。
 くどくどしく、書く必要もないと言われたら、それまでだけど。
 でも、万が一に、試みが失敗して、私の後任がこの日記を読むことになった場合に備えて、あなたが――後任になるかも知れない人へ――ショックを受けないように、ちょっとしたクッションを置いておくべきではないかと思うの。
 前任者である人たちの日記を、まだそんなに目を通していないから私には知るすべがなかったのだけれど。
 食事の用意をしたり、お風呂の用意をしたり、洗濯をしたりと。美形様の身の回りの世話をするのなんて、世界を救えと言われるよりは全然、簡単だと思ってるでしょ?
 少なくとも私は思ってました。
 拾った犬や猫や兎たちを世話して来た経験があるのだから、大丈夫だと。
 でも。――でもね。
 ここは、私が暮らしていた二十一世紀の世界じゃないわけですよ。わかりますか、この意味が。
 つまり、レンジでチンすれば美味しいとは言わないまでも、食べられるおかずやご飯がホカホカで出てくるような、電化社会じゃないということ。
 スイッチを押せば、炊飯器がご飯を炊いてくれるわけじゃないんです。トースターでパンが焼けるわけでもないんです。洗濯機が洗濯をしてくれるわけでもなければ、掃除機がゴミを吸い取ってくれるわけでもない。
 第一に、そういった家事は母がしてくれていた。先にも述べた通り、私に出来ることと言ったら、電化製品のボタンを押すくらいのことです。
 ねぇ、この事実に向かいあった時の己の無知ぶりと、絶望感はわかりますか。
 異世界に来て一日目は混乱が過ぎて、お姉さんが用意してくれていたご飯を食べた後、私は美形様の寝室を探し、そこへ彼を放り込み、私は私でお姉さんが使っていたらしい部屋でそのまま寝ちゃったわけだけど。
 まあ、未知の世界で暢気に寝ちゃった自分に感心するけれど。
 二日目の朝、厨房を覗いて、アニメ映画の『魔女の宅急便』で見たような壁に取り付けられた大型のオーブンを目にし、粉からパンを作らなければならない現実を前に私の頬は引き攣った。
 え、あの、パンって小麦粉を練るだけじゃ……駄目ですよね?
 といいますか、このオーブンに火をつけるのはどうしたらいいんでしょう?
 美形様の意識改革をする以前に、私……今日のご飯を作れる自信がありません…………。


                          「私は無知を知る 完」



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