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 24,馬車に乗って


 颯爽(さっそう)と馬を駆るエスクードの金髪が陽光に反射して煌めいていた。瞳の色に合わせた蒼い色の上着は襟元や淵が、金糸銀糸で細やかな刺しゅうが施されていた。その内側は白絹のドレスシャツに濃紺のベスト。細身のズボンは白で、黒革の長靴が足元を飾っている。
 今日は舞踏会に出席するということで、エスクードの装いは落ち着いた色合いにまとめているけれど、貴公子然としていた。
 彼が跨っている白馬からして、エスクードのことを知らない人には王子様に見えるんじゃないかしら。
 馬車の窓ガラスに張り付いて、皇族家の紋章入り箱馬車に並走するエスクードの姿を見守っていると、耳に皇太子さまのお声が届いた。
「一応言っておくが、アリス。今宵のパートナーは私だぞ」
 声に振り返ると、苦笑交じりに皇太子さまがこちらを見つめて手振りで言った。
 皇太子さまはエスクードの装いに輪を掛けたような豪奢な格好だった。漆黒の絹の衣は光沢があり、黒曜石のようだ。長い黒髪を結んでいるのは、深紅の瞳に合わせた天鵞絨(びろーど)の赤いリボン。臙脂(えんじ)色のベストには細やかな蔦薔薇が刺しゅうされている。折り返しの袖口には、ルビーの宝石をあしらったカフスボタン。勿論、上着のボタンも宝石入りだ。長い脚を包んでいるのは、細身の黒いズボンという装い。
 馬車の座席に腰掛けているだけなのに、一枚の絵画のような優雅さ。
 そんな皇太子さまの眉は微かに顰められていた。深紅の瞳が窓ガラスの外へと向けられ、ゆっくりと私に戻る。
「アリスは、エスクードが気になるか?」
 小首を傾げるようにして問いかけられたそれに、私は気にならないと言えば嘘になるから、素直に頷いた。
 今日のエスクードはフレチャではなく、馬に乗ってのお供だ。
 護衛として選ばれた数名の騎士が騎馬で馬車と並走し、他数名の竜騎士が空を旋回し、道程に不審な動きがないかを見張ることになった。
 エスクードは何か起こった場合、護衛騎士たちの指揮がとりやすいように、騎馬で並走することにしたわけだ。
 緊急時になってドラゴンが必要になった場合は、フレチャとは意思の疎通が出来るから、どんなに距離が離れていても、呼ぶことが出来るのだという。フレチャが本気で飛べば、帝都まで瞬きだと、エスクードは自慢するように笑って言った。
 皇太子さまのお城から、帝都まで馬車での移動は半日は掛かるのに。
 それでもお出かけする前にフレチャがいる厩舎に立ち寄れば、お留守番のフレチャはちょっぴり寂しそうで、隣にいた私に「慰めてくれ」と言わんばかりにすり寄ってきたのだけれど。
 いつもなら皇太子さまだけが宮殿で開かれる催しに参加して、何か緊急時の連絡が入ればいつでも出動できるようにして、エスクードもフレチャと同じようにお城で留守番するらしい。エスパーダの件があって以来、エスクードとしては宮殿に出入りするのを遠慮しているということだった。
 宮殿では皇帝陛下をお守りする親衛隊が存在するので、エスクードが常に傍にいなくても構わないらしい。それに皇太子さまは、お城と帝都の宮殿を行き来するのは皇族だけに許された通路を使えるから、今日みたいな厳重な警備は必要がない。
 でも今回は、皇太子さまのパートナーとして、私が出席する。私に通路を使わせることは皇太子さまの一存でも難しい。それこそ、私が皇族の一員になるのなら話が別だということだけれど、丁重にお断りした。
 よって、地道に陸路を馬車で行くしかない。
 石畳の街道は微かな振動を生みながらも、車輪を円滑に運んで行く。整然とした街並みから見るに、皇帝陛下の治世は平和を維持しているんだろうと思う。
 皇太子さまの領地は帝都からそう遠く離れているわけじゃないけれど、道路が石畳で舗装されているのは、税金などがちゃんと道作りに使われていることの証だろう。
 少し前にエスクードとパトロールに回った際も、国境近くの町も道はしっかり作られていた。ちゃんと端々まで、目が行き届いているということだ。
 皇太子さまの国民想いのお人柄を見ていれば――小さな村の火事に対しても、私などにお礼を言ってくれた態度を見れば――皇帝陛下も人格者なんだろうなと思う。
 皇太子さまに身を固めて貰いたいと思っているらしい皇妃さまも、世継ぎの心配もあるのだろうけれど、単純に皇太子さまのことが心配だったんじゃないかしら。
 婚約者を亡くして、お城に引きこもってしまった皇太子さまを、皇妃さまは社交界へと引き戻すことで元気づけようとしたんじゃないかな。
 それは皇太子さまには有難迷惑な方向でのお節介だったのかもしないけれど。
 お世継ぎのことばかりを心配していると考えるよりは、そちらの方がずっと温かい気持ちになれる。それを期待するのは私の甘えた考え方なんだろうか。
 でも、エスクードやレーナさんをはじめ、お城の人たちが皇太子さまのことを心配していた。同じことが帝都でも言えると思う。
 だから皇太子さまは、政務だけはきっちりと果たしていたんじゃないかな。皆に、心配する必要はないのだと示すために……。
「――アリス」
 ぼんやりと考え事にふけっていた私を皇太子さまの声が引き戻す。気がつくと私はまた窓の外へと顔を向けていた。
「アリスは私より、エスクードの方が好きらしいな? パートナーを忘れて、他の男に見惚れるのはちょっと考えものだぞ」
 唇の端を僅かにニヤつかせながら、皇太子さまは窓の外のエスクードを指差して、ジェスチャーを交えて言った。
「そ、そんなことはないです」
 私は慌てて、両手と首を横に振って否定した。
 今、窓の外を眺めていたのは、道! 道のことを考えていたからだ。
 見惚れていたのは……少しだけです。ほんのちょっと、最初だけ。
 何も言えない口をまごつかせながら、私は慌て出した心臓の鼓動を沈めるように胸元に手を置いた。
 俯いた目に映るのは、左手の薬指にはめられた指輪だ。サファイアが大きくカットされた指輪はドレスに合わせて用意されたものではなく、エスクードが渡してくれたものだ。
 何でも、彼の一族でこのサファイアはお守りとして、代々の当主に受け継がれているとのこと。
『舞踏会で失敗しないように、おまじないだ。深く考える必要はない』と言って、エスクードは私の手を取ると、指輪を薬指に滑らせた。
『困ったときは、心の中でもいいから俺の名前を呼ぶんだ。そうすれば、いつだって助けに行くよ』
 代々の当主に受け継がれていると言うから、てっきり男物のサイズだと思っていたのに、指輪は私の指に違和感なく馴染んだ。
「その指輪はエスクードだな?」
 皇太子さまが片眉を吊り上げて、目を見開いた。
 私は頷いて、お守りとして貸して貰っていることを身振り手振りで語った。
「ほう。奴は――お守りと言ったか。確かに、虫よけにはなるだろうな。しかし、もう片方を私が付けていないと意味がないだろうに」
 ふんと、鼻を鳴らす皇太子さまに、私は首を傾げた。
「一家に一対、指輪を揃えると家が繁栄(はんえい)するというのは、昔からある風習だよ。まあ、要するに夫婦が仲良く揃って左手の薬指に指輪をしている家庭は子に恵まれると言うことだ」
 皇太子さまのジェスチャー付きの説明に、私は考えた。
 ……それって、結婚指輪みたいなもの?
「故に家宝である指輪の片方を伴侶となる相手に差し出して求婚する。ちなみに薬指は約束や誓いを意味する」
 求婚って、……婚約指輪みたいな感じかな?
 じっと皇太子さまが私を見つめる。私は皇太子さまを見つめ返して、首を傾げた。
「……うむ、アリスのその鈍さは天然か? それとも何か裏があって気づかないふりをしているのか?」
 皇太子さまは眉間に皺を寄せ、胸元で腕を組んで渋い声を吐いた。
「それともわざと焦らして、我らをヤキモキさせているのだとしたら、罪深いが……まあ、それはないだろうな」
 ぶつぶつと独り言らしく、ジェスチャーはない。
 私は「何ですか?」と、問うように再び首を傾げる。
 首を傾げてばっかりだけれど、わからないから、首を傾げるしかない。
「まあ、要するにその指輪は、アリスには決められた相手がいるから、むやみに口説くなよ――というものだな」
 ようやく納得できる答えに辿りついて、私はポンと手を打った。
 なるほど、舞踏会で私がエスクードや皇太子さま以外のお相手に、踊りに誘われたりするのを防止するためのものというわけだ。
 お城の皆を巻き込んでのダンスレッスンの翌日、私は筋肉痛に悩まされるという無様な結果に陥った。
 その前の日のダンスレッスンの筋肉痛が翌々日に現われた時点で、二十九歳という年齢をしみじみと実感させる物悲しさを覚えたけれど……。
 そうして、筋肉痛が取れ、再びダンスを踊れるようになったのは本番直前の昨日で、一応、皇太子さまとの踊りも合わせてみたけれど、やっぱりぎこちなさが残るものとなった。
 エスクードみたいに踊りが上手い人にエスコートして貰えたら、一通り踊れるように見えるけれど、舞踏会に集まる人たち皆が皆、踊りが上手いというわけじゃない。
 皇太子さまが、「自分がついているから大丈夫だ」と言ってくれたけれど、皇太子さまは皇族だ。皇妃さま主催の舞踏会ではホスト側に回らなければならない場面も出てくるだろう――この舞踏会の目的が、皇太子さまのお嫁さん探しだとしても。ううん、それなら、なおさら。
 そんなとき、私がくっ付いていて良いものか。もし、他の人に踊りを申し込まれたら、私のような立場が断っていいのか迷っていた。
 一応、皇太子さまのお伴として参加するのだから……注目されないことを期待するのは、難しい。
 もうその辺りは、覚悟はできた。
 私は私の出来る範囲で、皇太子さまのお役に立とうと思う。でもやっぱり、皇太子さまの迷惑になることは避けたいと心配していた。
 きっと、エスクードは私の心配を見越して、家宝の指輪を貸してくれたんだ。誰かにダンスを申し込まれても、私には相手がいると、わからせるために。
 エスクードの心遣いが嬉しくて微笑んでいると、皇太子さまがぼそりと呟く声を聞いた。
「……本当に。まったく、通じていない気がするぞ。エスクード」
 何のことだろう?


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