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 ― 7 ―


「……誰かに連れ込まれて?」
 お父様の呟きに、日向さんは不意に視線をそらして公園を見回します。
「サチコちゃんのことがあって、公園に来る人は、今は殆どいない。まあ、だから、お母さんが公園に逃げ込んでも、誰にも目撃されることがなかったんだけど」
 嘆息を吐いて、日向さんは肩を竦めました。
 悲鳴を上げた男の子にわたくしたちが駆けつけたときに、公園に消えた人影。
 もしも、公園に誰かがいたのなら、サチコさんのお母様の姿は目撃されていていたでしょう。
 そのことで一瞬、わたくしの頭に「どうして、お母様は逃げ出されたのか?」という疑問が浮かびました。しかし、これくらいの謎でしたら、わたくしの頭でもわかります。
 きっと、周りの人間に止められることを拒んでのことでしょう。
 身重の身体を大事にしなければならない。そのことを重々承知していて、それでもお母様は、サチコさんの死の原因を突き止めずにはいられなかったのでしょう。
 だから、行動が知られることがないように、現場から逃げ出した。
「その前は、結構人がいましたよ。少なくとも、不審者が目立つくらいにはね」
 日向さんは苦笑して、視線を戻します。
「多分、サチコちゃんを公園に誘ったのは、サチコちゃんの友達です。学校帰り、皆で寄り道したんだと思います。勿論、真面目なサチコちゃんは、先生の言いつけを守ろうとしたでしょう。でも、皆一緒だから大丈夫なんて、言われた日には? なるだけ、一人で帰らないようにしましょう――そんな注意が先生からされていたら?」
 寄り道はしちゃいけない。
 でも、一人で帰ることもできない。
 その狭間で、サチコさんは――友達を選ばれたわけです。
「学校帰りの子供たちは、当然、重たいランドセルを下ろしたでしょうね」
 日向さんの指摘に、お父様は息を飲み込まれました。
「……だから、サチコのランドセルは……」
 ご遺体とは遠く離れた場所にあったランドセル。
 それが事件を匂わせた要因でした。
 日向さんは一つ頷いて、続けます。
「家に一度帰ったのなら、ボールなどの遊び道具を持っていたでしょうし、一人遊びならここの遊具で十分事足りた」
 再び、公園を見回す日向さんの視線を、サチコさんのご両親も追いかけます。
 滑り台、ブランコ、ジャングルジム。
 砂場に、鉄棒、タイヤの跳び箱、シーソー。
「でも、一人ひとりで遊ぶのなら、わざわざサチコちゃんを誘う必要はない。そう思いませんか? ――大人数の遊びは、今も昔も大して変わらないと思う」
 日向さんはご両親に、「小さい頃はどんな遊びをしました?」と、問いかけます。
「……鬼ごっこ?」
「ダルマさんが転んだ……とか」
「他には?」
 ポツリポツリと呟かれた遊びに、日向さんは首を振って別の答えを求めます。
「花いちもんめ……かごめかごめ」
 次々と上げられる遊びに、懐かしいなー、と日向さんは笑いながら言いました。
「まだ他にもあるでしょ?」
「なわとび……?」
「なわとびは道具を使うでしょ? そのとき、持っていた子はいないんじゃないかな」
 なわとびは、日向さんによって却下されました。
「缶蹴りとか……缶はどこにでもあるから」
 お二人は戸惑いながらも、互いに目を見合わせて答えを探します。
「缶蹴りは惜しいですね」
「「――――かくれんぼ」」
 二人の声が重なって告げたそれに、コックリと日向さんは頷かれました。
「そう。子供たちはここでかくれんぼをしたんだと思います。そして、サチコちゃんは――」
 日向さんはわたくしをご自分の肩に乗せますと、クルリと身体を反転させて、歩き出します。
 公園の奥へと歩き出す日向さんを、サチコさんのご両親はノロノロとした足取りで追いかけてきました。
 レンガで仕切られた花壇に、公園を囲むようにして植えられたつつじの生垣。その一角に置かれた献花とお供え物の前で、日向さんは足を止めます。
 ここがサチコさんのご遺体が発見された場所なのでしょう。オレンジ色のレンガに、染み付いた黒っぽい色は、血でしょうか。
 ――サチコさん。
 わたくしを優しく撫でて、可愛がってくださったサチコさんの面影が脳裏に過ぎって、悲しくなってきました。
「クゥン」
 鼻から抜けたわたくしの声に、日向さんの手が肩に乗ったわたくしの手を撫でます。
 慰めるような柔らかな温かさに、わたくしは日向さんの頬をペロリと舐めました。
 日向さんもきっと、わたくしと同じ気持ちだったのだろうと思います。それ故に、わたくしの感情に気づいて慰めてくださった。
 わたくしも日向さんを慰めるように撫でたかったのですが、わたくしの爪が引っ掻いて怪我をさせてしまうかもしれません。変わりに、頬を舐めることで、わたくしの想いが伝われば良いのですが。
 日向さんは横目でわたくしを見つめますと、小さく笑われました。
 ――ありがとう、と。
 声はありませんでしたが、そう言ってくださっているのが、瞳を通して伝わってきました。
 それから、追いついてきたサチコさんのご両親を振り返って、日向さんは口を開き、
「サチコちゃんは多分、このつつじの向こうに隠れたと思います」
 花壇の奥を指差しました。
「…………」
 サチコさんのお父様は反応に困ったように、目を瞬かせます。お母様は、そこにサチコさんの姿を探すように、つつじの植木を見開いた目で振り返りました。
「何度も鬼が交代して、子供たちは、時間も忘れてかくれんぼに熱中していた。そうしていると、子供たちの帰りが遅いと心配した親が公園に来たんじゃないかと思います――ニュースで公園に立ち寄ったという主婦の証言がありましたよね。恐らく、その人が――公園で遊んでいる子供たちを見つけた。そこでの親の反応もまた、そう変わらない」
 日向さんはご自分の幼少のころを思い出されたのか、肩を竦められました。
 そして、声色を作って、甲高く叫ぶように言いました。
「『一体、何時だと思っているの! 寄り道しちゃ駄目だって言っているじゃないっ! 』――とね」
 恐らくは、陽子お母様の真似でしょう。キンと響くその声の調子には、思わず首を竦め、耳を塞ぎたくなる鬼気迫る迫力がありました。
「――子供だったら、ビビリますね」
 実際に怒られて、恐怖におののいている幼少の日向さんの姿が、想像できます。
 ただでさえ、口で勝てないお相手ですから。
「怒られた子供たちは、慌てて公園を飛び出すようにして帰路に着いたでしょうね。ただし、サチコちゃんを除いて」
「サチコは……何故、残ったんだ?」
 呻くお父様に、日向さんは淡々と続けます。
「ここは奥まっているから、怒っている声が聞こえなかったのかもしれない。もしかしたら、怒られるのが嫌で、暫く隠れていることを選んだのかもしれない――その主婦はサチコちゃんのことを目撃していませんし」
 どちらにしても、と。
 ひっそりと息を吐く、日向さんの声が寂しげに響きました。
「……サチコちゃんは黄昏の公園に一人取り残されました。やがて、帰ろうとしたサチコちゃんは足を滑らせたのか、転倒してここで頭を打った」
 日向さんがレンガの一部を指差すと、腕を下ろしてギュッと拳を作りました。
「誰かがいれば、助けを呼んで、サチコちゃんは一命を取り留めたかも知れない……でも、サチコちゃんの遺体が発見されるまで、この公園には誰もいなかったのが災いして」
 ――サチコさんはお亡くなりなった。
「…………サチコ」
 堪えていた涙が再び、お母様の瞳を濡らし始めました。お父様はお母様の背中に手を回して、労わるように肩を抱きました。
 そんなお二人を見つめて、日向さんはそっと腰を屈めますと、手にしていたピンクのブーケを遺体発見現場に捧げます。
 静かに両の手を合わせる日向さんの背中に、お母様の涙に震える声が問いかけてきました。
「ねえ、探偵さん……どうして、他の子たちは……このことを話してくれなかったのかしら?」
 連れ去り未遂事件が続いた理由。
 それは他ならぬ、真相を突き詰めようとしたサチコさんのお母様の問いに、問い詰められたお子さんたちが誰一人として、口を開くことがなかったからです。
 拒絶した子供たちの声が、わたくしたち第三者の耳には、悲鳴に聞こえたのでした。
 肩越しに振り返る日向さんは、ご両親を前に最後の推理を展開します。
「……これも、推理ですけど。子供たちは、それぞれ罪の意識を感じているんじゃないかと思います。もしも、自分たちがサチコちゃんを遊びに誘わなければ、公園に置き去りにしなければ――サチコちゃんは死ななかったかもしれない」
 サチコさんの死は、様々なところで傷を残しました。
 ご両親は勿論のこと、お友達の心の中にも。
「そう――後悔したんじゃないかな。だからこそ、何も言えなくなった。お前たちのせいだと、責められることを恐れて――」
 そして、罪滅ぼしとして、サチコさんのお母様が連れ去り未遂騒ぎの張本人だと、告発することを、口を閉ざすことで果たそうとした――と。
 日向さんは微かに目を伏せて、絡み合った謎の糸を解いて、真相を決定付けるのでした。


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