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 11,仮面の正体


 ――惚れた弱みか……。

 ぽつりと呟く声が頭上に響いて、フィオレンティーナは背後を振り返った。
 馬上で彼女を抱えて、手綱を(さば)くディートハルトは彼女の視線に気づいているのか、いないのか。蒼の双眸(そうぼう)を細め、遠くを眺めるようにして言った。
「俺はレナに弱いんだ。それはわかっているが、それをレナに知られているのが敗因だ」
「……勝ちとか負けとか……」
 そういう問題かしら? と、首を傾げるフィオレンティーナに、ディートハルトはぶつぶつと続ける。
「第一に、鎖に引きずられている時点で負けだ」
「…………」
「暴走を止められるはずが、引きずりこまれている。明らかに負けている」
 くどくどと恨みがましい言葉を並べたてるディートハルトに、フィオレンティーナは頬を膨らませた。
「そこまで言わなくても、いいじゃない」
 ここでようやく、ディートハルトはフィオレンティーナに目を向けてきた。
「言われるだけの無茶をしているのだと知って欲しい。行動しているからと言って、俺は全面的にレナの策に賛成しているわけじゃないことを覚えておいてくれ」
 端正な美貌で渋面を作り、苦々しく続けるディートハルトに、フィオレンティーナは彼の腕の中で小さくなる。
 確かに無茶をしているという自覚がそうさせた。
 蹄の音が、木の葉を揺らす風の音に混じって、二人の間に落ちた沈黙をあらわにする。
 二人きりなのに、何と重たい空気だろう。いつもなら、ちょっとこそばゆくなるような言葉を口にして、からかってくれるのに……。
 きつく結ばれた唇からは、蜜のような言葉は出てこない。
 それも自分の我が儘の結果だから、フィオレンティーナとしても(しお)れるしかない。
 今、二人は本軍から外れて、森の中を通りながらナハティバルの砦に近づいていた。アルベルトが指揮を執る討伐軍本体は、正面から進軍している。
 その本体に反乱軍の目を向けさせている間に、フィオレンティーナとディートハルトは二人でナハティバルの砦に乗り込むというのが計画だった。
 戦端が開かれる前に、仮面の大将に面会して、反乱軍の投降を促すのだと言いだした彼女を見た時の、ディートハルトとアルベルトの表情が忘れられない。
 途方もない無茶を言い出すと、呆れたような、絶望したような、珍妙なものを見るような、(あわ)れむような、形容しがたい眼差しの二人を前に、フィオレンティーナは言葉を尽くして、説得した。
 シュヴァーン王宮を出る際、フェリクスが寄越したナハティバルの砦の見取り図をディートハルトと同じくフィオレンティーナも見ていた。
 元々、帝国の砦だったそこには秘密の抜け道などがあり、それを利用されて落とされた可能性があるとフェリクスは言った。
『それと同じ方法がこちらにも使えるかも知れません』
 シュヴァーン軍が占領した後、幾つかの抜け道を塞いで、また新しい抜け道を造ったと言う。見取り図にはその新規の抜け道が記されていた。
籠城(ろうじょう)された場合、この抜け道が使えるかも知れないな』
 そうディートハルトが呟いた言葉を思い出して、フィオレンティーナは今回の作戦を思いついた。
 その抜け道を通り砦内に出向けば、反乱軍の大将と直接会えるはずだ。彼を説得できれば、誰も傷つけずに(こと)を収められる。
『反乱を起こしているのが帝国の人間なら、私は彼らの命に対して皇女として責任があるわ、一人も失いたくないの――』
 思い返して見ても、自分の言い分はかなり無茶であったと、フィオレンティーナ自身、思う。
 それでもフィオレンティーナには反乱軍を説得する自信があった。仮面の大将がユリウスの名を騙った理由も今なら、わかるつもりだ。
『あの人はきっと、私の言葉に耳を傾けてくれるわ』
 賛同してくれないのなら、一人で反乱軍に面会に行くと言いだした時に、ディートハルトが渋々ながら、折れてくれた。
 ディートハルトに言わせれば、一端、覚悟を決めると彼女は意固地になるとのことだった。
 フィオレンティーナとしてはそんな自覚はないのだが、ユリウスに逢いたくて、父である皇帝を困らせていたことはそういうことなのだろうかと、首を傾げる。
「レナは仮面の男が誰なのか、心当たりがあるのか?」
 沈黙に耐えきれなくなったのか、ディートハルトが口を開いた。
 フィオレンティーナは顔を上げて、蒼い瞳に頷いてみせた。
「……それは」
 ――ユリウスか? と、彼は問おうとしたのだろう。
 暗く陰る瞳に、フィオレンティーナはディートハルトが言葉を声にする前に、首を振った。蜂蜜色の髪が背中で、揺れる。
「違うわ。でも……あなたも知っている人だと思う」
「俺が知っている?」
 天上からの木漏れ日が傾けた白い頬を照らす。
「多分、エスターテ城で会っていると思うわ。……そして、彼はあなたの前に立ちはだかった。でも、あなたは言ったわね? ユリウス様を目指して最上階に向かった際、立ちはだかった者を斬ったけれど、生死は確認していないと」
「……ああ」
「その時に、生き延びた人だと思うわ。フェリクスに確認したの。エスターテ城で命を落とした人たちがどれぐらい居たのか。あなたたちはジュリアや下働きの人たちには手を掛けなかった。エスターテ城はユリウス様を閉じ込めることを目的としていたから、それほど人はいなかったのよ。護衛として、数十名の軍人が待機していたけれど、あなたたちの前に抵抗できる戦力ではなかった。だから、簡単に陥落した」
「……そうだな」
「亡くなった人たちは少なかったわ。そもそも、身代わりに出来る人間自体そういなかったのよ。だから、フェリクスも覚えていた。その中に、あの人はいなかったそうよ」
 フィオレンティーナ自身、その人物の生存は難しいだろうと思っていた。
 ディートハルトのユリウスに対する憎悪を見せつけられたとき、彼が死を増産したことに疑いを持たなかった。きっと多くの人が殺されたのだろうと思っていた。
 しかし、ユリウスを目的としていたディートハルトは、他の者に構わなかった。フェリクスやアルベルトが目を光らせていた軍は規律に厳しく、略奪を禁じていたため、城内の戦闘は軍人対軍人――圧倒的な兵力差の前に、命を落とす前に、捕らえられた者が多かった。
 そして、フェリクスは敵であれ、利用価値があったので重傷者にも手厚い看護を施したと言った。皇帝と皇太子の死でもって、戦禍(せんか)を最小限に抑えようとしたフェリクスだから、その言葉に偽りはないだろう。
「それが、仮面の男?」
「ええ。エスターテ城にいた人が仮面の大将の正体。そうでなければ、仮面を付ける理由が分からないもの」
「仮面をつける理由?」
「そう、ユリウス様の名前を利用するのに容姿なんて、必要ないの。あたかもユリウス様がいるように見せかけて、名前だけをこちらに流せば良かったのに、なまじユリウス様の容姿を知っていたから、細工をしたの」
「白い髪か……」
「アルベルトが帝国では珍しいと言ったユリウス様の白銀の髪は、実際のところ、帝国の人たちには知られていないの。だって、ユリウス様は、帝国にやって来て直ぐに、エスターテ城に閉じ込められてしまったのだから」
 ユリウスの世界はエスターテ城の最上階に造られた豪奢(ごうしゃ)な檻のなか。そこに足を踏み入れることができたのは、数えるほどしかいない。
 そして、そこでユリウスと顔を合わせていた彼は、なまじユリウスという人間を知り過ぎていたために、ユリウスの名を(かた)る際に容姿にこだわったのだろうと、フィオレンティーナは考えた。
 他の人間だったら、偽ろうにもユリウスの容姿すら知らない。
 万が一、ユリウス本人であるとするなら、顔に傷を負ったという理由で仮面をつけるかもしれないが、傷を負ったのならばエスターテ城から生き延びた証として、表に晒した方が、信憑(しんぴょう)性が増す。
 しかし、ユリウスの名を騙った男は仮面を付けていた。
 髪は白く染めたのだろう。だが、顔は偽れないから、仮面で隠した。
 また、そうしなければならないと思ったのは、ユリウスと同じ顔がシュヴァーン王国にいることを知っていたからだろう。
「そこまでこだわったのは、他でもなくその人はユリウス様がお亡くなりになっていることを知っていたからだわ。名前だけでは、あなたが反応しない可能性もあると考えた。何故なら、あなたがユリウス様を殺したと……直接、殺したかどうかは別にして、シュヴァーンの新王ディートハルトが殺すように命令したと思っているから。実体を持たせ、名ばかりではない亡霊として、ユリウス様のように振る舞って、敵に――あなたに印象付けようとしたのよ」
 フィオレンティーナの推察に、ディートハルトは彼女を抱く腕に力を込めて、言った。
「……ユリウスじゃなかったんだな」
「ええ、ユリウス様はエスターテ城でお亡くなりになったの。誰もユリウス様の代わりになんて、なっていないわ。ユリウス様は誰かを身代わりにするような、そんな方ではなかった。私はそのことを誰よりも知っているの」
 フィオレンティーナは、かつて愛した人の――今は亡き婚約者の名誉を守るために力強く断言した。


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