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 1,転校生


「転校生を紹介する」
 教室内がシンと静まり返ったのは、クラス担任のオッサンの野太い声が威圧的だったからではない。
 誰もが担任の存在を無視して、俺だけを見つめていた。
 息をすることも忘れたように呆然と。
 いい加減、こんな反応にも慣れてしまったが。
 オイオイ、そろそろ息をしないと窒息してしまうぜ?
 俺は衆人の視線を振り切るように背を向け、黒板に向かった。チョークで名前をそこに書き記す。
 ――鬼堂冴樹。
 あまり上手とは言えない字面で書いた自分の名前に頷いて、俺は新しいクラスメイトたちに再び向き直った。
 凛とした声と、誰かが言ってくれた声を響かせて、俺は勝手に自己紹介を始めた。相手の反応を待っていたら、いつまで経っても終らない。
「キドウサキです。女のような名前ですが、俺は結構気に入っています。だけどくれぐれも “ちゃん”付けでは呼ばないでください。一応、男なので。転校理由は――兄の病気療養です。暫く、お世話になります。趣味特技は特にありません。性格は社交的ではありますが、協調性はないです」
 ようするに外面は良い――愛想は良い――けど、付き合いは悪いってことだな。
 ここで俺は一息ついて、周りの反応を見た。
 転校初日に、物怖じしない俺の態度に驚いているのか、呆れているのか。
 クラスメイトたちは、俺が教室に入ってきたときのまま、呆然としていた。
 俺はしょうがないので、場を繋ぐように続けた。
 さて、何を語ろうか?
 まあ、転校回数が半端でない俺だ。今までの経験から、求められた質問の回答を聞かれてもしないが、言ってしまおうか。どうせ、聞かれるだろうからな。
「残念ながら、彼女はいません。好みのタイプは、他人に対して外見的価値を求めない子です」
 外見で男を選ぶ女は好きじゃない。
 何しろ俺の外見はかなりのものだ――自分で言うなって、ツッコミが聞こえそうだが。事実だからしょうがない――そのせいで、どれだけ女に苦労してきたことか。
 ここで防波堤を造っておけば、後々の被害は最小限に食い止められるだろう。そんな淡い期待を抱いてみるが、果たして、どれだけの効果があるのやら。
 俺は密かに嘆息を吐いた。
 俺の父親っていうのが、綺麗な顔をしていた。俺の人生で一番と言うくらい綺麗な顔だ。テレビを見れば、何百人と言う美女を目撃できるというのに、俺はいまだかって、父親以上の美人を見たことがない。
 白い肌に漆黒の髪。青が微かに混じった灰色の瞳に、整然と整った目鼻立ち。
 その美貌に見つめられると魂を抜かれるほど――いや、実際に魂を抜かれた奴なんていないが。失神した人間がいたとか、いないとか。
 俺、鬼堂冴樹は、そんな父親の血を色濃く継いでいる顔をしている。
 回りくどい表現だったが、端的に言ってしまえば、俺も父親に負けないくらい綺麗な顔をしているということだ。
 自分で言うと――まじでナルっぽいから、嫌なんだけどな。
「身長は百七十八センチ、体重は六十五キロ」
 ここ十数年間、変化することを止めてしまった身体。ちょっと、見た目には痩せている印象があるらしいが、こんなものだろう?
「家族構成は兄が一人。好きな食べ物は味があるもの。嫌いな食べ物は味のないもの」
 幼少の頃、父親に食べさせられた料理が味の薄いものばかりだったので、薄味のものが嫌いになってしまった。何しろ、調味料を一つも使っていない、肉も野菜も茹でるだけという、そんな料理。
 素材の味っていうのは嫌いじゃないが、それが毎日延々と続けばさすがに飽きが来る。誰だって、嫌になると思うぜ。
 ……って、何でこんなことまで喋っているんだ、俺は?
 一体、どこまで話せばいいんだよ? オイ。
 ややうんざりした気持ちでいると、チャイムがなった。まるで、催眠術から解放されたかのように、教室がざわめき始める。
 俺は担任に目を向けた。
「ああ、席は」
 俺の視線を受けて少したじろぎながら、担任は教室の後方にある、急ごしらえで運び込まれたとわかる――机の上に椅子が乗っているところから見て、一目瞭然だ――机を指差した。
「岸谷、柚木、後で校内を案内してあげなさい」
 恐らくはクラス委員だろう二人を、担任は名指しする。それに応えて、立ち上がった二人を見て、今度は俺は呆然となった。
 岸谷という男は、端から眼中にはない。
 問題は女子のクラス委員――柚木と呼ばれた彼女に、俺は昔、死に別れた女の面影を見つけた。
 そうして、俺は十三年という時間を実感してしまった。
 ある日を境に、壊れてしまってから、動くことがなくなった俺の時計の針。
 でも、俺以外の時計は確実に時を刻んで、動いていた。
 わかりきっていたことだったけれど。
 俺が時間という概念から外れた生き物であることを、目の当たりにさせられた。


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