3,夜の住人 自分の性格っていうものを、人はどれだけ自覚しているものだろう? 俺は少なくとも、自分のことは良く知っているつもりだった。 愛想笑いをばら撒く癖に、決して自分の領域に相手を踏み込ませない意固地さ。ときに、自分でも辟易してしまう口の悪さ。他人に優しくなりたいと願いながら、それを実行できない不器用さ。 飽きるほどの時間を費やしながら、変われない自分。 そんな自分を、俺は気に入っている。 まあ、完璧な人間なんて面白くない。長所があって短所もあって。幼稚で、ときに義憤に一々腹を立てて。決して大人になりきれない俺を俺は容認していた。 無理に大人になる必要はない。 今の俺でいい。 そう思えるのは、自分の全てを知っているつもりだったから。 でも、いきなり自分でも想像出来ないことを言い出したことに、俺自身が驚いた。 幽霊が見える――って、何だ、それは? 作り話をするにしても、もう少しマシなことを言えないのか、俺は? これじゃあ、本当のことと大して変わらないじゃないか。 自分自身の言葉に呆然としている俺の前で、千尋もまた驚いていた。 そりゃ、いきなり、霊感少年と名乗る奴に死んだ母親の名前を聞かされたら、驚くだろうよ。 俺が千尋の立場だったら、相手の神経を疑うか、関わり合いになるのが嫌で、逃げだすぜ。 「幽霊が見えるって……本当?」 半信半疑で問いかけてくる。 こんなことを直ぐに信じ込まれたら、俺としても困るけれど。全然信じないというわけでもない態度にも困った。 何だか、今さら「嘘です」なんていえる雰囲気ではない。 俺は頬が引きつるのを自覚しつつ、続けた。 「……ああ、まあな。何もかもが見えるって訳じゃないけれど。は、波長がすると、見えたりするんだな」 もっともらしい言葉を繋いでいく。 泥沼に沈んでいく感じがする――いいのか、俺? ひ、引き返すなら今だぞ。 「私のお母さんが見えるの?」 千尋が真摯な眼差しを向けてきた。 見えるかって? ――見えるわけない。ない。ない。断じて、ない。 俺は幽霊の存在を信じちゃいないし、目撃したこともない。 そんな俺に見えるものは、現実に生きてきた思い出だけだ。 だけど、疑うことなく真っ直ぐに千尋が見つめるから、「嘘」だなんて言えなくなってしまった。 俺は千尋から視線をそらし、少し後ろに視点の焦点を合わせながら言った。 「――ああ。君と同じ姿をした女の人が、君を見守っている姿が見えるよ」 * * * 「お帰り、冴樹ちゃん」 家のドアを開けると、待っていましたとばかりに顔を覗かせたのは、俺の一応兄貴ということになっている――鬼堂樹だ。 漆黒の髪に切れ長の目元。長い睫の奥で輝くのは、青灰色の瞳。白磁器のような滑らかな肌に、バランスよく並んだ目鼻。歪みのない頬から顎へのライン。 それらは俺と変わらないのに――俺の顔は、目元が少し幼い感じがするので、高校生という枠に収まる――既に、完成された大人の美貌。 俺は今までの人生で、樹以上の綺麗な顔をした奴を見たことがない。 美人は三日で飽きるというが、ずっと長い間、同じ顔を見続けてきたというのに、いまだに樹の顔を見飽きるということはない。 それは恐らく、俺と樹の間に切れない絆があるからなんだろう。 清麗とした美貌に、これ以上ないというくらいの優艶な笑みを浮かべて、樹は俺を迎えた。 しかし、直ぐに表情を改めて小首を傾げる。少し長めの漆黒の髪が肩に触れて、サラリと音を立てる。 「どうかしたの?」 「は? 何が?」 「冴樹ちゃん、凄く難しそうな顔をしているよ。何か、あったの?」 心配そうに声を潜め、俺を覗いてくる。 生まれたときからの付き合いの樹には、何もかもお見通しってわけかい? 「……別に」 俺はぶっきら棒な声を吐き出した。 何かあったといえば、転校した先で昔馴染みの女と会って、その彼女相手に馬鹿なことを口走ったと言うこと。 ……今振り返ってみても、自分の行動が理解できない。そんなことを樹に何と話したらよいものか、わかりゃしねぇ。 「お茶でも飲む?」 渋面を作った俺に、樹が気遣うように問う。決して、深く追求してこないところは、樹の優しさだろう。 この男は、始末におえない位に優しい。 自分よりも他人を優先させて。身を引いて。 そうして、樹は自分を傷つける。 馬鹿が付くようなお人よしだ。他人を思いやってばかりで、自分を殺してしまう。 だから、こっちが気をつけていないと、樹はズタボロになってしまうだろう。 俺との関係が壊れてしまうことは、樹にとって傷つくよりも怖いことらしい。だから、俺の機嫌を損ねないように、身を引く。 何しろ、樹にとっての世界は、俺によって構成されていた。 自己紹介したとき、兄の病気療養と言ったが、それはあながち外れてはいない。 本当のところ、こんな田舎に来たところで樹の「病気」が治るわけではない。 樹の「病気」は、人間のそれとはちょっと違う。 表向きは、皮膚の病気ということで通している。紫外線に当たることが出来ないと。 強い太陽光を受ければ、皮膚が火傷し、最悪炭化しては灰と化す。それも瞬く間の一瞬で。 ――樹の「病気」は、人が想像するよりも早いスピードで、進行する。 だが、それを止める方法もあった。 生き血を吸えば、昼間の太陽光を受けても平気だった。 ここまで聞けば、樹の正体がわかるだろう? 世間で言うところの、吸血鬼だ。 まあ、小説にある吸血鬼そのままのイメージが、どこまで樹と一致するのか、俺としてもよくわからない。 吸血鬼に血を飲まれて死んだ人間が、吸血鬼になるという話もあるけれど。生憎と、それは小説の中だけの話らしい。いや、実際に本物の吸血鬼ならそれが可能かもしれない。 吸血鬼と言っているけれど、樹自身、自分の種族について把握していない。人より長く生きること。太陽光が苦手なこと。多少の怪我は直ぐに治ってしまうこと。ちょっとした暗示能力を持っていること。 そういった様々なことから、吸血鬼が一番型にはまったというところだ。 昔は、樹のほかにも多くの吸血鬼がいたらしいが、今はその存在を知らない。樹としても、自らの両親だった二人しか知らないという。人間によって狩られたことで、絶滅したと見なすのが妥当なところだろう。 そんな唯一の――唯一と言っていいのかわからないが――生き残りである樹は、もう三百年の時を生きてきた。 優しすぎた樹は人の血を吸うことが出来ずに、暗闇の中で一人。その樹が、暗闇から人間の世界に出てきたのは、約半世紀前に俺の母さんと出会ったから。 そうして、人間であった母さんとの間に俺が生まれた。 人と吸血鬼が同じ時間を刻むことが出来ないことは、樹が三百年近くを生きていることからでもわかるだろう。 母さんのところから赤ん坊だった俺を連れて、樹は逃げ出した。 そして現在、俺は樹と同じように時間を止めて――太陽の下で生きていた。 血を吸わずにも、光の中で生きることが出来たのは、恐らく俺の中に半分流れる人間の血のおかげだろう。 暗闇の中でしか生きられない樹が、外の世界に接することが出来るのは、俺を介してだけ。たまに、夜の遅い時間、散歩するくらい。 だから樹は、時にうっとおしくなるほど、俺の学園生活を聞きたがる。それだけが、樹の楽しみなのだと言ってしまえば、無碍には出来ないし、する気も引ける。 でも、こんな風に話せない――別に話せないような秘密はない。ただ、どう話したらいいのかわからないだけの――ときもあって。 俺が口ごもってしまえば、樹はそれ以上追求することを諦めてしまう。 それは俺に嫌われたくないという――両親を虐殺された樹には、息子の俺がただ一人の家族であれば、しがみつくのは当然か――気持ちと、俺の心情を考える樹の優しさの現われだけれど。 樹自身が無関心になってしまったわけではない。 自分の願望より、他人の都合を優先させる自己犠牲は、見ているこっちが逆に痛くなる。 その辺りのことを、優しすぎる樹はわかっていない。 ときに、我が儘が相手を喜ばせるということを。 俺には我が儘を言っていいよ、と言う癖に。 「林檎、買ってあったよな。アップルティーが飲みたい」 俺は樹に注文した。 「うん。直ぐに淹れるね」 「砂時計使って、ちゃんと茶葉を蒸らすんだぞ?」 「わかっているよ。おやつはクッキーでいい?」 ニコニコと笑いながら、まるで子供を相手にするかのような口調で聞いてくる。 三百年を生きた樹にしてみれば、俺はいつまでも子供だろうけれど。 「着替えてくるから、美味いのを頼むぜ?」 俺は台所へ向かう樹の背中に声を掛けて、自室へと引き上げた。 そうしながら、笑う。 これが、化け物として小説の題材とされる吸血鬼の日常だっていうのだから。 俺たちのことを小説にしたら、何ともつまらん、物語だろうよ。 |