6,偽りの諸刃 「お母さん、私のことで何か言っている?」 返答に困る質問をしてくる。今の千尋に対する万里の感情なんて、俺には知りようがない。 この世に幽霊なんてものが実際にいて――俺は信じていないけれど――ここに万里が本当に居たとしても、その声も姿も、俺には聞こえないし見えない。 「……千尋が美人になっていて、嬉しい」 これは半ば、俺の感想だった。 万里によく似た笑顔は、胸を痛くするけれど。同じくらいに懐かしくて、嬉しくなる。 「えっ? ええっ?」 目を丸くして、千尋は頬を赤く染めた。それを隠すように、両手で顔を隠す。 「さすがに、自分の娘だけはあるってさ」 万里の性格を思い出して、彼女の口調で真似てみた。 「お母さんが言ったの?」 「千尋と万里って微妙に性格が違うみたいだな。いや、俺としてはどっちも付き合いがあるわけじゃないけれど」 「お祖母ちゃんが言うには、私とお母さんは似ているようで似ていないって」 軽く肩を竦めて、千尋が笑った。 お祖母ちゃんというと、万里の母親だよな。 千尋には父親と呼べる存在はいない。 万里は未婚のまま、子供を産んでいた。 今ではそういう生き方を選ぶ女の人も少なくはないだろうが、昔のことだし、こんな田舎だ。体裁が悪いと、万里は実家から勘当されていた。とはいえ、万里の母親は実家から近いこともあって、ちょくちょく顔を出していたらしい。 万里が死んで、一人取り残された千尋は、その祖母さんの元に引き取られたんだろう。そこで千尋がどんな扱いを受けたのか? 俺にはわからない。 万里のことを心配していた母親のことだから、祖母さんは千尋を優しく迎えてくれたんではないかと推測する。 問題は、万里を勘当した祖父さんの方だ。 それに付いて問いただしたいところだが、幽霊が見えるなんて嘘をついた手前、千尋に尋ねることは出来やしない。 「思い立ったら直ぐに行動しちゃうところは同じだって。でも、よく考えて行動しないから、失敗することが多いのね? そういうとき、私のお母さんは開き直っちゃうんだって」 苦笑交じりの千尋に、俺もまた乾いた笑みを返した。 …………そういう女だった。 万里は自分の失敗にも落ち込まない。ドジを踏んでも、ケラケラと笑って俺を呆れさせた。 そういう万里だから、シングルマザーという境遇に不幸を感じさせなかった。 万里は幸せそうで。万里に愛されていた千尋も幸せそうだった。 あの事故が起こるまで、俺は二人が笑って暮らしている未来を簡単に想像していた。 世の中、望む未来を簡単に手に入れることは出来ないのだと、俺自身が嫌になるくらい痛感していたというのに。 万里と千尋の未来を疑うなんて、欠片にも考え付かなかった。 「きっとお母さんのことだから。事故の瞬間、自分が死んだことに気づかなかったんだろうね。本当なら、天国に逝くはずだったのに。この世に残って。それでしょうがなく、私の守護霊になっちゃったとか?」 クスクスと笑う千尋の視線は、あてもなく彷徨う。万里の姿を求めているのだろう。 「どうして、わかったのかって……驚いているよ」 俺は目を伏せて、嘘を吐いた。 嘘がこんなに痛いなんて、初めて知った気がする。 今までだって、沢山の嘘をついてきたし、それで人を傷つけたこともあった。 でも今ほど、嘘を後悔したことはない。 「あのね、冴樹君に会って欲しい人がいるんだ」 上目遣いで見上げてきた千尋に、俺は首を傾げた。 「誰?」 「お母さんもよく知っている人なんだけど」 俺を試そうとしているのだろうか? ――と、一瞬、疑ってしまってから、俺は慌ててその思考を打ち消した。 千尋は俺の嘘を完全に信じきっている。でなければ「お母さんも」なんて、前置きはしない。 「放課後でいいんだけど、会ってもらえるかな?」 「……ああ、いいよ」 * * * その男が、俺を目にしたときの反応はというと、やっぱり、俺の美貌に――いや、だから。自分で言うのも何なんだけど――驚いていた。 だが、その後は少し違った。 目をぱちくりと見開いて、顔を引きつらせた。何だか、怖いものを前にしたように、上半身を仰け反らせる。 そりゃ、俺くらいの美形なんて――いい加減に、しろって? ――そうそうお目に掛かれるもんじゃないだろうよ。 俺が樹を見ていて、そう思うこともしばしばだから、気持ちはわからなくもない。何だか、この世にあっては成らないって感じなんだよな。 ……まあ、樹は吸血鬼で、普通の人間からすれば化け物なんだろうが……。 昼間は外に出られない樹が、真夜中に月明かりを受けて悠然と佇んでいる姿なんて、見てみろよ? 魂を引っこ抜かれそうになる。 どんなに綺麗で美しいものを知っていても、一瞬にしてそれらへの関心は褪せる。 ただ、目は――目だけではなく、身体中の全てが樹に対してざわつくだろう。 そんな樹によく似た俺の顔は、母さん譲りの目元のおかげで、幾分人間らしさを備えて、身近に感じられるだろうけれど。 本能で気づいてしまったら、俺たちの異質さは、やはりこの世にはあり得ない存在だと思わせるのかもしれない。 人間ではない――。 ……とまあ、一気にそこまで思考をぶっ飛ばす奴なんていないだろうけど。 目の前の男は、あと一押しすればそこまで突っ込んでいきそうな勢いが――勢いって言うのか? ――あった。 俺はここで千尋から紹介された男を観察した。 顔はまあまあイケている方だろう。千尋と並んだら、美男美女としての理想カップルが一組誕生って感じだ。 もしかしたら、クラスの男どもが千尋に迫れなかったのは、この男の存在があったからかもしれない。 大学生だというそいつは毎日、律儀に千尋の学校帰りを校門前にまで迎えに来る。傍から見れば、彼氏以外の何者でもないだろう。 頭が良さそうな怜悧な顔立ち。染色されていない黒髪に、病弱的な白さでもなく、スポーツをしていて真っ黒に焼けているというわけでもない、いたって普通な小麦色の肌。 ブラックジーンズにレイヤードTシャツという、割かし普通の装い。 すらりと伸びた背筋は姿勢がよく、背丈は俺と同じぐらい。それだけでも、十分に見栄えがする。 ……って、あれ? 俺はマジマジと、目の前の男を見つめ、首を傾げた。 どこかで見たことがあるような気がした。 どこで? と、記憶を辿って思い出せば。 ああ、この間、俺の姿を見て一目散に逃げていった男だ。 |