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 ― 4 ―


 この男たちが自らを「魔族」と騙った。
 レンたち、町の住人はだまされていたのだ。
 魔族には人の姿をしたものもいる。一見すれば、素人目には見分けがつかないだろう。
 ユウナは冒険者学校で、魔族というものについて学んでいる。
 人の形をした魔族を魔人と言うが、魔人は人間と比べると耳が少しばかり尖っているという。
 レンを捕らえた傷の男にしても、ユウナを捕らえていた男にしても、その耳は丸い。魔族とは違う。
 それに魔族は人と違い、脅威の回復力があり、部位を失くすという大怪我でもしない限り――目を潰されたり、腕や足を切断されたりといった――多少の傷はたちまち塞がってしまう。
 男の肌に刻まれたような傷は、魔族にはありえない。
 この二人は間違いなく、人間だった。
「貴方たちはっ!」
 〈ゼロの災厄〉に対する人々の恐れを利用して、金を巻き上げるなんて――なんて、卑劣な。
 激昂に声を張り上げながらユウナは、男の目に向かって手のひらを突き出す。
 顎を突かれたことによって、脳天を揺さぶられ、足元をふらつかせていた男は目の前に突き出されたユウナの手を避けようと、顔をそらす。
 狙い外れて、ユウナの突きは男の頬骨を叩いた。それでも全体重を乗せた突きは効果があったのだろう。男はよろめいて、尻餅を付く。男がユウナから剥ぎ取ったリュックが男の手から離れて、地面に落ちた。
 ユウナは確実に動きを封じるべく、追撃しようと一歩踏み込んだ。その足元に、魔弾がコロコロと転がってきた。
 魔弾をブーツで踏みつけた瞬間、ユウナの足首がねじれる。激痛が走って、自らの身を支えられなくなったユウナは右肩から倒れこんだ。
 山道に散らばった魔弾の固い感触が、腕に、脇腹に、食い込んでくる。
「――痛っ!」
 倒れた姿勢で、身体を折り曲げ、激痛を堪えようとしたが、悲鳴は喉を突いて出た。それでも、体勢を立て直して男へと向き直ったユウナの背中に、声が飛んだ。
「動くなっ! このガキがどうなってもいいのかっ!」
 肩越しに振り返ったユウナの杏色の瞳に、レンの首筋に短剣の切っ先を当てるもう一人の男の姿が見えた。
「――――っ!」
 前のめりになりかけた身体に急制動をかけて、ユウナは唇を噛む。
 ユウナの急襲に、レンを捕らえていた傷の男は自分が手にしている切り札を失念していた。しかし、ユウナの転倒によって生じた時間に、傷の男は切り札の存在を思い出したらしい。
 あのまま、男を片付けられていたなら、傷の男はパニックに陥っていただろう。それだったら、グエンに教えてもらった護身術でレンを助けることは可能だった。両手が自由になれば、魔弾も使える。
 しかし、レンを盾にとられて、それを実際に突き出されてはユウナとしては動きようがなかった。
 戦闘態勢をといたユウナは、傷の男に対して正面に向き直った。
 その横っ面に、背後から横殴りに飛んできた拳が頬を打ち、ユウナの華奢な身体は山道へと再び叩きつけられた。
 顎がきしんで、口の中に血の味が広がる。カッとした熱が頬を中心に広がるのを自覚して、ユウナは顔を上げた。
 するとこちらに近寄ってくる人影が見える。尻餅をついて倒れた男が起き上がって、ユウナを殴ったらしい。
 男は殺気漂う視線でユウナを見下ろして、血がにじんだ唇の端を捻じ曲げる。
「ガキの癖にやってくれたじゃないかっ! しかも、女かと思ったら、男かよっ! ガキならガキらしく、大人には従っておくモンだろっ?」
 血が混じった唾を吐き捨てると、男はユウナの胸元を掴んで引き起こしては、ぐらぐらと前後に揺さぶる。
 数度にわたって、身体中を強打しているユウナは、ちょっと衝撃でもそれは激痛に変わった。泣きたくなる衝動を堪えて、ユウナは男の目を睨み上げた。
「何だ、その目は? 喧嘩でも売ってんのか? 魔族相手に恐れ知らずだよな、お前。たくっ、町長も余計なものを寄越しやがって。金はどうしたっ?」
 リュックの中身が金ではないことを知った男の怒声が、ユウナの鼓膜に不快に響いた。
 激痛と頭の内側でこだまする不快な振動に、ユウナは散漫としがちな意識を、唇を噛んで引き寄せた。
「……魔族を騙ってみせたところで、貴方たちは人間だ。怖いものなど何もない」
 グイッと顎を上げて、ユウナは男の目を見据える。
「何で、こんな真似をするのですかっ? 同じく、魔族を恐れるからこそ、それは脅威になる……」
 この男たちも、魔族に対する恐れがあるのは明確だった。
 怖いと思うからこそ、他人に対しても脅威になりえると考えた。脅しに使えると思った。
「……人々の恐怖を知っていながら、何で貴方たちはっ! その恐怖をあおるんですかっ!」
 怖いと思う感情は、誰もが同じであるはずなのに。
 自らの恐怖を他人に押し付け、それだけならまだしも、その恐怖をダシにして金を巻き上げるなんて真似は――許しがたい。
「くそっ! このガキっ! 俺たちのことを」
 男は仲間であるだろう傷の男を振り返った。男の肩越しに、レンを捕まえた傷の男の苦々しげな表情が見えた。
「ちっ! 町の人間にもバレたかっ? まあ、いい。町長の息子がこっちにある。今度は、こいつで金をせびるさ」
「このガキはどうする?」
「始末してしまえ。女なら売れただろうが、男じゃ使えん。大層な口を聞きやがって。大人に説教するとはいい度胸だが、それが命取りになるってことを教えてやれ」
 傷の男の命令を受けて、男の拳が再びユウナの顔に振ってきた。
 殴られたその勢いで、地面に倒れこむ。そこへ、男の靴の爪先がユウナの腹部を蹴り上げる。
 ユウナの軽い身体は蹴りによって、浮かび上がり、そして、落ちる。叩きつけられた反動で、バウンドして、山の坂道を転がった。
「――くっ!」
 ユウナは激痛に耐えて、上半身を起こす。こちらへと距離を縮めてくる男に向かって、問いかけた。喉の奥がざらついて、声を出すと血が吐き出されるんではないかと思う。それでも、男たちに問い質さずにはいられなかった。
「他人を騙して、得たお金を喜んで恥ずかしいと思わないのですかっ? 貴方たちはっ!」
「恥ずかしいっ? ハンッ! どうせ、〈ゼロの災厄〉がやって来たら、何もかもお終いなんだろ? だったら、それまで何しようが関係ないだろっ!」
 男はそう吐き捨てると、ユウナの顔に蹴りを入れようとした。
 目の前に迫った靴底に、ユウナは目を瞑った。避けている余裕なんてなかった。
 ――蹴られるっ! そう覚悟して、奥歯を噛んだユウナだったが、しかし、何も起こらなかった。
 三つ数えるほどの間をおいて、恐る恐る目を開けるとユウナの前に立ちはだかる人影があった。
 その人影は男の足を左の小脇に抱えた姿勢で肩越しに振り返ると、能天気と言っていいようなほど明るい笑顔を見せた。
「やっ! 危機一髪だったね、ユウナちゃん」
 笑顔と共に、明るいその声は――他でもない、グエンのものだった。
「…………グ……エン……さん?」
 どうして、ここにグエンがいるのか?
 ユウナはその事実が理解できなくて、呆然と背の高い剣士を見上げる。
 そして、ユウナを見下ろすグエンの藍色の瞳は、ボロボロになった仲間の姿を目視すると、スッと細くなり前方へと流れていく。
「――テメェら、よくも俺らのユウナちゃんに傷をつけたな――」
 低く押し殺した声を腹の奥底から吐き出して、グエンは掴んでいた足を手前へ引き寄せる。そうして、迫った男の顔面に黒の手袋を嵌めた拳を叩き込んだ。
 ユウナの突きとは比べ物にならない破壊力を持った鉄拳は、男の鼻を折り、血を噴出させる。吹き飛ばされた男は顔を抑えて悶絶する。そこへ、間髪入れずにグエンの回し蹴りがとんだ。
 蹴り飛ばされた男の身体は山道の脇に生えた木の幹に叩きつけられる。
 そこで、まだ意識を手放さなかった男の根性を褒めるべきか、不幸を笑うべきか。
 グエンは腰に携えた剣を鞘から抜き払って、叫んだ。
「――死んで、詫びろっ!」
 剣を一閃させ、グエンは男の片腕を切り落とした。肉を断つ鈍い音の後、地面に転がる太い腕。吹き出す血飛沫を目にして、ユウナは我に返った。
「グエンさんっ! 待って!」
 普段は口調にしても軽くて、軽薄な印象しか与えないグエンだが、仲間意識は多分、三人の中で一番強い。
 ユウナに与えられた暴力に、グエンが本気で怒っているのが、彼から放たれる殺気でわかる。
 魔族と対峙したときでさえ、こんな気迫を見せたことがあっただろうか?
 呼びかけた声に振り返った、藍色の瞳の眼光の鋭さに、ユウナは思わず息を呑む。
 視線で殺されるのではないかと思うくらいにその瞳が宿す光は、鋭く冷たい。
「……グエンさん」
「待って? 何を待つと言うのさ、ユウナちゃん。だって、こいつらは未来に希望なんて持っていないんだろ? ――だったら、ここで俺が引導を渡してやる」
 二年後に迫った〈ゼロの災厄〉――その恐怖に、希望は蝕まれ、男たちは投げやりに生きていた。だから、他人を傷付けても何とも思わない。罪悪すら感じない。
 罪を背負って生きていく覚悟すらない。
 それは、グエンが言うように未来に対して希望を持っていないからだ。
「〈ゼロの災厄〉を待つ必要なんかない。俺が絶望と言う名の死を与えてやるよ――」
 鮮血に染まった剣を掲げて、グエンはそう宣言した。


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