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 ― 5 ―


 腕を切断され流血する傷口を押さえて男は、目の前に迫った剣の切っ先に悲鳴を上げた。
「うわぁぁぁぁっ!」
 その声に我に返ったのか、男の仲間が声を上げ、グエンを牽制した。
「動くなっ! こいつがどうなってもいいのかっ!」
 グエンの暴走に気をとられすぎていた。
 ユウナは、傷の男に捕らえられていたレンの存在を思い出し、喉の裂けるような痛みを堪えて、声を張り上げた。
「グエンさんっ! レンさんがっ!」
 ユウナの声にグエンは、首を傾けるようにして、レンに短剣の切っ先を当てる傷の男に目を向けた。
 藍色の瞳に、震える少年とこちらが一歩でも動こうものなら、躊躇なく短剣を少年の首に滑らせるであろう傷の男の姿を映して、グエンは酷薄に笑う。
「そんな脅しに俺が屈するとでも? 脅迫するなら、脅迫になりえるものを手元に置いてからするんだな。そいつがどうなったって、俺は痛くも痒くもない」
 感情の抑揚もなく、グエンは告げた。
「お前こそ、お仲間を殺されたくなかったら、そいつを放しな」
 グエンが手首を返すと、剣は横に滑り、片腕を切断された男の頬に、薄い朱の線を引いた。
「次は首を断つ」
 グエンは傷の男を見据えたまま、言い放った。
 剣の切っ先は片腕の男の首、喉元に突きつけられた。
 少しでも、グエンの腕が動けば、剣は男の首に食い込むだろう。研ぎ澄まされた刃が天空の陽を受けて黄金色に輝く。
 レンと同じ立場に置かれることとなった男自身は身動きできず、突きつけられた運命に目を見開いていた。
 腕を切られた激痛に少しでも動けば、それだけでお終いだ。
「……あっ……うっ」
 傷の男は、痛みに喘ぐ仲間を見やり、それからこちらを直視し、一瞬でも視線を逸らそうとしないグエンに対して声にならない声を上げた。
「……っ!」
 唇に冷笑を浮かべたグエンは、ゆっくりと頬を傾ける。
「どうした? 仲間を見殺しにするか? 俺は、別に構わないぜ。見殺しにしても、そいつを殺しても」
「……グ……エンさん」
 冷淡にレンを切り捨てるグエンに、ユウナは目を見開いた。
(この人は……ここまで、冷たい人だったのか?)
 まるで、別人のようなグエンの一面に、ユウナとしてはただただ驚いて声も出ない。
 少し前まで優位性を保っていた傷の男から、舞台は完全にグエンの独壇場に変わっていた。
「〈ゼロの災厄〉がやって来たら、お終いなんだろ? こいつも――」
 グエンは自らの手に、命運を握った男に目を向け、
「そいつも――」
 それから、レンへと視線を流し、
「お前も――」
 傷の男を再び、冷酷に見据えて言った。
「なら、ここで人質が死んでも俺は痛くない。わかるだろ? そいつは、俺に対して人質にはなり得ないのさ」
「……くっ!」
「さあ、答えを見せてみろよ! 生きるか、死ぬかっ! そいつを連れたままじゃ、俺からは逃げられないぜっ!」
 グエンの一喝に、弾かれたように傷の男の腕が動いた。
 短剣の先がレンの首に突き刺さる――その動きを、ユウナは見つめるしかなかった。
 だが、肉に食い込む寸前で短剣が動きを止めた。
「――なっ!」
 傷の男は驚愕の声を上げた。
 何かに、止められた。
 見えないが、確実に存在する何かが、短剣を止める。
 力を込めても、ビクリとも動かない。
 力を込めれば込めた分だけ、傷の男の腕にその反動が来て、筋肉が引きつる。
 とうとう、男は短剣から手を離す。すると、短剣は傷の男とレンの足元に落ちた。下生えの草の中にパサリと落ちる。
(……何が?)
 事態を見守っていた――見守るしかなかった――ユウナは、一つの可能性に突き当たり、その名を口にした。
「サーラさんっ?」
 黒魔法師が攻撃を主とするなら、白魔法師は防御を主とする補助魔法を習得する。
 攻守という反対の性質をそれぞれ持つ故に、黒と白と言う二極の色によって、魔法師は分別された。
 サーラは何かにつけて蘇生魔法のことを取り沙汰されるが、白魔法師としての基本の補助魔法は完璧だった。
「――はい、何ですか?」
 傍らから声が聞こえてユウナが視線を上げると、いつからそこに居たのか、サーラが背筋を伸ばし立っていた。
「……サーラさん」
「どうしました、ユウナ。今さら、私の名を確かめなければならないことでも?」
 無表情に見下ろしてくるその美貌は、いつものままだ。
 ユウナの勝手な行いに、腹を立てていても良さそうだが。
 サーラはスッと身を屈めると、白い指でユウナの頬に触れた。
「傷だらけですね、痛いでしょう」
 見るからに当たり前のことを問いかけてくるところも、彼女らしい。
 そんなサーラにホッとして、ユウナはグエンの挑発行動が彼女の後ろ盾があってのことだと理解した。
 サーラの防御魔法がレンを守ると、わかっていたから……。
 だから、相手をあおる真似が出来た。
 それにしても、グエンが放った言葉は、どこまでが本気なのだろう?
 躊躇することなく男の腕を切り落とした真意は?
 短剣を取り落とし、傷の男は呆然とグエンを見る。まるで、彼が何かをしたと思っているようだ。
 サーラの存在を知らない傷の男にとっては、見えない力もグエンによるものとしか思えないらしい。
 確かに、今のグエンならば、視線だけでも男を瞬殺出来そうだった。
 自分を見つめる男の視線に対して、冷笑を浮かべるグエンの横顔に、ユウナは我知らず鳥肌を立てた。
 身体の内側から、現実を否定する声がする。
(……こんな人、知らない……こんなの、グエンさんじゃ……ない)
 そこへ、ユウナの不安を感じ取ったらしいサーラが、グエンへと声をかけた。
「――グエン、悪役にひたるのは楽しいかもしれませんが、いい加減にしないとユウナに嫌われますよ」
 瞬間――グエンの首が驚くほどの速さで、回った。
 グイッと、ねじ切らんばかりの勢いで。
 背中に顔が乗っかっているかのような。前と後ろを間違えたかのような。
 見ているこっちの目から、目玉が飛び足しそうになるくらい――ありえない姿がそこにある。
 こちらに背中を向けたままの姿勢で、グエンの顔が真後ろにいたユウナを振り返った。
 そこまで首を捻ることなど不可能だという角度だ。
 思わず、ユウナの目が点になる。
「――ええええっ? 嘘っ! ユウナちゃん、これはお芝居だからねっ!」
 今にも泣き出さんばかりの慌てぶりで、グエンは首を支点に身体を反転させるとユウナに詰め寄ってくる。
「ちょっと怖がらせようとして、一芝居しただけだよっ! 俺は、あんな悪い奴じゃないからねっ!」
 言い訳するグエンに、サーラが告げた。
「自分で悪者ではないという言葉ほど、信用できないものはありませんが」
「姫までっ!」
 グエンは剣を握ったままの手で頭を抱えて、叫ぶ。
「まさか本気でっ? 今まで旅をしてきて、俺のことわかってくれてたんじゃないのっ? いや、確かにさっきのは、ノリ過ぎたと思うけどっ! 迫真の演技だったと思うけどっ! っていうか、俺って何気に演技の天才っ? いや、今はそんなことを問題にしてるんじゃなくってっ!」
 死刑囚が処刑前に自分の無実を訴えるような真摯さで、グエンは血に塗れた剣を片手に振り回して、弁明した。
 何だか、その姿は……すごく……凄く、グエンらしいと思う。
(この人は……こういう人だ)
 ユウナは詰めていた息を漏らすと同時にそっと、笑みをこぼした。
 グエンはユウナにとって、強くて大きすぎる存在ゆえに、その全体像を見透かすことは出来ない。
 でも、軽い口調で表面を装って、投げ出したいような、逃げ出したいような、苦しい場面でも、笑う。笑って、仲間を励ます。
 いつだって、考えているのは仲間のこと。
 それがグエンという人だと、ユウナは知っている。
 勝手に飛び出てきたユウナを追いかけて、ここまで来たグエンことが何よりもそれを証明しているだろう。
 そんな彼が、時に冷酷であったとしても……。
 根底にある思いは、ユウナが知っているグエンのものだと信じてよいはずだ。
『一人でも多くの人を助けられたら、いいね』
 そう笑った、グエンの心に嘘はない。
「……大丈夫です、グエンさん」
 ユウナは殴られた頬の痛みを堪えて、グエンに笑いかけた。
「グエンさんは、とてもいい人です」
 キッパリと言い切れる。
 今ならわかる。
 レンの頼みを拒絶したのも、他でもない。魔族に対する無知を、グエンなりに教えようとしたのだろう。
 恐怖に、ただ魔族というだけで金を差し出す町の人間たちに、魔族がどんなものであるのか、考える機会を与えようとした。
 そうして学んだ後に、命を惜しんで屈するのか、戦うのか、決めるべきなのだ。
 助けて、と叫んだ声がいつも誰かに届くとは限らない。
 希望を持ち続ける勇気がなければ、〈ゼロの災厄〉を乗り越えることなんて出来ない。
 だから……だから……。
「――うんっ!」
 ユウナの笑みに、グエンはニッコリと笑って頷いた。


                  * * *


 ユウナの健気さに、グエンとしても負けていられないと思う。可憐な花の、少女のようなその愛らしさの奥にはしっかりとした信念があって、それは子供っぽい純朴さで、揺らぐことはあるけれど。
 けして、挫けずに咲き続けるから、守りたいと思わせる。
 それはグエンだけではなく恐らく、サーラも同じなのだろう。冷たい彼女が、ユウナのために動いたのは。
 再び、傷の男に向き直るとグエンは駆け出した。
 一息で、男との距離を縮めると男の顔面に、拳を叩き込む。
 レンと男の間に僅かな隙間が出来ると、グエンはレンの身体を男から一気に引き剥がした。放り出されるように解放されたレンを背中に庇って、グエンはよろめく男の脳天に踵落しを決めた。
 山道に顎から叩きつけられた男は顔を抑えて、地面を転がる。
 顎を強打した折に、舌でも噛み切ったのだろう。顔を覆った指の間から、血が流れる。
 グエンは倒れた男の腹の下に、ブーツの爪先を食い込ませると、長い足を跳ね上げた。
 蹴り上げられ、強制的に立たされるような形で伸び上がる傷の男に、グエンは剣を振り上げて、その腕を肩から切断した。
 ゴロンと転がる腕に一瞥をくれて、グエンは男に告げる。
「命が惜しいのなら、この場から去れよ。片腕だけで、勘弁してやる。ただし、死にたいのなら別だが?」
 腕を迷いもなく切り捨てた行いを見れば、男たちの命を奪うことに躊躇はしないと思わせるだけのものがあった。
 傷の男はふらつきながら、後退しグエンの前から姿を消す。
 仲間の男も、一連の騒動間に逃げ出したのか、気がつけば姿が見えなくなっていた。
「ま、これに懲りて二度と悪さはしないだろ? 片腕じゃ、すごんだところで頼りないだろうしね」
 剣を一振りし血のりを落とすと、鞘へと戻しながらグエンは仲間を振り返る。
 温情で見逃してしまうほどには、グエンも甘くなれない。
 絶望は伝播しやすい。今回の偽証行為が横行することを食い止めるためにも、男たちが犯した罪は制裁を免れない悪しきものだと彼らの身に叩き込む必要がある。
 二年後に迫った〈ゼロの災厄〉に、今から絶望していては未来なんてないのだから。
「――ホイ」
 グエンは道端に転がった二本の腕を拾い上げると、それをレンに突き出した。
 血が流れ変色した紫色の、肉の塊を突然押し付けられて、レンは目を丸くする。
 一瞬、その生暖かい感触に手を引きそうになるが、グエンはレンの手に肉塊を握りこませる。
「それで、――町の人間に説明するといいよ」
 押し殺した低い声は、一欠けらも笑わず、その藍色の瞳は刺すようにレンを見下ろした。
「通りすがりの冒険者が、悪者をやっつけてくれたってね。但し、今回は特別だってことをちゃんと説明しておいてね。俺たちは魔族を相手に戦っている。同じ、人間相手に振るう剣は持っていないんだ」
「…………」
 レンはグエンを黙って見上げた。
「魔族は強い。俺たちのように訓練を受けた人間ですら、時に歯が立たないこともある。だけど、悪い人間を正すことは、力なんて無くったって出来るでしょ?」
「オレ……」
「〈ゼロの災厄〉に、目の前の不幸に、助けてって叫ぶだけしか、人間には出来ないわけでもないでしょ? 俺たちも、人間なんだよ?」
「…………オレ」
「怖いのはわかる。だけど、ただ怖がっていたら、怖いことしか見えなくなるよ。ねぇ、未来はそんなに希望がないわけ? それだったら、俺たちは何のために戦うの?」
 グエンは静かに問いかけた。


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