夢見る勇者 ― 1 ― 口蓋から覗いた鋭い牙の奥、赤い炎がチラリと見えた。 魔竜の赤眼は、地面に立ち剣を構える剣士に狙いを定める。 剣を片手にした黒髪の青年グエンは、端整な顔立ちの中、藍色の瞳に紅蓮の赤を映して、不敵に笑う。 唇の片端を持ち上げて、どこか嘲笑めいた視線で、自らの鱗に火炎を這わせた赤い眼の魔竜を見上げた。 「そんなんで、俺たちに勝てるわけないだろっ?」 放たれた烈火の塊が、グエンへと襲い掛かるその瞬間、フード付きのマントを纏った少年ユウナの手から、水の柱が伸び上がった。 手のひらにすっぽりと収まってしまう小さな球体に、閉じ込められていた水の魔法は、解放されると物凄い勢いで飛び出した。 それは、柱から水の龍の形をとって、炎の塊を呑み込まんとする。 異世界から流れてきたものを総じて魔族と呼び、魔族の中でもとりわけ大きな身体を持つ、魔竜。 鋭い牙と長い首、骨格の間に薄い皮膜を張った羽と太い尻尾。硬い鱗で覆われた巨体は炎に包まれ――種によって属性を違える――そこから延びた短い手足には、大地を抉り取る分厚い爪。 そして、口から放たれる炎のブレス。 地を焼いて、空を焼いて、世界を真っ赤に染め上げる脅威の存在を前に、剣士が恐れを抱かずにいられたのは、信頼する仲間がいたから。 淡い茶色の髪に杏色の瞳の少年が――少女のような可憐な面立ちではあるが、正真正銘の男であるユウナの――解放した魔法の水龍は、魔竜と違い、この世界の始まりから神の御使いとして、この世界を見守るという龍族の姿を――言い伝えとしてある龍族はあまりに力のない人間に同情して人に魔法を与えたとされる――とっていた。 それは蛇のような長い胴体で。炎の塊を飲み込んだ後は、魔竜の身体にまとわり付いて、締め付ける。 その魔法の才は誰の目も見張らせる――この少年が、実戦の現場では魔法が使えないという欠点があるなど、今この現場では嘘であると思わせる――確かさで、火炎魔竜の動きを完全に抑え込んだ。 長い首をもたげる火炎魔竜を前に、グエンは声を張り上げた。 「――姫っ!」 その声を合図に、ユウナの隣に、白銀の髪をそよめかせ、薄紫色の瞳の美女サーラが並んだ。 絶世の美貌に感情をのせることなく、事務的なまでに淡々と、サーラは魔法呪文を唱える。 「<盾の階>」 グエンは、彼女を振り返ることなく、地面を踏み込んで飛び上がった。 人間の跳躍力の限界など知れていた。 どんなに頭を垂れたところで、人間の背丈の五倍近くある魔竜の首に、彼の剣が届くことなどまずはありえない。 しかし、中空でグエンの足は何かを踏んだ。 その何かは、サーラが作り出した魔法だろう。 本来は補助魔法として守りの盾となる魔法をサーラは、そしてグエンは、足場にした。 圧縮された空気は固い足場となって、さらに高く飛び上がろうとするグエンの身体を上空へと持ち上げる。 空高く、飛び上がったグエンは手にした剣を逆手に構え、落下の速度に任せて刃を魔竜の首に叩きつける。 硬い鱗が、剣を弾き返そうとするが、グエンは魔竜の首に腕を回して、強引に鱗の間に刃を突き立てた。 魔竜の身に這う赤い炎の熱が、グエンを焼こうとするが、サーラは既にこの辺りまで見越していたのだろう。守りの魔法が熱を遮断した。 「――はぁぁぁぁっ!」 気合を吐いて、グエンは剣に自らの体重を乗せた。鱗と鱗の僅かな隙間を剣がめり込んでいくと共に、拘束されていた魔竜の身体が大きく揺れた。 首を断つ、その激痛に悶えるパワーが、ユウナの魔法を打ち破ったのだろう。 大きく仰け反る魔竜の動きに、首にしがみ付いたグエンが弾き飛ばされる。 「グエンさんっ!」 ユウナは手にしていたリュックの中から、緑色の魔弾を取り出した。 解放すると同時に、魔弾から飛び出した風の魔法は大きく広がり、グエンの身体を大地に叩きつける寸前で受け止める。 フワッと背中に伝わる、見えないけれど確かに感じる感触に、グエンはニッと笑って身を起こす。 「アリガトウね、ユウナちゃん」 そのひと言に、ホッと安堵するユウナの傍をすり抜けて、グエンは再び魔竜に対峙した。 彼の剣は、魔竜の首に突き刺さったまま。魔族の並外れた回復力が既に傷口を塞ぎ始めている。 「このっ!」 地面を蹴って飛び上がると手を伸ばして、グエンはシカッと剣の柄を握った。肘まで覆った黒の手袋は、魔竜の炎に燃える剣の柄を握って、黒い煙を吐く。 焼ける皮膚を、唇を噛んでグエンは堪えると、ブーツの底で魔竜の首を蹴り、その反動で握った剣を引き下ろす。 肉を抉って半分切断された魔竜の首はぐらりと揺れて、傾いた巨体は支えを失い、ドシッと大地に倒れた。なぎ倒された木々たちが、魔竜の炎にやがて爆ぜる。 周囲に広がる炎は、死に逝く魔竜の置き土産か。 「くそっ! 最後まで、厄介な」 勢いを増して広がる赤い海に、魔竜の首を完全に胴体から切り落として、剣を引き抜いたグエンは舌打ちした。 ここが如何に人里離れた土地であろうと、炎を放置しておけるはずがない。枯れた土地には、人が寄ることはなく、寂れていく一方だ。 「ユウナ」 サーラの冷静な声に促され、ユウナは青い魔弾を手にした。 「は、はいっ!」 閉じ込めた水の魔法がすぐに解放され、薄い水の膜が頭上を覆ったかと思うと、ゆっくりと降りきて大地との隙間に炎を閉じ込めた。 立ち上る白い蒸気が、やがて晴れるのを待って、グエンは仲間を振り返った。 「ご苦労様、ユウナちゃん、姫」 ニッコリと笑ってみせるその顔に、ユウナは戦いが終わったこと実感した。頬に掛かった髪をかき上げながら、ユウナは可憐に微笑む。 「ご苦労様でした、グエンさん。そして、サーラさんも」 マントの埃を優雅と言ってよい動きで払っていたサーラは、ユウナの声にこちらへと頬を傾けて告げた。 「ご苦労様でした、ユウナ。今日は、大活躍でしたね」 「……そ、そうですか? でも、グエンさんが一番、がんばったと思いますよ」 褒められたユウナは、照れたように頬を上気させ、グエンを指差す。 グエンは炭化した手袋に目を落としていたが、ユウナの視線に気付いて笑う。 「そっかなー? 俺も姫と同意見で、今回はユウナちゃんの魔法があって助かったっていう感じだけど」 「そんなこと、ありませんよ」 ユウナは慌てて、顔の前で両手を振った。 大体、魔法は既に作ってあったものを解放しただけである。実践の現場で一から魔法を組み上げて、臨機応変に対応したサーラに比べたら、ユウナの労力は大したことがない。 「そんなことないと思うけどね。どんな事態にも備えられるほど、魔弾を準備するのは大変じゃない? まあ、そんなユウナちゃんにがんばったって言って貰えたら、俺も働いた甲斐はあったね」 ニコニコと笑って、グエンは魔竜の血にまみれた剣を鞘に収めた。 「……あの、もしかして、怪我を?」 こちらの視線から隠すように、さりげなく握りこんだグエンの右手に、ユウナは眉間に皺を寄せる。 「いや、そんなことないよ? ただ、手袋が燃えちゃっただけ」 「燃えたら、手だって火傷を」 するでしょう、と焦るユウナを遮るように、サーラが口を開いた。 「大丈夫ですよ、ユウナ。グエンはその程度で、怪我などしません」 「言い切って貰えるのは嬉しいけど、姫? その言葉に、根拠とかあるの?」 「ないと? 毒が盛られたスープを平気な顔で平らげていたのは誰でしたでしょう?」 冷ややかな薄紫色の瞳に、グエンは睫を瞬かせた。 「…………毒って……もしかして、この間、俺が作ったスープのことを言っている?」 「仲間に毒を盛られるとは思いませんでしたね、ユウナ」 「……えっ? あ、あれは……」 突然話を振られて、ユウナはサーラとグエンを交互に見やった。 この場合、どちらに味方をすればいいのだろうか。 毒と言うのは大げさだが、グエンが作ったジャガイモのスープでユウナとサーラが悶え苦しんだのは事実だった。同じものを食していながら、グエンが全くもって平気だったのにも驚かされたが。 「あれは毒じゃないよ。ただ、ちょっと、腐敗しかけたジャガイモを入れただけじゃん」 「腐っているとわかっている時点で……入れちゃいけないと思いますけど」 グエンの言い分に、ユウナは小声で反論する。 腐ったミルクを飲んでも、カビが生えた肉を食っても、平気だった鉄の胃を持つグエンには、腐ったジャガイモも無駄には出来ない食材だろうが。 「そ、そうなの? 一応、味見したけど何ともなかったから、大丈夫だと思ったんだよ」 「貴方のその鈍感な胃には、時に殺意を覚えますね」 サラリと物騒なことを告げるサーラに、グエンはビクリと肩を震わせた。 「もしかして……姫ってば、怒ってる?」 「愚問ですね。何故、答えがわかっていて、問うのです?」 「……怒っているわけね」 グエンは薄紫色の眼前から隠れるように、ユウナの背後に回った。 これが先ほどまで、魔竜に臆することなく対峙していた剣士だろうか? サーラの言動はどちらかと言えば、冷たく素っ気ない。何故か、ユウナには気遣いとわかる優しい言葉をくれるが、その他の人間に対しては冷淡と言ってよいほど、言葉にぬくもりがない。 それがグエンに対すると、特に徹底しているような気がするのは……思い過ごしだろうか。 「姫ってば、そんなに俺が嫌い?」 「嫌いではありません。好きじゃない。好きになる要素がない。ただ、それだけです」 「……何故だろう、嫌いって言われるよりダメージが大きい」 何かが刺さったかのように胸元を押さえ、グエンはよろめいた。一々、芝居がかっている。 「姫、あんまり酷いこと言われると、さすがの俺でも、傷つくよ?」 「軟弱者ですね」 冷ややかに切り捨てるサーラの、冷淡さもどうなのだろう? どこまでも冷たいサーラに唖然となったユウナに、彼女が問いかけてきた。 「ユウナ、人の言葉一つで傷つくような軟弱者は、私たちパーティには必要ないと思いませんか?」 「――いや、全然平気っ! き、傷ついてない。泣いてないっ! 俺は強いコだもんね」 戸惑うユウナの背後で、グエンは慌てて空元気を振りまいた。 心なし、切れ長の目尻に涙のようなものが見えるが、気づかない振りをするのが、大人の優しさなのだろう。そう教えてくれたのはグエンだ。 とはいえ、ユウナは十六歳。サーラが十八歳。グエンが二十歳なのだが……。 「――だそうですよ、ユウナ」 しらけたような目線をグエンに投げ、サーラはユウナの手を取った。 ひやりと触れる指先にユウナはサーラを見返った。 「心配するだけ無駄なのです。例え、怪我をしていたところで、グエンは死にませんよ」 確信しているような強さで、サーラは言いきった。 褒めているのだと思いたいが……何気に酷い言い草である。 確かに、心配するだけ無駄なのかもしれない。グエンの胃の強さと、底なしの体力は旅をしてきた間に随分と見せ付けられた。 「……でも」 彼の体力を思えば、病気などの心配は要らないだろう。だけど、病と怪我は別物だ。 サーラに引っ張られながらも、ユウナはグエンを振り返った。 火傷をしているのなら、早期の治療が必要だ。 第一に、利き手に怪我をしては剣を握れないだろう。 そう心配するユウナの杏色の瞳に、グエンは僅かに繊維が残った手袋で覆われた手のひらを見せた。 剣を握るために手袋の指先をカットしていたため、日に焼けた指先とは随分と色が違う手のひらは、青い血管が透けるくらいに白く、無傷だった。 「ホラ、大丈夫だよ、ユウナちゃん。火傷なんてしていないでしょ?」 左右に手のひらを振って、ニッコリと笑うグエンに、ユウナは一瞬、違和感を覚えた。 ……何か、変だ。 そう思ったが、グイっとサーラに腕を引っ張られて、ユウナの意識はそらされた。 「行きましょう、ユウナ」 「あっ」 「町に行って今夜の宿の手配をしなければなりません。グエン、私たちは先に行っています。貴方はギルドに寄って、魔族退治が成功したことを報告して来てください」 サーラはグエンの返答を待たずに、ユウナを連れ去る。 町へと向かう道筋に、小さくなる二人を見送って、グエンはため息をこぼした。 「……姫に助けられたけど。…………どうするのさ、コレ?」 魔竜の死体を見上げて、グエンは頭を抱えた。 |