トップへ  本棚へ


 
 ― 3 ―


 とりあえず、今夜は宿に宿泊することになった。
 ベルナールの弟子入り問題は、一夜考えて何か方法を考える、とグエンは言った。
 そうして、取った二部屋はグエンとベルナール、サーラとユウナと二組に分かれそれぞれの部屋に引き上げた。
 しかし、暫く後、グエンは廊下に出てきたサーラに声をかけていた。
「昼間はアリガトウね。助かったよ、姫」
 別れる前に、話があると耳打ちしていたそれに、無視されるのではないか? と、グエンは心配していたが、彼女は付き合ってくれるようだ。
 頼んだとおりに、ユウナは部屋に置いてきたらしい。
 薄紫の瞳だけでグエンを振り返ったサーラは、冷たく言い放つ。
「貴方を助けたわけではありません。ユウナの悲しむ顔を見たくなかっただけです」
 そう答えるからには、彼女はグエンを意図的に助けたということだろう。
 グエンは新しい手袋に取り替えた右手を握って、笑う。
 肘まで隠すその黒い手袋から覗くのは、日に焼けた五本の指先だけ。己の手に目を落として、グエンは呟いた。
「やっぱり、ユウナちゃんは悲しむかな?」
「……ユウナは優しすぎます。貴方が過去と切り捨てても、ユウナはきっと割り切れないでしょう」
 声をひそめて、サーラはグエンから視線をそらす。
 グエンもまたそちらへと目を向けた。
 夜は、薄い雲に隠れた月が、僅かながらの光を闇に溶かしていた。
 宿の廊下から見える町並みの明かりも少なく、暗く沈んだ風景は寂しさを誘う。
 近くに魔竜がやって来たことで、安全な町に逃げた者も少なくはなかったのだろう。
 薄闇に向かって立ち、無言になったサーラの背中に、グエンはため息をつくようなか弱い声を吐いた。
「……そうだね。だから、話せないんだけど」
 そっと、肘まで覆った右腕の手袋を彼は左腕で撫でる。
 この手袋の下に隠された秘密を告白するには、ユウナは敏感すぎると言っていい。
「……姫、ユウナちゃんにはこのことはくれぐれも、内緒にしていてよ」
 自らの声に宿る真摯さに、グエンはユウナに対する秘密の重さを実感した。
 絶対に、知られてはならない。
 この秘密に、ユウナが傷つくことがないようにしなければならない。
 自分に宿った魔力を人々のために役立てたいと願う、健気なユウナの優しさは、グエンの右腕に刻まれた過去を知れば、傷つかないわけがない。
 残酷な所業に見舞われた、その過去はグエンにとっては既に、感情面では処理しきったことだ。
 しかし、ユウナはサーラが言うように割り切れないだろう。
 傷付けられた事実を知れば憤り、そして、グエンの身に起こった悲劇を我がことのように悲しむ。
 それで、ユウナの可憐な笑顔が損なわれるのは、グエンとしては絶対にあってはならない。
「言われるまでもありません。貴方は、私がユウナを悩ますことを進んですると思っているのですか?」
 白銀の髪を翻して、真顔で問いかけてくるサーラにグエンは目を剥いた。
「……姫、その言葉は本気?」
「私は無駄な言葉を口にする気はありません」
「…………そ、そう」
 キッパリと言い切る、その表情は無に近い。
 常日頃から、そんな無表情だから、サーラの言葉がどこまで本気なのか判りづらい。
 それはグエンだけではなく、ユウナも悩まされる問題だ。
(……思いっきり、ユウナちゃん、悩まされているんだけど……)
 グエンは口をついて出そうになる言葉をグッと飲み込んで、話をそらす。
「……姫って、本気でユウナちゃんが好きだったりするの?」
 サーラがユウナに甘いのは明らかだ。それは厚意と好意。どちらに属するものなのか?
(ユウナちゃんが、あの人たちの子供だから……)
 サーラがユウナに構う理由はその辺りにあると、グエンは推測していた。
 ユウナの両親は世界にその名を響き渡らせる冒険者だ。
 八十年の長きに渡る魔族の支配を断ち切り、西の大陸を解放した二人の魔法師の名は冒険者の間では憧れの的でもある。
 彼らはいまだに現役を続行し、世界各地で魔族と戦っている。その二人に助けられた人間は多い。
 ユウナは知らないけれど、グエンはその昔、彼らの恩恵にあずかっていた。
 恐らく、サーラもユウナの両親に世話になったのではないかと、グエンは思う。
 直接的ではないにせよ、ユウナの両親に恩を感じる者は少なくない。西の大陸出身者は特に、彼らの存在を神格化し敬っていた。
 同じように魔法師たちの間でも、二人の存在は尊敬の対象だ。
 その一端で、彼らの子供であるユウナをサーラが特別視していてもおかしくない。
 だが、その場合のサーラのユウナに対する親切心は、少々度が過ぎる気がする。
 明らかに特別扱い。彼女が他人に対し冷たいのには、わけがある。
 それはグエンにもわかっている。
 わかっているのに……ユウナには優しいから、自分が嫌われているのではないかと思ってしまう。
 仲間なのに、嫌われるのは辛い。
 答えを求めるように上目遣いでサーラを見ると、彼女はやはりいつもと変わることなく無表情で言い放った。
「愚問ですね。女の子が可愛いものを好きになるのは、当然ではありませんか?」
「……………………」
「…………」
「――――おおおおっ女の子だったんだっ? 姫」
 十を数えるほどの間をおいて、愕然と問い返したグエンにサーラは、
「失敬な」
 と、ひと言吐き捨てると踵を返し部屋に戻る。
 バタンと荒々しく閉じられたドアの音に、グエンはサーラを怒らせてしまったことを知るが。
「……お、女の子」
 サーラが自らをそう称したことの衝撃が大きかった。
 十八歳という年齢で、完成された美貌を持つサーラをグエンは一人前の女性と見なしてきた。
 ……しかし。
 女の子と言うからには、サーラとしてはまだ自らを大人としては認めていないのか。
 それは、何と言うか……。
 大人の女性として彼女に頼ったグエンを、サーラはどう思った?
 頼りない大人と見えたのかもしれない。そうして、軽蔑していたのかもしれない。
 ユウナに対する相談もまた……サーラにしてみれば、大人が子供相手に相談するな、といったところか?
 だから、冷たかったのか?
「これは……色々と態度を改めなければならないかもね」
 グエンはそっと呟いて、黒髪を撫でつつ、自室へと戻る。
 三人で旅をしようと決めたとき、年長者であるが故にグエンが必然でリーダーになったけれど。
 彼としては、ユウナとサーラを格下に見たことは一度もない。
 ただ、二人をパーティに誘った以上は、責任を持って二人を守らなければならないと自負している。そして、二人のそれぞれの志を曲げないように、導くのも自分の役目だとも思っている。
 でも、堅苦しい上下関係でギスギスした雰囲気のパーティにはしたくなかった。
 笑っていて欲しい。その笑顔を守りたい。
 小さな、その可憐な笑顔がグエンに未来を与えてくれたから。
(……ユウナちゃんはそんなこと、覚えてないだろうけどね)
 知らなくていいことだ。
 冒険者学校で、グエンがユウナに再会したのも本当に偶然だった。
 ユウナをパーティに誘ったのだって、ユウナが両親に似て、志し強く沢山の人を助けたいと心から願い、諦めたくないと訴える声の強さに、心動かされたから。
(……君は前だけを見ていて、その背中を俺は守るから)
 そう心の中で呟いて、ドアを開けたグエンの視界に飛び込んできたのは、押しかけ弟子のベルナール少年。
 もう既に忘れかけていた。
「――そういえばいたんだっけ、君」
 ポツリとこぼした声は少年の耳には届かない。しかし、グエンの存在をその目に映した少年は手にした剣を片手にグエンへと詰め寄ってくる。
「師匠、剣の修行しましょうです」
 グエンは苦笑し、少年が手にした剣に目をやった。
 見たところ、なかなかの業物だ。グエンが持っている剣よりずっと良い代物かもしれない。
「それ、いい剣だね」
 グエンが褒めると、少年は自慢げに胸を張った。
「はい。これは約三百年前に魔王を倒した勇者の息子の嫁の親戚の知り合いって人が」
「全くの赤の他人じゃない? それ」
 グエンの突っ込みに動じることなく、ベルナールは続ける。もしかしたら、聞いていないのかもしれない。
 どうやら、このベルナール少年は自分に都合のいいことしか、耳にしないらしい。
「借金の形に置いていったものだそうです」
「うわっー、一気に夢が覚めるね」
「それをジイちゃんがオレに売りつけて、金貨三十枚で買いましたです」
「シビアなジイちゃんだねー」
 孫に売りつける祖父も祖父だが、あっさりと金貨三十枚も支払う孫も孫だ。この町へとやってくる道中で、ベルナール少年の実家がかなりの金持ちなのは聞いていた。何でも、東の大陸で金鉱を掘り当てたらしい。東の大陸は先の〈ゼロの災厄〉の被害は少なく、安定した治安の元、人々の生活も豊かだと聞いている。
 魔族に支配され続けた西の大陸の人間にすれば、金が価値を持っている時点で結構な暮らしだと言えるだろう。
「はい。自分の墓は黄金で作ってくれと言うくらい、金色が好きでした」
「何か、……嫌なお墓だね、それ。本当に作ったの?」
「ジイちゃんはまだ生きていますが、オレが立派な勇者となったあかつきには、ジイちゃんには金の墓を作ってやろうと思ってますです」
「へぇ、そう。だから、勇者を目指してんの?」
「違いますです。勇者になって有名になるんです。そして、チヤホヤされるんです」
 二年後に〈ゼロの災厄〉が訪れれば、それまでに築いた財産もともすれば泡と消える。混沌とした時世で権威を保てるのは、魔族を倒すことが出来る勇者だけ。
「…………意外に俗物だね、ベル君」
 ユウナの爪の垢でも煎じて飲ましてやりたいような、そんな気がしてきた。
 最初から、ベルナールが大した志があって冒険者を目指しているとは思っていなかった。
 年頃の少年の憧れだろう、そう思っていて。
 実際、その通りだったわけだが。
 だから、後で簡単にあしらって、それで終わりにすれば良いと考えていた。
 冒険者の現実を知れば、すぐに諦める。
「ねぇ、ちょっと、相談があるんだけど」
 グエンは脳内にひらめいた考えに、笑いを噛み殺しながら少年に一つの提案を持ちかけた。


 前へ  目次へ  次へ