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 ― 5 ―


「ギルドで聞いたんだけど」
 朝の宿屋で、朝食を取りながらグエンは口を開いた。
 テーブルに並ぶのは、薄い塩味のスープに食感があまりよくないパン。小麦以外のものが入っているのだろう。
 ユウナは、昨夜食べた夕食のかたい肉や、みずみずしいとは言いがたい野菜を思い出す。それがこの町の現状を表しているのかもしれない。
 寂れた町並み。少ない住人。働き手が少ないから、土もやせていってしまう。草も育たない土地で家畜が太ることはなく、土に栄養がないから、野菜もロクに育たない。
 現実を噛みしめるように、ユウナはゆっくりと咀嚼して、喉に流し込む。
「何でも、ここから南に行った山間に魔獣が住み着いているらしいよ」
「魔獣ですか?」
 問い返したユウナに、グエンはパンを齧りながら、頷いた。
 獣の形をした魔族を魔獣と呼ぶ。魔族の中では比較的、倒しやすい部類に入る。
 しかし、それは冒険者にとっての話。普通の一般人には、野生の獣でも手一杯なのに、魔獣となるととてもじゃないが手に負えない。
 山から人里に下りてきたら、問題になるのは目に見えている。
「今は山を利用している人間を襲っているにすぎないけれど、下りてきたら問題だからね。次はそれを倒しに行かない?」
 まるで、そこまで散歩に行かない? というような、軽い口調でグエンは一同を見回す。
 事前に魔獣の被害を防ぐのは良いことだ。
 賛成の意をこめて、「はい」とユウナが頷こうとしたところ、ベルナール少年が椅子をガタンと鳴らして立ち上がった。
「魔族退治です! 何だか、勇者っぽいです!」
「ベル君にも手伝ってもらうから、そのつもりでね」
 乗り気のベルナールをさらに煽るかのように、グエンが笑った。
「おおっ! お任せ下さいです。師匠の期待に副ってみせますです。この魔竜を屠った伝説の剣で、一刀両断です」
 と、少年が高らかに持ち上げた剣に、ユウナは首を傾げた。
 ベルナールが手にしているのは、グエンのものだ。柄に付いた飾り石に見覚えがある。
「……それ、グエンさんのものではありませんか?」
 尋ねたユウナに、ベルナールはコクンと首を縦に振る。
「はい、その通りです。これは、師匠がオレを弟子にすることの証として頂きましたです」
「……いいんですか?」
 ユウナは木皿に直接口をつけてスープを啜っているグエンに、目を向けた。
 剣士が己の剣を簡単に手放していいものなんだろうか?
「ああ、うん。代わりに、ベル君の剣を貰ったから」
 不安を覚えるユウナの心配を余所に、グエンはベルナールが祖父から金貨三十枚で買ったという、勇者の剣を覗かせた。
「……でも」
 食い下がろうとしたユウナに、グエンは大丈夫だって、と笑う。
 これ以上の会話は打ち切りだと言うように、彼は立ち上がった。そして、その場で左右に身体を捻って、ぐるりと肩を回す。
「さて、腹ごなしも済んだし、魔獣退治に出かけましょっかっ!」
「エイエイ、オーっです」
 グエンの声にベルナールがグッと握った拳を突き上げた。二人の気合の高さに唖然となるユウナの隣で、
「……うるさいのが増えましたね」
 サーラは無感動に呟いた。


                       * * *


 右手側にはごつごつした岩肌が壁のようにそびえ、左手側には底を確かめるのに一瞬躊躇するような深い谷。道幅は充分にはあったが、どこか緊張を覚える山道を、ユウナはサーラと手を繋いで登っていた。
「危ないですから、手を繋ぎましょう、ユウナ」
 魔獣が住むというこの山道の上り口で、サーラにそう言われた時はユウナも少し迷った。しかし、どこで魔獣と遭遇するかわからない現状、仲間と距離を取るのは得策ではない。
 それに、突然、襲われた場合はサーラの守りの魔法に頼らなければならない。魔法を広範囲に発動させる労力を考えれば、サーラの傍に身を置いていれば、それだけ魔法の効果を広げる領域を限定できて、サーラの負担を軽くすることが出来る。
「は、はい」
 少し照れながら、サーラと手を握ったユウナにグエンが近づいてきた。
「じゃあ、俺も」
 と、ユウナの空いたほうの手を、当然のように握ろうとしたグエンに、サーラが冷たい視線を投げた。
「何の真似です?」
「何って。俺も、ユウナちゃんと手を繋ごうと思って」
「貴方は馬鹿ですか?」
 いつものように淡々としている声だが、侮蔑が混じっているように聞こえるのは、気のせいだということにしたい。
 ユウナは手を引かれるままに、グエンと距離を取る。
 サーラはグエンの前に身を割り込ませて、背中にユウナを庇う位置に立った。
「剣士が利き手を塞いで、どうします?」
 ユウナの右手はサーラに繋がれていた。左手と手を繋ごうとすれば、グエンの右手が塞がれることとなる。
「じゃあ、姫と手を繋ぐ?」
 グエンが左手をサーラに伸ばすと、パシリと肌を打つ音がその場に響いた。
「冗談でしょう。何故、私が貴方と手を繋がなければならないのです?」
「そんな予感はしていたけど。あのー、姫? ……俺たち、仲間だよね?」
 頬を引きつらせ、拒絶された左手を握ったり開いたりしながら、グエンは問いかけた。
「ええ、そうですね。頼りにしていますよ、リーダー。貴方が私たちの盾になってくれることを」
「……盾って」
「さっさと、先行してください」
「……あい」
 ガックリと頭を垂れながら、グエンが先頭に立ち、その後をベルナールが続き、後方をユウナとサーラの二人が並んで歩く。
 暫くはしょぼくれていたグエンだったが、単調な登山に飽きたらしいベルナールが色々と質問し始めてからは、いつもの軽さを取り戻していた。
「師匠、師匠みたいな立派な剣士になるためには何をすればよいですか?」
「よく食べて、よく寝るかな?」
「食うのですかっ! 寝るのですかっ!」
「そうそう。食べて寝るの。そうしないと、成長できないからね」
「なるほどです」
「後は、一に運動、二に運動。三、四がなくて、五に運動」
「おうおう、なるほどです」
(……どこまで本気なんだろう?)
 グエンは本気で、ベルナールを弟子にするつもりなのだろうか?
 しかし、グエンの言動はベルナールをからかっているようにしか見えない。
 遊ばれているベルナールは、それに気づいているのだろうか?
 ユウナが二人のやり取りに冷汗を流し始めた頃、グエンがふと小走りになった。
 片手を持ち上げ、一同を制するようにその場に止め、腰に携えた剣を抜き払う。
 グエンの行動にユウナはサーラに目をやった。彼女は微かに頷いて、ユウナの手を離した。
 両手が自由になったユウナは、背中に背負っていたリュックをそっと下ろして、片手に持つ。
「どうしたのです、師匠っ?」
 状況を察することが出来ないベルナールが声を上げた。そんな彼にグエンが鋭い視線を返すと、
「黙って、剣を抜けっ!」
 今までの調子とは違って、切迫した声で命じる。
「は、はいですっ」
 緊張からなのか、ベルナールはなかなか鞘から剣を抜けなかった。
 そこへ、獣の唸り声が聞こえた。ユウナが声の方を見上げれば、岩肌の上に獣の姿が見えた。
「あっ」
 そう声がこぼれた瞬間、魔獣は断崖のような岩肌を蹴ってこちらへと駆け下りてくる。
 落下するかのようなその速さに、即座に反応したのはグエンだった。落下位置に割り込んで、剣を構える。
 しかし、魔獣は最後の跳躍でグエンの上空を飛び越え、ユウナとサーラの前に降りてきた。
 ガバッと、開いた口の奥から放たれたのは強烈な衝撃波。一般的な獣と違い、特殊能力を持つ魔獣の攻撃に、サーラが守りの魔法を発動させた。
「<黄金の盾>」
 金色の光が迫ってくる衝撃波を受け止める。
 ユウナはリュックから取り出した緑色の魔弾で風の魔法を解放させ、盾に押し止めながらも完全に鎮圧できない衝撃波を相殺した。
 消滅した衝撃波に、魔獣は地を蹴って、ユウナたちに襲い掛かってきた。
 サーラが魔法を組み立てるより早く、ユウナの脇をすり抜けたグエンの蹴りが、魔獣の横顔に入った。
 だが、思うほどにダメージがなかったのか、魔獣の首が少し傾いだだけ。三本の足で身体を支え、残りの一本でグエンを横殴りに払った。
 鋭い爪がグエンの肩から脇腹にかけて襲い掛かるのを、ユウナは呆然と見つめた。
 引き裂かれた衣服の切れ端と、赤く飛び散る鮮血とともに黒い影が、ユウナの視界を横切り、端に消えていく。
 ユウナは杏色の瞳で黒い影を追いかけて、谷底へと落下するグエンを目視した。
「――ぐ、グエンさんっ!」
「――師匠っ!」


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