― 7 ― グエンは魔獣の爪を剣の刃で受け止めていた。 その剣を支えるのは、黒い手袋を嵌めた右腕のみ。 しかし、魔獣の体重を感じていないように、彼は腕を横に振り払った。それは身にかかった木の葉を払いのけるような軽さで。 グエンの剣が魔獣の爪を絡み取り、払われるままに魔獣の身体は、軽々と吹き飛ばされた。 岩肌に激しく叩きつけられた魔獣は、先ほどユウナに傷付けられたダメージからか、すぐに起き上がれない。 うずくまる魔獣から、グエンの背中に視線を移して、ユウナは仲間の名前を口にした。 「……グエンさん」 「ごめん、ユウナちゃん、姫。俺ってば、間違って、落ちちゃったよ!」 そっと呼びかけたユウナの声に、振り返ったグエンはバツが悪そうに眉を顰めて言った。 「……間違って、落ちた?」 現状の緊迫感などまるで解していないグエンの発言に、ユウナは目を丸くする。 「そう。ベル君、驚かそうっていうか、ベル君に現実の厳しさを教えようと、わざと突っ込んだんだけどね?」 「そんなことだろうと思っていました」 サーラがユウナの傍らに跪いて、グエンを斜めに見上げては冷淡に吐き捨てる。 「……えっ?」 (……あ、もしかして……お芝居?) ユウナはパクパクと唇を動かし、声もなく問う。 「いやー、ちょっと、踏ん張りが利かなくって、落ちちゃったよっ!」 照れたように髪をかき上げ、グエンは「ハハハッ」と、笑う。 「……お、落ちて、大丈夫だったんですか?」 笑い事じゃないだろう? と思ったが、一連の出来事が芝居だったという衝撃から、立ち直れないユウナはどうでもいいようなことを聞く。 そう、どうでもいい。 ――心配するだけ損をする相手に、「大丈夫か?」なんて。 それにグエンなら、大丈夫だよ、と笑うだろう。 だが、ユウナの予想に反して、グエンは首を振った。 「全然、大丈夫じゃなかったよっ! 底まで落ちちゃったからさ、登ってくるのが大変だったっ!」 「…………大丈夫なんですね」 ガックリと頭を垂れて、ユウナは力なく呟いた。 (……本当に、心配するだけ損なんだ……) 目頭が熱くなるのは、グエンの生存に安心したからだと思いたいが……。 ユウナは、こちらをジッと見つめるサーラの視線に気がついて、グイっと涙を拭った。 「それより、グエンさん……ベルナールさんが」 「やっぱり、逃げちゃったか。まあ、予想通りだけどね」 グエンは辺りを見回して、うるさい弟子の姿が見えないことを確かめると、軽く肩を竦めた。 「ま、金貨三十枚で勇者になれるわけないじゃん。ねー?」 「金貨三十枚?」 同意を求められたユウナは、その数字に困惑から眉を下げる。グエンは薄く笑って、手にした剣を持ち上げた。きらびやかな刀身の剣は、かなり使い込まれている感はあるものの、それ相応に手入れされている様だ。 「この剣の値段。何でも、三百年前に魔王をやっつけた由緒正しき剣だってよ」 「それを貴方は、ベルナールを騙して手に入れたわけですね」 「騙したって、人聞きが悪いな、姫は。俺の剣が魔竜を倒したのは本当でしょ?」 最も、グエンとしては魔竜の硬い鱗で刃こぼれした剣は、次の町で買い換えるつもりだったのだろう。元々、急場に応じて、安く手に入れた代物だったので、愛着はない。一応、予備の剣は魔法アイテムの中に用意してある。 自分に合うものを探している過程だった。これはというものは、なかなか見つからないが。 「手放すつもりだった剣のせいで、ユウナは危うく怪我をするところでした。この責任を貴方はどう取るつもりで?」 サーラの冷淡な瞳にギッと睨みつけられて、グエンは腰を引かせた。 それから、地面に座り込んだユウナを見やって、視線を泳がす。そして、岩肌の手前で立ち上がろうとしている魔獣を目にし、グエンは活気付いたように叫んだ。 「そりゃぁ、――ユウナちゃんをスッ転ばしたアイツを叩きのめすってことで!」 「では、一人で頑張ってください」 何の感情もなく淡々とサーラは告げた。 「援護なしっ?」 どこまでも冷ややかなサーラに、ギョッと目を剥くグエン。ユウナはゆっくりと立ち上がりながら、言った。 「三人で力を合わせましょう、グエンさん、サーラさん」 魔法師である二人に倒せなかったものが、グエン一人で倒すのは容易ではないだろう、と――グエンの場合、それが出来そうなのだが。 何だか、魔獣へと向かう背中が寂しげなので。 「ユウナがそう言うのであれば、協力しましょう」 「うんうん、力を合わせてこそ、仲間だよねっ!」 ニッコリと笑うグエンに苦笑しつつ、ユウナは青色と緑色の魔弾を取り出した。 魔獣へ向かって解放する、二つの魔法。水の魔法が、風の魔法によって熱を奪われ、空中で凍りつく。 「<重力の鉄槌>」 サーラが凍りついた水の固まりに、重力波をぶつけて粉砕した。 砕かれた幾つもの氷の矢が魔獣へと襲い掛かる。魔獣はダメージから回復したのか、俊敏な動きで矢の襲撃から逃れ――。 「ようっ!」 不敵に笑うグエンが、剣を構えるその場へと――飛び込んでいく。 魔獣は氷の矢を回避しているつもりで、グエンの元へと誘導されていた。 グエンは剣を横に構え、正面に迫った魔獣の脇に回り込む。前へ進む魔獣の動きを利用して、獣の首と胴を切り離した。骨と骨の間を的確に見抜き、肉だけを断つ。 魔獣の身体は崖を飛び出し――谷底へと落ちていった。 何とあっけない幕切れか。 ユウナは剣を一振りし、血のりを落とすグエンの背中に吐息をこぼした。 グエン一人でも十分に倒せたのではないか。 脳裏に浮かび上がる疑問に、ユウナは頭を振った。 それでも、グエンはユウナとサーラを仲間に求めた。 きっと、自分に出来る何かがあるのだと……信じたい。彼のために、出来る何かが。 「お疲れ様、ユウナちゃん、姫」 軽い足取りでこちらへやって来るグエンの胸元、切り裂かれた衣服を見て――落ち着いた状況になって、彼を観察する余裕が出てきた――ユウナは首を傾げた。 (……お芝居?) わざと魔獣に突っ込み、倒された振りをした。 ベルナールに、冒険者とは常に危険と隣り合わせで、命を落としかけない現実を教える。 ユウナ自身、ベルナールの勇者志願が実に危ういものだと感じていたから、グエンが率先してそれを実行したとしても……反論する気はない。 ただ、前もって話しておいて欲しかったと思うけれど。サーラが、グエンの計画を見抜いたことを思えば、わざわざ話すことの程ではなかったのかもしれない。グエンの一々、芝居がかった言動を思い返してみれば、推測可能な範囲だ。 ……だけど。 (血のりまで用意して?) 微かな引っ掛かりを覚え、ユウナは押し黙る。 グエンはそんなユウナの顔を覗き込んできた。 「どうかした、ユウナちゃん?」 「……血のりを用意していたんですか?」 疑問を投げたユウナに、グエンは自らの胸元に目をやった。 裂かれた布地に、作られた黒い染みを指先で揉んで、グエンは笑った。 「そうだよ。食堂のおじさんにトマトを分けてもらって、それを絞った汁を皮袋に入れて胸に仕込んでいたんだ。だって、臨場感を出すにはそれくらいしないと。ただ、倒れただけじゃ、ベル君も俺が本当に倒されたとは思わないんじゃないかな? 俺が足を滑らせて転んだだけだと思われたら、計画自体、駄目駄目じゃん?」 「……そうかもしれませんけど」 ユウナはグエンの胸元に目を凝らした。筋肉が張り付いた彼の身体に、傷と呼べる傷はない。喉元まである半袖の黒いシャツ。その上に濃い青の袖なしの上着は膝丈まである。ボタンは留めず、腰の位置で上着の上からベルトで締めていた。その下に黒地のズボン。ふくらはぎまであるブーツというのが、グエンの装いだ。 その濃い青色の上着の胸ポケット――丁度、肩から胸元へと酷く裂かれている。 衣服だけを上手く、魔獣に裂かせたのか? 「怪我なんてしていないよ?」 ユウナの視線に気がついて、グエンは笑いながら、上着を肩から脱いで、腰に垂らすようにし、黒いシャツをズボンから引き上げた。 引き締まった大人の肉体はユウナの華奢な身体とは似ても似つかない。服を着ているため、日に焼けていない肌の色は白いが筋肉の筋が目に見えてわかるほどに、グエンの身体には無駄な肉がない。 肉体労働者の上半身が眩しく見える。そして、傷と呼べるものはやはり一つも見つけられない。 何となく、劣等感を覚えて、ユウナは視線を逸らした。 「……わかりましたから」 「うん。心配してくれたんだよね」 シャツを下ろし、上着の袖穴に腕を通して、グエンは笑う。唇の端から白い歯を覗かせて、快活に。 「アリガトウね」 「グエンさんが無事なら、それでいいんです」 アリガトウと、礼を言われて、ユウナもまた笑みを返した。 * * * 「グエン――お話があります」 崖の淵から、谷底を覗き込んでいたサーラが、グエンを呼んだ。 背筋を伸ばし、凛と佇むその姿は、いつもの通りなのに、何だか切迫した印象を受けるのは、ユウナが触れかかった我が身の秘密故か。 グエンはユウナを肩越しに振り返り、言った。 「ユウナちゃん、疲れたでしょ。ちょっとそこで休んでいてね。姫とお話してくるから」 そう釘をさしておけば、ユウナという少年は反論できない。強い信念を持っているけれど、その信念に突き動かされるのは誰かの危機に置いて。 普段のユウナは従順な性格だった。 「あっ、はい」 グエンはユウナの押しの弱さを逆手に利用して、その場に止めると、サーラの元へと歩み寄った。 近づくグエンに薄紫色の瞳は無感動に問いかける。 「小芝居を言い訳にするのでしたら、わざわざ崖から落ちる必要など、なかったのではありませんか?」 秘密を知っている――ただ、それだけで全てを見透かされてしまうのか? グエンはサーラに対する驚愕に、苦い笑みを唇に浮かべた。 「……その言い訳を思いついたのは、谷底に落ちてからだよ、姫」 野菜がロクに育たない町で、食材以外にトマトを利用出来るはずもない。まして、匂いですぐにバレてしまう嘘を、ユウナが信じたのは疑うことを知らないその性格からか。 それを見越して、嘘をついてしまった自分に、グエンは罪悪感を覚える。 「やはり貴方は先のことを考えているようで、考えていないのですね」 と、こちらを見上げる薄紫色の瞳は、見下げられているように冷たい。 「何か、怒っているの?」 秘密を知っているからこそ、サーラとて自分の一連の行動に納得してくれるだろう。そう楽観していたグエンは、頬を引きつらせる。 「ユウナが貴方を心配して泣きました」 一瞬、杏色の瞳が潤んだのを、サーラもグエンも見逃してはいなかった。 「……ああ、それは悪かったと思っているよ」 傷付けたくない、そう思って秘密を隠しているのに……。その秘密を守るために、ユウナを傷付けてしまう。 俯くグエンに、サーラは冷ややかな視線を差し向け、 「その罪は――死に値します」 静かに、死刑判決を下すのだった。 |