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 ― 8 ―


「…………あのー、姫?」
 無表情に断言してきたサーラに、これは一種の冗談だろうか? と、グエンは真剣に悩む。
「しかし、残念ながら貴方は殺しても死にません」
「いや……さすがの俺も、殺されたら死ぬよ?」
「そうですか?」
 サーラの眉間に僅かながら皺が寄ったように見える。それは意外だというように。
(一体、俺って……姫にどんな風に見られてんの?)
「……うん。だって、魔族も死ぬし」
 グエンは谷底に目をやり、言った。
 暗い底は目視できないが、魔獣の死体が横たわっているのは間違いない。
 魔族が脅威の回復力を持っていたとしても、首を繋げることは不可能だった。四肢に至っては傷口をぴたりと合わせれば、再び繋がるかもしれない。
 しかし、首を切断された時点で、その魔族は死んでいる。死んでいるモノを蘇生できるのは「命の女神」と称されるサーラぐらいだろう。
 最も、彼女は絶対に蘇生魔法を使うことはないだろうが。
「なるほど、それはいいことを聞きました」
 真顔で納得するサーラに、グエンはそっと、彼女から距離を取った。
 ゾクゾクと背筋に悪寒が走る。強敵の魔族相手にも、感じたことのない恐怖がそこにあった。
「……冗談に聞こえないところが、怖いね」
 再び、頬を引きつらせる。
「……一つ聞きます。何故、避けなかったのですか?」
 真っ直ぐに見据えられた瞳に、グエンは頬の筋肉を緩めた。
 魔獣の爪が襲い掛かってくるその一瞬、グエンの身体能力なら避けることが出来た。しかし、グエンはそれをせず、己の身に爪を――受けた。
「だって、避けたら……姫とユウナちゃんが怪我をしていたよ。姫は言ったでしょ? 私たちの盾になれって」
 グエンは小首を傾げ、唇に笑みを乗せる。
「それを実践したと? 貴方は私が死ねと言ったら、死んでくれるのですか?」
「……茶化す気はないよ。俺は二人の盾になれたらいいと思う。俺の身体はそれが苦もなく出来ちゃうしね」
 傷が瞬時に治ってしまう――この人間としては、異常な体質で、大切な仲間を守れたら、それにこしたことはない。
 最も、そうなってしまう身体の秘密は絶対に、ユウナには知られることがないようにしなければならないが。
「私は生命魔法を習得しているのですよ? 怪我をしても治せます」
 グエンの言葉を滑稽だと言うように、サーラは首を振った。白銀の髪がサラサラと踊る。
 その光の乱舞を見下ろして、グエンはゆっくりと噛み含める様に言った。
「でも、姫自身が怪我をしたら治せないでしょ? それに姫は生命魔法を使うのが嫌で、俺の誘いに乗ったんじゃないの? ――俺には生命魔法が必要ないから」
「…………」
 無言で返される視線に、グエンは続けた。
「そして、ユウナちゃんは自分の傷に対しては、自分で責任を持とうとする。まあ、だから、姫としてもユウナちゃんに生命魔法を使うことは抵抗を覚えないわけで」
 二人は揃って、ユウナを振り返った。可憐な花そのままに、ユウナは道端に咲いていた。
 踏みつけられても挫けないユウナの健気さが、二人をひきつけて止まないことを、少年はどれだけ自覚しているだろう。
 諦めたくない、と言って未来を見つめる、その真摯さが二人を動かしているということを、わかっているだろうか?
「…………ユウナが傷つくのは嫌です」
 低く告げるサーラの声に――グエンもまた頷いた。
「それは俺も一緒。でも、俺の場合、姫も同じように傷つくのは嫌なんだよ。仲間が傷ついて平気な奴なんて、そんなにいないよ。それに姫が傷つけば、ユウナちゃんも傷つく」
「貴方が傷つけば、ユウナも傷つきます」
「……うん、それが難しいところだね。俺は傷つくことには慣れているのに」
 右腕を手袋の上から撫でて自嘲気味に笑うグエンを、サーラは振り返った。
「……一つだけ、ユウナが傷つかない方法を、私は知っています」
「それは何?」
 睫を瞬かせて、グエンはサーラに詰め寄った。
「貴方が殺しても死なないことを――証明するのです」
 形のいい唇からもれた言葉に、グエンは思わず前のめる。
「…………あのー、姫? 俺、今真面目な話をしているつもりだったんだけど?」
「私はいつだって真面目です」
「…………そこは……」
(……冗談にしておいて欲しいよ、姫)
 今までのサーラの言動を振り返れば、彼女にとっての自分の位置づけがわかる。
 ユウナより格段に下なのは――いい。それはいい。
 問題は仲間と認められているのか? という不安。
 リーダーと言ってはくれるけれど、使い勝手のいい召使い程度と思っているのではないだろうか?
「貴方の身体の心配など、不必要だとユウナに教え込むのです。そうすれば、ユウナは二度と貴方の身を心配しないでしょう。私のように貴方の秘密を知ってしまえば、手っ取り早いのですが」
「――姫、それだけは」
 絶対に駄目だ、と反射的にグエンは結論を下す。
 心配をかけて、心悩ませてしまっても。
 この秘密を明かすことだけは出来ない。
 グエンはサーラに目線で訴えた。彼女は、藍色の瞳に宿った意思をどれだけ汲んだのかわからないが、淡々と続けた。
「ユウナの心情を考えると、それは得策ではありません」
 どこまでも、ユウナ路線で話を進めるサーラにグエンはホッと息をつきつつ、一抹の寂しさを覚える。
 サーラにとって、ユウナが全てで。ユウナがグエンのことを気にかけるから、サーラもまたグエンという存在を認めているかのような……。
(……怖くて、確かめられないけどね)
 貴方など、必要ありません――そう言われたら立ち直れない。
「貴方などいなくても、私としては一向に構いませんが」
(言っちゃった! 言われちゃったっ!)
 ホロリと涙をこぼすグエンを無視して、サーラは続けた。
「しかし、ユウナは貴方がいないと、不安を感じてしまうようです。誠に悔しいことですが、貴方をパーティの一員と認めざるを得ない現状――」
 グエンは、涙にぬれる瞳をユウナへと向けた。可憐な少年の存在によって、このパーティは結びついているのだと、実感する。
 少年自身は、自らの欠点に落ち込んで、正義感に突っ走ってしまう思慮の足らなさを情けなく感じているようだけれど。
 間違いなく、グエンを。そして、サーラを動かしているのは、他でもないユウナだった。
 ユウナがいるから――。
(でも、俺だって……ユウナちゃんのためだけじゃなく、姫のためにも身を張って、がんばってるのに)
 仲間として、認めて欲しいと思うのは……間違いだろうか?
「であるならば、貴方の不死身さをユウナに――教えます」
 明後日の方向へ向かっていたグエンの意識が、急速に現実に引き戻されたのは、生存本能が働いて危機的状況を察したからか。
 ハッと我に返ったグエンは、サーラがこちらに突き出してきた腕が、己の胸を突くのを目にした。
 胸元に五本の指の圧迫を感じたときは――もう、既に遅い。
 無防備な――まさか、仲間であるサーラからこのような仕打ちを受けるなんて思っていない――姿勢のグエンは、サーラが構成した魔法に弾かれて――。
「<黄金の盾>」
 ――――崖の淵から、足を踏み外し――――。
「魔獣の死体の回収をお願いします、リーダー」
 ――サーラのその言葉を聞きながら、グエンは――。
「うををををををををっ?」
 ――――――谷底へと、落下していった。


                     * * *


 グエンとサーラが話し込んでいるのを、ユウナは岩肌に背中を預けるようにして見守っていた。
 谷底へと深刻そうな視線が向けられるのを察するに、魔獣の死体の回収について相談しているのかもしれない。
 魔獣を倒したことを証明しなければ、ギルドから報酬は貰えない。旅を続けるには資金が必要だった。
 人助け全てが慈善事業というわけにはいかない。ある程度の国力を持った国家や集落が徴収した税金の一部が、冒険者学校やギルドを支えている。
 いずれやって来る〈ゼロの災厄〉に備えて。今も在り続ける〈ゼロの災厄〉と戦うために。
 この世界に生きている以上、人々は〈ゼロの災厄〉と戦っていかなければならない。冒険者学校やギルドは、平和な生活を望む人々の希望だった。
 率先して戦っていく、冒険者たちは彼らの願いを背負っている。だから、生半可な決意で勇者を目指してなんていられない。
 ベルナールは、もう二度と勇者を夢見ることはないだろうか?
 ユウナはベルナール少年が消えた方向に視線をやって、思う。
 もしも、彼が今度の件が元で勇者を諦めるのなら、それはそれで構わない。無謀な行動に出ないというだけで、魔族の犠牲になる人間が一人減る。
 だけど、もし……。
 ベルナールが真剣に勇者を目指し始めたら……。
 彼によって、一人でも多くの人が救われたなら良い。
 どんなにユウナやグエン、サーラの志が一丸となっても、世界中の人を助けることは出来ない。
 二本の足が歩ける世界はたかが知れている。聞こえない悲鳴もきっとある。
 そんなとき、ベルナールの手が誰かを助けてくれたなら……。
(それを期待しちゃうのは……いけないことかな?)
 そっと首を傾げるユウナの視界の片隅が、不意に金色の光に染まった。
「えっ?」
 金色の光は、サーラが守りの魔法を顕現させるときによく目にする。
 太陽の光にも似た、黄金色の光をユウナはいつも、暖かいと感じていた。
 危機的状況において、自分たちを守ってくれるその光に――きっと、サーラの本質は冷たい銀色ではなく、暖かな金色だと、ユウナは考えていた。
 安易に生命魔法を使うことを嫌うサーラは、他人との距離を取るために素っ気ない態度を取る。
 皆は冷徹だと、サーラのことを言うけれど。
 確かに、誰に対しても冷たい姿勢を崩そうとしないけれど。
(……それでも、僕を気遣ってくれる優しさは本物で……)
 それは恐らく、自分の子供っぽさに呆れているのかも知れないけれど。
 導くように。
 労わるように。
 述べられたサーラの言葉の数々は、何度もユウナを穏やかな気持ちにさせてくれた。
「サーラさんっ?」
 ユウナは、守りの魔法を発動させる危機的状況が、彼女の身に降りかかったのではないかと、崖の方に視線を向ければ――。
 サーラの魔法の盾に押し出される形で、崖から転落するグエンの姿がそこにあった。
「………………あっ」
 ――危ない、と叫ぶ間もなく、グエンの姿がユウナの視界から消え失せて――。
「――うををををををををっ?」
 後を引く悲鳴が谷間にこだまする。
 残響が耳から遠くなって、ユウナは戸惑いの声を漏らした。
「………………えっ?」
 それから、現状を察するのに、暫しの時間を要した。目撃した場面を反芻する。
(……今、サーラさんが……グエンさんを)
 突き落としたように見えたのは、目の錯覚か?
 混乱するユウナの元に、サーラが崖に背を向けると真っ直ぐにやって来た。マントの裾を優雅にさばき歩くその姿は、品位と風格があった。
「命の女神」、「生命の女王」という異名が彼女に与えられたのは、何も蘇生魔法を扱えると言う、ただそれだけの敬意ではないのだと、ユウナは思った。
「それでは、ユウナ。私たちは先に次の町へと向かいましょう」
 何事もなかったかのように、さらりと告げられたそれに、ユウナは絶句した。
「………………」
 棒立ちになったユウナの腕をサーラは掴むと、導くように歩き出す。引っ張られて、二三歩歩いたところで、我に返ったユウナは恐る恐るサーラへと問いかけた。
「あ、あの? ……サーラさん? ……グエンさんが……」
「グエンは死体の回収に向かいました。私たちは先に宿をとって、休息をとりましょう」
「……死体回収にって……お、落ちていませんでしたか?」
「そう見えましたか?」
 肩越しに振り返った薄紫色の瞳が真面目に問うものだから、ユウナは違う答えがあるのか? と、真剣に悩んでしまった。
「……えっと」
「落ちたように見えるかもしれませんが、大丈夫です」
「……でも、悲鳴が……聞こえたんですけど」
「ユウナには、悲鳴に聞こえたのですか?」
 またしても、真顔で問われて、答えに迷う。
「……えっと」
「あれは気合の現れではないでしょうか。リーダーとしての役目に燃えて」
「リーダーとしての役目……ですか?」
「私たちの体力を気遣い、率先して危険地域に飛び込む。私たちのリーダーは実によく気がつき、頼りになりますね」
 淡々とした声が――何故だか、冗談を言っているように聞こえるのは、どういうことだろう?
 サーラの無表情さや無感動さは、いつもと変わらないと言うのに。
「……で、でも」
「心配ですか?」
「…………それは」
「ユウナ、グエンは一度、落ちて無事でした。今度も無事でしょう」
 キッパリと述べられた事実は、確かにその通りだった。
 崖から落ちたグエンは、ユウナが心配したことを虚しく感じさせるほど、五体満足で這い上がってきた。
「――古くから言われる格言があります。二度あることは、三度ある」
「……サーラさん、グエンさんが崖から落ちたのは一度です」
 まあ、今度も無事に這い上がって来るような予感は、ヒシヒシと感じないでもないのだが。
 ユウナとしても、グエンを他の人間並みに心配する必然性を感じなくなっていたけれど……。
 それでも、仲間の心配を建前上はした方がいいような気がするのだ。
 そうしないと、グエンが哀れな気がする――ユウナに同情されている時点で、既に可哀想なのかもしれないが。
「では、これではどうです?」
 切り札だと言わんばかりの口調で、サーラは言う。
 ユウナはここで妥協すべきかと、期待を込めてその言葉に耳を傾けてみたが。
「――馬鹿は死にません」
 …………それでは、頷けない。


                      * * *


 グエンの消息は語るまでもないことなので、省略する。



                                  「夢見る勇者 完」

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