― 10 ― 『あの女を連れ戻してきてっ!』 サーラが走り去るのを呆然と見送ったギルバートを、アメリアの声が現実に引き戻した。 夢から覚めた後のようで、直ぐにその言葉の意味を理解できなかった。そんな彼に、焦れたようにアメリアは、ギルバートの胸を叩いて叫ぶ。 『あの女を連れ戻すのよっ! 父上を蘇らせなければっ! 早くしないと手遅れになってしまうわっ!』 腐敗は微々たる速度だが、確実に進行しつつある。幾ら、サーラの蘇生魔法があっても、腐った死体を生者へと蘇らせることは可能だろうか? 回らない頭で、ギルバートは王が眠る棺を見上げた。 (……王が蘇って……) それで――? 王の存在は心強い。強い指導者がいれば、今、この国を恐怖に貶めている魔族たちを目の前にしても、民衆の動揺は極力、抑えられるだろう。 国はかりそめながらも、平穏を取り戻すことが出来るかもしれない。 (だが……それで終るのか?) 敵は消えたわけではない。今回の魔族騒動が片付いたとしても、二年後には〈ゼロの災厄〉が訪れる。何も起こらないかもしれない。しかし、何か起こるかもしれない。 そのとき、再び王を失ったら、アメリアはサーラによって王を蘇らせようとするだろう。 (……それでは、死者の尊厳は?) 生者の為に、蘇らせられる死者の命は、果たして死ぬ前と同じく尊いものであるのだろうか? 死んでも蘇らせればいい、そんな安易な考えで人の命を扱っていいのか? ただ一度きりの生で、命だからこそ、ギルバートは誓いの証として、名と命を賭ける。 簡単に取替えが利くようなものではないはずだ。 『――いい加減に、目をお覚まし下さい』 ギリッと歯を鳴らして、ギルバートは声を吐き出した。 立ち上がって、胸に縋りつくアメリアを引き剥がす。 『この国の……王は亡くなった。お亡くなりになられたのですっ!』 声を張り上げて叫べば、己の無力さにギルバートは泣きたくなった。 親衛隊長としての責務を果たせず、むざむざと王を死なせてしまった自分。 もしかしたら、そんな自分の無力さを帳消しにしたくて、アメリアの提案に乗ってしまったのかもしれない。 おかしいと思いながら、サーラに願いを聞き届けてくれと、訴えていたのだろう。 拳を握って、ギルバートは俯いた。亜麻色の髪は、アメリアから彼の表情を隠した。 だから、伝わらなかったのだろうか? 姫君はギルバートの言葉に反駁した。 『何を言うのっ? 父上は死んではいないわっ! あの女が蘇らせればっ、父上は生き返るのよっ! そうすれば、魔族なんて恐れるに足らないっ!』 王の一声によって、魔族を倒そうと立ち上がる者たちがいることを、アメリアは信じている。確かに、失われた王は国民の心を引き付けるだけの、統率力を持っていた。 それが、王の穴を埋めるべき、アメリアにはない。そんな彼女は魔族に対し恐れるだけの未来しか、見出せない。 『失われた命は、取り戻すことなんて出来ない!』 ギルバートは声を叩きつけるようにして、叫ぶ。 『簡単に取り戻せるものならば、そんな易いものならば、何故、人は死を恐れるっ? ただ一度きりの生だからこそ、人は死を恐れる。我らが魔族を恐れるのは、魔族が持つ能力が私たちに死をもたらすものだからだっ!』 スッと息を吸って、驚いてこちらを唖然と見つめる姫君に告げる。 『魔族は恐ろしい。その存在は、私たちにとって、死と同じものだ。だから、貴方は王を生き返らせたい。死の恐怖を克服したい。そして、貴方は己が背負う責務から逃れたい――』 ギルバートの指摘に、アメリアはビクリと肩を震わせた。図星を突かれ動揺する姫君の顔色が見る間に青くなる。 父王を偲ぶ娘の愛情が暴走した――そう誤魔化してみても、もう無理だ。 ギルバートはアメリアの欺瞞に、本当の意味で気づいてしまった。そして、自分の弱さにも。 目を瞑っていたかった。気づかないふりをしていられれば、どれだけよかっただろう。 王を死なせてしまった――無力だった自分。 しかし、このまま目を瞑り続けていたら、無力さは何も変わらない。 『私が望んだのは未来のための、守る能力』――そう、決然と言い放ったサーラの声が、ギルバートの心で響く。 『そんな弱い貴方に私はこれ以上、付き合っていられない』 ――大切なものを守れない自分にも。 『……ギルバート?』 背中を向けると、アメリアの声が追いかけてきた。 『どこに行くのっ!』 不安そうな鈴の音が、悲鳴のような声に変わる。 ギルバートはアメリアを深い緑色の瞳の端に映して、『彼らに手を貸してきます』と短く告げる。 彼らが誰を指しているのか、アメリアにも察しがつくだろう。 『私はこの国の為に尽力をつくすと、王に誓った。――王がお亡くなりになっても、私の誓いは今もこの胸にある』 ――だから。 『私はこの国を守るために、魔族と戦う』 ギルバートはそう言うと、霊廟を飛び出した。 * * * 「――危ない」 グエンが声を発したときには、ギルバートの身体は宙を飛んでいた。 魔翼鳥が急降下してきたかと思うと、地に着くスレスレで、大きな翼をはためかせた。その一連の動きで空気は渦を巻き、風が波となって一同を襲った。 突風に吹き飛ばされて、ギルバートはもとより、グエンもユウナもサーラも飛ばされた。霊廟へと向かう途中だった数人も風の波に巻き込まれ、飛ばされる。 大きな風のうねりは、高波を作って、海の水と同じように自然の法則に従って地へと押し寄せる。 地面に叩きつけられる寸前で、ユウナが手にした魔弾を解放し、風の魔法を地面に敷いた。そよぐ風が、皆の身体を受け止めた。 「大丈夫かっ?」 即座に起き上がって反応したのは、グエンだった。 顔を上げて辺りを見回すと、中庭の反対側でユウナとサーラが身を起こす。 「僕は大丈夫ですっ! サーラさんもっ!」 ユウナが振り返ってサーラの姿を確認すれば、彼女は風に巻き込まれ転倒した一人に手を貸して起こしていた。それを見る限り、巻き込まれた人間もたいした怪我を負っていないようだ。 「ユウナちゃんと姫は、避難を優先させてっ!」 グエンは声を張り上げると、魔族の姿を探した。最初に現れた位置で翼をはためかせ、魔翼鳥は――正確には、魔翼鳥を操っている魔人の指示によって――止まっていた。 その魔翼鳥の直ぐ近くで、頭を振りつつ起き上がるギルバートの姿があった。 「――っ!」 グエンは剣を片手に走る。 一足飛びに距離を縮めて、剣を振るう。 魔人に操られ、魔翼鳥はするりとグエンの脇をすり抜ける。藍色の瞳で追いかけると、魔翼鳥の背で魔人もまたグエンを振り返った。 その姿は――人間と何一つ変わらないように見える。 陶器めいた白い肌、薄紅色の髪、金色の瞳――その一つ一つの色は、人間と差異はない。違う部分を探せば、髪から覗いた両耳が少しばかり尖っていることか。 ザワッと魔翼鳥の羽ばたきに、風が舞う。大きな翼の一つの動きで、強靭な足腰により大地に立つグエンの上体が簡単に揺らぐ。己の黒髪が、風にあおられ針のように頬に突き刺さる。 ブーツの爪先に力を込めて、グエンは芝生を敷いた中庭の大地に踏ん張った。背中にギルバートを庇う。 「大丈夫かっ?」 藍色の瞳で魔人を睨みあげながら、グエンはギルバートに声をかける。 「……あ、ああ」 「アンタも逃げろ、皆を先導するんだ」 「私も戦う――私はこの国の騎士だ。国を守るために戦って見せる」 ギルバートが立ち上がると、腰に携えた剣の柄に手を掛ける。それを視界の端に目に留めて、グエンは鼻先で笑った。 「それ違うだろ? 医者が怪我人を治療するなら、騎士は国を守り、冒険者は魔族を倒せ――ホラね、アンタのやることは違う」 グイッと顎を上に反らして、グエンは上空を旋回する魔翼鳥と魔人を見上げる。 「誰かの為に何かをする――その気持ちは同じでも、人それぞれ、向き不向きがあるんだよ。アンタの剣じゃ魔族は倒せない」 「わっ、私は」 「アンタの腕を疑うわけじゃない。ただ、アンタを必要としている場所が違う。俺が必要とする仲間でもない。アンタはアンタの国の民を守るために、行けよ。そして、さっさと俺の仲間を解放してくれ」 グエンの言葉にギルバートが視線を動かせば、ユウナとサーラは城内から逃げ出してきた人々を霊廟のほうへと誘導していた。 大きく手を振り、民を導くユウナと背中合わせでサーラは立ち、彼女からは金色の光が迸っていた。 魔翼鳥の翼が動くごとに生じる風が、破壊した城の瓦礫を巻き上げ、地上に礫として落ちてくる。それら飛来物から、守るための魔法だ。 「民がいなけりゃ、国なんて成り立たんでしょ? 国を守ると言うのなら、あの人たちを助けてやりな。それから戦っても、遅くはない――最も、アンタが戻ってくる頃には俺たちがやっつけちゃっているけどね」 不適に笑うその横顔に、ギルバートが視線を戻してきた。 「――勝てるのか?」 深緑色の瞳が問いかけるそれに、グエンは笑う。 「負けてやる気はないね。ただ、俺一人の力じゃ無理だ。あの二人が必要なんだ」 役不足だと言われて、反論したい気持ちがギルバートの中に沸いてきたようだ。一瞬、頬に朱が走るのが見えた。 しかし、冷静さを取り戻して、彼は唇を噛んだ。 魔族相手に戦う術なんて知らないことを思い出したのだろう。知らない故に、サーラたち一行に助力を求めようと、アメリアに進言したのは他ならぬギルバート自身だったから。 今の自分に出来ること――それを見極めたらしいギルバートが、短く告げる。 「任せた」 「了解――っと、お宅の剣を貸してくれ」 ユウナたちの方向へ駆け出すギルバートの腰から、グエンは剣を奪う。 えっ? と、振り返ったギルバートは、抜き身の剣を大きく振りかぶって、魔翼鳥へと投げつけるグエンの姿を深緑色の瞳に映した。 剣は矢のように、グエンの右手から放たれる。しかし、とても人の力で届く距離ではないはず――だが、中空に至って、剣の速度が増した。 「ナイス――ユウナちゃん」 ユウナが風の魔法で補助してくれた。同時に少年は、水の魔法を解放して氷の矢を作り出せば、グエンが放った剣の矢とともに、魔翼鳥を標的に襲う。 無数の矢に晒され、魔翼鳥は翼をはためかせる。その動きで、幾つかの氷の矢は風圧に砕かれたり、失速したりした。 だが、剣の矢は真っ直ぐに伸びる。間近に迫った凶器に、魔人が避けようと魔翼鳥の首を仰け反らせれば、剣は右翼に突き刺さった。 ギャ――という悲鳴を上げて、魔翼鳥が身をよじらせた。その背に乗っていた魔人はバランスを崩し、空へと投げ出される。 魔人が落下してくるその場へ――グエンは駆けた。 * * * 落ちる魔人の姿を目視し、ユウナは再び緑色と青色の魔弾を解放した。まだ墜ちずに空で暴れている魔翼鳥に狙いを定め、再び、氷の矢を放つ。 氷の矢に串刺しにされ、魔翼鳥は地へと叩きつけられた。 仕留めたかと思われがちだが、魔法攻撃では魔族に対し、決定的な致命傷を与えることは無理だった。魔族の心臓に到達する前に、魔族自身が持つ魔力に魔法が飲み込まれてしまう。魔力とは無関係の力で、止めを刺す必要がある。 一月ほど前の旅の途中、グエンの存在が欠けた中で魔獣と戦うこととなったユウナは、その経験から万が一のときのためにと、短剣を用意していた。 リュックの底から短剣を取り出すと、風の魔法を纏わせて魔翼鳥へと投げつける。そしてユウナは、サーラを振り返った。 「サーラさんっ!」 薄紫色の瞳が振り返ると、サーラはユウナの意を汲み取り、魔法呪文を唱える。 「<重力の鉄槌>」 ユウナが投げた短剣は、サーラの重力魔法を受けて、魔翼鳥へと落される。 ドンッ――腹の底が震えるような震動が大地を伝ってくる。 過重な重力を受けた短剣の一撃は、魔翼鳥の肉を抉って、心臓奥深く突き刺さって息の根を止める。バタバタと地面を叩いていた翼は動きをひそめ、魔翼鳥の周りを回っていた風が凪いだ。 ユウナは、フウッと肺から大きく息を吐き出す。 「――倒したのか?」 半信半疑な声が頭上から聞こえて、肩越しに振り返れば、ギルバートが深緑色の瞳を丸くして、動かなくなった魔翼鳥を見つめていた。 「ギルバートさん」 「――本当に、倒してしまったのだな……」 確認するように呟くギルバートの目には、微かに戸惑いが見えた。この国の人々が散々苦しめられた魔族が、あっさりと――ユウナとしては、全然あっさりではないのだが――倒れてしまった。 苦労していたギルバートには、この事実は受け入れがたいのか。 「あの……ギルバートさん」 ユウナが杏色の瞳で見上げれば、ギルバートは我に返ったように、苦笑した。 「ああ、すまない。……後は私が引き受ける」 「えっ?」 「皆の先導は私が行う。二人は彼の元に――」 ギルバートが視線を動かし、ユウナも同じようにそちらへ向ければグエンの姿は消えていた。魔人は、崩壊した建物の向こう側へ飛ばされたらしい。恐らくグエンはそれを追いかけたのだろう。 ユウナはコクリと頷くと、サーラを振り返った。魔人が一番厄介な相手ならば、グエン一人では荷が重すぎる。 「行きましょう、サーラさん」 「はい、ユウナ」 サーラが首肯して、ギルバートの横をすり抜けようとした瞬間、深緑色の瞳が振り返った。 「サーラっ! ――我が国の民をお守りくださり、ありがとうございます」 唐突に張り上げられた声に、ユウナは驚いた。サーラもまた、ギルバートへと反射的に横顔を向ける。 そして、いつもと同じような淡々とした声で、彼女は告げた。 「礼には及びません。私は私が選んだ道を歩いているだけです」 一つも揺るぎのないその声を残して、サーラはギルバートから視線をそらす。薄紫色の瞳と出会って、ユウナは頷いた。 駆け出す二人の背中に、ギルバートの声が追いかけてきた。 「それでも――礼を言いますっ! ありがとう」 |