― 9 ― 着慣れないドレスを纏っているせいか、サーラの足取りはいつもより鈍っていた。ユウナは手を繋いだ彼女が遅れがちになるのを察して、足を止めた。 肩越しに振り返って、様子を伺う。 「大丈夫ですか、サーラさん? どこか、具合が悪いとか」 離れていたのは一夜だけなのだが、サーラの装いが違うせいか、随分と久しぶりに会ったような感覚がした。 いつものマント姿ではないサーラの、薄布を幾重にも纏ったドレス姿は、彼女の美貌を今さらながらに再確認させる。 自分はこんなに綺麗な人と一緒にいたのかと。同じ次元で息をしているのが信じられないほどに、神々しい美しさを前に、ユウナは二の句を繋ぐのを忘れた。 「大丈夫です、ユウナ。心配には及びません」 一瞬、サーラに見とれてしまっていたユウナは、その声に我に返って「でも」と、呟く。 「嫌なこと、言われたんじゃないんですか? ごめんなさい。傍についていてあげられなくて……」 彼女に投げかけられたであろう言葉を思うと、ユウナは悔しくて唇を噛んだ。 俯いたユウナの目に、サーラと繋いだ手が見えた。その手をサーラの白い手が持ち上げると、もう片方の手を添えてユウナの右手を包み込む。 指先は凍えたように冷たいのに、繋がっているその部分が不思議と温かく思えた。 「大丈夫です。ユウナが来てくれたので、全て、どうでもよくなりました」 「でも……」 「逆に、来てくれなければ、どうしようかと思っていました」 「えっ?」 驚いて顔を上げるユウナを、静かに見下ろす薄紫色の瞳が、微かに揺れたように見えた。 「……サーラさん?」 「この国の亡くなった王を蘇らせるように言われました」 淡々と、サーラが声を吐く。 「勿論、私は断りました」 「はい」 事実を確認するように見つめてくる視線に、ユウナは頷いた。 「そうしたら、――王の娘は、仲間が死ぬことになると言いました」 「…………」 「それでも、私は断りました。――ユウナ、私は私の為に貴方を見捨てました」 己の罪を裁けとでもいうように、サーラは告白する。 「そんな私は、ユウナと共にある資格はないように思えます」 彼女の抑揚のない声が耳を抜けていくのを、ユウナは黙って聞いていた。 そんなことは言わなくていい――そう思う。 彼女が下す選択をユウナもグエンも知っている。 例え何があろうと、サーラは蘇生魔法を使ったりしない。 彼女がその魔法を取得したのは、自分にどれだけの能力があるのかを見極めるため。決して、誰かを蘇らせようとか、魔法に対する探求心からではない。 どれだけの人を守れるか――それを知るためだ。 サーラはより多くの人間を守るために、一つの命を犠牲にする。その道を選んだ。 医者や見捨てられた家族からすれば、サーラの選択は非道に映るかもしれない。 だけど……その茨の道で、彼女が自分に浴びせられる非難の声に耐えていることをユウナは知っている。 言い訳もせずに、誰にも甘えずに。 人に甘えを許さないということは、自らの甘えを許さないということ。他人と距離をとることで、サーラは自らも孤独に追い詰めていた。 どれだけ心に傷を負っただろう? 誰にも理解して貰えないことを承知して、それでも自らの信念を貫き通す。 そうまでして、選んだ彼女の選択の答えを、ユウナは知っている。 知っていて、ともに歩くことを選んだ自分が、彼女の枷になるのか? 彼女の負い目になるのか? (それは……違うはずだから) 「サーラさんは、僕を見捨てたりしていませんよ?」 ユウナは微笑んで、サーラを見上げた。彼女の優しさを思えば、自然と心が柔らかになり、笑みがこぼれた。 この人の優しさに触れ、それを知っている自分が、ユウナには誇らしく思えるのだ。 だから、花を咲かせるように、ユウナは笑んでいた。 「サーラさんは沢山の人を守るんでしょう? それは、僕が冒険者を目指した理由です。僕は、僕が持っているこの能力で誰かの役に立ちたいと思った。きっと何かの役に立つはずだと信じて、一人でも多くの人を助けられたらいいと思ったんです」 だから――。 彼女の選択で、命を落すことになったとしても。 「サーラさんが、沢山の人を守ってくれるのなら――それは僕の願いです」 「ユウナ」 「サーラさん、約束しましょう。僕たち、一人でも多くの人を守りましょう」 ユウナは繋いだ手を解くと、改めてサーラの手の小指に自分の小指を絡ませた。 「ユウナ?」 「サーラさん、これ知っていますか? これは約束の儀式なんだそうです」 不思議そうに小首を傾げるサーラに、ユウナは笑う。 どこの国の風習かは知らないが、この指切りは約束を誓う儀式だと、幼かったユウナに父親が教えてくれた。 父が冒険に旅立つとき、必ず帰ってくるからと、交わした約束はいまだ破られたことはない。 「約束です。サーラさん、僕たちは〈ゼロの災厄〉に苦しむ人たちを、一人でも多くの人を守りましょう」 「――ええ」 「サーラさんの心のままに、その道を歩いてください。例え、それで僕が死ぬことになっても、それは、サーラさんが僕との約束を守ってくれた証です」 「……ユウナ」 「だから、何も悪くない。サーラさんは一つも悪くないんです」 「ありがとうございます、ユウナ」 礼を言うサーラに、ユウナは首を振った。 「お礼は必要ないです。それより、行きましょう! グエンさんを追いかけなきゃ」 * * * 魔翼鳥の影を追って、城の中庭へと出たグエンは口から衝撃波を放って、破壊行為に勤しんでいる魔獣を目撃する。崩壊した建物から、人々の悲鳴が風に乗って耳に届く。 「魔人、魔翼鳥、魔獣――」 ガリア王国を昨今脅かしている魔族の集団――それが雁首揃えて、都合よく揃ってくれたものだ。 唇をキッと結んで、グエンは剣を抜いた。 ここで一気に片をつけられれば、この国の憂いは晴れる。 サーラの問題がある以上、長居は無用だ。さっさと、片をつけるに限った。 遅れてやってきたユウナとサーラを、藍色の瞳で振り返って、グエンは指示を出した。 「まずは魔獣から片付けるよっ! ユウナちゃん、奴の気を引いて。姫、援護を頼むよっ!」 「はいっ!」 グエンの声に、ユウナは魔弾を取り出した。青色の魔弾と緑色の魔弾で、氷柱を作り出し、それを魔獣に向かって放つ。 魔獣が居たその場に深く突き刺さった氷柱だったが、既に魔獣は軽い身のこなしで避けていた。そして、自分に向けられる害意に気づいて、首をグエンたちの方に向けてきた。 黄金色の獣の目に三人を映すと、地を蹴ってこちらへと駆けてくる魔獣に、グエンもまた走って剣を斜め下から振り上げる。 振り上げられた剣の切っ先は、ヒュッという音を立てて虚しく空気を裂いた。グエンが踏み込む一歩手前で、魔獣は身をよじり横へと避けた。 グエンの脇に回りこんで、姿勢を低くして突っ込んでくる魔獣。大きなその身体で繰り出す体当たりを食らったら、いかにグエンといえども堪ったものじゃない。 「グエンさんっ!」 喚起を促すようにユウナは声を張り上げた。恐らく、ユウナが注意するまでもなかったのだろう。 グエンは左手を魔獣の頭に置くと、その手を支点に己の身体を跳ね上げた。 空中で華麗に一回転して、魔獣の背後に着地すると同時に振り向き様、地面すれすれに剣をなぎ払った。 魔獣の後ろ足が――大きな身体を支えるその足は、普通の獣の数倍もありそうな太さがある――一本、鈍い音を立てて切断された。 よろめく魔獣は悲鳴を上げるように鳴いて――口から衝撃波を放った。 目的もなく放たれた衝撃波は、王城の一角を貫いて、瓦礫が飛散した。 城内にいる人間の悲鳴らしきものが微かに聞こえては、建物に穿たれた穴から人々が中庭へと避難してくる。逃げることに夢中になっている彼らは、グエンと魔獣との戦闘の場に近づいていく。 痛みに咆える魔獣の口から放たれる衝撃波が、彼らへと襲う。 「<黄金の盾>」 ユウナの隣でサーラが魔法呪文を唱えて、魔獣の衝撃波は寸前のところで弾かれた。 「――下がってろっ!」 グエンは避難してくる人々を、藍色の瞳で睨んで一喝した。その声の迫力に、我に返った様子で人々の足は鈍ったが、果たしてどこへ逃げればよいのか戸惑い、その場を右往左往する。 「――ちっ」 舌打ちしながら避難民を誘導しようと、グエンが魔獣に背を向けたそのとき、魔獣は身体をよじらせ残った後ろ足でグエンを蹴り上げようとする。 その爪を、グエンは剣を盾にして受け止めた。 「――くたばれよっ!」 気合を入れるように叫んで、グエンは魔獣の足を弾き返すと、無防備になった魔獣の腹を横蹴りする。横転する魔獣に間髪入れずに剣を突き出し、目から頭蓋を貫いた。突き刺さった剣を、魔獣の身体を蹴って抜くと、手首を返して首を切断する。 鮮血が散り、グエンは返り血を頬に受けた。血色の花を宙に咲かせて、ドッと倒れる魔獣の死骸を藍色の瞳は無感動に見つめる。 脅威の回復力を持つ魔族は、確実に仕留めなければならない。 鮮やかな速攻でグエンは魔獣を始末すると、息つく間もなく避難民たちの下に駆け寄る。 「あんたら、自分の命が惜しくないのかよっ! 俺たちは、死地に突っ込んでくる奴の面倒を看きれるほど――余裕なんかないんだぜっ!」 魔獣をあっさりと倒しながら、それでもグエンは切迫した声で叫ぶ。 魔獣一匹なら、グエンの敵ではなかった。だが、魔翼鳥とその背に乗って移動する魔人の存在は、彼でさえも脅威を覚える敵だ。 魔人は魔族の中では、魔竜と並ぶ強敵だ。その姿は人と変わらない分、動きも素早く、人間たちが使う魔法とは違えるが、彼らもまた特有の魔法を使う。 そして、魔人は弧ではなく群で行動し、他の魔族ともつるむ習性があるため、魔竜よりさらに厄介だった。 一対一なら、万が一にも勝機もあるかもしれないが……。 「グエンさんっ」 ユウナとサーラが駆け寄ってきて、グエンの背中に声をかけてきた。 「この人らをどこかに避難させないと。まだ敵は残っている」 苦々しい表情で振り返ったグエンに、ユウナは頷く。 彼らがこの場にいては、少年も魔法も自在に操れない。 「どこか避難できるところは――」 グエンは唇に指を当てて、考える。この王城内で安全なところはどこだ? 考えたところで、どこにどのような施設があるのか、見当もつかない。 唇を噛んで視線を彷徨わせるグエンに、ユウナも辺りを見回した。中庭に面した建物はかなり破壊されていて、危険極まりない。建物の中にいたところで、魔族の能力を持ってすれば、どんなに堅牢な建物でも瞬時に瓦解する。 「――霊廟へ」 不意に割り込んできた声に、グエンが藍色の瞳を向ければ、そこには純白の衣装を着た青年――ギルバートが立っていた。 ユウナは背中にサーラを庇って、ギルバートを睨む。グエンも心持ち前傾姿勢になって、青年に問いかけた。 「霊廟? さっきの場所は危ないんじゃないか?」 「霊廟から城外に出る抜け道がある。……魔族の襲撃目的がこの城なら、外に出たほうが安全だろう」 「町も襲われるだろうよ――奴らにとったら、人間なんて虫けらにも等しい」 唇を歪めて吐き捨てる自分の横顔に、ユウナの視線が向けられるのをグエンは自覚した。余程、酷い顔をしていたのか、ユウナの目は驚きの色を覗かせていた。 割り切って、魔族に対する感情を自制しているつもりだが……。 ギルバートの方に顔を逸らしながら、グエンは言った。 「その抜け道は地下か? なら、その抜け道に居る間は大丈夫か。……よし、行けっ!」 グエンは手を持ち上げると、進め、と言うように指を払った。 ギルバートは戸惑う一人に、霊廟へと行くように指示した。一人が動き出せば、つられて他の者も歩き出す。きっと、思考は機能していないのだろう。 受けた命令に反射的に行動を起こし、避難する一同を深緑の瞳で見送って、ギルバートがグエンを振り返ってきた。 「……貴殿らは」 「俺たちにはやることが残ってる」 グエンの言葉に、ユウナとサーラが頷く。 魔族と対するのが冒険者であるならば、まだ敵を前にして、退けるはずもない。 「ならば、私もっ!」 そう身を乗り出してきたギルバートの背後に、グエンは黒い影を見た。 |