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 ― 11 ―


「ありがとう」という言葉が嬉しかった。
 ギルバートは、サーラが何のために冒険者の道を選んだのか、少しなりと察してくれたのだと、ユウナは思う。
「お守りくださり、ありがとうございます」――彼はそう言った。声の響きを聞けば、おざなりの感情ではないことは、手に取るようにわかった。
 きっと、彼も誰かを守りたいと思う人なのだろう。
 ユウナと同じように、グエンと同じように、そして――サーラと同じように。
 サーラは、より多くの人間を守る道を選んだ。
 人の命を救うのではなく、守る道を。
 だから、重度の傷を負った少女を最後まで癒さなかった。亡くなった国王を蘇らせなかった。
 魔族からの襲撃に、その守りの魔法を有効的に使えるように、サーラは魔力を温存させた。術者の気力を大幅に削ぐ生命魔法を使っていては、いざと言うときに守りの魔法を発動できないかもしれない。
 誰もいない、魔族に襲われる心配もない地でなら、ユウナの怪我をサーラは治してくれる。
 しかし、魔族から襲われているという国の首都の、何万という人間が集う街では、どのような場面に出くわすか知れない。
 サーラが、自らの体調に対し神経を尖らせるのは――故に、食中毒や船酔いという事態を招くグエンに辛辣なのだと思う――全てが、有事を想定してのこと。
 守りたいときに、守る力を持っていない。それほど悔しいことはない。
 守れる力があるはずなのに、誰も守れない。無力な自分と対峙する現実は、想像するだけでユウナでさえ、背筋が寒くなる。それだけは、絶対にあってはならない。
 だから、サーラは自らの能力に、条件をつけた。安易に生命魔法を使わないこと。
 誰に何を言われて、謗られても、非難されても。
 自らが強いた戒めによって、孤独に追いやられようと。
 彼女は言い訳せずに、守るための能力を選んだ。
 そんなサーラの決意が誰か一人にでも伝わったのなら、嬉しい――そうユウナは思うのだ。


                        * * *


 そこは、大広間か何かだったらしい。しかし、だだっ広い部屋の半分は崩壊し、床には穴が開いていた。階下に地下室があったのか、暗い空間の奥底で動く影があった。
 随分と高い位置から転がり落ちたにも関わらず、石の壁に叩きつけられたにも関わらず、魔人は一つも顔色を変えずに立ち上がった。
 そうして、一階部分で崩壊した建物の瓦礫に片足を置いて、それを見守っていたグエンを金色の瞳で見上げてきた。
「貴様らが世に言う――冒険者か」
 感情を押し殺したような声で呟いては、薄紅の髪を持つ金の瞳の魔人は、服についた埃を払う。魔人が身に付けている衣装は貴族のそれに似ていた。毛皮をうった豪奢なマント。
 元々、西の大陸で魔族が作った国の――元々は人間の国だったが、魔族に乗っ取られ支配された結果――貴族階級位に属していた者なのかもしれない。
 二十年前、ユウナの両親がそれら魔族の国でも一番大きな支配力を持っていた魔王を倒して、大陸を支配していた魔族の勢力は少しずつ衰退していったが、まだ解放されていない地は少なからずあった。
 それでも、冒険者は戦い続け、地道に勢力を削いでいった。
 魔族にも魔獣や魔翼鳥のように、魔人から支配される種族がいるよう、魔人の中でも力による上下関係は存在し、貴族階級があった。
 貴族階級に属さぬ底辺の魔人は、主人を守るために冒険者たちとの戦い、その場で狩られたことだろう。勿論、冒険者側にも甚大な犠牲者は出た。
 そうした混乱の中で、底辺の魔人に守られたか、盾にしたのか、この魔人は西の大陸から逃げてきたわけだ。
「これはぬかった。簡単に、この国を手に入れられると思っていたがな」
 薄い唇に嘲笑を浮かべる魔人を、グエンは冷たい目で見つめた。
 目の前に、魔人がいる。魔人をこうして、間近に目視するのはあの時以来か。
 暗い記憶がグエンの中で渦巻く。
「貴様は口なしか? 我が話しかけているのに、相槌もなしか?」
「――ならば、聞いてやる。テメェの名は」
 グエンは低く声を吐き出した。声を出したグエン自身が驚くほど、それは冷たい声だった。
「口の利き方がなっていないようだが、下賎な人間に礼儀を求めるのも無為なことか。まあ、良い。我の可愛いガルバァを屠った貴様には、特別に教えてやろう」
 ガルバァというのは、魔獣の名か。魔獣の種族か。
「――我は、リスラ・バァリアード――」
 ゆっくりと一音一音を区切るようにして、リスラと名乗った魔人は、スッと胸元に持ち上げた手のひらをこちらの方に差し出してきた。
 名前を名乗れという仕草なのか? と、考えた瞬間、グエンは瓦礫を蹴って床に転がった。
「<――我が敵を、撃て>」
 リスラが唱えた魔法呪文に、彼の手に生じた光の球が襲ってきたのだ。
 さっきまでグエンがいたその場に大きな穴が穿たれる。粉塵が巻き起こり、視界を白く染めた。
 目隠し状態の中、気配を感じて、顔を仰げば直ぐ眼前にリスラが迫っていた。
「――っ!」
 突き出された手から、急激に伸びた爪が目を抉ろうとしていた。
 剣を下から振り上げて、爪を弾く。
 開いたリスラの胸元に、グエンは肩から突っ込んで、押し倒した。一階から地下の床へとリスラの身体を組み敷いて、叩きつける。そして地面に這わせ、動きを拘束しようとしたがリスラの手が動くのを目に留めて、グエンは距離を取った。
「<――貫け、閃光>」
 魔法呪文が聞こえたと同時に、グエンは左肩に強い衝撃を覚えた。咄嗟に剣を握った右手を伸ばせば、滴り落ちる鮮血が拳を赤く染めていた。
 リスラの魔法は、グエンの皮膚を貫き、肉を抉り、肩の骨を砕いていた。
 生じた激痛に喉の奥を突いてくる悲鳴を、グエンは唇を噛んで殺す。
 ――この程度の痛みなら、耐えられるはずだろ?
 そう自分に言い聞かせて、リスラの動きを見守る。
 己の優位性を知っているからか、リスラの攻撃には間があった。先ほど、名前を名乗ったのも、わざとなのだろう。
 時間を稼いでいるのかと思ったが、それは違う。
 なぶっているのだ、こちらを。
 一瞬でも勝てると思わせて、それから能力の差を見せ付ける。希望を殺いで、絶望に叩き落す。魔人の思考は往々にして、尊大だった。それをグエンは知っていた。
 そんな魔人を数多く見てきた。
 ――遠い昔に。暗い記憶の向こうに。
「ほう、悲鳴を上げぬとは見上げた――」
 起き上がりながらリスラはグエンを見やり――金の瞳を見開いた。
 彼の目には、グエンの肩に付けられた傷が、脅威の早さで回復していく様が映ったのだろう。
 脈打つ鼓動のリズムにあわせて、壊れた細胞組織が結びつき、切れた筋肉や血管を繋いで、肉を再生していくのがわかる。
 サーラの癒しの魔法でも、これほど早く傷を癒すことなど出来ないだろうというスピードで。
 グエンの傷は癒される。
「――貴様、同胞かっ?」
 リスラの問いかけに、グエンは咆える。
「――違うっ! 俺は人だ」
 叫ぶと同時に、グエンは剣を突き出す。リスラは後方に飛び退り避けた。
「人がそのように、癒えるわけがない」
「それを可能にしたのは、お前たち魔族だろっ!」
「な――」
 何だと? ――そう問い返そうとしたらしいリスラは、一気に距離を縮めてくるグエンに言葉を詰まらせる。
 振り下ろされる剣の軌跡から身を反らして、リスラはグエンへと腕を突き出してきた。
 魔族の能力を持ってすれば、拳の一撃で人を殺すことなどたやすい。その直撃を受ければ、グエンの身体に穴を開けることなど容易だった。
 ――勿論、攻撃は当たらないと意味がない。
 リスラの突き出した腕を今度はグエンが上体を反らして避けると、仰け反った姿勢から地面に左手をつき、逆立ちするようにして足を跳ね上げた。
 その途中、リスラの腕を二本の足で挟みこむとグエンは身体をよじり、引き倒す。
 回転の力も加担して、リスラの身体はグエンの意のままに引きずられた。
 着地して体制を立て直したグエンは、倒れたままのリスラを睨む。直ぐに起き上がって攻撃を仕掛けてこないのは、こちらの正体がわからないからか。
 同胞と見なされたまま、リスラを倒したくない。
 グエンは踏み込みそうになる身体に、ブレーキをかけた。そんな彼の左肩は既に完治していた。服に穴が開き、血がこびりついているのを除けば、痛み一つない。
 その現実の忌々しさを、藍色の瞳に宿して、グエンは告げる。
「――俺の名はグエン。テメェら魔族を殺す者だ。――殺される不運を恨むなら、テメェらの同胞の業を恨めよ」
 グエンの言葉の中に潜むヒントから、答えを引き出したのか、リスラは唇を震わせた。
「……貴様、まさか……サルダの?」
 ゆっくりと首を傾けて、グエンは笑った。
 魔族の間でも、知れ渡っているらしい。この身の秘密は。
 ユウナにこの秘密を隠そうとするならば、魔族を徹底的に駆逐しなければならないだろうか。
 チラリと、思考を横切る花のような笑顔。心優しい少年は、グエンの秘密を知ればきっと心を痛めるだろう。それを思うと、やりきれない。
 感情だけで、魔族を敵と見なすことだけはするまいと心に誓ってはいるのだが、ユウナの笑顔を守るためなら、と考えてしまう。
「もう何も迷いはないだろ? お前はこの国の人たちを殺した。命乞いなんてするなよ? ――さあ、殺し合いをしようぜ」
 ヒュッと空気を裂いて、グエンは剣をなぎ払った。
 リスラは片手を地面に叩きつけると、その反動で飛び上がった。
 身の軽さは、グエンと変わらない。否、魔族であるリスラのほうが、人であるグエンより抜き出ているのは当然だ。
 グエンの、人並み外れた身体能力は後天的に与えられたものだった。最も、それを自らの能力として身に染み込ませたことへの自負は彼の矜持となっていた。
 この能力がどのような形で与えられたとしても――グエンの目指すところは、一つだ。
 大切な人を守りたい、助けたい。
 そう決意して、剣を握ることを選んだのだから――負けられない。
 壁を足場に高く飛んだリスラは、グエンの頭上を移動しながら、魔法を発動させる。
「<――降れよ、千の槍>」
 無数に降り注いでくる閃光の槍に、避ける空間などなかった。グエンは急所を庇うように腕を持ち上げた。心臓さえ守れれば、身体は勝手に再生してくれる。
 多少の傷を覚悟したグエンだったが、揺るぎのない冷ややかな声が耳に届いて、フッと笑った。
「<黄金の盾>」
 グエンの身を貫く前に、サーラの守りの魔法が光線の槍を弾いた。
 続いて突風が吹きぬけ、リスラの身体は風に攫われ壁に叩きつけられた。脆くなっていた壁が崩れ、瓦礫は魔人の身体ごと地下へと落ちてきた。グエンから少し離れたところに、山を作る。
「グエンさんっ! 大丈夫ですかっ?」
 穴が開いた一階の床から、ユウナの顔が覗いた。その隣に立つのはサーラだ。
「大丈夫だよ、ユウナちゃん。――助かったよ、姫」
「手間をかけさせないでください」
 礼の言葉に返ってくる冷たい反応を心地よいと感じ始めているのは、いけないことだろうか?
 グエンは頭の隅でチラリと思う。サーラはこちらの秘密を知っても、態度を変えなかった。最初から徹頭徹尾、冷たい反応。
 彼女の前では、何も変わらない自分がいる。
 ユウナに見せている顔も、それはグエンの一部だ。だが、少年に対して全てをさらけ出せない以上、取り繕わざるを得ない自分もいる。
 それでも、ユウナの前では笑っていられた。
 そして、サーラの前では偽りはなかった。
 どちらも大切な仲間だ。だから、二人を守るためなら、この身を盾にすることも厭わない。
 しかし、自分が傷つけば、二人も傷つくと言うのなら。
 傷つく覚悟をすること自体、間違っているのかもしれない。
 傷つく前に、片を付けろ、と。
 サーラは言いたいのかもしれない。
「……ホントにね、余裕なんか見せるんじゃなかった」
 リスラがこちらに対し、どのように対処しようか迷っている間に、片をつけてしまうべきだった。
 過去と割り切ったはずだったのに――小さなことに拘ってしまった。
 ガラッと音がして、瓦礫の山が崩れればその下から、薄紅色の髪を乱したリスラが立ち上がる。
 その姿を目に留めて、グエンは剣を握りなおした。


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