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 ― 3 ―


 目の前に広がった光景は、ユウナから言葉を奪った。
「……これは……想像以上だね」
 グエンは眉間に皺を寄せ、厳しい顔つきで呟いた。
 元は整然と並んでいたであろう建築物が崩壊しては、瓦礫が石畳の上に山を作っていた。足元の石畳も、所々に穴が穿たれ、石がめくれ上がっている。
 くすぶった煙が青空を覆い、煤が目に入って、ユウナの眼球を刺激した。
 吸い込んだ息で、鼻の奥に異臭が侵入してきて、喉の奥がざらつく。
 咳き込むユウナの隣に立って、サーラがこちらを覗き込んできた。
「大丈夫ですか、ユウナ」
 抑揚のない声だが、薄紫色の瞳には僅かながらにこちらを気遣う色が見えた。
「……あ、はい。大丈夫です。……それよりこれは」
 杏色の瞳でサーラを見つめ頷きながら、ゆっくりと声を吐き出せば、ユウナのそれは驚愕に震えていた。
 ――魔族に襲撃された、と。ギルドで話を聞いた。
 この辺り一帯を治めているガリア王国。その首都フィーズが魔族に襲撃された、という情報を港町のギルドで得て、町を出たのは七日前のこと。
 でも、眼前に在る惨劇の現場は――。
「……また、襲撃があったみたいだね。しかも、つい最近――間に合わなかったか」
 肘まで隠す手袋を嵌めた右手を顔の前に持ち上げて、異臭から鼻を覆いながら、くぐもった声でグエンが言った。
(間に合わなかった……)
 グエンの言葉がユウナの中で反響する。
 もう少し早く現場に駆けつけていれば――魔族を倒すことが出来、このような現場を作らずに済んだのかと。
 そう思うと、悔やむ気持ちが奥底から沸いてきて、ユウナは震えそうになる唇を噛んだ。
 しょうがないとわかっている――冒険者と名乗っても、所詮は人間。どんなに早く、駆けたところで、七日の距離を縮められたとしても精々、一日短縮できるぐらいだろうか。そうして、駆けつけたところで、無茶な道程に体力が尽きて、魔族を相手に戦う余裕などありはしないだろう。
 それでも……現前の事実を認識すれば、一秒なりと早く辿りつけられなかったのかと、後悔するのだ。
「とにかく、辺りを見回ってみようか。瓦礫の下に人がいるようなら、助けてあげよう」
 グエンが歩き出して、ユウナも続く。
 足場の悪い道を、グエンは軽い足取りで飛び越えていくが、ユウナは何度も転びそうになった。その度に、隣を歩くサーラの腕が支えてくれた。
「すみません、サーラさん」
「いえ。ユウナ、落ち着いて足元を見なさい。ここで、焦って怪我をしたところで何一つとして、利にはなりません」
「そ、そうですね」
「気が急くのはわかりますが、私たちには出来ることと、出来ないことがあります」
「…………」
「そのことを見極めて、最善を尽くしましょう」
「――はい」
 サーラの言葉はいつも的を射ていた。彼女の揺るぎのない声を聞けば、先走ってしまいがちなユウナに、冷静さを取り戻させる。
 瓦礫の山を越えて、開けた場所に――元は広場だったのだろう。噴水らしきものが中央にある――出ると、そこには避難してきた人たちが集まっていた。
 集まっている人間は、ざっと見て、百人当たりか。それぞれ、顔を煤で汚したり、痣を作ったりしている。
 億劫そうな足取りで歩くその姿に、彼らが受けた過酷な現実を、改めて見るような気がした。
 先に広場に辿り着いていたグエンが、遅れて到着したユウナとサーラの元に駆けてきた。
「ユウナちゃん、姫。あっちで、倒壊した建物の下に人が埋まっているらしいんだ。二人の魔法で助けて上げられる?」
 グエンがそっと尋ねてくる。
「……あ」
 ユウナはサーラを伺った。
 ユウナが使う黒魔法は、主に攻撃型だ。火、水、風、土、雷、光――といったもの。それを使えば、瓦礫を撤去することも難しくはない。
 しかし、瓦礫の下に生きている人がいるとすれば、ただ闇雲に魔法を使うというわけにも行かない。そして、魔弾というアイテムで魔法を使うユウナには、現場に応じて臨機応変に対処することは困難だった。
 返答に困ったユウナに、サーラが言った。
「ユウナ、私が補佐します」
「はい、お願いします、サーラさん。グエンさん、場所はどこですか?」
 サーラの言葉を受けて、ユウナはグエンに向き直る。


                     * * *


「<鋼鉄の檻>」
 サーラの包囲魔法が瓦礫の山を覆い尽くすのを感じて、ユウナは僅かな隙間に埋め込んだ緑の魔弾を解放させた。
 手のひらから放たれた風の魔法が建築物、丸々一戸分の木材や石材を押し上げる。
 風の魔法で押し上げられただけなら、それは吹き上げた風に飛ばされて、四散するところだが、サーラの魔法が囲いを作ってそれを防ぐ。
 ユウナはゆっくりと魔力を操って――魔法を組み立てるという、初歩的な段階を過ぎれば、魔法を操ることはユウナにも出来た。それは元々、ユウナの魔力によって作り出されたものなのだ――瓦礫を撤去する。
 誰もいない場所にそれらを移して、魔法を手放せば、風は静かに空気に溶けた。サーラもまた魔法を解けば、瓦礫は危ういバランスで作っていた山を崩した。
 砂埃が舞う様を一通り眺めて、ユウナは視線を戻した。
 倒壊した建物の中に閉じ込められていた人々は?
 まだ少し現場に残っている廃材を飛び越えて、グエンが元は部屋であっただろう空間へと向かう。
 そして、数秒後、ぐったりとした少女を抱えて出て来た。
「怪我をしている。それもかなり酷いっ! 医者は?」
 声を張り上げ、町の住人に問いかける。
 広場に避難していた人間の中で、動くことが出来た数人がこの場に同行していた。グエンの声に、鈍い反応で顔を見合わせる群衆の内の一人が、こっちだと言うように、手を上げ走り出す。
 グエンは少女を抱えたまま、走り出した。彼の上着に広がっていく赤黒い染みに、少女の怪我の具合を知る。
 走るグエンの進路を塞ぐ形で立っている一人に、怒号が飛んだ。
「そこを退けっ!」
 切迫したグエンの声を聞けば、命の危険に晒されているような重傷か。反射的にユウナもグエンの後を追いかけ、サーラも続いた。
 案内された一軒に、グエンは飛び込むやいなや、叫んだ。
「腹部裂傷、内臓に損傷があるっ! そこを退け」
 部屋の中は、魔族の襲撃に傷ついた人々が治療を求めて集まって、占拠していた。
 診察用の寝台に腰掛けて、足の傷具合を診られていた患者は、グエンの蹴りに寝台から落とされた。
「何をっ!」
 腰をしたたかに打ちつけたのか、その男患者はグエンに向かって、抗議の声を上げた。
「うるさいっ! それぐらいの傷、舐めて治せっ!」
 肩越しに振り返りながら一喝し、グエンは少女を寝台の上に横にした。
 ユウナは、少女の腹部に開いた大きな傷に、目を見張る。
 引き裂かれた衣服の破れ目から、血を滴らせる少女の身体が見えた。パックリと引き裂かれた赤い血に塗れた肉、そこからピンク色の内臓が覗いていた。そして、内臓には木片が幾つか突き刺さっている。
 荒い呼吸をしている少女の、鼓動に合わせて、傷口から滲み出る鮮血の赤。鼻腔を突く血の生臭さに、周りに居た者は顔を覆った。
「皆、出て行ってくれ」
 医者らしい青年が声を張り上げた。
 動ける者は、ユウナの脇をすり抜けて、部屋を後にした。中には、少女の傷を目にしたショックで戸惑って動けない者もいたが、グエンが睨めば、我に返り、慌てたように部屋を出た。
 そんな彼らと入れ違うように、額に汗をかき肩で息をつきながら、女性が一人飛び込んで来た。
「娘はっ! 先生っ! 娘はっ?」
 髪を振り乱して、医者に取りすがる女性は少女の母親だろうか。
「どいてください、今から治療を」
「助かるんでしょうっ! 先生っ!」
 医者の青年は、母親の問いかけに言葉を封じるかのように唇を噛んだ。
 少女の傷の具合を診れば、素人のユウナでも、命の危険性がわかる。
「先生っ!」
 母親は悲鳴を上げ、医者の胸倉を掴んだ。
 そうしている時間すら惜しいことを、混乱している頭では判断できないのだろう。グエンが女性を医者から引き剥がした。
「センセイ、治療をっ!」
「……あっ、ああ」
 グエンの声に促され、医者は診察台に近づいた。刹那、間近で診た傷に絶望的な色を顔に乗せた。
(……諦めている)
 ユウナは、医者の表情を見て、察した。
 少女の傷は、この医者の手には負えない重度なものだと。
 どうしようもないのか? と――戸惑うユウナの耳に、声が響いた。
「――木片を抜きなさい」
 振り向けば、ユウナの隣で無表情なサーラが口を開いていた。
「まず、木片を抜きなさい」
 淡々とした声が、命じる。医者は操られるかのように、内臓に突き刺さった木片を抜いた。それを見ると、サーラが診察台へと近づく。
 患者の少女の傷口に、手のひらを翳して、魔法呪文を唱える。
「<癒しの祈り>」
 少女の内臓に穿たれた穴が、塞がっていく。内臓からの出血は、止まった。
 寝台の白いシーツを侵食していく赤の勢いが、僅かに緩んだと思ったのは単なる気のせいだろう。
 しかし、少女の呼吸のリズムが、先ほどに比べてほんの少しだが落ち着いていた。
「……癒し手?」
 医者が呆然と呟くそれに、サーラが少女に翳していた手を引いきながら、薄紫色の視線を持ち上げて、医者に命じる。
「傷を縫合しなさい。後は貴方に任せます」
 そう告げて踵を返すと、サーラはユウナの横に戻ってきた。彼女の動きを目で追っていた医者が、我に返ったように叫んだ。
「何故っ? まだ、危険域は脱していないっ!」
 腹部に開いた傷は縫合したところで、すぐに回復する保証はなかった。化膿する可能性もあれば、失われた出血に少女の体力が持たないということも。
 しかし、それらは「癒し手」の生命魔法があれば、瞬時に治せるはずだった。
 サーラがそのまま、治療をしていれば。
 医者は、途中で魔法を放棄したサーラに声を荒げる。
「どうして、途中で止めたっ! まだ、彼女は苦しんでいるっ!」
 切迫したこの場にそぐわないほど、冷淡な声でサーラが切り返した。
「苦しんでいる患者を救うのは、医者である貴方です。冒険者である私には、その役目を肩代わりする義理はありません」
「癒し手であるのにっ?」
 医者である青年がどんなに望んでも、手に入れることが出来なかった生命魔法。病以外の傷をたちどころに治してしまう万能な治癒の手。
 それを持つ者は、どんな理由があろうと、患者を救うべきだと――目の前にいる医者は考えているようだった。
 ユウナは医者の剣幕に、目を見張る。
 命を預かる者からすれば、それは当然の思考なのかもしれない。
(…………でも)
 生命魔法を使うことを嫌っているサーラに、今以上の魔法を求める残酷さを、ユウナは知っていた。
 サーラに詰め寄ろうとする医者の前に、ユウナが割り込むと同時に、グエンが後ろから医者の肩を掴んでいた。
「センセイ、アンタは医者だろ?」
 藍色の瞳で睥睨して、グエンが低く問いかける。
「姫に抗議する前に、患者に背を向けてどうするのさ」
「しかしっ!」
「俺たちは冒険者だ。アンタは医者。この現場で、治療を率先して行うべきなのは――アンタであるはずだ。違うか?」
 反論を許さないと言った厳しい視線に医者は口ごもると、舌打ちして診察台に向き直った。
 糸と針で傷口を縫うたび、失神して意識を失っているはずの少女の口から、呻き声がこぼれた。
 掠れる吐息、搾り出される悲鳴。
 その声に反応した、少女の母親が部屋を横切って、サーラに詰め寄ってきた。
 ユウナはドンと突き飛ばされ、床に転んだ。床板に手のひらを擦って、赤い血が滲む。
「娘を助けてくださいっ! アナタは、魔法が使えるんでしょっ? 娘を助けてっ!」
 サーラのマントに両手で縋って、母親は訴える。涙で頬を濡らし、喉の奥から声を振り絞って、助けて、と請う必死な表情。
 見ているこちらの胸を締め付ける親の情の深さが、そこにはあった。
 だけど、その姿をサーラの薄紫色の瞳は無感動に見下ろす。
(……駄目だっ)
 ユウナは身を起こして、女性を引き剥がしに掛かった。腕の中で、暴れる彼女の手が、ユウナの頬を叩いて、髪を引っ張る。母親の肘が胸を突いて、一瞬息が詰まりかけた。
「どうして、アナタたちは娘を見殺しにするのっ! こんなに苦しんでいるのにっ!」
 女性の身体に回した左手に爪を立てられて、ユウナは思わず悲鳴を上げた。
「痛っ!」
 娘を思う強さの現われか、ユウナの手の甲に刻まれた傷は、血を滴らせた。
 緩んだ腕からすり抜けた女性が再び、サーラに取りすがろうとする。
 その寸前、サーラの平手が女性の頬を叩いた。
 空気を裂いた一振りがピシャリと肌を打つその音に、場がシンと静まり返る中でサーラが低く告げる。
「私に、生命を求めないでください」
 そう告げると、サーラは踵を返して、部屋を出て行く。
「サーラさん」
 白銀の光の残像を追って、部屋を出て行きかけたユウナの耳に、グエンの低い声が届いた。
「俺達がその子を見殺しにするって言うけど。――命の可能性を端から否定しているのは、他でもないアンタたちだろ? 人間はそんなに弱くはないはずだ」


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