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 ― 4 ―


 夜陰の中にひっそりと佇むその背中が寂しげに見えたのは、多分、気のせいだろう。
 彼女は決然とした意思で、自らの行いを選んでいる。
 救わなかったことを後悔することなど――端からしない。
 周りにどれだけ責められても、彼女は自ら選んだことを覆したりしない。
 だから、診療所で起こった出来事に、彼女が自らの選択を悔い悩んだりすることはない。
 それでも、一人にしたくないと、ユウナは思った。
 自分が、彼女に対して、何が出来るのかわからないけれど。
 彼女が、自分に対して導いてくれるように。労わってくれるように。
 サーラの優しさが、与えてくれる安らかな思いを。
 少しでも、彼女に返せるように。
「……サーラさん」
 そっと呼びかけたユウナ声に、サーラは白銀色の髪を翻して、こちらを振り返った。
「ユウナ」
「あの、一緒に居てもいいですか?」
「はい」
 頷く彼女の隣に立って、ユウナは眼下に広がる光景を見つめた。
 宿屋の屋上は、客にも解放されていた。普段は、洗濯物を干している場所なのだろう。周りに遮蔽物がないこの場所からの眺めは、見晴らしが良かった。
 月明かりを受けた町がよく見える。夜の町は、疲れたように静かに横たわっていた。
 三人が取った宿は町外れにあったため、目が届く範囲の光景も普通の町並みに見えた。
 それでも、月明かりに照らされる遠くを眺めれば、整然と整えられていたはずの道筋が歪んでいた。
 その通りが真っ直ぐに突き進む先にあるのが、このガリア王国の君主が住まう王城。しかし、夜を背景に浮かび上がる城の影もまた、いびつに歪んでいた。
 魔族の襲撃は王城から、中央街辺りを狙って行われていた。
 グエンが集めてきた情報によれば、最初の襲撃は二月前。それから、三日から十日程の間隔を置いて、五度ほど繰り返されたと言う。
 一人の魔人が、魔翼鳥、魔獣たちを操って、襲撃しているようだ。魔人の特徴から、元は西の大陸で暴れていた魔族らしい。
 西の大陸で冒険者たちが増え、魔族たちは劣勢に立たされていた。そこで、この東の大陸に流れてきたようだと、グエンは集めた情報を組み立て、推論を披露した。
 この地で足場を固めるために、ガリア王国を手中に収めんとしているのだろう、と。
『頭である魔人を倒さない限り、襲撃は続くだろうね。暫く、ここに留まろう』
 グエンの決定に、ユウナたちは町外れの宿に身を置くことにした。魔族の襲撃によって焼け出された人たちもまた、宿を求めたので、三人は一つの部屋で我慢する。
 野宿することに慣れている三人には、屋根がある場所で眠れるだけまだマシなので、文句はない。
 宿屋の一階にある食堂で夕食を取って部屋に戻れば、室内にはサーラの姿がなかった。グエンが一人居て、血に染まった上着を脱ぎ捨て、新しいものに袖を通していた。
 腰のベルトを留めると、遅れて戻ってきたユウナを難しい顔で見上げた。
『ユウナちゃん、姫は?』
『……グエンさんと一緒では?』
『いや、俺が着替えるって言ったら、出て行ったよ――別に見られても減るもんじゃないから休んでていいって、言ったんだけどね? 姫ったら、俺の裸には興味がないって』
 目が腐るって言われちゃったよ――と言って、グエンは苦笑する。
『ねぇ、俺って男として意識されているのかな? それだったらいいんだけどね』
 まさか、全裸になるつもりなどないのだろうが。女性の前で裸になる神経はどうなんだろう?
 男として意識?
 ユウナはグエンの一言にちょっと驚いて、杏色の瞳を瞬かせる。
(グエンさんって……サーラさんのことを?)
 それとも、仲間として意識されていないような現状を前に、せめて男としてだけでも意識してもらいたいという――嫌い嫌いも好きのうちという、実に都合のいい解釈をしたいらしい――かなり切ない願望なのだろうか?
(サーラさんは、グエンさんのことを嫌いとは一言も言っていないけれど)
 どこまで本気なのか判別付かないグエンに、ユウナは困惑した。返す言葉もない。
 そんな少年を前に、彼は血のついた上着を丸めながら、肩を竦めた。
『……一人になりたかったのかもね。姫ってば、強がりだから』
『…………』
 やはり、昼間のことが尾を引いているのか。
 サーラが自ら下した決断に、後悔することはない。
 しかし、投げられた言葉に、傷つかなかったという保証も、どこにもない。
『…………僕、探してきます』
 ユウナは踵を返し、ドアに飛びつく。
『うん。俺はここで待っているよ』
 グエンがそっと笑って、手を振った。
 それは、グエンなりの気の使い方なのだろうか?
 会話を交わせば、どうしてもサーラを刺激してしまうグエンは、距離を取ることでサーラが落ち着くのを待とうと。
『ねぇ、ユウナちゃんは姫が間違っていると思う?』
 部屋を出て行きかけたユウナの背中に、グエンの声が問う。肩越しに振り返れば、真剣な藍色の瞳がこちらを見つめていた。
『僕は間違っているとは思いません。グエンさんは?』
『うん、俺も。でも……それを他人に理解してもらえないのは、姫としては、辛いなと思っただけ。姫は、誰よりも優しい子なのにね』
 常日頃、サーラに虐げられているように見えるグエンから、「優しい」という、その言葉を聞くのは何だか、変な感じがした。
 だけど、思い返してみれば、出会った当初から、グエンはサーラのことを「優しい子」だと言っていた。
 彼女が放つ、数々の冷たい言葉を笑って受け流せるのは――時に落ち込んでいるようだけれど――ユウナよりも先に、グエンはサーラの本質を見抜いていたからか。
『ユウナちゃん、姫を頼むね』
『――はい』
 と、頷いて出て来ては、サーラの隣に並んでみたけれど。
(…………)
 果たして、どんな言葉を掛ければ良いのか。迷っていると、サーラが口を開いた。
「ユウナ、手を」
「えっ?」
 サーラが伸ばしてきた手が、ユウナの左手を持ち上げる。
 月明かりに照らされた白い手の甲。昼間の傷は、深くユウナの肉を抉っていた。抉られた部分はもう塞がりかけていたけれど、指を折り曲げたりしようとすると、皮膚がつって、痛みを思い出させた。
「痛かったでしょう?」
 サーラの白い指先は傷に触れないように、ユウナの手を包み込んだ。
「大したことないですよ」
 ユウナはそっと微笑んで、サーラを見上げた。魔族との死闘で負った傷を思えば、こんなのはかすり傷に過ぎない。
 ただ、戦いの場ではない現場で、怪我をするとは思わなかったけれど。
「ごめんなさい」
 ユウナの手を抱えたまま、彼女が頭を下げてきた。
「えっ?」
 目の前に垂れた白銀の頭に、ユウナは杏色の瞳を丸くした。
「私ごとで、ユウナに不快な思いをさせました」
 俯いたまま、サーラは低く告げる。
「そ、そんなことないですよ。どうして、謝るんですか? サーラさんは、何も間違ったことはしていないじゃないですか」
 そう、間違ったことはしていないはずだ。
 助けられるはずの人間を助けなかった――医者の青年も、母親も、サーラのことをそう見ていたけれど。
 あれ以上の治癒が施すものは、生命の選択。
 少女が生きたいと望めば、生き延びるだろう。しかし、その意志がなければ、かなり危うい橋を渡ることとなる。
 生きるか、死ぬか。選択をすべきなのは、少女自身であらなければならない。
 サーラには、生死の選択を肩代わりする義理はないのだ。
 医者の代わりに少女を癒す義理がないように。少女の命を、今後の人生に関わる重要な選択についての責任を背負う義理もない。
『一人でも多くの人を救えたら、いいね』
 それがユウナたちの冒険の目標だ。
 しかし、生きる希望を持たない人間のために、命を張って戦うほど、冒険者たちはお人好しではない。
 生きたいと望む人たちがいるから、その人たちのために未来を切り開こうと、冒険者たちは戦っている。
 少女の意志の強さがあれば、生き延びるはずだ。サーラの魔法がなくとも。
 そう信じなければ、己の手の小ささに冒険者は絶望してしまう。
 世界は広くて、今この瞬間にも、魔族によって苦しめられている人々がいるのだ。
「サーラさんは言いましたよね。自分たちには出来ることと、出来ないことがあるって。サーラさんに出来ることはしました。あれ以上の魔法は、サーラさんには出来ないことでしょう?」
 命を選択すること。命を求められること。
 それに応えることは――――サーラには、出来ないのだ。
 誰よりも優しすぎるが故に。
 そして、「癒し手」ではあるけれど、「冒険者」であることを選んだ故に。
「あの女の子を助けることは出来るかもしれない。でも、サーラさんは、それ以上の可能性を知っているんです。その可能性に目を瞑りたくないと、決めている。僕と、グエンさんはサーラさんの決断を支持しています。だって、僕たちは冒険者なんですから」
「ユウナ」
「だから、謝らないでください。それより、僕の方こそ、ごめんなさい」
「何故、ユウナが謝るのですか?」
「僕があのお母さんを、ちゃんと止められていたら。サーラさんは、あの人を叩かなくて済んだんです。……叩いた手、痛かったでしょう?」
 ユウナは自らの左手に添えられたサーラの手に、右手を重ねた。少しひんやりとした指先を包み込んで、彼女が心に負った痛みを思う。
「サーラさんが心に決めていること、多分、他の人にはあまり理解してもらえないと思います。そのせいで、沢山嫌な思いをしているのに、守ってあげられなくて、ごめんなさい」
「……ユウナは優しいのですね」
 顔を上げたサーラが、微かに笑ったように見えた気がした。
 それはとても綺麗な微笑で、ユウナは近すぎる距離を不意に意識した。
 急激に上がる体温。上気する頬。それを隠すように俯いて、早口に告げる。
「そ、そんなことない、です。僕よりずっと、サーラさんが優しいですよ。僕は、それを知っています。一杯、傷ついても、変わらない信念で沢山の人を守ろうとしている――サーラさんは、とてもとても、優しい人です」
「ありがとうございます、ユウナ。ユウナがそれを知っていてくださるのなら、私はこれからも自ら選んだ道を、迷わず歩んでいけるでしょう」
「サーラさん、今日は生命魔法を使って、疲れたでしょう? ゆっくり、休んでください」
「そうですね、……疲れましたね」
 サーラが重々しく息を吐く。いつもは、疲労の影すら見せない――けれど。
 生命魔法が術者にかける負担は、普通の魔法の比ではない。
 まして、彼女に出来うる最大限の手助けをしたのにも関わらず、非難の言葉を浴びせられた。そんなサーラの心中を思えば、第三者のユウナでさえ、気が重くなる。
「ユウナ、少し肩を貸して頂けますか?」
「えっ?」
 戸惑うユウナを余所に、サーラはこちらの肩に自らの頭を乗せて、身体を預けるようにしてきた。
 寄りかかってくる僅かな体重をユウナが支えると、サーラが小声で囁いた。
「ありがとうございます、ユウナ。やはり、私は貴方を選んで良かった」
 サラリと音を立てる衣擦れの隙間で、その声は届いた。
「えっ?」
 言葉の意味を量りかねて問い返せば、ユウナの肩に頭を預ける形で、サーラは眠っていた。


                      * * *


『俺たちと一緒に、――旅をしない?』
 馴れ馴れしく誘って来たグエンに、またか、とサーラは思った。
 どうせ求められるのは、蘇生魔法を成功させた「癒し手」としての能力だろう。
 ――頼らないで。
 ――求めないで。
 悲鳴は喉の奥で凍る。感情はとうの昔に、麻痺させてしまった。
 笑い方も、泣き方も、怒り方も、もう忘れた。
 ただ、冷ややかな視線を差し向けて、淡々と問いかける。
『貴方が私に求めるものと、私が貴方に与えられるものは、同一ですか?』
 謎かけのようなサーラの問いかけに、いつも誘ってくる者たちは困惑した。
 けれど、グエンはニッコリと笑い、自信満々に言い放った。
『同じだよ』
『――本当に?』
 問いの真意を理解しての回答だろうか? 訝しげるサーラに、グエンは視線を横に動かした。彼が見つめた先に佇むのは、可憐な花のような少年。
 一途な信念でもって、冒険者を目指しているユウナ。
 卒業試験の最中に見せた少年の真摯さは、サーラの心を少しだけ溶かしてくれた。
『俺は勇者としての誉れなんて、欲しくない。大切な人を守りたい、助けたい――そのためなら、自分が傷つくことも厭わない』
 藍色の瞳が、サーラを振り返って笑う。精悍な顔立ちの青年の笑顔は実に快活で、何の悩みもなさそうに見えた。
 声さえも突き抜けるように真っ直ぐで、
『この気持ちは、俺も姫も、ユウナちゃんも同じでしょ?』
 その言葉を否定する声は、サーラの中にはなかった。
『…………』
『ああ、これはユウナちゃんには内緒だけどね――姫も内緒にしてね。ユウナちゃんに、心配させたくないからね』
 グエンはユウナの方向に完全に背中を向ける。
 そして、サーラの方に左手を差し出すと、いつの間にか、黒い手袋を嵌めた右手に握ったナイフの刃を、グエンは自らの左手の甲に滑らせた。
 朱色の線がグエンの皮膚を裂いて、一本描かれては、そこから流れ出た赤い血が幾つもの筋を作る。
『……何を?』
 目を見張るサーラの目の前で、彼の左手の甲に作られた傷は、見る間に塞がっていった。
 裂かれた皮膚が傷口を塞いで、細胞が再生し繋がっていく。瞬きのうちに、ナイフで作られた傷は跡形もなく消えていた。
 その治りの早さにサーラは一瞬、我が目を疑い、息を呑んだ。
 生命魔法でも、こんなに早く治癒することなんて、出来ないはずだ。それを扱うサーラだから、この現象の奇妙さに目を剥く。
『――こういうわけで、俺はね。姫の能力は必要ないんだ』
『ならば……私など、仲間にしなくても構わないでしょう』
 要らない――と言われたことに、グエンの体質の奇妙さも忘れて、サーラは言っていた。
 グエンは手の甲に流れた血を舐め落しながら、笑う。赤く濡れた舌を白い歯の間から覗かせて、カラリと。
『生命魔法――姫の価値は、それだけじゃないはずだよ』
 そして、舐めとった血を唾と共に吐き出したグエンの横顔の苦々しさは、後に彼から詳しく聞かされた秘密を知れば納得させられた。
 彼の身に流れるは、呪われし血。
 唾棄すべき穢れた血。
 それでも、彼の身を生かし――癒す。
 サーラはグエンの横顔に向かって告げた。
『白魔法師ならば、他にもいます』
『白魔法師ならね。俺が仲間に欲しいのは、志を同じにする白魔法師。それもとびっきり優秀な』
『貴方は、私に何をさせたいのです?』
『姫にはユウナちゃんを守ってもらいたい。ねぇ、あの子、一生懸命だよね』
 それは、グエンに言われるまでもない――。
『守るために得た能力なんだ、使わなきゃ損だよ』


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