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 ― 5 ―


 泥のような眠りから、瞼を開く。頭が重たい。まるで眠り薬でも飲まされたかのような不快な感覚が四肢を支配している。
 ゆっくりと、手を持ち上げて眼前に晒す。自分の手だと確認するように、指を折り、そっと拳を握って、寝台に横たえた。
 身が沈むような柔らかなベッド。それを覆うシーツの滑らかさに違和感を覚えて、サーラは上体を起こす。
 薄紫色の瞳に映った室内の光景に、微かに目を見張った。
 淡い壁紙が張られた部屋。床に敷かれた毛並みの深い絨毯。サーラが身を横たえていた寝台は天蓋付きで、上から垂れ下がっているのは花模様のレースのカーテン。それが部屋と寝台を仕切っていた。
 大きな窓から差し込む光りに照らされた室内の明るさは、昨夜、身を寄せた宿とは似ても似つかない。
 宿の窓は、気泡が入った硝子がはめ込まれていた。その窓も、埃を被っていて、夕食前に荷物を置くために入った時でさえ、薄暗かったのを覚えている。
 室内の片隅に置かれた緑が目を引いた。
 辺りに視線を走らせて、サーラは自らの身に目線を落した。
 胸元に掛かる髪は白銀色。指も、手も、胸も――全て、自分の。
 だが、彼女が身に付けている衣服は、サーラのものとは違った。
 薄紅色の透けるような布地が幾重にも重ねられたドレス。細いリボンが幾つも、飾っていた。こんな動きにくい服は、冒険者である自分が選ぶことはない。
 誰かに着替えさせられた――そして、この場所に運び込まれた。不快な目覚めは、実際に薬を飲まされていたのかもしれない。
「――ユウナ? ――グエン?」
 サーラは仲間の姿を求める。
 答える声はない。
 返答に変わって部屋のドアが開く。姿を現した者にサーラは低く問う。
「何者です、貴方」


                     * * *


「…………サーラさん、無事でしょうか?」
 ユウナはサーラの存在を捜し求めるかのように、杏色の瞳を忙しなく彷徨わせながら、呟いた。
 水を枯らして首をもたげる花のような、気鬱に沈んだ顔。そんな少年に、明るい声が答えた。
「姫なら大丈夫だよ。なんてったって、姫だからね」
 根拠のない確信とその明るさは、どこから来るのか?
 ユウナは眉を寄せながら、声の主を振り返った。
「どうしてっ! この状況で、そんな――……楽観的になれるんですか?」
 責めるような声音は後半、呆れを含んだ。
 ユウナが見つめる先、黒髪の剣士グエンは、差し入れられた料理を綺麗に平らげていた。
「……食べちゃって、大丈夫なんですか?」
 思わず、真顔で尋ねる。
 今、自分たちが置かれた現状を思えば、料理の中に毒が盛られている可能性もなくはない。
 もっとも、鉄の胃を持つ彼ならば、例え本当に毒が入っていても、効果はないかもしれないが。
「大丈夫だと思うよ? ユウナちゃんも、食べたら?」
「……遠慮しておきます」
 ユウナの前に置かれた料理を指差して、グエンが言ってきたけれど。少年は手を振って、断った。本当に毒が入っていたら、ユウナでは即刻、あの世逝きだ。
 焼いた骨付き肉と野菜を煮詰めたスープに、焼きたてのパンの匂いが、昨晩から何も食べていない胃を刺激して、食欲をそそるけれど。
 魔族との死闘を覚悟し、命を落すことも視野に入れて旅をしている。だからこそ、魔族と無関係のところで命を落したくはない。
 毒入りスープで死んでしまったとなったら、冒険者になる志を尊重して送り出してくれた両親に顔向けも出来ないではないか。
「それより……」
 グエンから視線をそらして、ユウナは辺りに目をやる。
「どうして……こんなことに」
 一方向を除いて、壁は石で造られていた。残りの一面には鉄の格子。
 ユウナとグエンは、それぞれ、向かい合う位置の牢屋に閉じ込められていた。廊下に等間隔で灯された明かりがある。
 この地下にある石牢を照らす唯一の光。おかげで、グエンがスープを残すことなく啜る光景を目視することが出来た。
 暗闇の中だったら、ズズズズっという音に怯えてしまったことだろう。
 地下牢には他に捕らえられている者はいないらしい。それとも、他にも地下牢があるのだろうか? 
 ユウナとグエンだけのこの地下牢は、やたらと音が響いて、石の壁に反響する。
「僕たち……何か、悪いことをしましたか?」
 捕らえられるような罪を犯したか? と、記憶を反芻するユウナに、グエンが笑う。
「人助けをすれど、悪いことなんて何もしていないよ、ユウナちゃん。自分の行いを疑ったら駄目だよ」
 空になった皿をまるで扇のように動かして言うグエンに、ユウナは頷いた。
「そ、そうですよね。きっと、何かの手違いですよね……」
 ユウナは昨夜のことを思い出す。
 ――屋上でサーラと話をして。
 疲れた彼女がユウナの肩を貸して欲しいと言って。
 そして、サーラはそのまま眠りに就いた。


                     * * *


 二人があまりに遅いから心配になった、と言って、グエンが迎えに来てくれなければ、ユウナはサーラと共に、屋上で一夜を過ごしていたかもしれない。
 サーラの眠りを妨げるのを厭んで、ユウナは一歩も動けなかったのだ。
『よっぽど、疲れていたんだねー』
 グエンがサーラを両腕に軽々と抱きかかえて、三人はようやく宿の部屋へと戻る。
『まあ、船の長旅もあったしね。それに傷を塞ぐって一括りにしちゃうけど、血管を繋いだりとか……結構、難しいんだよね』
 寝台にサーラを横たえて、グエンは小声でユウナに話しかけてきた。
 魔法を使う者ではあるけれど、黒魔法師のユウナには、白魔法師が扱う生命魔法はあずかり知れない領域だ。
『そうなんですか?』
『俺も詳しくはないけどね。魔法のセンセイに一度、話を聞いたことがあったんだ。大きな傷を塞いでもね、内側の傷が治癒されていなかったら、ヤバイんだって。むしろ、大きな傷の方が治癒しやすいらしいよ』
『……じゃあ、サーラさん』
『あの女の子を助けるのに、かなり無理したと思うよ……ギリギリのところで』
 グエンがそっと息を吐くように呟いた。藍色の瞳が切なげな色を交えて、サーラの寝顔を見つめる。
『……それでも姫は、選べないんだよね……見捨てることも』
 ユウナは、そんなサーラの事情を知らずに、非難してきた医者たちに今聞いた話を聞かせてやりたい衝動に駆られた。
 ギュッと拳を握ったユウナの頭に、グエンの手が触れる。彼はポンポンと軽く叩いて、こちらを覗きこむように目線を合わせてきた。
『ユウナちゃん、険しい顔は似合わないよ? あのね、明日起きたら、明るい顔で姫に笑いかけてあげなよ。それで、姫は結構、救われる』
『僕が笑っても……』
『ユウナちゃんが笑うから、いいんだよ。俺が笑いかけても、姫ったら全然嬉しそうじゃないじゃない?』
『あ、……そうですね』
 思わず言ってしまってから、ユウナは失言に気づいて、慌ててグエンを見上げた。
 ガックリと首を傾いで、グエンは幅の広い肩を落とす。
『そこで頷かれちゃうと、俺としても寂しいんだけど。でも、こればっかりはね。……姫が選んだのは、ユウナちゃんだから』
『サーラさんも僕を選んだって……そんなことを言っていましたけど。あの、それって』
 ――どういう意味が? と、問いかけようとしたところで、外が騒々しいことに気付いた。
 窓の外、石畳を駆ける蹄の音や走り回る靴音が、騒がしい。
 何事かと背筋を伸ばして、グエンが腰に携えている剣の柄に触れた。ユウナは寝台の脇に置いたリュックを手に取った。
(魔族の襲来? ――でも、これは)
 やがて、硬い靴音が雪崩のように押し寄せ、階段を上ってくるのが、ドアの外から聞こえてきた。
 グエンが藍色の瞳でこちらを振り返るのに頷いて、ユウナは寝台の近くに身を寄せた。耳にハッキリと雑音として入り込んでくる騒々しさの中、サーラは眠っている。
 魔法によって削がれた気力を回復するため、身体が睡眠を求めて、外界と意識を遮断しているのだろう。
 サーラを守らなければと、ユウナは背中に彼女を庇う。
 そこへ、ノックもなしにドアが開かれた。
 入り込んでくる人影が誰何する間もなく、グエンは拳を振るった。肘まである黒い手袋を嵌めた――利き腕を保護するものだと言って、グエンは常時身につけている――右手が空を裂いて、放たれる。
 一番初めに入ってきた男の顎を強打したそれは、そのまま二番目の男ごと部屋の外へと叩き出し、なだれ込んで入ってこようとする他の者を、ドア口で堰き止める形となる。
 倒れ込んだ二人と、ドアの外にたむろする男たちは皆、同じ服を着ていた。
 妙に格式ばった服装は、制服か何かのようだ。同じことに気づいたのか、グエンが少し警戒を解くように拳を下ろし、口を開いた。
『何の用だ? この国は、ノックの礼儀もねぇのかよ?』
 こういうときのグエンの声は、刺々しく冷たい。
 恐らくは相手を威嚇するために芝居ぶっているのだろうけれど、ユウナは時として、グエンの本質はこちらではないかと思うときがある。
 明るすぎるいつもの態度の方が、芝居なのではないかと。
 敵である魔族を倒さなければならない。それは冒険者として当然のことではある。しかし、生きている物を躊躇なく切り捨てるグエンの剣は、無慈悲な印象を拭えないのだ。
 しかし、思考は長くは続かなかった。
『私が話をする――』
 落ち着いた声が廊下から聞こえて、人だかりが割れると、一人の青年が姿を現した。
 他の男たちと同じ服だが、色が違った。他の者たちが黒っぽい色であるのに対し、彼の服は白。黒の集団の中で否応に目を引く純白の衣装。
 グエンより僅かに低い背筋を伸ばして、両靴の踵を合わせる。身体の奥底から突き抜けるような、よくとおる声で名乗りを上げるのは、亜麻色の髪に深い緑色の瞳の青年。
『我は、ガリア王国親衛隊隊長――ギルバート・テンス』
 ギルバートと名乗った彼は、緑色の瞳にグエンとユウナを映し、それから寝台に横たわるサーラへと視線を移し、口を開いた。
『白魔法師サーラ嬢の身柄を、こちらにお譲り頂きたい』
『…………』
 彼の言葉の意味が、ユウナにはわからなかった。
 どうして、サーラを?
『――嫌だと言ったら?』
 唇に冷笑を浮かべると、グエンは頬を傾け、斜めにギルバートを睨んだ。
 冷たい眼光に怯むことなく、青年は答えた。
 グエンに負けない自信があるのか、
『力づくで、貰い受ける』
 ギルバートは低く声を響かせながら、スッと剣を握るには繊細な印象がある指を腰の剣へと下ろした。
『…………』
 グエンは一瞬の沈黙の後、降参と言うように手を上げた。
『ユウナちゃん、抵抗しないで。この人に、姫を預けよう』
『……えっ? でもっ!』
『……姫に手荒なことはしないよな?』
 グエンがギルバートに問いかけると、青年は胸に手を当てて誓いを立てた。
『私の名に誓って』
『……と言うことだよ』
 グエンは肩を竦めるようにして、ユウナを振り返った。
『グエンさん?』
 ユウナにはグエンの真意が量りかねた。相手は多人数ではあるけれど、グエンの剣術とユウナの魔法があれば、これぐらいの包囲網を突破するのはそう難しくない。
 ギルバートの条件を呑む理由がないように、ユウナには思えた。
 しかし。
『……人間相手に剣は振れないでしょ? それに、今一番優先すべきなのは、姫の回復だからね。とりあえず、ここは姫を預けよう』
 ユウナを説得しにかかるグエンの声に被せて、ギルバートが言ってきた。
『申し訳ないが――貴殿らの身柄も、一時、拘束させて頂く』
 そんなことを言われたら、素直に頷けるはずもないのだが。
 青年は真面目な性格なのだろう。
 グエンは呆れたように、片目を眇めてギルバートを見た。その視線に気付いた青年は、言い訳するように付け加えた。
『こちらの用が済めば、サーラ嬢共々、解放する――我が命に賭けて』
『……用ね。まあ、とにかく、ここは大人しく従おう、ユウナちゃん』
 ユウナとグエンは、サーラと離された。そして、この石牢に閉じ込められることになったわけだ。


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