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 ―  6 ―


「私は、ガリア王国親衛隊隊長――ギルバート・テンスです」
 そう名乗ったギルバートを見返してきた薄紫色の瞳は、冷然としていた。
 彫刻のような完璧な創りの美貌の麗人は、無言でギルバートから目線をそらすと、胸元に掛かった白銀の髪を払った。
 俯くように伏せられた睫の影が落ちる真珠色のきめ細やかな肌。薄いピンク色の唇。
 横顔のラインもまた絶妙な精巧さで、ギルバートはこの麗人が生きている人間だとは、思えなかった。
「命の女神」と呼ばれるように、彼女は人ではなく女神ではないだろうか?
 神も百年に一度、生まれ変わると言う。ならば、神という存在もまた、人と同じよう形をしているのではないだろうか? そして、この地に降りていたとして不思議はない。
 見惚れるほどに美麗な彼女を前に、ギルバートが言葉を失っていると、サーラはベッドに置いた手を支えに寝台から降りる。
 そこに用意してあった繊細な細工で飾った靴に素足を納めると、薄布を何重にも纏ったドレスの裾を優雅にさばいて、彼女はギルバートの目の前に迫った。
「名前しか名乗らないのは、私がそれだけしか問わなかったからですか? それとも、貴方は言葉を知らぬのでしょうか?」
 真正面に見上げてきたサーラの瞳の冷たさに、ギルバートは僅かに腰を引かす。見えない迫力が、何かわからぬが彼を脅かした。
 彼女の周りに鋭く尖った銀の光が煌めいているように見えるのは、錯覚なのだろう。
「まあ、それはどうでもいいことです。ユウナはどこです?」
 薄紫色の瞳がギルバートから逸れて、何かを求めるように彷徨う。
「ユウナ」というのが、サーラの仲間で、少女のような面立ちの少年であることをギルバートは思い出す。
 華奢な少年が、〈ゼロの災厄〉と戦う冒険者であることを知って、ギルバートが戸惑ったのは、可憐な花のような顔立ちもあったかもしれない。
「……か、かの少年の身柄は……預からせて頂いております」
 ギルバートは何故か、一歩下がった位置から喋っている自分に気付いた。
 彼女の仲間の身柄を手中に押さえて、彼女にこちらの用件を呑ませる。立場的には、こちらが上に立っているはずなのに――。
「……剣士の青年も同じように我らが手元に」
 気圧されかかっている自分を立て直すように、口早にその事実を告げれば、
「それはどうでもいいです」
 サーラは刹那に首を振った。
 ギルバートは驚きに目を見開く。
 にべもなく切り捨てられた剣士もまた、彼女の仲間ではなかったのか?
 黒魔法師ユウナ、剣士グエン――ギルドで三人の冒険者の身元照会したところ、サーラはその二人とパーティ登録していた。
「……えっ?」
 深い緑色の瞳を瞬かせるギルバートの脇をすり抜けて、部屋を出ようとするサーラを彼は慌てて引きとめた。
「待って――」
 彼女に触れようとした寸前に、手のひらはピシャリと打ち払われる。
「私に気安く触れないで下さい。私に触れていいのは、ユウナだけです」
 冷ややかな声で、サーラはギルバートを退けた。
「すみません。……って、あの……ご自身の立場をご理解しては?」
 睨まれたことに反射的に謝って、ギルバートは我に返った。
「私に貴方の事情を知る必要はありません」
「……私の事情と言いますか」
 囚われの身の上だと、彼女は欠片にも思っていないらしい。部屋を出ては廊下を歩き出す。
「お待ちください。勝手に出歩かれては、困りますっ!」
 置いていかれそうになるギルバートは声を張り上げた。数歩、先を歩いていたサーラは白銀の髪を翻して、肩越しに振り返ると、冷たく言い捨てる。
「言いましたでしょう? 私に貴方の事情など、知る必要はありません。ユウナはどこです?」
「……答えるとお思いか?」
 切り札を早々に明かすわけがない。それは、サーラにもわかっているはずだ。このカードがある限り、彼女はこちらに逆らえないはずなのだから。
 しかし、ギルバートの予想を違えて、サーラは一片も動揺を見せずに言い切る。
「別に、答えなくても結構です」
 ツイと視線をそらすと、サーラは再び歩き出そうとする。
「答えなくても……良いって」
 見捨てると言うことなのか?
 戸惑いの声をこぼすギルバートの背後から、声が飛んできた。
「――随分と、短気な人ですのね。女神と称されるからには、もっと慈悲深く慈愛に満ちた穏やかな女性を思い描いていましたが」
 鈴を鳴らすようなその声音に、ギルバードは振り返ると同時に、廊下の端に身を寄せてその人物に道を譲った。
 そうして、声に苦さを滲ませて、ギルバートは訴えた。
「アメリア姫――霊廟でお待ちくださいと申したはずです」
 幾ら城内とはいえ、供もつけずに現れた姫君に、彼は深い緑色の瞳を見張る。
 先の魔族の襲撃にて、王城の一部が破壊されていた。そして、同じように人間にも損害を受けたために、城内の警備については、手が足りない。
 王族の身辺警護を任務とする親衛隊の隊長ギルバートが、アメリアの側を離れてしまっている現状を垣間見れば、第三者の目にも明らかだろうが、姫君と供に行動できる人間自体がもういないのだ。
 しかし、混乱する城下のことを考えれば、城の中とて安全とは言いがたい。
 それで、比較的安全な場所に身を置くようにと、ギルバートが指示したにも関わらず……。
「どうして、大人しくお待ちくださらない?」
 ガリア王国の王家の姫君であるアメリアは、赤茶色の瞳を炎のように煌めかせ、ギルバートを見返る。
「待てるはずがないわ。時は一刻を争うのよ。一晩待っただけで、十分でしょう」
 今年、十八歳を迎える栗色の巻き毛の姫君は、まだ若干の幼さを残しながら、それでいてどこか気性の荒さを感じさせる顔立ちをしていた。
 栗色の眉を吊り上げてそう言い切る姫君に、ギルバートは首を振った。
「まだ、サーラ嬢にはご協力を願う段取りすら、ついていないのです。今はまだ、姫様自身がお口を出すには早すぎます」
「わたくしが直々に、交渉するわ」
「アメリア姫っ! 姫様のお考えは――」
「ギルバート、下がれ」
 身を乗り出すギルバートを、アメリアの一声が制した。主従関係が染みついてしまっている身体は、反射的に固まる。
 そんなギルバートとアメリアのやり取りを見つめていたサーラは、やがて興味を失ったように、カツンと靴音を響かせ、二人に背を向けた。
 それに気づいたアメリアが声を張り上げる。
「お待ちなさいっ!」
 カッと靴音を鳴らして、サーラは立ち止まると、先ほどと同じように冷ややかな視線で振り返る。
「待てと言われて、私が貴方たちの言葉に従う理由は何一つありません。それとも、何ですか? ユウナの居場所を教えてくださるとでも」
「教えると申しましたら」
「ユウナを探す手間が省けることは、感謝しても良いです」
 無表情にサーラは言った。
 その表情を見る限り、ギルバートには彼女がユウナと言う少年に大して執着しているようには見えないのだが。
「では、交換条件に――」
 アメリアが取引を口にしようとしたその瞬間、サーラはそっぽを向いた。
「しかし、貴方たちと取引をする理由もない。私がここにいて、ユウナと引き離されているのは、他ならぬ貴方たちの仕業でしょう」
 横目にこちらを見下げてくる視線の冷たさに、ギルバートをはじめ、アメリアも言葉に詰まった。
 彼女の言う通りだから、反論も出来ない。
「そう考えれば、感謝する理由もない。まして、それに応じて私が貴方たちの希望に沿うてやらなければならない義理もない。そうではありませんか?」
 淡々と吐き捨てるサーラに、アメリアはギリッと歯を鳴らした。ドレスの端を握り締めて激情を何とか押さえつけ、感情を殺すように、低い声でアメリアはサーラに告げた。
「例え、そうであっても。あなたの仲間はわたくしの手中にあります。拒否権など、あると思っているなら浅薄――」
「浅薄なのは、貴方たちです。こういうのを盗人猛々しいと言うのでしょうね」
 アメリアの発言を途中で遮って、サーラの硬質な声は切り返してきた。
「わたくしを盗人と? あなたは、わたくしが何者であるか、存じていて?」
 王族という高貴な身分にある自身を盗人と称されて、アメリアは顔を怒りに赤く染めてサーラの横顔を睨む。
 そんな姫君を制するように、ギルバートは口を挟んだ。
 このまま怒りに任せれば、アメリアはサーラの仲間に危害を加える命を下しかねない。ここは何とか穏便に話を収めようと試みたのだが。
「姫様、サーラ嬢はお目覚めになったばかりで――」
 あっさりと、サーラはギルバートの援護を台無しにしてくれた。
「アメリア――その名が、何か?」
 今までのやり取りの中で口にされたその名を、サーラは無感動に舌の上で転がした。勿論、その名を認識したならば、アメリアの身分も会話の内容から理解しているだろう。
「私には何一つとして、意味がない名です。貴方の存在も。それが、何か?」
 頬を傾けて、サーラはどこまでも冷ややかに見つめてきた。
 視線で、凍らされた。
 彼女の瞳に映っても――一つの価値も備えていない、石ころにも似た自分を自覚させられて、途方に暮れる。
 この女神の前では、王族であることも何も、意味をなさない。
 息を呑むギルバートの隣で、アメリアが現実に抗うよう声を張り上げた。
「あなたは一体、何様のつもりっ? ――命の女神、生命の女王――そうもてはやされて、自惚れているのではなくてっ?」
 鈴の音の騒音に、サーラは薄紫色の瞳を揺るがすことなく、アメリアを見据え続けていた。
 変わらずに、揺るがずに。
 無感動に、そこにある風景を映しているかのような、ただ、それだけの反応。
 不快感を見せるわけでも、恐縮するわけでもない。
 風でも眺めているような――視線。
 それだけで……王族という地位に立ち、口にした願いは何でも望み通りに叶うと思っているアメリアには……屈辱だろう。
 それにしても、サーラの態度はただ単に無関心なのか。尊大なのか。
「わかっていて? あなたの仲間はわたくしの手の中にあるのよ?」
 確認するように告げたアメリアに、サーラは言う。
「私はさほど、記憶力が薄いわけではありません。何度も同じことを繰り返さずに、本題に入られてはどうですか? 先ほどの貴方は、一刻も争うと言っていたように思いますが」
 あげ足を取るサーラに、アメリアが手のひらを振りかざして迫ろうとしたところを、ギルバートが腕を突き出して押しとめた。
「姫様っ! 感情的にならずにっ」
 そして、サーラを見つめて、ギルバートは訴えた。
 アメリアが成そうとしていることが、ギルバートには正しいのか、否か、わからない。
 しかし、期限が目の前に迫っていることだけは事実であるのを思い出せば――。
「サーラっ! どうか、お願いです。私共の願いをお聞き届けくださいっ!」


                       * * *


 もう何度、求められたことか。
 その度に、自分という存在が否定されていく気がする。
 ――私は。
 ――――私は……。
(…………ユウナ)


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