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 ― 7 ―


「ギルバートさんの用って……何なんでしょうね?」
 手持ち無沙汰のユウナは、そう問いを発した。
 考えれば答えが見つかりそうだが、思考に走れば、サーラの身が本当に安全なのか? と、不安になって集中できない。
 グエンに問いかけることによって、意識的に思索する。
「親衛隊って言うからには、国のお偉いさんに仕えているんだろうね。だから、ギル自身の用って訳じゃないだろうな」
 ギルバートをギルと略して、グエンは黒髪を撫でた。それから唸るように続ける。
「そして、姫が狙いとなれば、用件は絞られてくるね」
「……やっぱり……」
「姫の美貌に惚れた王侯貴族が、無理矢理、姫を手篭めにしようとか」
 ちょっと、声の質を変えてグエンは軽口を叩く。
「……グエンさん、それ、本気ですか?」
 ユウナは呆れた声を吐いた。
 確かにサーラの美貌は魅惑的で、旅の途中、彼女に声を掛けてくる男も多かったが――それ同様に何故か、ユウナを誘ってくる男も多かったが――今まで、誰一人として、サーラを口説けた男はいない。
 どんな強面に迫られても、サーラは毅然とした態度で対処してきた。なかには、力技でサーラをモノにしようとする男もいたが、彼女の魔法がそれを許さなかった。
 そして、一定の土地に縛られることがない冒険者たちを、どんな権力者でも支配することなどできやしない。相手が貴族とはいえ、サーラが屈することはないだろう。
「……ユウナちゃん。あのね、姫だって女の子なんだよ?」
 グエンが鉄格子に額をこすりつけるようにして、こちらに訴えてきた。
「それは知っています。でも、サーラさんは、負けませんよ?」
 必死になっているグエンが、ユウナには不思議だった。
 彼は、何度もサーラに泣かされているのに。
「いや、まあ、姫の強さは俺だって身に染みて知っているよ。でもね、この場合は、動揺してあげなきゃ、姫が可哀想だよ」
「……言っていること、わかりません」
 小首を傾げるユウナに、グエンはガックリと頭を垂れた。
「乙女心を理解してあげないと、男として失格だよー」
「……はあ」
 やっぱり、わからない。
 困惑するユウナに言い聞かせるように、グエンは一例を挙げた。
「……それに、ユウナちゃん。姫に意識があれば、相手が誰だろうと無敵だと思うけど、意識がなかったら?」
「――それは大変ですっ! 助けに行かなくてはっ!」
 いきなり目の前に迫った現実に、ユウナは青くなった。全身の血が一気に冷める。慌てて立ち上がると同時に、自らのマントを踏みつけて、つんのめる。
 石壁に額を打ち付けて、ユウナは目から星を飛ばした。
 クラクラする頭を抱えながら、鉄格子に縋りつく。冷たい鉄の棒を握って、前後に揺らしてみるけれど、ビクともしない。
 ユウナの魔弾も、グエンの剣も、一時預かると言って、ギルバートに奪われ手元にはないかった。牢を抜ける手段がなくて、ユウナは唇を噛む。
「サーラさんっ! ご、ごめんなさい。僕がちゃんと、傍についていればっ!」
 彼女の身を思えば、ユウナの声は悲痛に響いた。
「…………いや、あの、ユウナちゃん?」
 グエンが恐る恐るといった風に声をかけてきた。そちらを振り返るユウナの視界は、涙に潤んでいた。
「……今のは、例えだし。多分、姫は大丈夫だと思うよ?」
「どうして、そんなことが言えるんですかっ!」
 自分からサーラの身の危険性を訴えておきながら、グエンの言葉は今さら白々しく、ユウナを苛立たせた。
「いや、だって……姫だし」
「サーラさんは、女の人なんですよっ? グエンさんはそれでも、男なんですかっ? 女性の身が危険な時に、何でそんなに暢気なんですっ!」
 数分前と立場が逆転していることに、ユウナは気づいていない。
「サーラさんの身に何かあってからでは、遅いんですよ? わかっているんですかっ!」
「ええっと、ユウナちゃん。ちょっと、落ち着こう」
 そう肘まである黒い手袋を嵌めた右手を上下に揺らしながら、グエンが言ってくるが、この状況で、どうして落ち着けるというのかっ!
 反論しようと口を開くユウナの先手を打って、グエンが早口に告げた。
「ホラ、あのギルって男、馬鹿正直というか生真面目と言うか。あいつが、破廉恥な目的のために、動くのはあり得ないって感じがしない?」
 言われてみれば……ちょっとだけ、なるほどと、納得させられる。
 落ち着いたところで、ユウナは最初の問いの答えを求めるように、杏色の瞳をグエンに差し向けた。
「……だとすれば、サーラさんが狙われたのは」
「姫の魔法だろうね。姫の名前を知っていたってことは、乗り込んでくる事前に、身元をギルド辺りで照合したんだろう。そうなれば、姫の容姿から……人物は特定しやすい」
 ただでさえ、目立つサーラの容姿。そして、彼女の名前は「命の女神」、「生命の女王」という異名と共に広く知れ渡っていた。
「――姫に甦生魔法を実行させる気なんだ」
 苦々しく吐き捨てるグエンの声を、ユウナは絶望的な思いで聞いた。


                       * * *


 霊廟には、幾つもの棺が並んでいた。その内の一つは、見るからに造りが他のものと違っていた。
 一目見ただけで、特別な死者が眠っているのがわかる。
 その棺の周りを取り囲む者たちの――その中には、ギルバートと似たような服を着た男たちが数人混じっている――沈鬱な表情を眺めて、サーラは無感動に呟く。
「これだけの頭数の人間がいながら、何故、誰一人として受け入れないのですか? これは死者です」
「いいえ、死んではいないわ。あなたが生き返らせれば、父上はお目覚めになられる」
 暗い炎を瞳に宿して、アメリアが言った。そんな姫君を見やって、サーラは首を振る。
「私は――貴方の望みを叶えません」
 棺に眠る死者は、アメリアの父――ガリア王国の国王。
 恐らく、先の魔族の襲撃の折、国王は他の多くの者とともに命を落したのだろう。
 この霊廟に並べられた棺は、そのときの犠牲者か。ざっと数えたところで、棺の数は五十を超えているようだ。
 霊廟であるため、室内の温度はひんやりとしていたが、それでも遺体の腐敗は確実に進んでいるのか、微かに死臭が鼻についた。防腐処置にまで手が回っていないのか。
「まだよくわかっていないようね? あなたに拒否権はなくってよ」
 よどんだ空気に低く響く鈴の声に、
「貴方の方こそ、わかっていないようですね。私は、貴方の望みを叶えたりはしません」
 サーラは、アメリアの瞳を見据えて告げた。
「私は誰も、生き返らせない」
 凛然と声を響かせる。誰にもこの信念だけは揺るがせない。
「いいえ、生き返らせるの。さもなくば、貴方の大事なお仲間は、死ぬわよ?」
 暗い声で、アメリアが笑う。
 高慢に歪んだ唇から吐き出されるのは、絶対に拒否できないと確信している声だ。そこには、姫君を侮辱したこちらに対し、愉悦に浸っているかのような暗い情念を感じさせる。
 アメリアの声は、心の内側を嘗め回すようで、サーラを不快にさせた。
 しかし、彼女は感情を見せることなく、繰り返す。
「何と言われようと、私は誰も生き返らせません」
「――仲間を見殺しにすると言うの?」
「どのように取られても、構いません。私は誰も生き返らせない」
 例え、それが……。
 ユウナを見捨てることになろうとも……。
 サーラの決意は変わらない。変えられない。
「私に――命を求めないでください」


                       * * *


「駄目です、駄目です、それだけは絶対にっ!」
 ユウナは叫んでいた。
「ユウナちゃんっ?」
 ギョッと驚いたようなグエンの声が、耳に届く。ユウナは向かいの牢のグエンを涙目で見つめた。
「サーラさんに、これ以上、命の選択をさせちゃ駄目ですっ!」
 一つの命を見捨てるたびに、サーラは傷つく。
 決して、見捨てたいわけではない。
 サーラはとても優しくて、優しすぎて。
 より多くの命を守ろうとして、一つの命を切り捨てる決意をしていた。
 人が持つ力は限られていたから……。
 心を殺して。人に冷たくして。
 どんなに誤解されようと、構わずに。
 出会ったときから、彼女は冷たかったけれど。
 その心の奥にあった決心は、今も昔も変わっていない。
『優しい子だよね』
 グエンがそう笑ったことを思い出す。
 冒険者学校の卒業試験――その会場で、初めて顔をあわせた。
 そしてその現場で、自己紹介もままならない内に、サーラは辛辣な言葉をユウナとグエンに浴びせて背中を向けた。
 魔法が使えないと言ったユウナに、『未熟者』と――短く、唾棄するように、サーラは吐き捨てた。
 その声の冷たさに、ユウナは悲しくなったことを覚えている。
 未熟であったことは事実であったから、悔しくはなかった。
 ただ、冷たい声が――。
 拒否されたことが、切なくて。
 同じように、冷たい態度を取られたグエンに、ユウナが目を向けると、
『優しい子だよね』
 黒髪の剣士は藍色の瞳を細めて、ニコリと笑った。
『えっ?』
『あの、お姫さん……知っている?』
 先行したサーラに聞こえないように、小声で尋ねてくるグエンにユウナは頷いた。
 グエンもサーラも、冒険者学校では有名だった。既に世に名の通った冒険者たちから「仲間」へと誘う話が幾つも来ていると言う。
『そう。ねぇ、ユウナちゃんはサーラ姫の力のこと、どう思う? やっぱり、便利だと思う?』
『……あの、生命魔法のことですか?』
『そう』
 サーラが蘇生魔法を習得していたことは、既に広く知れ渡っていた。ユウナはその事実を前に、ただ凄いと感嘆した。
 ……けれど。
『便利なのかもしれないですけど……』
 蘇生という――人が本来あずかり知れない領域に手を出すことに、畏怖を覚えると同時に、サーラが背負う宿命に不安になる。
 生き返ることが――本当に、幸せなのか。
 この生き辛い世の中で、一度、落した命を蘇らせることは。
 生存を望む生者には、愛しい人が蘇るのは、これ以上ない幸いだと思う。
 でも、死んでしまった者は……本当に生き返りたいのか?
 死ぬ覚悟を決めて、冒険者になろうと決意したユウナは、出来れば長く生きて、沢山の人を救いたい。助けたい。
 でも、命を落してなお、生き返ったそのとき、それまでと同じ覚悟を持って生きられるだろうか?
 そして、生き返るということを、当たり前のことにしてしまって、良いのか? ――と。
 蘇生魔法があったとして、それは本来、誰も成しえなかった究極の魔法。
 一度、成功しているからと言って――二度目も無事に成功する保証などない。
 そう思えば、グエンが言った『優しい』という表現が、ストンとはまるのを実感した。
 ……冷たい態度も、拒否も。
 それは――頼るなという、サーラからのメッセージではないだろうか?
 生命魔法を当てにするな、と。
 何故なら、その力はどんな怪我も癒してしまうけれど、いつも同じような効果がもたらされる訳ではない。
 魔法を使う者なら、一日に使える魔力の限度を知っている。魔法を構成するためには、精神力も必要とする。疲労が蓄積された状態では、魔力を維持することも難しくなる。
 どんなにサーラが、優れた「癒し手」であっても。
 日に何度も、生命魔法を使えるわけではない。まして、究極の蘇生魔法を使おうとするなら、サーラに掛かる負担は想像を絶するものとなる。
 傷つくことが前提のような冒険者の旅に、優秀な「癒し手」が同行するのは頼もしい。
 スカウトの話が、サーラの元にひっきりなしに寄越されるのは、誰もがその力を欲するから。
 だけど……。
『……頼れる力だと思います。けれど、僕はその力に甘えたくないです』
 ユウナが答えると、グエンは白い歯を覗かせて笑った。
『大正解』
『……えっ?』
『皆、間違えるんだよな。だから、誰も姫のホントがわかんないんだよ』
『――優しい人なんですよね』
『そう。何でも一人で背負ってしまうほど、優しい子だよ。――だから、放って置けない。そう思わない?』
 小首を傾げて尋ねてくるグエンの藍色の瞳は、先を行くサーラの小さな背中へと向けられた。同じように視線で追いかけて、ユウナは頷く。
 ……そう、あのとき。
(僕はサーラさんの隣に並ぶことを選んで……そして、サーラさんも僕の隣を選んでくれた)
 子供染みた正義感で突っ走ってしまっては、グエンやサーラを巻き込んでしまう。頼りなくて、情けなくて。
 それでも、未来を諦めきれない自分の……。
(僕の隣を歩いてくれた……僕を選んでくれた)
「――行きましょう、グエンさん」
 グイッと目に溜まった涙を拭って、ユウナは言った。
「サーラさんのところに行かなくっちゃ」
 捕らえられている現状も、目の前にある鉄格子も、今のユウナには目に入っていない。
 行かなければと思う。一秒でも早く、サーラのところへ。
 誰も彼女を傷付けることは許さない。
(サーラさんを守らなきゃ)
 そうして、眼前にある鉄格子にユウナは身体をぶつけた。邪魔をするものは壊す。誰も、何も、阻むことは許さない。
 硬い鉄の棒が、肩に食い込んで骨がきしむ。
「ユウナちゃん――無茶しちゃ駄目だよっ!」
「だって、サーラさんがっ!」
 ユウナが張り上げた声は悲鳴に似ていた。
「わかっているよ。助けに行くんでしょ? だからね、はい」
 向かいの牢から、放物線を描いてグエンが投げてきたのは魔弾だった。手のひらにすっぽりと収まる小さな球体は緑色をしていた。中には風の魔法が閉じ込められている。
「……どうして?」
 杏色の瞳を瞬かせて、ユウナはグエンを見返す。
 ギルバートに装備品を全て、奪われた。リュックに入れているのとは別に、予備としてポケットに装備していた魔弾も奪われて。
「別に、のんびりする気はなかったんだよ。姫の体力回復が目的だったの」
 グエンは、ニッと白い歯を覗かせて笑う。
 サーラの眠りを確保すること。それを目的として、グエンは大人しく捕まったと言いたいらしい。確かに、ギルバートと悶着を続けていれば、その騒々しさはサーラの眠りを妨げただろう。
 この牢に捕まってからの余裕も、脱出する術があったから。いつでも、動き出せる確信があったから。慌てず騒がす、時期を見ていたというわけだ。
 何も考えていなさそうで――だけど、誰よりも視野が広い。そんなグエンを頼もしく思って、ユウナは彼を見上げた。
「さあ、姫を迎えに行こうか?」
 笑うグエンに頷いて、ユウナは魔法を解放させた。


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