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 ― 2 ―

 
 ギルドで得た情報では、広大な森を南に抜けた先の小さな村に魔族が現れたらしいというものだった。
 先月、手違いから東の大陸へとやって来たユウナたちは、ギルドの情報を頼りに辺境まで足を伸ばすことにした。
 冒険者学校を卒業したばかりの新米パーティには、一にも二にも、経験が必要だった。
 しかし、この東の大陸は他の大陸に比べて、〈ゼロの災厄〉の被害が少なかった。勿論、魔族の被害が全くないとは言いきれないが。
 ギルドに集まる情報も、その半分は魔族とは関係ないものもあった――〈ゼロの災厄〉に無縁であったため、実際のところ、この大陸の半数以上の人間は魔族がどういうものかわかっていない。
 中には野犬を魔獣と勘違いして、退治の依頼をしてくる人間もいると、ギルドの管理者は愚痴っていた。
 それでも、他に情報源があるわけではないユウナたちは、「らしい」というあやふやなギルド情報を頼りにバゼルダ村への道程に旅立ったわけだが。
「……もしかして、あの情報も……?」
 ……勘違いだったのか?
 ユウナは答えを求めるように、サーラとグエンを振り返る。すると、背中を向ける形になったルセニアの声が、低く響いた。
「――魔族は――いる」
「えっ?」
 今、何と? 肩越しに振り返ったユウナは、言葉の意味を認識して矢継ぎ早に問い質した。
「魔族に襲われたのですかっ? 大丈夫でしたかっ? 被害はっ?」
 距離を縮め、詰め寄るユウナを前に、ルセニアは困ったように眉を寄せた。
「……ルセニアさん?」
 その表情を目に留めて、ユウナは自分の声が震えるのを自覚した。
 また、間に合わなかったのだろうか?
 いつだって、情報を得てから行動している以上、魔族が襲撃された後を追いかける形となる。
 ガリア王国では、魔族の襲撃で家を失った人々を沢山目にした。家族を失った者も。
 王国を襲った脅威を退けることに、ユウナたちは成功したものの、彼らの心に刻まれた傷を癒すことは出来ない。
 人が出来ることには限りがある。何もかもを成そうとすることは欲張りなことだろう。
 そうわかっていても、一人でも多くの人を守りたいとユウナは思っているから、守れなかった人々のことを考えれば、心が軋んだ。
 顔色を変えたユウナの思考を読んだらしいルセニアは、一つ一つの言葉を確かめるように告げた。
「バゼルダの村に、魔族はいるが――多分、君たちが考えているような、魔族ではない」
「どういうことさ?」
 グエンが片目を眇めて、ルセニアを見やった。
 魔族は人間を支配しようとする――勿論、中には人間と共存を望む者もいるが、極少数だ――その第一歩として、自らの力を知らしめようとする。
 人間と魔族との、抗いようのない絶対的な力量の差を見せ付ける。その手段として、魔族は町を襲い、焼く。
 焼け出された人々は絶対的な力の前に、絶望から魔族への反抗心をなくし、奴隷と化す。
 魔族が現れたということは、支配への第一段階。
 冒険者は、人々を支配しようとする魔族と戦うために、旅をしている。
 ルセニアが言いたいのは、そういうことなのだろうか?
 バゼルダ村にいるという魔族は、人と共存を望むもの?
 戸惑うユウナたちを前に――人と共存を望む魔族と、いまだ出会ったことがないので、その魔族がバゼルダ村において、どのような立ち位置にいるのかわかりかねる――、
「説明するより、見てもらったほうが早いかもしれない」
 ルセニアはそっと息を吐いて、視線を空へと向けた。
 陽が西へと傾きつつあるのを確かめるように目で追って、淡い微笑を三人に向けてきた。
「今日の宿は決まっていないのだろう? バゼルダ村には、生憎と宿がない。招待するから、私の家に泊まるといい」
「……でも」
 冒険者と敵対する魔族がそこにいないのなら、バゼルダ村に向かう必要はない。
 魔族が人々を支配しようとしないのなら――冒険者が戦う意味はない。
「君たちが考えているような魔族ではないが――私は、君たちの力を借りたいと言えば?」
 緋色の瞳に浮かび上がった暗い翳りに、ユウナは胸騒ぎを覚えた。
(…………)
 今までにない現実に向き合わされようとしている。
 その予感を前に、心が震える。
 冒険者である以上、魔族と敵対することを前提にしている。戦わざるを得ない状況が当たり前だといっていい。
 しかし、争うことを拒む魔族相手に力を行使することなど、無意味だろう。
 でも、人間に――助けを求められたら?
(……僕たちは)
 魔族との絶対的な力量差の前に、なす術もない人間たちの助けを求める声を無視しては、何のために冒険者になったのか。
 そう自問すれば、ルセニアが求める力を貸さないというわけにもいかない。
 かといって、共存を望む魔族を倒すなんてことは……。
「――行こう」
 ユウナの肩にグエンの手が乗って、そっと前に押される。
「グエンさん……でも」
「結論を出すのは、今でなくてもいいでしょ?」
 唇の端に白い歯を覗かせた彼は、ユウナの不安を払拭するように明るい声で言った。
「最終的に、答えを間違えなければ大丈夫だよ」
「答え……」
 自分は正しい答えを出せるのだろうかと、ユウナは杏色の瞳を伏せた。
 前に自分の勝手な正義感で、二人の仲間に多大な迷惑を与えてしまった。そんな子供な自分に、どれだけの現実が見えるのか。
「ユウナ、貴方は一人ではありません」
 するりと伸びてきたサーラの手が、ユウナの手を掴んだ。
「……サーラさん」
 振り返れば薄紫色の瞳が、静かにこちらを見つめていた。
「貴方に見えないことは、私が代わりに見つめましょう」
 自らの視野の狭さに不安があるのなら、それを補おう――と、サーラは言ってくれていた。
 戸惑い立ち尽くすユウナに、二人の仲間はそれぞれ手を差し伸べてくれる。
 その優しさに、ユウナは緊張を解いて微笑んでいた。
 何が正しいのか、見極めることはとても難しいことだと思う。けれど、この二人と共にあれば、後悔するような答えを出すことはないだろう。
 不思議と確信できる、自分が居た。
「はい――行きましょう。グエンさん、サーラさん」


                  * * *


 手前に森、周囲を小高い山に囲まれた平地にあるバゼルダ村は、想像していたよりも、長閑だった。
 柵を隔てた牧草地には草を食む牧畜。それらを家畜小屋へと追い込む少年は楽しそうに歌を歌っていた。
 夕餉の支度に各家の煙突から流れる煙は、茜色に染まった空を穏やかに流れていく。
 早い家では、もう夕食を取っているらしい。道を歩いていると、壁の向こうから家族の談笑がユウナの耳に届いた。明るい声を聞けば、笑顔が想像できた。
 とても、魔族の脅威と隣り合わせに暮らしている村だとは思えない。
 魔族に襲われ凄惨な現場を幾つも見てきたユウナには、平和な光景は夢のようだった。
 ここに魔族がいたとして……。
 このような、平和な光景を作り出せるのなら、冒険者が魔族と争う意味なんて、あるのかと。
 ユウナは先頭を歩くルセニアの灰色の背中に目を向けた。
 彼は行く先々で、村人に声を掛けられていた。それだけ、信頼が厚いのか。彼と共に歩いていたユウナたち一行に、不審の目は向けられるも直ぐに、疑念の色は瞳から消え失せる。
 ルセニアと共にあるのなら、疑るような者たちではない、安心していい、と。
 各々の瞳がそう語っていた。
 危険なクマ退治を任せられるだけ、ルセニアは腕が立つのだろう。真っ直ぐに伸びた姿勢や音を立てずに歩く足取りから、そこら辺りのことがわかる。
 獣は気配に敏感なものだ。猟師という肩書きを名乗っている以上、ルセニアは気配を消すという初歩的なことを、実生活のうちに染み込ませているらしい。
 冒険者や国家に仕える騎士ではない人でも、こういうことに気を配る人がいるのだと、ユウナは驚いた。
 とはいえ、ユウナが日常的に目にしているグエンは、気配を消すということはしない。むしろ、彼は自らの存在を注目させることによって、魔族たちの意識を引き寄せる。そうして、仲間が動きやすいようにしてくれる。
 いつも軽い調子で、軽薄そうに見える。だけど思慮深く、仲間を気遣ってくれるグエンは、ルセニアとユウナとの間にいた。
 何かあれば、背中に二人を守るつもりでいるらしいことが、ルセニアを油断なく見つめる藍色の瞳でわかる。そうして、ユウナはグエンの後ろを歩いて、安心していた。
 自分がグエンに対して、やはり――時折、頼りなく思ってしまうけれど。それと同じくらいに、頼もしく思うときもある――信頼しているように、村人たちもルセニアのことを信頼しているのだろう。
「ルセニア様、お帰りなさい――よくご無事で」
「ルセニアさん、クマって大きかったっ?」
 村の中央に出ると、そこは噴水を設けた広場になっていた。村人たちが集う場でもあるのだろう。ルセニアの姿を見つけると、親子連れがまた、彼に声を掛けてきた。
 十歳ぐらいの子供が、勢い込んで駆け寄ってきては興味津々のていで尋ねてくる。
「ああ、大きかったな。腕なんてこれぐらいあったよ」
 子供に笑いかけると、ルセニアは身振りで熊の大きさを表現して見せる。
「そんなに大きかったのっ? それを、ルセニアさんはやっつけたんだっ! 凄いね」
 子供の瞳が輝くのを目に止め、ユウナは嬉しくなった。
 魔族退治を目的としている旅では、魔族に傷つけられた人達ばかりなので、こういう純粋な笑顔を目の当たりにすることは難しかった。それだけに、小さな笑顔が心を温かくしてくれる。
「それが生憎と、私が倒したわけではないんだ。こちらのお兄さんたちが倒してくれたんだよ」
 ルセニアがそう言って、手のひらでこちらを指し示してきた。つられるように、動く視線。ユウナは子供と目が合って、そっと笑いかけた。
「このお姉ちゃんが?」
 驚いて見開かれた子供の瞳を前に、ユウナもまた杏色の瞳を瞬かせた。
 思わず、背後に立つサーラを振り返るが、子供の視線は彼女ではなくユウナに向けられていた。
「あの……お姉さんじゃなく、お兄さんなんですが」
 おずおずと申告すれば、子供はグエンに目を向けた。
「こっちのお兄ちゃんっ?」
「………………あ、その」
 自分が女性ではなく、男性だと言いたかったユウナの言は、子供には伝わらなかったらしい。
「大きいお兄ちゃんと、こっちの小さいお兄さんとお姉さんの三人で倒したんだ。俺たちは仲間だからね」
 グエンが子供の頭を撫でながら、さりげなくユウナが男であることを説明した。
 そのフォローに、ユウナはしおれた花のように顔を伏せる。
 やはり自分のこの顔は、女性に見間違えられてしまうのだろうか。父もどちらかと言えば、華奢な人で線が細い面立ちをしていた。母のほうが男性的な強さを持っていた。
 そんな両親の、どちらに似たかと言えば、間違いなく父の方だ。自分でもわかるくらいに、似ていた。
 そう思い返していると、愕然とした感じのルセニアの声が届いた。
「……ユウナ殿は、男性だったのか?」
 驚いたというより、裏切られたといったルセニアの表情に、恥ずかしさが増す。
「………………あの、はい」
 ますます頭を垂れるユウナに、サーラが囁く。
「大丈夫ですよ、ユウナ。ユウナは、誰が見ても可愛いです」
 慰めようとしてくれたのだろう、サーラの一言だったが……全く、フォローになっていない。


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