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 ― 3 ―


「いや、済まぬ。あまりにも、ユウナ殿が可愛らしいものだったから」
 落ち込んだユウナを前に、ルセニアは慌てた。そんな彼を見て、子供の母親は可笑しそうに笑う。
「まあ、ルセニア様ったら。それではまるで、こちらのお坊ちゃんを口説いているように聞こえますわ」
「えっ? いや、そんなことは」
 全然ない――と、ルセニアは大げさなくらいの身振りで両手を振った。首を横に振った。
 肩に触れる蜂蜜色の髪を乱して反論するその所作が、落ち着いた雰囲気をかもし出していた青年には不釣合いで、ユウナは思わず笑った。
 フフフッと、小さな花が風に花弁を揺らすように微笑めば、ルセニアは重ねて侘びてきた。
「本当に、済まぬ。悪気はなかった」
「いいんです。間違われるのには、慣れていますから――気にしないで下さい」
 こんなことに慣れたくはないが、と思いながらも、ユウナは首を振った。
「……そうか」
 申し訳なそうにしながらも、どこかホッとしたように息を吐いて、ルセニアは笑う。
「――と、立ち話もなんだな。お疲れだろう、我が家へ」
 ルセニアが広場から左に折れた道を指差そうと、腕を持ち上げたとき。
 ――ゴーン、と。
 鈍い鐘の音が響いた。
 突然耳に入り込んできた音に、ユウナは顔を上げる。
 グエンに肩車されてはしゃいでいた子供の表情から、笑顔が消えているのが目に映った。
(……何?)
 ルセニアの眉間に皺が寄り、母親は困惑気味に視線を彷徨わせる。
 二度、三度と繰り返し鳴った鐘の音の余韻が完全に消え去るまでの瞬きの時間で、辺りを取り巻く空気が変わった。
 村全体から音が消えたように静まり返る中、フウッと大きなため息がこぼれる。
 それは腹の底から吐き出されたように、重々しいもの。
 出所を辿ってユウナが振り返れば、ルセニアの緋色の瞳には何かに挑むような、鋭さがあった。
「ユウナ殿、悪いが私は所要が出来た」
「……えっ?」
 そっと問い返せば、ルセニアの視線は既に戸惑うユウナから子供の母親へと目を向いていた。
「アンナ殿、彼らを我が家に案内してもらえるかな?」
「はい――かしこまりました」
 アンナと呼ばれた母親は既に承知の様子で頷いた。
「なるだけ早く戻るようにするよ」
 それだけ告げると、灰色のマントを翻すようにして、ルセニアは歩き出す。
 真っ直ぐに伸びた道筋の、鐘の音が聞こえた方へ。
 ユウナは道筋を辿って、その先に白い豪奢な建物を見つける。丘の中腹にあるのは、長閑な村にはちぐはぐな印象の建物。
「あの……」
 ユウナは何を聞けばよいのかわからないまま、アンナに声を掛けていた。そうして、振り返った彼女を前に言葉に詰まれば、こちらの意図を察したらしいアンナは短く告げた。
「あれはカネリア様のお屋敷です」
「――カネリア……さん?」
 アンナがその名を口にした際の、硬質な声の響きにユウナは困惑した。
 ガラスの欠片が混じった氷水を飲まされたような感覚。気づかずに飲み込んでしまって、喉元を過ぎた違和感に不安を覚える。
 氷水の冷たさより、密かに隠された悪意が背筋を凍らせる――そんな感じがしたのだ。
 アンナの声は抑揚がないのに、酷く冷たい。
 ユウナは胃の辺りに冷たいものを感じて、知らずマントを握り締めた。
「そのカネリアさんって人は、領主か何かい?」
 グエンがあっさりとした声で問いかける。アンナの様子に気づかなかったというわけじゃないだろう。藍色の瞳は微かに細くなっていた。
 しかし、顔には弛緩した笑みを浮かべ、何気なさを装った声は、相手に警戒心というものを忘れさせる。
 アンナは小さく首を振って、応えた。
「魔族です」
 端的に告げられた事実に、ユウナは息を飲み込んだ。
 ――この村には魔族がいる。
 それはルセニアが告げたことだし、その情報があったから、ここへ来たわけだ。
 でも、村は長閑だった。魔族の脅威なんてどこにもないと思わせるほどに、穏やかで朗らかだった空気。
 それが――鐘が鳴った瞬間、平和な夢を切り裂いて、殺伐とした現実を突きつけた。
「あの鐘は、カネリア様がルセニア様をお呼びになる合図です」
「どうして……ルセニアさんを?」
 握った拳の内側が、じっとりと湿るのをユウナは自覚した。
「ルセニア様は村の代表ですから」
 淡々とした調子で、アンナは言った。
「村長みたいな役割か? それにしては、若いと思うけど」
 グエンが問いかけながら、黙り込んだ子供を肩から下ろす。
 子供はアンナへと駆け寄り、その腰にしがみついた。己にしがみ付いてくる子供の肩をそっと撫でて、アンナは顔を上げた。
 フフフッと笑うが、どこか乾いた印象を与える声で彼女は言った。
「ルセニア様はああ見えましても、この子の父親と同い年ですわ」
「……マジ?」
「そ、そうなんですか?」
 目を丸くするユウナとグエンたちに代わって、サーラが問う。
「お幾つなのです?」
 大して興味あるわけではないだろう平坦な声。サーラの薄紫色の瞳は先を促すように、アンナを見やる。
「生きていれば――四十になりますね」
 一瞬、遠くを見るような目をした後、「四十」と答えたアンナに、グエンがギョッと目を剥いた。
「俺の倍っ?」
 二十歳であるグエンの倍の時間を生きていると聞いて、なお驚かされる。どう見繕ったところで、ルセニアは二十代前半にしか見えない。
 健康そうな肌には皺一つなく、声も若々しい。多少落ち着いた物腰が年長さを感じさせたが、十代のユウナやサーラを前にすれば、グエンの気安さの方が年上らしくないと言える。
「若作りが過ぎますね」
 サーラが無感動に感想を述べれば、アンナが本当に、と笑う。
 乾いた笑い声の中、笑顔に翳りを見つけて、ユウナはアンナが「生きていれば」と言った言葉を思い返す。
 アンナの夫は死んだということか。
〈ゼロの災厄〉に悩まされているこの世界では、死はいつだって隣り合わせだ。
 魔族がいつ襲ってくるとも知れない……。
「…………」
 ユウナの脳裏を過ぎった考えを、見透かしたようにアンナが告げた。
「この子の父親は、カネリア様に殺されました」
 ――それはもう揺るぎようのない、決定的な事実のように思えた。


                    * * *


「六十年前に、カネリア様はこの村へやって来られたそうです」
 アンナはユウナたち一行をルセニアの家に案内すると、勝手知ったる我が家のように、台所から茶と菓子を運んできた。
 土を焼いた陶器に注がれた緑色の茶は、ここらでは当たり前だという。
 慣れないと苦いかもしれませんが、と彼女は小さな笑みを浮かべて前置きをした。
 だが、菓子の甘さと緑の茶の苦味は良くあった。口の中でとろける菓子の甘さに、長旅の疲れが溶けていく気がした。ホッと一息吐いたところで、グエンが遠慮なく菓子を平らげようと手を伸ばす。
 それをサーラはピシャリと叩いて、ユウナと子供のほうに菓子を盛った皿を押してきた。
 横目で、グエンを睨みながら、サーラは冷ややかに言い放つ。
「いい大人が。遠慮というものを弁えたら如何ですか?」
「ゴ、ゴメンなさい」
 サーラの侮蔑混じりの冷たい視線に、縮こまるグエン。そんな二人に驚いたような顔を見せるアンナに、ユウナは話を促した。
「あ、あの。その魔族は……どんな?」
「とてもお美しい方です。そちらのお嬢さんもお美しいけれど」
「褒めて頂き光栄ですが、私の容姿はこの際、関係ないように思えます」
 サーラはどこまでも冷ややかに、自らに捧げられた賛辞を切り捨てた。
 ユウナ以外には、彼女の態度は徹底している。
「…………」
 誰に対しても甘えを許さないサーラの毅然とした態度は、穏やかな場所では誤解を受けてあまりある。
 現に、サーラの本質を知らないアンナは目をパチパチと瞬かせた。困惑気味の彼女にユウナは慌てながら、話を繋ぐ。
「カネリアさんという魔族は、女性なのですか?」
 サーラを比較対象としたのは、彼女の類稀なる美貌と比べてか。それとも、女性であることに対してか?
 ユウナが問いかければ、アンナは小さく首肯した。
「――ええ」
「女の魔人か、珍しいね」
 空腹なのか、グエンはもう何杯目かになる茶を啜りながら呟く。それを耳にして、ユウナが首を傾げれば、
「珍しいのですか?」
「うん。女の魔人は魔人という種族の全体数から見て、二割しか存在しないっていう話だよ」
 グエンは空になった器をアンナの方に差し出しながら続けた。
 アンナは持ち上げた茶瓶の軽さに、湯が足りないと言って、席を外す。台所へと消えるその背中を見送り、この場の間を繋ぐように、グエンは語った。
「まあ、魔人の寿命は人間に比べれば遥かに長いからね。女が少なくても、種族としては続いていくのに差し障りないだろうけど、それでも、人間や他の種族に比べれば極端に、女は少ないね」
 魔人の寿命は千年とも二千年とも言われている。
 そして、人間は〈ゼロの災厄〉という危険と隣り合わせの世界で、五十年も生きられれば長生きした方だと囁かれる。肉体的は、百歳まで生きられると言われているにも関わらず。
 この格差を前にすれば、魔人の子孫が増える数値が少なくても、魔族の優位性は変わらないだろう。
 絶対的な差を改めて思い知ると、ユウナは気が重くなった。
「まあ、そんな事情だから、女の魔人はかなり優遇されているらしいよ。種族繁栄のためにとね。けど、女の数が少ないことに危機感を募らせている魔人もいて、そういう奴らは――」
 口を開いたまま、グエンが唐突に、固まった。
「……グエンさん?」
「あ、ゴメン。今の、師匠からの受け売りで……これ以上のことは、何とも」
 ユウナの問いかけに我に返ったグエンは肩を竦めて、困ったように笑った。
「……師匠って?」
 話の続きも気になったが、ユウナは「師匠」という単語に引き寄せられた。頬を傾ければ、グエンは額に掛かった黒髪をかき上げながら口を開く。
「ああ、俺の剣の師匠ことだよ。冒険者学校に入る前、とあるパーティに在籍していたんだ」
「そうなんですか?」
「うん。十から十八までその人たちについていたかな? ……まあ、俺を引き取ってもらったという形が正解か」
「引き取る?」
「……俺の家族、死んでいないんだ」
 グエンのその一言に、ユウナは息を飲んだ。


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